恐怖を越えて
第十章、本編最終話となります。
お読み頂きましてありがとうございました。
閑話をひとつずつ13日と14日に更新し、次章は15日からスタート予定となります。
数時間後。
散々飲み食いした挙句、セルヴェスとそのご友人たちは、酔っ払って豪快ないびきをかいては、応接室で大の字になっていた。
お腹いっぱいになったからか、それとも誰かのお酒をちょろまかしたのか、ラドリもセルヴェスの腹の上で大の字になって眠っている。
「……いっつもこうなんですか?」
「まあな。酒の入った騎士なんてみんなこんなもんだ」
腕組みをして苦笑いをすると、クロードはテーブルの上を片付けるように指示を出す。
「皆さんどうするんです? お兄様が抱っこして客間に運ぶんですか?」
……やんごとない爺さん達をこのまま床に転がして置いて良いのか解らず、マグノリアが言うと、クロードは筋肉自慢の爺様達をお姫様抱っこする自分を思い浮かべてか、嫌そうに首を振った。
「このまま転がして置けばいい。暖炉に火が入った状態で風邪をひくような人達ではないからな」
使用人たちも慣れているのか、毛布を持って来ては爺さん達に掛けていた。
「疲れただろう? ちょっと茶でも飲もう」
そう言うと、侍女に目配せをする。侍女は丁寧に頭を下げると、お茶の用意の為に部屋を出た。
******
数分後、マグノリアはクロードとふたり執務室にいた。
既に指示がしてあったのか、執務室にも火が入れられており、充分に暖められていた。
タウンハウスに来るといつもマグノリアについてくれる侍女さんは、労うようにマグノリアに笑いかける。
そして、程よく温められたカップに香り高いお茶を注ぐと、静かに頭を下げて部屋を出て行く。
「豪快な方達ですねぇ」
「ああ。見た目はあんなだが、悪い人達じゃない」
だいぶ厳つい爺様達だが、気の良い事はすぐに察せられた。
マグノリアは微笑んで頷く。
クロードは暖かな部屋で、楽しそうに先程までドンちゃん騒ぎをしていた飲んべぇ達の宴の話をするマグノリアに相槌を打っていた。
十年以上一緒に過ごすマグノリアとのやりとりは、お互いに細かな事を気にせずとも心地よく、とても自然だと思う。
どこか熟年夫婦にも似たそれは、普段は気にする事も無いが、貴重で大切な時間なのだという事は解る。
どちらかが誰かと結婚すれば、その時間も関係性も、別の人間のものになるのだ。
――自分は、どこかの誰かとそんな関係を築けるのだろうか?
血の繋がった家族を早くに亡くしたクロードは、そういった『家族』というものに強く反応してしまう事を自覚している。……その反面、自分が新しい家族を作る事に何故か一歩踏み出せなかった。
夢見てしまうが為の気の焦りかと思っていたが、果たしてどうなのだろう。
マグノリアの事は家族だと思ってはいるが、あまり姪だという意識は少ない。対外的には姪と言ってはいるものの、もっと近しい存在だ。
実際に血縁関係がない事が解っている事もあるだろう。
この世界から異世界へ飛ばされ、再び戻ってくるというおかしな過去を生きており、計算上自分より多く生きているという事からか、身体は小さいものの子どもだとは余り感じなかった。
……他の人間が同じ事を言ったら、何を馬鹿な事をと思うだろうが。
無条件に信じられる存在。
クロードにとってマグノリアは、始めから『マグノリア』という存在である。
とはいえ。家族としても現実的な叔父としても、彼女が幸せに生きる為にサポートをする必要がある。
「……ずっと気になっていたんだが。なぜそんなに頑なに結婚を避ける?」
「別に、避けている訳ではないんですが……」
色々な人から、マグノリアが婚姻や恋愛を避けているように見えるという話が持ち込まれていた。
古くはリリーから。関わりのある様々な人間から相談というか確認というか、忠告というか。
最近ではダフニー夫人からも保護者としてどう思うのかと確認をされた。
……ある程度理由に予想はついていた為、はぐらかして来たが……
マグノリアの数奇な体験が、彼女の恋心にストップを掛けるのだろうとクロードは推測する。
到底信じられるとは思えない体験。なにも、交際をしたからといって婚約をしたからといって、全てを洗いざらい話す必要なんてないだろう。
……人には大なり小なり秘密はつきもの。
それにいつか、理解出来ないにしても理解しようとする人間に出会うかもしれない。
恋愛にばかり現を抜かすのもどうかとは思うが、彼女を理解し、一緒に支え合い進んで行ける様な存在は必要になって行くだろう。
人生の喜びや彩りといった観点からも、必要だといえる。
「もうお前も年頃だ。恋愛にさえも興味を持てないようだと心配している人達がいる」
クロードの言葉にマグノリア自身も察しはついているのだろう。何かを言おうとして口を開いたが、言わずに言葉を飲み込んだ。
「……怖いのか?」
理解されない事が。
マグノリアはクロードの顔を見て、少し考えて首を傾げた。
「そりゃあ、怖いですよ……理解されない事よりも、いきなりその人の前から、居なくなってしまうかもしれない事が」
「……居なくなる?」
怪訝そうに聞き返す彼に、マグノリアは大きく頷く。
「だって、いつまた何処かへ飛ばされてしまうかも解らないんですよ?」
予兆なんて何もない。
ただ普通に暮らしていて、気がつくと知らない場所にいる現実。
恐怖だ。誰も知らない、何も解らない。
そればかりか、今までの日常も、仕事も勉強も人間関係も。積み上げてきた努力と時間そのものが一瞬で何処かへ消え去り、自分の意識すら無くなってしまっているという恐怖。
現に今も、マグノリアの個人的な三十三年間の記憶の大半は思い出せないのだ。
「……それに、相手にも悪いですもの」
悪いなんて言葉で済む問題ではないだろう。
どんなに心配する事か。愛してくれていたら喪失感を持つか。
想像しただけでも怖いのに……
恋人なだけならまだしも、結婚してまで飛ばされたら?
子どもが生まれたのに、乳飲み子を残して飛ばされてしまったら?
大切な誰かを、意味の解らない悲しみに巻き込んでしまう事が。
更にもっと怖いのは、感情も記憶も。存在までもが彼らの中からすっかりと無くなってしまっていたのだとしたら?
それ以上は何も言わず、唇を引き結んだマグノリアをクロードは哀しそうにみつめた。
……確かに、それはどんな恐怖と喪失感なのだろう。マグノリアはそんな気持ちとずっと向き合って来たのだ。
理解されないだけではない。自分自身が消えて存在しないという空虚。
クロードは暫し考え、頭の中で仮説を幾つも広げていく。
マグノリアに下手な慰めは通用しない。
慰めてくれているという心情を察して、その優しさに多少は慰めを覚えるかもしれないが、それでは解決にはならない。
だから。彼なりにそう考えるに至る、確固とした仮説を。
「…………。多分だが、もう異世界に行く事は無いのではないかと思う」
断定的に告げるクロードに、マグノリアが瞳を細めた。
「……どうしてですか?」
「元々異世界を行き来した原因だが、マグノリアの幼い心と身体を守る為のものであった筈だ。まあ、ラドリの言う事を信じればだが」
だが、信憑性は高いであろう。
普段はふざけている事の多い小鳥ではあるが、高位の人智を超越した存在である事は確かである。更にはマグノリアの事を大切に思っている事も確かである為、口から出まかせを言っているとは思えない。
「ただ守る事だけに注力するのならば、避難先で一生を終えればいい。安全だからこその避難先なのだからな」
マグノリアはクロードの言葉を吟味し咀嚼しながら、視線で続きを促した。
「だが、ここに戻って来る必要があった」
「絆……?」
思わず呟いたのであろう。
ラドリの言葉足らずな説明では、絆がある為に戻って来たと言っていた。
何故かチクリと胸が痛む事を、クロードは無理やりねじ伏せる。
今は感傷に浸っているところではないのだ。目の前の少女を安心させてやらねばならない。
「うん。それまでの一切合切をフイにしてでも、妖精の力を使い切ってまででも、戻って来る必要があったのだろう」
「……その絆の事さえも覚えていないのに?」
「…………」
それについては言葉が出ない。
別段この、異世界のゲームと同じ世界を完遂させる為に呼び戻された訳ではないのであろうと思う。
既に元の話とは違ってしまっている今、別物になってしまっているといっても良いのだ。特段マグノリアがその性格と性質を変えてまでも、別物になったこの世界に存在する必要があるのかどうかまでは解らない。
「形を変えたかったのかもしれないし……元々同じ世界観ではあるものの、違うものなのかもしれない」
「どういう事ですか?」
どうしたら上手く伝えられるだろうか。
クロードはヴァイオレットやユリウスのように、異世界の知識と意識を共有できない事が歯痒くて仕方がない。
「ゲームと同じ流れという事は、そもそもそこまで重要じゃないのかもしれない。だったら元々、異世界に避難する必要がないだろうからな」
「……でも、命が……」
クロードが言い淀んだマグノリアに頷いた。
「そこだ。ゲームでは性格が歪む程度だった筈が、現実には命を脅かす程までに負荷が掛かっている。つまり兄上と義姉上の対応そのものが違うという事だろう?」
「…………」
「お前はお前の人生を送る為にココに戻って来たんだ。自分の力で切り開く為に。それだけの力をつけてな」
だから、再びこの世界から居なくなる事はないと考える。
もしまた命の危機があったのなら、不思議な存在が力を貸すのかは解らないが……
「少なくとも、もう妖精の力はないんだ。容易に世界は渡れない」
「そうでしょうか……?」
実際に答えなんて出ないのだ。
異世界に渡る事、そしてこちらの世界に戻る為に、彼女の持つ妖精の力は使い果たされたと言う。
もしかしたらラドリはもっと何かを知っているのかも知れないが、全容を教えようという気がないのか出来ないのか。
良く解らない、不思議な力で引き起こされた不思議な現象。
捉え所が無いだけに、不安はいつまでも拭えないのであろう。
クロードは、小さく細い手を優しく握りこんだ。
小さい時の様に抱きしめてやりたいが、成長した姿が躊躇させる。
なのでせめて、不安に震える手を包む。
一方のマグノリアは、初めて会って握手をした時を思い出していた。
大きくて暖かな手は、成長した今でも容易に自分の手を包み込んでしまう位大きいのだ。
「大丈夫だ。もし仮に飛ばされたとしても、俺が必ず連れ戻す」
「……本当ですか?」
ややあって紡がれた言葉に、マグノリアは首を傾げた。
「ああ」
「どうやって?」
――ヒーローは、世界をも超えるとでもいうのか?
だのに、クロードは自信満々に言い放った。
「まず、ラドリに方法を聞こう。奴で駄目なら女神にでも聞けばいい」
ラドリがこの世界の神々と懇意である事は、時折小さなくちばしが滑ってポロリしている。情報を引き出す為に敢えて突っ込まずに、話すがままにしているが。
ラドリが恐ろしい顔をしたクロードに首根っこをひっ捕まえられては、脅される姿が見える。
どうも物騒なクロードは、神鳥と神々に直接交渉するつもりらしかった。
「それに、時空を超える機械があると言っていただろう。それの研究をするとしよう」
「……タイムマシンですか? それ、空想上のものですよ?」
ましてや、異世界を行き来出来る物なのか? 同じ世界の過去と未来ではないのか?
「大丈夫だ。人間が考えられるものは、大抵が超えられるものだ」
何故だか自信満々で言うクロードに、マグノリアは苦笑いをした。
不思議と、出来ない筈のものでも作ってしまいそうな気がする信頼感と期待感。
きっと彼ならば約束を違えないだろうという確信。
何ひとつとして確実な事なんてない筈なのに、なぜこんなにも信頼出来るのだろうか。
「……もしも、忘れちゃったら?」
約束も、マグノリアの事も。何もかも。
「こんな破天荒なご令嬢を忘れる訳が無いだろう?」
綺麗な形の眉を片方あげると、安心させるかのように自信有り気に笑う。
不敵な笑みという奴だ。
「ふふふ。……変なの!」
いつしかマグノリアは、ただ笑っていた。
でもあんなに不安だった心はどこかに行ってしまい、今は安心感で一杯だ。
自分でもゲンキンだなと思う。
クロードが大丈夫だと言うのなら、どんな事だって大丈夫だと思える。きっと。
やっと笑顔が戻ったマグノリアを見て、クロードは細く息を吐いた。
その笑顔を見ては酷く懐かしい気がする。同時に心から安心している自分が何故なのか不思議で仕方がなかったが、そのまま疑問を飲み込んでは微笑んだ。
扉の外では、目覚めたセルヴェスがふたりの話を聞いていた。
……安堵なのか心配なのか。小さく息を吐くと、大きな身体を揺らしながら静かに悪友達の眠る部屋へと帰って行った。




