ヴィクターの恋
「皆様、大変失礼いたしました」
長々とお詫びを述べるよりも社交に戻って貰った方が良いだろうと、マグノリアはその場で丁寧に淑女の礼を行う。
流れるような美しい動作に、さっきまで王子に突っかかっていたご令嬢と同一人物とは思えないなと全員が微妙な気分になるが、それぞれ礼をとっては社交へと戻って行った。
「行き過ぎた発言、誠に申し訳ございませんでした」
マグノリアは、先程のガーディニアの援護し隊(?)なご令嬢達に向き直り、お詫びをするが。
ご令嬢達はピッ! と背筋を伸ばすと、凄まじい早さで首を横に振った。
「いえ、大丈夫であります!」
「こちらこそ大変失礼いたしました!」
「どうぞ我々にはお気遣いなく!」
……まるで騎士か兵士のような返事をするので、マグノリアは首を傾げた。
「それでは、失礼いたします!」
「はぁ……?」
なんだろう?
口を揃え早足で去って行くご令嬢達を見送って、マグノリアは盛大に首を傾げた。
そんな様子を見て、セルヴェスとアイリスは苦笑いを。クロードとユーゴはため息をついた。不憫護衛騎士は真っ青な顔のまま魂が抜けている。
「相変わらず妖精ちゃんは面白いねぇ」
「暴れ出さなかっただけマシなのかしら」
離れた場所で踊っていたコレットとヴィクターが合流した。
アイリスの言葉に、コレットが合いの手を入れる。
やはり騒動を見ていたらしく、やっぱりねぇと言わんばかりに頷かれた。
いつもなら茶化しながらフォローに入る筈のヴィクターが、アーノルド王子が出て行った扉と、未だ壇上で両陛下と共に挨拶を受けるガーディニアを交互に見ていた。
「マグノリアちゃん、ごめんね! ちょっとガーディニア嬢の様子を見て来る。他の人と踊って置いて!」
「いえ。了解です」
何せ踊りきれない人数が控えているのだ。ひとりやふたり抜けたところで問題は無い。
それよりもガーディニアだ。壇上から、何か揉めているのは見えただろう。
婚約者が自称友人を伴って退室してしまい、一体何があったのかと思っていることだろう。
コレットは慈愛に満ちた表情でヴィクターを見送った。
そんなコレットとヴィクターを、マグノリアはじっと見つめる。
侍従長とブライアンが、マグノリアと辺境伯家の面々に頭を下げて、国王の元に報告に向かった。
両陛下に挨拶もまだのマーガレットを伴い退室してしまったが……毎年、慣れないぎゅうぎゅうのコルセットの正装に体調を崩してしまうご令嬢もいるらしく、挨拶をしそびれるご令嬢は一定数いるらしいが。
……あの王子様は、もう少し周りを見れば良いのにと思う。
自分の想い人が養女であり、難しい立場だという事を知っているんだろうに。もしデビュタントで国王夫妻に挨拶もせず帰った事が解ったら何と言われるのか……実際は言われないのかも知れないけど、ちょっとは想像してあげたら良いのに。
難しい顔をしているマグノリアの目の前に、白い手袋をはめた手が差し出された。
「それでは私と踊っていただけますか? それとも百八番目に立候補した方が良い?」
悪戯っぽくお伺いを立てるアイリスの手に、了承したと自らの手を委ねた。
そうしてお互いくすくす笑って踊り出したのである。
流れるような調べに、身を任せる。
いつかのダンスに比べれば、身長差がだいぶ縮まった今はだいぶ踊り易い。
呆れたような顔で自分と同じ顔の母親を見る息子の姿と、なにやらボロボロになったように、疲れ切った様子のユリウスが目に入った。
ふと見れば、いつの間にかヴィクターとガーディニアも踊っている事に気がつく。
******
「えっと、もしかしてなんですけど」
「どうしたの?」
マグノリアは周囲に聞こえない様、声を絞って話しかける。楽団によるダンスの調べと、沢山の人の話し声や笑い声が響く大広間なので、どうせ誰にも聞こえないのだが……
流石に本人には聞けないので、内情を知っていそうなアイリスに白羽の矢を立てたのだが、秘密を暴く様でちょっと心苦しく思った。
「……ヴィクターさんの好きな人って、もしかしなくてもコレット様ですか?」
逡巡しながら朱鷺色の瞳を揺らすと、マグノリアは思い切って確認する。
「うん。良く解ったね?」
アイリスは何だと言わんばかりに微笑む。
「……まぁ、見る奴からすれば駄々洩れだけどねぇ。まさかマグノリア嬢からその手の話が振られるとは思わなかったよ。やはり大人に近づいているんだねぇ」
そう言って成長を愛おしむかの様に、蒼い瞳を細めた。
「……もしかして、ずっとなのですか?」
「そうだね。ああ見えてあいつは子どもの頃身体が弱かったらしくてね。ブリストル公爵夫人の親戚がオルセーにいたので、空気の良いオルセーに静養に来ていたらしいんだ」
静養自体は親戚の家に滞在という事だったが、お世話係というか遊び相手に年の近い子どもがいた方が退屈しないだろうと、コレット姉弟が宛がわれた。
ヴィクターがまだ三、四歳の頃のことだ。
ちょっとだけ年上の、美しくて大人びたご令嬢。
都会から来た男の子の初恋の相手には、よくある組み合わせだ。
「奴の一目ぼれだったらしいよ」
ヴィクターの体調が安定する数年間、ヴィクターとオルセー姉弟の交流は続いたらしい。
成長してからも時折ヴィクターがオルセーを訪れる事もあり、そして学院で再会。現在に至る。
(三、四歳……)
ヴィクターさんってば、めっちゃ一途なんだ……
「どうして結婚しなかったのでしょう?」
年齢? 身分差? そもそもヴィクターを、男性としては好みじゃない?
「う~ん。まあ弟にしか見えないっていうのもあるんだろうけど、やっぱり身分差かなぁ」
「でも、嫡男ではないんですよね」
「うん。嫡男だったら案外纏まっていたのかもね?」
「どういう事ですか?」
アイリスは、さて、どう説明したものかと逡巡した。
「コレットは男爵令嬢だからね。王位継承権のある人間とは結婚出来ないって断ったんだよ」
「……王位継承権!?」
マグノリアは、思ってもみない言葉が飛び出して来た事に驚いて声を上げた。
「そんなに意外?……あれでもあいつは筆頭公爵家の子息だよ?」
……そうか。公爵家は近いか遠いかの差はあれど、どこも王家と縁続きだ。
ましてブリストル家は筆頭公爵家。王位継承権があっても全然おかしくない訳で。
「へぇ、得意分野かと思ったら意外だね。宰相はブリストル公爵家に婿入りしたんだよ。元は王族なんだ」
アイリスは片眉を上げるとおどけたように言っては、会場の片隅で睨みを利かせている宰相さんを視線で示した。
「えっ!?」
あの小太りなおっちゃんは元王族なのか……
社交をするつもりもなければ顔と名前を覚える事ばかりに注力していたから、背景まで追ってなかったのは不覚だ。
「……戦時中は色々不安定だったからね。自身が担ぎだされない様に、先王を支えるって言って自ら臣籍降下されたんだ。
よって彼自身に継承権は無くても、彼の息子達には継承権があるんだよ」
ふざけた頭の山賊みたいな風貌だけど、本当に良いところ(過ぎる)のお坊ちゃんだった!
思わず踊りながら、宰相とヴィクターの姿を交互に見て、瞳を瞬かせる。
「……で、どうしたんですか?」
「まぁ、一時期オルセー家が大変だったからね。援助を願い出たんだけど断られてね。
ほら、お金の貸し借りは友情を壊すからさ。……でも諦められないから、援助ではなく自分が肩代わりしたいと、本心を告げて結婚して欲しいって言った訳」
――これは難しい問題だ。
多分、コレットは多かれ少なかれヴィクターの気持ちには気づいていた事だろう。
身分差も性別をも超えた友情というのは、得がたく難しいものだ。
……片方に恋愛感情がある時点で友情じゃないって言う人もいるかもしれないけど、多分、ヴィクターの中では友情と愛情が共存していたのだろう。
マグノリア的には、愛を差し引いても友情が存在することはあると思っている。
ただ、感情が邪魔をして継続して行くことはなかなか難しく、壊れやすい。非常にデリケートだ。
ふたりはお互い幼い頃からの友情を手放したく無く、そこには触れずに長年過ごしてきたのだ。
同時に負けん気が強いコレットは、自分の家の問題は自分の力で解決したいとも思っていた筈で。
大き過ぎる借りを作ると、友情は均衡を崩す事がある。
ヴィクターの気持ちは大きく深かったのだろう。きっとそんなことでは壊れないけど。
だが、万にひとつでも、そんな事で友情にヒビが入る事は避けたい……
きっとコレットにとっても、ヴィクターとの友情は大切なものだったのだろう。
「ただ見守るだけで良いと言って家を飛び出すわ、平民になろうとするわ。挙句冒険者をはじめてギルド長になるわ……」
「……じゃあ、アゼンダを選んだのも?」
「初めはコレットの近くで、幸せを見守る為だったんだろうね」
純愛だ。
ヴィクターの風貌からはまるで似合わない単語に、マグノリアは唇を引き結んだ。
「……拗らせてるだけだけどね。普通は何処かで昇華させて、次に進むもんだよ」
「進めない位、現在進行形なんですね……」
そこまで愛している人が、目の前で自分以外の人と結婚して、その相手の子どもを身籠って……どれだけ辛くて切ないのだろう。
それでも諦めきれないって、静かに見守るって。
そこまで愛せる人に出会えたことに感謝すべきなのか、見守れることは幸せなのか。だけどどれだけ残酷な事なんだろう。
それはとても甘くて苦い。
「切ないですね」
「……自分で選んだんだから、仕方ないよ」
それしか選ばないのか、選べないのか。
どちらなのだろうか……
「まあ、大体皆知ってるんだけど。騎士の情けで、知らんふりしておいてあげてね?」
「解りました」
気遣わしげに微笑むマグノリアに、アイリスは瞳を細めた。
「とはいえ、何処かでケリがつくといいのだけどね」
ヴィクターの想い人はコレット姐さんでした(^^)




