嵐の誕生日・幕引き
セルヴェスは貴婦人さながらに美しい礼を取る小さな孫娘の背中をみつめながら、面白いと思った。
本来小さな子どもが置かれる境遇として有り得ない状況を面白がるのは人としても祖父としても不謹慎だし駄目だろうと思うが、泣くでも癇癪をおこすでも無い様子に、驚愕と感嘆と畏怖と少しの憐憫さを覚えていた。
(何という胆力)
彼の二人の息子はどちらも全てにおいて優秀であったが、それとはまた違った優秀さだ。
可愛らしい見た目に騙されると、間違いなくこちらが喰われる。
(身内に、それも孫娘に喰われるならそれも本望だが。今暫く自分の役目を果たさねばな)
見事自身で自由をもぎ取ったとは言え、まだ幼い。
悪魔将軍と呼ばれた男は、厳しくも温かい指揮者の瞳をしていた。
クロードは自分を蔑む母親に対し、美しい微笑みを向ける小さな姪を見て、深い寂寥感を覚えていた。
本当の両親を既に亡くした彼は、血の繋がりに深い憧れがある。
義理の家族はとても良くしてくれ、自分は養子だなんて卑屈に思うような事は無かったけれど。
子どもの頃、友人たちの親が子を思い遣る姿を見る度、甘やかな感情が心の奥を搔き乱した。
(なのに実の親に見捨てられて、更に子が捨て返すのか……?)
四歳の女の子の不自然な老成さ。
ふくふくとした頬が目立つ愛らしい顔には、未練は微塵も感じられなかった。
何故なんだ?
……目の前の子どもは、自分が知る子どもとは全く違う得体の知れない存在に思えた。
親は子に無償の愛を持つと言うのは嘘だったのか。
目の前で見た義姉の姿も、愛情に溢れる母親の姿では決して無かった。
それならば、血とは? 家族とは?
連綿と今へ至る筈の繋がりとは何であるのか。
ジェラルドは変わってしまった娘をみつめながら、誤りを悟った。
(何処で変わった? いつ?)
決して過去の見立てが見誤りだとは思わない。――が、何故か事態は知らぬ間に急激に変化していたのだ。先日覚えた違和感を思う。
別人になった娘は、自分で自分を、その小さな手に取り戻した。
……若干反則めいた手だが、そこを指摘するのは止めておく。
もう怯えることもなければ甘えて手を伸ばすことも無いだろう。
代わりに大きく翼を伸ばし、自由に遠くへ羽ばたいて行くだろう。
だがそれで却って良かったと思えた。
……たとえ無責任と罵られようと、幸せになってくれるのだったら。その可能性が拡がるのなら、その方が良い。
(さようなら。かつての『小さなマグノリア』)
手のひらの銀貨は軽くて重い。
銀貨に移った子供の高い体温と、みえない『何か』を感じてジェラルドは淡く微笑んだ。
ガイはギルモア一族を見つめながら、過去と未来を思う。
新しい明日は、果たして輝くのか。
朧げに、曖昧に、不明瞭に。未来は常に形を変える。
――形が定まらないなら、好きに作ればいい。
マグノリアは思案する。
後腐れ無い様に。そして迷惑は最小限に。
感傷に浸っている暇はない。
必要な結果を最上級に取りに行く。矛盾をつかれない内に。相手が全体を把握しない内に。可及的速やかに。
「おじいしゃま、お願いがありゅのでしゅ」
「なんだ?」
「侍女しゃんの事でちゅ」
「侍女?」
壁際に立つ侍女たちも、息を詰める様に立ち尽くしているが、自分達の事が口にのぼり姿勢を正す。
「あい。今回にょ事や書類にょ事で、侍女しゃんは何も関わっておいまちぇん。偶発的に入手ちたのでしゅ。でしゅが、関与が疑われ肩身のちぇまい思いをちたり、しゃい悪 クビになったりしゅる可能性がありゅでちょう? しゃいわい、わたくちにちゅいてくりぇる しゃんにんの内ふたりは数か月以にゃいに退ちょくが決まっておりまちゅ。問題無ければ早期退ちょくとその補填を。そうでにゃいもにょは本人の希望も確認の上、新ちい職場のあっちぇん等をお願いいたちたいのでしゅ」
「マグノリア様……」
「私たちは大丈夫でございますわ。ご心配頂かずとも、必要とあれば自ら対応させて頂きます故」
「…………」
デイジーは涙を浮かべて言葉が続かず。ライラは唇を噛み締めながらマグノリアへ頷く。
ロサは空を見つめたまま動かない。
「相、わかった」
セルヴェスは頷く。孫娘の今回の願いは、可能な限り須らく叶えるつもりだ。
「それと、ギルモア侯ちゃく。今迄のわたくちのしぇい活費をどうしゅるかお話ちいたちましょう」
「そのようなものまで……必要なかろう? 誰だって小さい子どもは育てられるものだろう?」
ジェラルドではなく、クロードが力なくマグノリアに言う。
「しょうではないのです。……一般的にはしょうであっても、しょこから外りぇればまた対応は変わりゅのです。きちんと話し合っておく事はお互いの為に大切なのでしゅよ」
家政費の写しの一枚を裏返すと、なにやら計算したものが書かれている。
まるで、こうなるのを見越していたかのように。
「食費。食事の量はブライアンちゃまより しゅくない位かと思いまちゅ。が、一応同じで計算ちてありましゅ。しぇい活しゅる上での雑費をどう計上しゅるかは難ちい問題でしゅが、一応目に見えりゅ服飾費はこちら、教育費は無ち、交際費は無ちです。しょれと、出産に必要だった医療費の計上も必要でありぇば医師に確認のひちゅ要があるかもちれません」
ジェラルドはゆっくりと写しから瞳を外すと、マグノリアに向き合う。
「……それらの受け取りの放棄は可能かい?」
「……。お金で解けちゅ出来りゅものは、利用ちた方が明確で後腐りぇにゃいと思いまちゅが」
「……放棄は可能かい?」
マグノリアは小さくため息をつく。
「人間は、何か不ちゅ合な事があった時、思いも寄らにゃい行動をとりゅ事があいまちゅ。今はしょんな事、と思うでしょうが。この先何かしらがあって、わたくちを引き戻しょうとなしゃる事態に陥った時、ちょこを有耶無耶にしゅると争点にないまちゅ」
幼女が領主の仕事を熟す父親に、言い含める様に金銭での後腐れ無い解決を再押しする。
自分が戻る事は勘定に入れていない事に、決意の深さを感じる。
しかし、静かな瞳でみつめるジェラルドに、彼も引く気が無い事を悟ると、マグノリアは再び小さく息を吐いた。
「では、互いが納得できりゅ契約書を?」
契約書……。
クロードはどう口を挟んでよいものか、黙ったまま成り行きを見守っているが、目の前の馬鹿げている話し合いが夢でない事が不思議で仕方なかった。
確かに破綻した親子関係ではあるが……姪が生家を後にするにしても、もっと子どもの気持ちに配慮するような、大人同士での話し合いを提言するつもりでいた。
そしていつかお互いのわだかまりが無くなったら、元の形に戻れるように……
ところが子ども――それも幼児が淡々と仕切り、大人顔負けの内容で自らも周りも切り離して行く様は、酷く現実味が無い。
いつもは感情豊かな父が、自分と同じように静かに見守る様子も違和感を覚える。
父は人との繋がりを大切にする人間だ。
命の儚さと強さを知るからこそ、余計にそこにこだわる様にすら思えたのに。
「承知した」
兄上も、本来ならもっと上手く回避するなり遣り込めるなりするだろうに……
「……お前、本当、生意気だ!!」
唸る様な子どもの声が、マグノリアにぶつけられる。
忘れ去られたかのように所在なく立ち尽くしていたブライアンだ。
「ブライアンしゃま。短い間ではごじゃいまちたが、お相手頂きあいがとうごじゃいまちた」
悪びれる様子も無く、マグノリアは礼を取る。
「お前なんか出ていけ!」
今迄の話の内容がいまいち飲み込めていないのだろう。
ブライアンは妹を傷つけようと捨てゼリフを吐いた。
「はい、出て参りましゅ。御機嫌よう、どうじょお元気で?」
両手をぐっと握り締め唇を噛むと、もう一度マグノリアを睨み、勢いよく駆け出し部屋を後にした。
大きく、叩きつける様に扉が閉められる。
ブライアンを黙って見送ると、セルヴェスが満を持して口を開く。
「マグノリア。この後、一体どうするつもりなんだ?」
「しょうでしゅね。基本的には孤児院に入りゅ予定でちゅが?」
「「「…………」」」
「国内の孤児院が色々……まあ、むじゅかしいようでしたりゃ、だりぇか何処か外国の孤児院にちゅ手は無いでしょうか?」
本当は、家を出るなり輸送中に行方不明になるなり、暫し潜伏して孤児の振りをし、何処か遠くの孤児院に潜り込むつもりでいたのだが。
今のこの状況では、それも難しいだろう。
せっかく国内有力貴族が揃っているのだ。素直に広い顔を貸して頂こう。
うーん、とセルヴェスが濁す。
マグノリアは愛らしい垂れ目をパチパチと瞬く。
「……孤児院は難しいと思うぞ」
「しぇ間体とか矜持の問題でしゅか?」
「いや、違う。その色だ」
「いりょ?」
小首を傾げる。
(またこのファンシーピンクか……イラっとするな、本当)
「北の国特有の色なんでしゅよね? 目立たないように、北の国があった周辺の孤児院は駄目でしゅか?」
同じ色味が沢山いますよね?
あー……、と言わんばかりに、セルヴェス・ジェラルド・クロード・ガイが残念な者を見る目でマグノリアを見遣る。
「……いや、それな。北の国の『王族』特有の色だぞ。我々は亡き国の王家の血が入っておる。小国とは言えちょっと変わった国だったから、孤児なんぞになったらあっと言う間に多分どっかの国に取り込まれて、面倒なことにしかならんぞ」
「ええぇぇぇ~~~……」
(そんなん、聞いてないよぉぉ……!)
面倒とは……
一難去ってまた一難とは、このこと……?
やっと子どもらしく、ガックリ頭垂れる姿をみると、クロードは薄く笑って膝を突いた。
俯くマグノリアの顔を下から覗き込むと、ニヤッと意地悪く笑う。
「借金を返すまで家に来れば良い。……踏み倒されると敵わんからな?」
「……しょれは反則になりゅので嫌にゃのでしゅけど。しょれに、大きくなったりゃ返すと約束ちまちたのに!」
マグノリアが口を尖らせて反論すると、クロードが言い捨てる。
「嫌なら今すぐ返せ。耳を揃えて」
「……」
美貌の叔父さんは、取り立てがキツい。
齢四歳にして闇金(精神的な)に手を出してしまったらしい事を悟る……
「あの……っ!」
扉近くの壁から、リリーが意を決して声掛けする。
ウィステリアの帰宅の際他の侍女と一緒に迎えに出たが、騒ぎに乗じてウィステリアと一緒に(こっそり)入室し、ずっと柱の陰から一連のやり取りを見ていたのだった。
屋敷の主人と、悪魔将軍と、黒獅子と、陽気な暗殺者(リリー視点)に一斉に見られ、ちょっとガクブルしながら陳情する。
「私を、マグノリア様と一緒にお連れ下さいませ! きっとお役に立てる様頑張ります!」
マグノリアはぎょっとする。
「リリー……! ご家じょくはどうしゅるの!?」
家族の為に働くリリーの事情を知っている。
そんな彼女を不安定な立場に追いやるのはマグノリアの本意でない。
「大丈夫です! 家族には、マグノリア様が出奔する際はついて行く旨了承済みです!!」
リリーは決めたのだ。この小さなお嬢様に何が何でもついて行くのだと。
ぐぐぐ、と拳を握る。
「出奔、バレてたっすね?」
ガイはマグノリアに揶揄うように笑う。
「給金はマグノリアにつけておこう」
クロードも当たり前のように言うと、ぽん、とマグノリアの頭に大きな手を置いた。
「さあ、支度をしておいで。何、誰もタダで置いてやるとは言ってない。こき使ってやるから安心しろ」
全く安心できない言葉だが、不思議と安心出来る優しい響きを持った声だった。
悪魔将軍と黒獅子と隠密に脇を固められては、移動中に行方不明にはなれないだろう……




