デビュタントの幕開け
社交の為の宴にも幾つかの種類があるが、ぱっと思いつくのが晩餐会と舞踏会だろう。
デビュタントは舞踏会に分類される。
開催の挨拶の後、主催者――今回は王と王妃、そして王太子と王太子妃のファーストダンスから始まるのが本来だが、今日はデビュタントである為、ファーストダンスを踊るのは主役の少年少女たちだ。
先王が傑出した人物であった為、息子である現王はとかく比べられては愚者と言われる。
……家族にすこぶる甘いところはあるものの、政治の手腕が殊更無いという訳ではないと思う。王宮内を掌握仕切れていないと言う声も聞くが、誰だって掌握なんて出来る筈がないのだ。
どんなに秀でた人間にもアンチはいるし、ズルをして私腹を肥やそうとする奴はいるもの。
先王時代は戦時中で、敵は外にいるものだった。
足を引っ張り合っていては自分達の命に関わって来る。「そんな事をしている場合ではない」の筆頭だったご時世だ。
確かにカリスマ性もリーダーシップもあったのだろうが……そんな風に団結しやすい世相に助けられたのだともいえるだろう。
現王は、所謂子どもと妻に甘くて弱い、典型的なマイホームパパである。
仕事はバリバリとは言わないものの、そこまで酷くはない、人並みな範囲の王様であるというのがマグノリアの評価だ。
未来の臣下である令息達と令嬢達に、意外にも大変心の籠った祝辞を述べて開会となった。
マグノリアのファーストダンスの相手は、勿論セルヴェスである。
それ以外の人間と踊ったりしたら、セルヴェスが拗ねてキノコが生えてしまうに違いない。誰もがそれを知っていて、満場一致で決まりであった。
だいぶ身長差はあるものの、一般的な女性よりも大きく成長したマグノリア。
身長だけでなく、心も大変伸びやかに育ってくれたとセルヴェスは思う。
その成長に、セルヴェスは日々、近くで目を細めて過ごして来た。
……妻のルナリアにも見せてやりたかったなと思う事が度々ある。
戦地に行ったきりの夫の留守を守り息子ふたりを育て上げた妻は、しっかり者で切れ者の女性であった。
祖父と叔父という男ばかりの環境で育てられたマグノリア。侍女達はいてくれるものの、きっと不足もあっただろう。
彼女が居れば心理面など、自分達では足りないだろう部分をきっちり補ってくれたであろうに。そして同時に、自分以上に沢山の愛情を注いで育ててくれたであろうと思う。
「……どうしたのですか、おじい様?」
いつもと少し様子が違うセルヴェスに、マグノリアは首を傾げた。
「うん。マグノリアも大きくなったなと思ってな」
「……そうですね。おじい様達のお陰で、スクスク育ちましたよ」
感傷的になっているらしいセルヴェスの様子を察して、マグノリアはおどけて言った。
子どもが成長すると、大人は度々淋しく感じてしまう生き物である事を知っている。
そしてその通り、こうして過ごせるのもあとどの位なのかと思っては、セルヴェスはため息を飲み込んだのであった。
名残惜しく曲が終わると、マグノリアは丁寧に礼を取った。セルヴェスも孫娘の眩いばかりの愛らしい姿を茶色い瞳に映して、礼を取る。
これから、国王と王妃に挨拶をして、デビュタントは終わりである。
あとは自由に、帰るもよし。宴を楽しむもよしであるが、大体は社交に勤しむ事になる。
「さ、次は王族に挨拶だ。家格順だから急ぐぞ!」
「ふぁーい」
マグノリアは気乗りしない返事を返した。
王はともかく王妃様との会話と思うと、一気に気分が重くなる。
……言語は一緒な筈なのに、まるっきり意思の疎通が出来ないところが哀しくもあり侘しくもあるではないか。
本来なら注意すべきなのであろうが、全くもってセルヴェスも同じ気持ちな為、そのままにしておく事にした。
会場では次の曲が流れ、ダンスを楽しむ人々で埋め尽くされていた。王族の席まで歩く間、横目で様子を見遣る。
色とりどりのドレスがクルクルと花開くように膨らんで、大変華やかだ。
……マグノリアが、異世界に生きている事を感じる瞬間だ。
最初の曲以降は、挨拶がだいぶ後のデビュタント組だけでなく、社交の為に出席している人々も自由に踊る事が出来る。
早速イーサンがご婦人方に囲まれているのを見て、やれやれとセルヴェスと顔を見合わせた。
そんな中、体格差のある男女のダンスが瞳をかすめた。
ヴィクターとコレットだ。
並ぶとまるで大人と子どものようであるが、リードするのはコレットの方。
一方、小さい時に相当叩き込まれたのだろう。ヴィクターは綺麗な姿勢で流れるような身のこなしのまま、コレットの好きにさせているようである。
コレットの夫は平民である為、王宮の社交に出る事は無い。
……代わりに、親友であるアイリスがエスコートして入場するのが毎度の事である。
「…………」
マグノリアは、何とも言えない違和感に首を傾げた。
いや、違和感とは違う。
(……何だろう? この感じ……)
視線? 何と言うか、ヴィクターの眼差し?
ダンスを踊るふたりは楽しそうに、何かを会話しながら踊っている。表情からいつもの軽口の叩き合いなのだろう。
「どうした、マグノリア?」
急に歩調がゆっくりになったマグノリアに、セルヴェスが声を掛けた。
「……いいえ。何でもないです」
取り敢えずは、王妃様をどう煙に巻くかの方に注力するべきだと思い直した。
******
「国王陛下と王妃様にご挨拶申し上げます。お陰様で本日、無事にデビュタントを迎える事が出来ました。ご配慮に感謝とお礼を申し上げます」
マグノリアは丁寧に淑女の礼を取る。
未だ成人ではない為、臣下としての口上はしないと言う事であった。
領地を出る前にこんな感じで良いのかと、小説で読んだ事のある仰々しい台詞をセルヴェスとクロードに言ってみれば、大変微妙な顔をされた。
案の定、ガイはプルプルと肩を震わせて笑っていたのは言うまでもない。
「……デビュタントは未だ未成年ですので、そんな固いご挨拶でなくて大丈夫かと思いますが……」
セバスチャンが言い難そうに言うと、マグノリアに指南してくれる事になったのであるが。
玉座に座る両陛下に挨拶をすると、微笑まれた。
「デビュタントおめでとう。今後益々の活躍を期待する」
国王は当たり障りない、常識的な返答を寄越した。
後ろに控えるアーノルド王子とガーディニアが頷く。何だかふたりの衣装はちぐはぐで、良いのか悪いのかと思いながら頷き返す。
カオスなトリプルのお揃いよりは良いのであろうが……遠目にはデビュタントなのかと思う様な色合いの王子と、重要な式典と考えて濃い色合いのドレスで挑んでいるガーディニア。
一応、ガーディニアは王子の色を連想させる青銅色をポイントにあしらっているが。かたや王子は蒼色ではなく、碧色をあしらっているのだ……せめて替えを用意しておくのが男の礼儀ではないのだろうか?
本人が出来ないなら、周りがすれば良いのにと思ってしまうのは仕方が無い筈。
本当に、ガーディニアは良くやっていると思う。
「マグノリアはいつまで王都にいるの? 晩餐においでなさいな!」
祝いの言葉ではなく、社交のお誘いが飛び出した。
やっぱりね。
そう思いつつもセルヴェスとふたり、何と言ったら良いものかと思ってしまうのは、まぁしょうがないであろう。
「……ありがとうございます。先だっての事もあり、外出は控えておりまして……」
「……まあ。あれだけの事があれば……さぞかし怖かった事でしょうね……」
先だっての事とは、もちろん誘拐&人身売買の事件の事である。
王妃も流石に女官長が絡んでいた事件を思い起こし、残念そうな声を出した。
国王はマグノリアがヘコんでいない事も怖がっていない事も、外出を控えていない事も知っているので、微妙な顔をしていた。
しかし、自分の妃が場違いな発言をしている事も解っている為、王妃に祝いの言葉を促しつつ、他にも沢山の令息令嬢が並んでいる事を示唆して切り上げてくれた。
――王様、何気に空気読める人!
そう思いながら、王様とガーディニアに目礼を返す。
王妃様は悪気のない無邪気な人なのだろうが、自分の奥さんやお姑さんだと思うと大変そうだなと思ってしまう。
本当に、ガーディニアは良くやっていると思う。
余計な事を言われない内に、暇を告げて次の人にバトンタッチである。
これで、最低限すべき事は終わりだ。
後は適当に時間を過ごし、良きところでタウンハウスへ向かう事になるのだが。
百八人目が再び現れない内に帰宅するにしても、ちょっと位、友人知人と挨拶してから帰りたいではないか。
マグノリアは挨拶の列に並ぶヴァイオレットに手を振りつつ、未だ側近達と代わる代わる踊るマーガレットを見た。
……人気者は、つくづく大変だなぁと思いながら。




