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父と息子の対話、そして皆との別れ

「お叱りにならないのですか?」

 

 ジェラルドの執務室へ移動した一行は、それぞれ腰をおろすとさっきまで一緒にいた小さい女の子に想いを馳せた。


「そんな草臥れて萎れてる奴に塩を塗り込んでもなぁ」

 セルヴェスは苦笑いをし、茶を啜った。


「まあ、精々後悔すると良い」

「後悔はしませんよ。する資格が無い事をしていたのです……嘆くのは、嘆く資格のあるものが出来るのですよ」


 淡々と持論を語るジェラルドに、セルヴェスはため息をつく。

 さらさらと契約書を書く手元を見ながら、揶揄い交じりに確認する。


「お前は相変わらず頑固だなぁ……経費、払うか? その方がマグノリアも安心するだろう」

「……要りませんよ。別に、あのが心配している様な事をするつもりもありませんしね。それよりもクロードの借金を返済しましょうか?」


 兄の自嘲めいた軽口を受けて、今度はクロードが苦笑いをする。


「まさか、借金なんて姪っ子を手助けするための方便ですよ。……多分、『あげる』と言ったら受け取らなかったでしょうからね。それよりも……」


 クロードは言い淀んだ。


「どうした」

「その、変質者というのは……」


 クロードが言わんとする事を察すると、ジェラルドがじっとりとした目で見遣る。


「それこそ、そんな訳あるまい。あの娘の勝手な想像だ……地方の口の堅い誠実な低位貴族に持参金を上乗せして送り出す予定だった」

「……そうですか」


 ちょっとホッとしながらも、このままで良いのかと確認すべきか迷った。が。……たとえジェラルドが態度を改めたところで、義姉と甥っ子の様子からも、到底家族が上手く行くとは思えず口を噤んだ。

 暫く時間と距離を置いた方が良いのは確かに思えたからだ。


「……結果的には瑕疵になってしまうものの、離れた場所の修道院に隠し、地方の低位貴族へ嫁がせれば然う然う王都へ来ることも無いかと思っておりましたが……」

「言ってる事は解らんでも無いが、嫌なやり方だなぁ」


 セルヴェスは自分の赤毛を引っ張っては捩じり、引っ張っては捩じって呟いた。


 断ったところで、王家に聞き入れられないと思ったからこその、ジェラルドの判断だったのだろう。

 

「……お前の眼から見て、王家はそんなにか」

「……。……先王がお亡くなりになり残念です。取り敢えず領政に力を入れるつもりです」

「そうか」


 セルヴェスは静かに返事をした。

 各々、これからの事を考える。




 同じ頃、リリーとガイによってマグノリアがアゼンダ辺境伯領へ移動する事が、多くの使用人達に知らされていた。

 春のそよ風というよりは春一番と例えた方が良いようなお嬢様の移領の話は、淋しさをもたらしながらもその身が自由になったことを喜びを持って迎え入れられた。




 そしてマグノリアの部屋では、侍女達とマグノリアが別れを惜しんでいた。


 デイジーは声をあげて泣き始め、ライラは心底心配だと言わんばかりな様子だった。

 ロサは静かにそんな様子を瞳に映していた。


「マグノリア様、借金とか駄目、駄目ですよ。私たちが立て替えますから、返しましょう!」

「こんなにお小さいのに大丈夫でしょうか……」


 デイジーは『それは汚いから、ぺっしなさい!』みたいなノリで言っていて面白い。

 真剣に言ってくれているのに、ついつい笑ってしまいそうになる。


「大丈夫よ。はなちを合わしぇる為に ああ言ってくりぇた だけだよ(多分)。おかにぇの用意が出来たりゃ ちゃんと返しゅし」

「そうでしょうか……」

 

 納得がいかなそうな様子に、苦笑いが漏れる。

 クロードにとって小銀貨三枚など、子どもにお小遣いとして渡しても、痛くも痒くもない金額だろう。


「そりぇよりも、ふたりを送り出しゅ つもりが、わたちが先に出て行く事になってごめんにぇ」

 

 はい、と言ってデイジーとライラに、各々の刺繍が入った乙女可愛い巾着を渡す。


「今迄 おちぇわしてくりぇて、あいがとうごじゃいましゅ。ちあわしぇになってにぇ」

 

 ぶわぁっと、一気に涙が瞳の縁に盛り上がる。

「うわぁぁぁぁん、マグノリア様~!! あいがどうごじゃいまじゅぅぅ!!」


 ……おおぅ。大洪水だ。デイジーの瞳が溶けてしまう。

 目を潤ませながら宥めるライラにデイジーを任せ、ロサの前に立つ。


「ロサも、今迄 たくしゃん あいがとうごじゃいまちた。こりぇ、ロサに おちえてもりゃった 刺繍よ。どうじょ」


 ローズ、ラテン語でロサ。

 バラの刺繍がされたハンカチを渡すと、ハンカチをぎゅっと抱きしめて、深く頭を垂れた。


「こちらこそ……色々……至らず、申し訳、ございま……んでした……」

「お父しゃまとお母しゃまと、いりょいりょ 折衝ちてくれたのでちょう?おちぇわを 掛けまちた」


 後悔に苛むような、打ちひしがれるようなロサを見て、マグノリアは苦く笑う。


「この後おじいしゃまが細かい手配をしゃれる筈でしゅが、かなり いじゅらい場合は王都のアゼンダ辺境伯家のタウンハウスで身柄を あじゅかって貰えるしょう でしゅ。流石にお父しゃまも配慮しゃれると思いましゅが、目が行き届かない とこりょで 何かあった場合、覚えておいて くだしゃい」


 大切な事なので、三人にしっかりと伝える。



 マグノリアの荷物はびっくりするほど少なかった。

 クローゼットにあった数着の洋服とネグリジェ、数組の下着と靴下。ダフニー夫人からの木札。お針箱と製作物、余った端布。そして忍び込んで写した抜粋書と契約書。

 

 何処へも出かける事がなかったマグノリアには鞄すらなく、大きな布にくるんで、背中に回して括りつける。


 高価そうなドレスは置いて行く。沢山練習した借り物の石板も。

 ギルモア家に残すべきものは全て置いてゆく。



 誕生日とはいえパーティーどころか晩餐の用意も無い、通常通りの食事であるのを見越して、セルヴェスが知り気分を害さないよう、夕食前に屋敷を出発することにした。

 多少無理をさせれば数人分の食事を用意するのは可能だろうが、楽しい晩餐になろう筈もない。


 それでもクロードは家族の別れの時間を取るべきだと思い、マグノリアに言ってみたものの、一緒に食事を取った事は無いので、あんなに怒り心頭な様子では一緒のテーブルにつかないであろうと言われ、引かざるを得なかった。



 夕方に差し迫ったギルモア家の玄関前には、沢山の使用人が並んでいた。

 オレンジ色と濃い紺色が交じり合う中、多くの人影が長い影を落とす。


 使用人と言っても下女下男が多く、通常主人達の目には触れない使用人たちが多かった。


「お嬢様、これ、ポテト芋とチーズのカリカリ焼きのレシピです」

「わぁ! いいのでしゅか!?」

「はい。あちらでもお召し上がりください」


 料理人として大切な筈のレシピを譲り受け、はわわ~と花を飛ばしながらほくほくするマグノリアを見て、一同は小さく笑う。


「こりぇは 鍋敷きと 鍋ちゅかみでしゅ。調理場の皆しゃんで 使って下ちゃい」

「……ありがとうございます。大切にいたします」

 淋し気な顔で料理長と料理人達は頭を下げる。


「お嬢様、行っちゃうんだねぇ」

「遠い場所なんだよね……?」

 

 洗濯係のおばちゃんは、グスグスと鼻を鳴らしながらしんみりした。

 通いの彼女たちは、律儀にも帰宅時間を過ぎているのに待っていてくれたらしかった。


「うん。いりょいりょ 教えてくりぇて あいがとうね。お茶の時間も たのちかった」

「あたしたちもだよ!」

 おいおい泣き出す人も居て、マグノリアは困ったように笑う。

「こりぇ、お茶の時間に ちゅかうシートよ。こりぇ しいて お茶会したら楽ちいよ!」


 カラフルに余り布をつなげてパッチワークにしたレジャーシートもどきだ。

「お嬢様が作ったのかい!? 相変わらず凄い子だねぇ……」

「とっても嬉しいよ。ありがとう、お嬢様」


「ワシからはこれを」


 庭師のお爺さんは、ゆっくりと歩み寄って来て、小さな包みをくれた。

 ……包みを振ると、カシャカシャと音がする。


「こりぇは?」

「植物の種でさぁ。機会があれば、お世話してください」

「あいがとう。わたちからは こりぇを」


 これから寒くなるので、余っていた(ロサから貰った)毛糸で編んだ帽子だ。

 庭師のお爺さんはゆっくりと膝立ちになる。


「ありがとうございます。お嬢様、どうぞお達者で」

 深いしわがれた声に、マグノリアは笑って頷いた。


 中央にはジェラルドが見送りに来ていた。他に、母の姿も兄の姿も無い。

 代わりに家令と執事長、侍女頭が揃って並んでいた。


 マグノリアは姿勢を正し、父の前に立った。


「侯爵ちゃま……いえ、お父しゃま。今迄 いきりゅための ご手配を頂き、ありがとうごじゃいました」


 ジェラルドは優雅に礼を取る娘を暫し瞳に焼き付けた。


「…………。侍女達の事は心配しなくていい。身体に気をつけなさい」

「あい。お父しゃまも どうぞご健勝で」


 母の部屋と兄の部屋に一度目を向けると、目の前の全員を瞳に映し、最後にデイジーとライラ、そしてロサを見て微笑む。

 マグノリアは深々と礼を取った。


「今迄 ありがとうごじゃいました。皆しゃま、どうぞお元気で ありましゅよう」


 使用人一同はそれぞれ礼を取り、深く深く、頭を下げた。



  

 祖父と叔父に連れられて、妹が馬車へ乗り込む。

(あいつばっかり気に食わない! 一体何処へ出掛ける気だ!?)


 夕闇の中、馬車は門へ向かいカラカラと軽快な音をたて始めた。


「……なんでマグノリアがおじい様たちと出掛けるんだ!? 泊りに出かけるのか? 僕だってお話ししたかったのに!!」

 

 サロンから出て来てから絶賛不機嫌中のブライアンが、近くの侍女に問いただした。


「違います。マグノリア様は孤児となられ、ご自分でご自分を買い上げられ、辺境伯領へお住まいを移すことになったのです」

「えっ、孤児? あいつは父上と母上の子どもじゃなかったのか!?」


 侍女は困ったように ブライアンを見た。


「……お嬢様は、勿論ご両親様の御子でございますよ。ですが親が亡くなってしまったり、生きていても不要とされれば、特に平民などは孤児院に預けられる事があるのです。ですから、それと同じと思ったお嬢様はご自分から孤児となり、誰にもその身を損なわれない様お金でご自分で買い上げて自由を得て、こちらでは暮らせないので辺境伯領へお出になったのです」


「…………」


(え……、出て行った? 自分で買った? どういうことだ……勝手にそんな事出来るのか……?)


 哀し気な侍女達の瞳に気づかないまま、ブライアンは呆然と窓の外を見る。

 外は、高い木々の影が暗さを増し、もうじき夜がやって来る事を物語っていた。


 小さな車輪の音は消え去り、遠くに、小さな馬車の影が見えるばかりとなっていた。



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