ウィステリア
遠くから騒動を眺め、ジェラルドは苦笑いと共にため息をついた。
祖母にそっくりな見目を持った姿ではあるが、全くもってご令嬢らしからぬ娘に育ってしまった。一体どうしたものなんだろうかと思う。
クロードは元々だと言っていたが、ジェラルドからすれば往々にして父とクロードの影響が強いと思うのだが。実際のところはどうなのだろう。
まぁ、どちらであるにしろ、元侍女であり初期のマナーを施したロサが見たら、顔を蒼くして卒倒しそうなのは確かである。
さて。
王家とポルタ家の意向、そして周囲の考えを確認する必要があるだろう。
ずっとダンマリを決め込んでいる宰相の頭の中も、すり合わせておいた方が良いかもしれない。
隣ではウィステリアが困ったような顔で周囲を見ていた。
元々派手好きな彼女であったが、いつからか無駄遣いが少なくなった。
そして使用人に我儘を振りかざす事も少なくなり、最近は幾分穏やかになったと思う。
大人になり母になり、丸くなったのもあるだろう。
だがやはり、ある種長年の疑問が解け、自分の理解出来ない感情を、現実の事として向き合えるようになったからなのが大きいと思える。
……そして代わりに、考え込むような様子が目立つようになった。
不思議な感情の強制力。
自分の身に起こっていたあれこれを、ウィステリアなりに精査しているようであった。
それとなく聞いてみれば、娘に愛情を持てない事を酷く悩んでいたらしい事をぽつりぽつりと語られた。
息子と比べて自分でも酷いと思わざるを得ない感情に、恐怖すら感じていた事。いつか考えられないような事をしてしまったらと思うと、恐ろしくて仕方がなかった事。
どんなに違うと思ってみても沸き起こってくる負の感情に、出産後の気持ちの乱高下もあって、非常に不安定になっていたという。
よって、幼い娘を侍女達に任せるしかなかった事。全く以てそんな感情を持ってしまう理由が解らない事。
――だが、とても人に言えるような内容でなかった為、誰にも言えず悩んでいた事。
……せめて身に着けるものだけでもと思い手配したところ、マグノリアが高熱を出してしまう事が続いた。
熱に苦しむ娘にせめて果実水をと用意すれば、口にしたマグノリアが吐いて酷く苦しむ事になって。
最初は偶然だと思ったものの、不自然な程に何度も重なる内にすっかり自分のせいだと思い込んだ。このままだと死んでしまうのではと思い至れば、どうすれば良いのかと酷い恐怖に襲われた。
放って置けば体調が安定する事に確信を持った頃から、どんなに気になったとしても、何も関わらないようにしていたらしい。
「……済まなかったな。きちんと話していれば、そこまで苦しまなかっただろうに」
「いいえ。私に言えば、あの子が命を落とす可能性があった為に仰れなかったのでしょう?」
ウィステリアは賢くはないが、高位貴族としての充分な教育と見識は持っている。
全くらしくないジェラルドの様子に首を傾げつつも、重なる不幸と娘の体調不良とに、ありえないと思いつつも、どこか関連があるような疑念を持っていたのであろう。
「だから、会った時にあんなに強く嫌われるような言動をしていたのか……」
自分に関わったら不幸になるかもしれない。
なまじ優しい言葉を掛けてしまったり、あいまいな態度を取れば、いつまでも母親を求めるであろう。
それでは誰よりもなによりも、マグノリアが辛いはずだ。
嫌われてしまえば、ウィステリアに関わって来る事はない筈。
……更に実際に目にすれば、抑えきれない感情が思っても見ない言葉を容易に投げつけるのだ。このまま嫌われれば、万が一にも押さえが利かなくなって自分が娘を傷つけてしまう事もないだろう。
「……何を言ったところで言い訳ですわ。私が娘を愛せない母親だという事も、酷い事をした事も、あの子に辛い思いをさせた事にも変わりはないのですもの」
自嘲するように言うウィステリアは、母として愛したいのに愛せないという、残酷な現実に酷く苦しんだのであろう事が忍ばれた。
「酷いのは一緒だよ」
ジェラルドは、妻のか細い肩をそっと抱き寄せた。
ウィステリアが猫を飼い始めたのはそんな頃だ。
娘に出来ない分、着飾らせご馳走を食べさせ可愛がった。
春風のような娘の微笑みにちなんで、『プリマヴェーラ』と名づけた。
……理由は今でもウィステリアの心の中だ。
そっと会場の端の方から、大きくなった娘を見る。
どうしてそうなるのか解らない強制的な嫌悪の感情の狭間に、無事にデビュタントを迎えられた事。そして何よりも健康に育ってくれた事に安心し、感謝の祈りを捧げる。
更に。マグノリアはとても美しいけれど、社交界の花にはならなさそうだった。
令息達の申し出を避けるように、ありえない人数の騎士達を従え、会場の一角をブン取って居たのである。
……そればかりか、せっかく勇気を出して申し出てくれた令息を遣り込め。揉めている令嬢達を諭し、あろう事か王子殿下に喧嘩を売りつけ。殿下の側近とお気に入りのご令嬢にも文句を言っていたばかりか、その表情がご令嬢とはまるで思えない表情で、ウィステリアは思わず紺碧の瞳を瞬かせた。
「……随分破天荒な娘に育ったみたいだよ」
夫の言葉に、ウィステリアは小さく微笑んだ。
「……元気なら、それで良いのです」
「元気過ぎると思うけどねぇ」
ジェラルドは肩を揺らすと、何とも言えない顔をした。
やりたい放題に文句を言った後は、東狼侯や騎士団の騎士達と楽しくダンスを踊っていた。
「本当に、とても元気になったんですね……」
「そうだね。多分もう大丈夫だろう」
――そうなのだろうか。本当に?
怖い。
もしまたあの子が病気に苦しむ事になったら? 抑えきれないナイフのような言葉がついて出てしまったら?
「あら、お父様とお母様?」
侯爵夫人と呼んで別れたあの日。
嫌われたという安心感と、手元から居なくなる事で健康に育ってくれるのではないかと言う期待感で、正直ほっとしたのが半分。
同時に、小さな子どもにあんなことを言わせてしまう自分の不甲斐無さと残酷さが半分だった。
……あの時扇を叩きつけたのは、自分へのどうしようもない苛立ちだ。
結局、自分は何も母親らしい事をしてあげれなかったという事実。
「…………」
思わず喉が引き攣れる。
そんなどうしようもない自分を、再び母と呼んでくれるのか。
聞けば、マグノリアはこの不思議な感情を充分理解しているらしく、逆に大変だっただろうと、実家の三人に大層同情的であった。
あれだけの事をされておきながら、わだかまりも無い様子に――本当は言いたい事も、恨み辛みもあるだろうに――自分で昇華した強さに感心すると共に、その度量の大きさを感じられずにはいられない。
ウィステリアは、自分だったら到底許せないのでは無いかと思う。
「えーと、ものを渡しても問題無いですか? 受け取れなさそうですか?」
マグノリアはジェラルドとウィステリアを交互に見て、返答を待った。
「…………」
「…………。大丈夫だよ」
ウィステリアの様子を見たが、感情を抑えているのだろう様子に、ジェラルドが助け舟を出す。
「プリマヴェーラは元気ですか? 新しい商品が出来たんで、良かったらと思って」
ネコちゃん、とにこにこしながら小さな包みを差し出した。
「このつまみ細工で作った花がついたリボンなんですけど。なんせ名前が『プリマヴェーラ』ですからね。ぴったりでしょう?」
「~~~~~~!!」
ウィステリアは包みを両手で優しく握ると、額をつけて顔を伏せた。
「だ、大丈夫ですか!? 嫌だったら無理しないで大丈夫ですよ?」
焦るマグノリアに、ウィステリアは何度も首を横に振った。
「違うよ……大丈夫だ」
「……そうですか? じゃ」
ジェラルドは優しい声でありがとうと言うと、マグノリアは気遣わしげに頷いて、そそくさと離れて行った。
マグノリアの隣で様子を見ていたセルヴェスが、そのまま残り、ジェラルドとウィステリアを見た。
……ウィステリアの頬に光る涙を見て、マグノリアとジェラルドの言った『強制力』とやらは本当なのだなと思う。
「……少し夜風にあたると良い」
「ありがとうございます」
目の前で萎れた義娘は、確かに我儘なところも至らないところもあったものの……ことマグノリアに対しては、非常に苦しんだ、いや今現在も訳の解らない何かに苦しんでいるのだという事が感じられた。
感情を持て余すというレベルの葛藤ではないのであろう。
ベランダに出ると、ジェラルドはウィステリアを椅子に座らせた。
安心させる為、ふたりが気に掛かっているだろう事を伝える。
「アゼンダでは病気ひとつせず元気に暮らしている……時折問題には巻き込まれるがな」
「……元気過ぎるみたいですね。危険な事はしないでくれると有難いのですが」
ジェラルドの言葉に、セルヴェスは肩をすくめた。
「確かになぁ。とはいえあの子は生粋のギルモアの子だからなぁ」
「……それは……困りましたね」
ジェラルドもそう答えては、苦笑いをした。
「まぁ、心配せんでいい。儂もクロードもおる」
「…………。宜しくお願いいたします」
何かを飲み込んだかのようなジェラルドだったが、ウィステリアに向き直る。
「渡さなくていいの?」
「知っていたのですか……でも……」
バートン家の血筋の女性に代々伝わるイヤリングがある。ウィステリアの手にあるそれをマグノリアに会えたら渡そうと思い、密かに持参して来たものの、今までの事を考えれば渡せるはずも無く……
だって、虫がいいにも程があるだろう。どんな顔をして渡すというのか。
「渡してやったらいい」
ウィステリアの葛藤を知ってか、セルヴェスがそう言って頷いた。
「あの子は不思議な子だ。多分、理由が解った今はお前さん達の葛藤も理解している」
ウィステリアは義父を見遣ると、おずおずと小さな箱を手渡した。
「お義父様から渡していただけますか……? 宜しくお願い致します」
「うむ。きっと喜ぶだろう。……もし可能なら、手紙でも書いてやると良い」
直に会うのでもなく話すのでも無い手紙ならば、伝えられない気持ちも、少しは伝えられるであろう。
「…………」
そんな資格が自分にあるのだろうか?
ウィステリアは紺碧の瞳を伏せた。
「まぁ、無理はせんようにな」
優しく細められた茶色い瞳。
苦手だった筈の義父に、ウィステリアは改めて向き合う。
……どこかジェラルドに似た微笑を浮かべて、セルヴェスはそう言った。
お母様の本当の内面が判明しました。ジェラルド同様、彼女なりに苦心していたのでした。




