ディーンの恋、そして
ディーンが大広間を舞うように踊るマグノリアを目で追っていた。
ペルヴォンシュ先輩の母親である筈の東狼侯は、中性的で、貴公子と言っても通ってしまいそうな凛々しい女性だ。
女性でありながらペルヴォンシュ騎士団を率いており――、つまり砂漠の国と国境を接する領地を守る『東狼侯』を継いだ人。
物凄い剣の使い手だといわれている。
女性としてはまあまあ大きい部類に成長したマグノリアよりも十センチ程高い身長は、男性と並んでも引け目無い。華やかな金の髪と涼しげな蒼い瞳は、まさしく御伽噺の王子様のようだ。
――まるで物語のワンシーンの様ではないか?
目の前の煌びやかな世界が、もしや夢なのではないかと思う位だ。
辺境の男爵家の三男である自分は、目が覚めたら寮のベッドの上、古ぼけた天井が見えるのではないかと思ってしまう。
この後マグノリアと踊るであろうクロード、そしてユーゴといった高位貴族の面々を見比べて、ディーンはこっそりとため息をついた。
普段領地から離れて暮らすディーンは、従僕の役割を殆ど果たせて居ない。
マグノリアが令息除けにギルモア騎士団の面々と王都に乗り込んで来た為、自分も勘定合わせに、そして従僕としてのサポートをする為にここに居るだけ。
(……それどころか、マグノリアのデビュタントを見れただけでもラッキーかもなぁ)
大の社交嫌いであるマグノリアだ。下手をしたら『出席しません』と言いかねない。
今日の為に作られたキャンベル商会渾身の白いドレスと、手芸部隊が丹精込めた花々を纏ったマグノリアは、この会場にいる誰よりも美しいと思う。
さっきからすれ違う男達が、マグノリアの姿を目で追っているのだが、果たして当の本人は気がついているのだろうか?
翻るドレスをみつめながら、幼い頃に一緒にダンスを習った事を思い出す。
貴族教育の一環だ。
小さいマグノリアとふたり、教師を買って出てくれたクロードに扱かれては、へばって床の上に大の字になっていた事を思い出す。
……熱心な教師であるクロードのお陰で、優雅に踊る姿よりも汗と筋肉痛の想い出の方が鮮明に思い浮かんでしまって、思わず苦笑いをした。
「ディーン」
クロードが己を呼ぶ声に振り向く。
だいぶ視線が近くなった彼は、何かを確かめるようにディーンを見ると、言葉を続ける。
「次、俺の代わりに踊れるか?……来年は成人だからな。卒業試験と行こう」
「……え?」
急に投げられた思っても居ない言葉に、大きな丸い瞳を瞬かせる。
呆けた様にポカンとするディーンに、クロードがにやりと笑いかけた。
「来年から本格的に社交界に出る事になるだろう? せっかくの特訓の日々が学院でなまっていないかの確認だ」
「はい!」
頬を紅潮させて頷くディーンに、小さく微笑みながら頷いた。
そしてディーンは、御伽噺の登場人物となった。
お澄ましするお姫様にダンスのお伺いをすると、ディーンの大きな手の上に、おどけた様子で華奢な白い手を乗せたのだった。
……細い指は少しでも力を入れたら折れてしまいそうだ。
幾分頬が細くなったものの、好奇心旺盛に何かを探すような朱鷺色の瞳はちっとも変わらない。
何気ない話をしながら踊る時間は、何だかふわふわしていて実感が無い。
様々な色が交差するドレス。壁際に飾られた沢山の花の香り。煌めくまばゆいシャンデリアの光。笑い声とダンスの調べ。
先ほどまで眺めていた空間に自分も居るのだ。
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「……楽しそうですね」
疲れた様に掠れた声でユリウスが呟いた。纏わりつくご婦人方を振り切って、精根尽き果てたといった感じのようだ。
クロードは会場に瞳を向けたまま頷く。
マグノリアの肩にとまっていたラドリが羽ばたいて、ふたりの元へやって来る。
「思い出作りですか? それともお譲りに?」
『いいの?』
ユリウスとラドリが静かに問うた。
「……マグノリアはものではありません。決めるのは彼女ですよ」
「では、ディーンが彼女の相手になる事もありうると?」
「彼女には、自由な未来をと思っています……」
決められた物語の結末ではなく、自由な選択を。
良く解らない存在に決められた道筋ではなく、彼女と相手が一緒に紡ぐ未来を。
『気にしてるの?』
「……何を?」
『誤魔化してる』
低く問うたクロードに、ラドリは短く言い詰める。
年齢を。立場を。
そして何よりも、今後変化する気持ちや愛情が、本当に自分達のものなのかという疑念。
――もしかしたら、物語の内容に沿うために発生する、作られたものなんじゃないか?
「……僕は、生まれませんでしたよ」
「…………」
「強制力……仮に決められたものだったとしても、その気持ちが自分にとって嘘偽りが無いのならば、それはやっぱり、自分だけの気持ちなんじゃないですかね?」
攻略対象者であるユリウスは、マグノリアに特別な感情は抱かなかった。
客観的に見て美しいとも愛らしいとも思うが、恋はしていない。
同じ転生者として親しい気もしているが、あくまでその範疇を出ていないと思う。
それはマグノリアも一緒だ。
ユリウスに対して、元地球の年下の青年という慕わしさや連帯感はあるが、恋愛感情は全く無いだろう。
お互い、これからそんな感情が生まれるのかは解らない。
……生まれないという予感が限りなく濃厚だが、未だ確定はしていない。
「でも。もしそんな気持ちを持つことになったら、遠慮無く伝えますよ」
「……そうですか」
クロードは静かに返した。
密やかにざわめく感情が、保護者としての心配なのか、ゲームにおいて自分の相手だと知っているからこその執着なのか解らない。
それとも……中身は年上だという彼女との、それこそ年の差を感じない、気安い関係が壊れることへの不安なのだろうか。
己の気持ちが、クロードには良く解らなかった。
マグノリアが小さい頃から一緒に暮らして、家族としての愛情は勿論ある。
他の女性に比べて煩わしさもなければ、お互い慣れたやり取りは気心が知れており、楽しくもありラクでもある。
いつまでも今のままでいたいというのが、クロードだけではなく、マグノリアの偽らざる気持ちであるだろう。
……だが、もし何らかの事情で婚姻を結ぶ相手なのだと言われたなら、否は無いと思う。どちらかといえば好ましいともいえるかもしれない。
貴族の婚姻相手としては破格の、非常に良好で友好的な相手であろう。
とはいえ、一般的な常識が邪魔をする。
彼女の特殊な事情を知らない相手には、十五も年下の女の子だ。
愛があれば年齢差なんて関係ないとも言うが……
……愛?
未だ少女の域を出ない女の子にそんな感情を抱くとしたら、自分で自分に眉を顰めてしまう事だろう。
なまじ小さい頃から一緒にいるので、折にふれ幼い姿が過ぎるのが尚の事。
それに、ヴァイオレットのノートに書かれているような、狂おしい程の感情は感じられないと思うのだ。
もっと優しい感情……安心や穏やかな、という名の気持ちが大きい。
そしてちょっとの不安と多大な心配。保護者として、異世界の件を知る者としての責任と自負。
後は……
「……まあ、クロード殿の人生でもあるわけですから。クロード殿も自由な未来を自分で選択する権利がありますからね」
ユリウスはクロードの気持ちを汲み、収めることにしたらしい。
そして。少し考えて、答えをひとつ投げて寄越す事にしたようだ。
「……ディーンは『護送騎士』ですよ」
「……攻略対象者……?」
ユリウスは頷く。
地球において、この世界に良く似た『ゲーム』の制作に多少なりとも関わっていたユリウスは、ゲームの詳細を知る人間のひとりである。
唯一正体が解っていなかった『護送騎士』は、ディーンだと言う。
「元々彼は騎士になりたかったそうですね?
……ゲームの護送騎士は家族に騎士になる事を反対された為、故郷から離れた王都の騎士になります。土地勘があるのでマグノリア嬢を修道院に護送する役目を言い渡されたものの、一目惚れをし、可哀想に思って夜盗に襲われた振りをして彼女を逃がします」
ゲームではその後再会し、様々な出来事を通して、互いに愛情や親密度を増して行く事になるのだが。
……ただ、転生者の存在のせいなのか、今現在ゲームとは全く違う道筋を辿っているのだ。
マグノリアがアゼンダに移領して来た事で、ふたりはゲームよりもずっと早くに出会い、なかった筈の出来事が発生している。
同時にディーンが、恋心も長期間募らせる事になったのだった。
「ディーンがゲームの強制力によって愛情を持ったかどうかは解りません。
でも、その気持ちも感情も嘘偽りでは無いのではないでしょうか……彼がマグノリア嬢に恋している気持ちも悩みも、彼にとってはかけがえのない本物だと思うのですが」
目の前では、流れるようなダンスがもうじきラストを迎える。
まっすぐにひた向きに思う気持ちが幻だなんて、誰が言えるだろうか。
「……そうですね」
「だから。もしその時が来て手放したくないと思ったなら、恥も外聞もなく素直になる事をお薦めしますよ」
気遣わしげに心配そうに言うユリウスに、クロードは黙って頷く。
『クロード……』
黙って話を聞いていたラドリが呼びかける。
『…………』
珍しく思いつめたような真剣な様子のラドリが、何かを確かめる様に振り向いたクロードの瞳を覗き込んでいた。
そして何を見たのか、諦めたように一瞬うなだれては黙って飛び立って行く。
「ラドリ……?」
その意味ありげな様子に、ユリウスとクロードは瞳を見合わせ、首を傾げた。
拍手とざわめきが戻ってくる。
ダンスが終わり、ディーンの夢の時間も終わりを告げた。




