髪を切る
やっと王都での社交日程がすべて終了し、クロードが館に帰って来た。
とは言え、今回は例の誘拐事件の為にセルヴェスもクロードも度々呼び出しがかかる事が多く、ふたりとも領地には不在がちであった。
あんな事件があった後で領地にひとり残すのも心配であったのと、マグノリアが吟遊詩人と女官長に対する極秘の陳情もあった為に、彼女も秘密裏に王都のタウンハウスに滞在をしていた時期がある。
……極秘の滞在だった為、王都の冬を満喫すると言う事はなかったものの、珍しく三人で過ごす年明けは温かな雰囲気に包まれていた。
セルヴェスとは違いきちんと馬車に乗って帰宅したクロードが姿を現すと、随分すっきりとした身なりで降り立った。
「……くおーたま……?」
戸惑いがちに呼びかけるエリカに、膝をついて話し掛ける。
「良く解ったな? 暫く見ない内に随分大きくなったな」
「……なったー!」
褒められたらしい事がわかったエリカは、そう言って万歳した。ドヤ顔である。
思わず出迎えに居合わせた全員が微笑む。
同時にマグノリアが、朱鷺色の丸い瞳を好奇心に輝かせて話し掛けて来た。
「ふわぁ~! お兄様! 髪、どうされたのですか?」
『クロード、バッサリ☆』
肩と背中に流れていた黒髪がバッサリと切られ、すっきり襟足が見える程に短くなっていた。前髪は以前の雰囲気のまま、長めに整えられているが。
かなり雰囲気が変わって見える。
マグノリアとラドリは、へぇ~とか、ほおぅ! とか言いながらクロードの周りをぐるぐると回ると、頷いてはにっこりと笑った。
「短いの似合うではないですか! 長いのも雰囲気に合ってはいましたが、今の方が良いですよ!」
余り見目をうんぬん言う方ではないマグノリアが、拳を握りしめて力説する。
意外そうにクロードが眉を上げた。
「……マグノリアが髪型に一家言あるとは思わなかったな?」
「いやぁ、別にこだわりはないですけどね。……でも男性は短い方が基本は良いと思うのですがねぇ?」
この世界では長髪の男性も結構多い。
ましてクロードに至っては長髪でも似合ってはいたのだが……まるで王子様然とした風貌に拍車をかけていたのだが。
マグノリア自身は、男性の長髪というのはかなり人を選ぶ髪型だと思っているのである。
前世でも長髪の俳優やタレントを見て、う~ん……と思う事はままあったのだった。
幸い美形すぎるクロードであるので、見苦しくもなければ変でもなかったのだが。それでも比べるなら、断然短髪をお薦めするのは間違いない。
「どんな心境の変化ですか?」
出会った頃から十年以上変わらなかった髪形。
マグノリアよりも長いかもしれない髪をバッサリ行くなんて、一体何があったのか。
「……ただの気分転換だ。剣を振るにもこちらの方が良いしな」
「……ふ~ん?」
『ふ~ん?』
「ふーん!」
……姪っ子も予想外に興味津々だが、何より小鳥がうるさい。
……エリカまで真似をし出したので、ガイがニヤニヤしている。
すまし顔でセバスチャンに荷物を手渡すと、マグノリアに振り返った。
「父上は?」
「肥料関連の急用で出掛けています。午後には帰ると言ってました」
クロードが帰宅する為予定をあけていたのだが、緊急の連絡があり渋々出掛けて行った。
「そうか。何か変わった事はあったか?」
「いいえ、特には。あ……!」
小さく思いついたような声をあげたので、クロードが視線で続きを促すと。
「お帰りなさいませ!」
そう言ってニッコリ笑ったマグノリアに、クロードも笑いかけた。
「……ああ。ただいま」
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「随分思い切ったな」
執務室で不在時の書類を見ていると、帰って来たセルヴェスに開口一番そう言われた。
苦笑い気味にクロードは頷く。
小さな子どもの時以来の短髪に、セルヴェスは懐かしんでか瞳を細めた。
大きくなったもんだと思う。
クロードの身の上については、移領の時に話してある。九歳の時だ。
……早いかと心配もしたが、逆にごまかしの効かない非常に頭の良い子であるので、充分に理解出来るだろうと考えた末の事だ。
終戦間際、アゼンダ公国は砂漠の国と小国の連合軍に手酷い蹂躙を受けていた。
アゼンダ大公は戦陣に立って自ら戦っていたが、既に敵に捕らえられてしまった。
目に余る蛮行の制止、そして緩衝国であるアゼンダを助ける為、セルヴェス率いるギルモア騎士団が投入される事になったのである。
社会情勢から、周囲の人間に悟られぬよう秘密裏に出産し、存在をひた隠しにしていた大公子であるクロードを逃がす為、大公妃とお付きの女官が隠し通路をひた走っているところに、パレスに残った大公妃を助ける為に潜入したセルヴェスが出くわしたのである。
アスカルド王国の助太刀と知ると、大公妃はクロードをセルヴェスに託した。
勿論、いたずらに託した訳ではない。
各地を転々とするセルヴェスとは過去に会話した事もあり、人柄も立ち位置も知っての上である。
一方のセルヴェスは、一緒に逃げるように説得したが。
自分が一緒では逃げ切れない。運良く逃げられたとしても出自がバレて命を狙われると考えた大公妃は、無駄になると知りつつも、公国と自分達を信じてくれた民たちと運命を共にする事を選んだのである。
連合軍側は大公家の人間の投降を要求していた。
国民と公国を守る為、またクロードを無事に逃がす為に、大公妃は連合軍の前にその身を晒す事にしたのであった。
大公妃は別れ際、愛おしいと言わんばかりにクロードを抱きしめた。
多分、今生の別れと解っているのであろう。
そして、セルヴェスに産まれて間もない息子を渡すと、地下の隠し通路の中で、その姿が見えなくなるまで見送ったのであった。
……その時のお付きの女官が、クロードの生家とされている男爵家の夫人である。
彼女もまた、主人である大公妃に付き従ったのであった。
沢山の人々が凶行の刃に倒れ、数多くの家屋が焼き払われ、蹂躙されたのは史実通りだ。
また、例に漏れず男爵家も他の家々と同じ運命を辿ったのは言うまでもない。
……やっと首が据わったばかりのクロードは、アゼンダ大公家の生き残りとして命を狙われぬように、その出自を隠す事になる。
忠実な家臣であった某男爵家唯一の生き残りとして、身分と出自を偽り、ギルモア家の養子に入る事になったのであった。
後は御存じの通りである。
緩衝国であった小国の、大公家の生き残り。
戦後も不安定な立場である事は変わらない。
……彼の出自を知る者達は、クロードが自らの身を守り自ら立場を選べるようになるまで、その身分を隠す事に決めたのである。
頭の回るクロードは、陞爵するようにセルヴェスに勧めて来た。
家の為に努力する兄、ジェラルドの事を思っての事である。
養子である事を隠してはいなかったが、この時初めてクロードの出自を打ち明けた。
気高い本当の両親の事。故郷は美しい森と湖の国である事。
そこに暮らす民は非常に忍耐強く、聡明な国民である事。
国内での均衡を取る為でもあるが、クロードへ返す為の移領である事を充分に理解した上でも尚、ジェラルドの弟として、再び陞爵する様に勧めて来た。
「……あの時、大公妃は言わなかったが、息子であるクロードに未来を託したのだと思う」
そうセルヴェスが告げると、複雑な心内なのだろう。何か言いたそうな表情をしながらも、育ての父の意志が固い事を悟って飲み込み、移領を了承したのである。
「移領から伸ばし始めたのだったな……」
「……はい」
クロードは寂しそうな瞳でセルヴェスを見た。
「……大の男がなんて顔をしているんだ。男前が台無しだぞ?」
揶揄うようなセルヴェスに、クロードは薄く笑った。
――クロードは、自分が大公子だなどと思った事は無い。
自分は紛れもないギルモア家の人間だと思っている。例え血は繋がっていなくとも。
父も兄も……今は亡き母も祖母も、そう思ってくれていると信じている。
察しの良いジェラルドは、もしかすると、無理に押し通した養子の正体を知っているのかもしれないが。
今回、再び砂漠の国がクロードの大切なものを蹂躙しようと手を伸ばして来た。
恩義のあるギルモア家の姫であるマグノリアであるが、クロードにとっては既に彼女も家族であり、大切な存在である。
そんな大切な存在であるセルヴェスとマグノリアと、長く一緒に過ごしてきたアゼンダも、生まれ故郷である以上に大切な場所である。
必ず護る。
……きっと多くの国民と運命を共にした本当の両親なら、そうしなさいと言うであろう。
――言われるまでも無い。
伸ばし続けた髪と一緒に、不要なこだわりは切り捨てた。
過去よりも、未来を生きるのだ。
これからの未来を。




