閑話 高級中華がやって来た
後半の社交の為今暫く王都に滞在するクロードを残し、セルヴェスとマグノリアは帰路に就く。
今回は長い事滞在してしまった為、トマスを始め使用人の方々に何度も礼を言った。
「お礼なんて……マグノリア様は当家のお嬢様ではないですか。是非もっとタウンハウスへもいらしてくださいませ」
優しい言葉に見送られ、馬車に乗る。
くれぐれも危ない事をしないようにとクロードに念を押されたが、全く以て話を聞いていなそうな三人組(セルヴェス、マグノリア、ガイ)に、クロードは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
――勿論、自分から危ない事なんてしませんよ? いつだって危険が向こうからやって来るのですから。
二か月程アゼンダを留守にしていたマグノリアは、領地や商会、学校がどうなっている事かと馬車の中で思いを馳せる。
緊急の知らせこそなかったものの、きっと、先延ばしになっている案件が鎮座している事だろう。
「……三人揃って王都に出ずっぱりですからね……」
急ぎのものは早馬なりラドリなりに行き来をして貰ったとはいえ、相当に溜まっているだろう未決箱の中を見たくないと思うのが人情というもの。
ガイがニヤニヤ笑いながらセルヴェスを見た。
「セバスチャンさんが、首を長~くして待っていやすよ!」
「……嫌な事を言うな!」
セルヴェスがしおしおとした表情で零す。
例年に比べセルヴェスもクロードも留守がちだった為、絶賛大活躍中のセバスチャンがどうなっている事か。
「しぇるたま、ぽんぽん、イタイ?」
一緒に帰ることにしたエリカが、心配そうに丸まったセルヴェスを見る。
「いや! しぇるたまは、ぽんぽんは痛くないぞ!」
エリカの言葉を聞いて、セルヴェスが背筋を伸ばしては、ものすごい勢いで首を横に振った。
「ぽんぽん、イタナイ?」
「ああ、痛くない!」
そんなやり取りを見ては、ガイとマグノリアがニヤニヤと笑っている。
リリーは若干困りながらも、噴出さないように取り繕うのに懸命だ。
……若干エリカが苦手であるラドリは、外をハヤブサ達と共に飛んでいる。
ハヤブサ達はハヤブサ達で、押しの強いラドリを苦手としているのだが……仕方がないのか、キュウ、と面倒臭げに鳴いては、ちょっとばかり距離を取りながら飛んでいるようであった。
鳥の世界も上下関係が厳しい様で、なかなかどうして。自由とはいかないものなのだなぁとマグノリアは妙な感心をした。
「らどい……」
「ラドリさんは、お外っすねぇ」
窓の外を見ては、自分の肩にかかるぬいぐるみを見比べて、エリカは首を傾げた。
エリカとハヤブサには、後で何か美味しいものでもあげるとしよう。
******
「お帰りなさいませ、セルヴェス様!」
館へ着くなり、セバスチャンが超高速で近づいて来る。
察したガイは馬車を降りた途端に何処かへ消えてしまった為、セルヴェスは仰け反りながらセバスチャンに返事をした。
「う、うむ……」
「さ、執務室へ参りましょう!」
「ちょ、ま……っ!」
ぐわしっ!!
血走った瞳の笑顔で引っ掴まれると、何も言う間もないまま、ズルズルと執務室へと引っ張っていかれてしまったのであった。
「……何か、大変だったのね?」
「ええ、まあ……」
プラムに確認をすると、苦笑いをしながら頷いた。
そこから数日は、各方面へ回っての挨拶と仕事の毎日である。
……幸いなことに問題はなかったが、山のように積まれた書類の山を、根気強く捌いて行く事になった。
マグノリアがパレスへ行くことが出来たのは、領地へ戻って一週間程してからだった。
やってもやっても終わらないセルヴェスは放心状態になっていたが……南無三である。
「お帰りなさいませ、マグノリア様」
変わらぬ優しい笑顔で迎えてくれた老夫婦を労い、見回りと手伝いに来てくれていた騎士とお庭番にお礼を言う。
そして、カラカラに乾いたフカヒレの暖簾(?)を見て、マグノリアはニンマリと笑った。
――おおぅ! ちゃんと出来てる!
ついでにとばかりに端っこの方に干しておいたアワビも確認すれば、カッチカチの干しアワビが出来上がっていたのである。
フカヒレは日本で何度か食べたことがあったが、干しアワビは初だ。
捨てられていたフカヒレと違い、購入したアワビは数も少ない。
もし上手く出来ていたらこちらも量産しようと、マグノリアは悪い顔で笑いながら香りを確かめた。
「……ククククッ!」
「ちょい、お嬢。何で悪人面してるっすか……?」
キモチワルイ。
ガイと騎士たちがドン引きしているのは仕方がないであろう。
……戻したり煮込んだりとエラい時間がかかるこれらは、館で調理するのが良いであろう。
出来上がったら試食会に招待すると老夫婦に約束し、そしてまたすぐに何かを干しに来ることを約束した。
多分、急げば春までにもう一回位干せるのではないかと期待をしつつ。
さて、調理だ。
これらの戻し方や調理の仕方はいろいろな方法がある。
とりあえずはアワビの方はゆっくりのんびり戻すとしよう。
水につけ、塩を抜く為に時折新しい水に張り替えて、一日か二日程戻す。
多分この辺は大きさに寄るのだろうが、詳細不明はいつもの事である。取り敢えず念を入れ二日置く事にした。
アワビを熱湯で三十分から一時間程茹で、汚れを除く。
鍋に懐かしの骨ダシと肉、ネギやショウガなどの香味野菜を入れる。……金華ハムはないので生ハムを適当な大きさに切り、大量の骨ダシとアワビの戻し汁も入れて煮込む。
沸騰したらアクをとり火を弱め、蓋をして数時間程煮込むのだが。
確か丸一日煮るなんて面倒というかまめと言うか。そんなレシピもあった筈だ。
……調理場を陣取る訳にもいかないので、部屋の暖炉の端っこに鍋をひっかけるよう、金属棒を渡してもらう。
煮汁が常に浸っているようにする為、足りなくなればスープを加える。
オイスターソースが無い為、ミソーユの汁(醤油)やお酒、コク出しに少々の砂糖等、好みの調味料を加えて味を調え、さらに数時間煮て味を含ませながら柔らかくする為にひたすらに煮る。
アワビが柔らかくなれば火をとめて、そのまま冷ます。
ここまででアワビが戻せたので、あとは好きに味付けをして食べることにする。やはり姿煮だろうか。それとも中華風なスープで更に煮込むか……
頻繁に調理しろと言われたらめげるレベルの面倒臭さだと思う。家で作るもんじゃあないなと悟った。
そして大量に出来たフカヒレ。こちらは若干短い時間で出来る筈。
こちらも水で戻したり蒸したりという方法があった筈だが、茹で戻しの方法をとることにした。
まず。沸騰したお湯に乾燥フカヒレを入れて中火で三十分煮る。火を止めて蓋をして、三時間程置く。
冷水に入れ替え一晩置いたら、たっぷりのお湯に、しょうがとネギの青い部分、ミソーユの汁少々。そして酒少々を加えて中火で約二十分程煮る。
充分時間も手間も掛かっている筈なのに、物凄く簡単で早く感じるのはなぜなのか……それは干しアワビのせいであろう、間違いなく。
……ここまでやって、やっと戻しが完了である。
これも姿煮やスープにして食べる訳だが。
商品化して、果たして売れるだろうか……思わず部屋の隅に積みあがったフカヒレを見て、朱鷺色の瞳を瞬かせた。
*****
「とっても美味しいけど、売ってみないと未知数ね」
「一般家庭は厳しいよね。高級食事処か城でしか使わなくない?」
更に一日。力を振り絞って姿煮とスープを作った。
ミソーユ色のテカテカした干しアワビの姿煮はあえて白い皿に盛り付ける。付け合わせの野菜は濃い緑が目に鮮やかな葉物である。
若干優しい色の、丸い形がどこか愛らしいフカヒレの姿煮。とろみがかった煮汁が繊維一本一本に絡み、フカヒレ独特の食感とあいまって何とも言えない。
フカヒレと干しアワビの入った贅沢過ぎるスープと、何処かで見た事がある溶き卵とフカヒレのスープだ。
フカヒレづくりを頑張ってくれた老夫婦と、三人の留守中様々に頑張ってくれたセバスチャンをご招待する。
商売になるか確認するため、コレットとドミニク、商会の製造部門代表のダンと数名を呼ぶ。
匂いに誘われてか、やたらと試食会に敏感なヴィクターとフォーレ校長もやって来て、ちゃっかりとテーブルについているのは何なのか。
そして、コレットとヴィクターの冒頭の言葉である。
「とても滋味深いお味ですなぁ」
「なんて美味しいのでしょう!」
「ふぉふぉふぉ」
老夫婦は顔を綻ばせて頷きあう。
セバスチャンは目をつむり、ゆっくりと確かめるように味わっている。
校長はいつもの如くご満悦のようである。
ラドリは繊維を引っ張ってちぎってはつるりつるりと吸い込んでおり、その横でエリカが口とほっぺをべたべたにして、ほぐしたフカヒレをモグモグと咀嚼していた。
「……確かに手間はかかりますが、ある程度数をまとめて行えば……」
「日持ちするなら、戻した状態で売れるのでしょうがねぇ」
「スープにして瓶詰にするのはどうでしょう?」
ドミニクと製造部門代表者が、真剣に協議を始めた。
久々に食べるフカヒレはじっくりと旨味を纏っていたし、初めて食べる干しアワビは、コクも旨味も、何もかもが凝縮されて絶品だった。
……だったが、如何せん面倒臭がりのマグノリアには、調理に取られる時間が半端ない。
――売る一択である。
*****
『おうい、ユリウス~!』
「ああ、ラドリ?」
相変わらず凄まじいスピードで突っ込んで来たラドリが、ぱかりとポシェットを開けてはフカヒレを引っ張り出しては、ユリウスの手に落とした。
……手には干からびた何かが乗っかっている。
思わず微妙な表情をしながら、ミントグリーンの瞳を瞬かせた。
「何、これ……」
「ああ、出来たの? フカヒレ」
「フカヒレッ!?」
ディーンが何気なく言うと、ユリウスがかぶりを振って手の中のカピカピを見た。
……この世界のユリウスは押しも押されもせぬ大国の皇子であるが、地球の大学生だった鈴木海里は慎ましい暮らしをモットーにする苦学生であり、フカヒレなんて食べたことがある筈がない訳で。
「おーい! ディーン、ユリウス皇子ぃ!」
寮の外からヴァイオレットの声が聞こえて来る。
なんとなく状況を察しながらも、ふたりは顔を見合わせた。
窓を開ければ、両手にフカヒレを持ったまま手を振っていた。
「……やっぱり」
小さくふたりが呟くと、ヴァイオレットが困惑したように聞いてくる。
「フカヒレって、どうやって食べるの~?」
ヴァイオレットはヴァイオレットで、この世界では成金金持ち子爵の一人娘であるが、地球では大変病弱な女子中学生である。勿論調理なんてした事ある筈が無く。
「……さぁ? 確か水で戻して煮るんじゃなかったっけ?」
「え~? 火で炙って食べられないの? おつまみになかったっけ?」
それ、『エイヒレ』か『フグヒレ』じゃないのかなぁと思いながらも、ユリウスは取り敢えずやってみるかと思い、ディーンと共に下に降りることにした。
……どやどやと階段を下りて行くふたりを見送って、ラドリはちゃんと保存瓶に詰められた姿煮とスープを三人分、机の上に置く。
そして、『火で炙る……』と言いながら飛び立って行った。
******
『おぅい、クロード~♪』
タウンハウスの執務室で書類を片づけていたクロードは、いつもながら無遠慮に飛んでくる小鳥に顔を向けた。
『これ』
言うや否や、サッと素早い動きで手を出す。
のんびりしていると書類を作り直しどころか、再発行して貰う羽目になるからだ。
……手に落ちて来た、白い干からびたものをまじまじと見る。
「……これは何だ?」
『フカヒレ!』
「ああ、フカヒレか……」
何だかマグノリアが、酷く興奮しながらパレスに干していたものだ。
チキュウでは高級食材で知られていたという代物。
『美味しいよ~♪』
「……どうやって食べるんだ?」
若干警戒するように確認する。
……基本的に、飛び込んで渡されるものに余り良い思い出がない。
『う~んとね、スープとか煮たりとかかな。後、ヴァイオレットとユリウスが、炙って食べるって言ってた!』
おつまみ♪
そう言ってグイグイ差し出す。
スープや姿煮は調理が大変そうだと思い、もう一度フカヒレを見遣る。
干し肉等のように、チキュウで酒のつまみとして食べるのだろう。ヴァイオレットは未成年だがユリウスは成人していた筈なので、向こうで食べた事があるのだろうと思った。
……何の疑問もなく。
『暖炉で焼いてみて☆』
「……わかったわかった」
小さくため息をついて立ち上がると、暖炉の火でフカヒレの端の方を焼いてみる。
……焼いてみるが。
(…………。食べられるのか、これ?)
黒く煤けたフカヒレを見て、内心首を傾げる。
キラキラと光るつぶらな瞳に押し負け、形の整った口にそれを入れ、齧る。
……齧る、が……
(硬いしマズい……)
吐き出す訳にも行かず、恐ろしい堅さのそれを噛み続ける。
ガリガリ。ボリボリ。
口の中から騒がしい音がする上に、何だか変な臭いがする……?
『美味しい!?』
「……独特な食感だな……」
『うんうん。プルプルだよね!』
「プルプル?」
――いや、むしろ真逆な食感であるが。
『スープと姿煮、トマスに渡しておくね~!』
んじゃぁね☆
そう言って、白い小鳥は飛んで行った。
いつまでも飲み込めないフカヒレを口の中で咀嚼しながら、クロードは珍しく困ったような顔をして手に残る、大きなフカヒレを見遣った。
強靭な歯です。




