合流
――早く合流しないと、飛び出して行きそうだ。
ラドリの口から発せられたマグノリアの言葉に、船に居た全員がそう思ったのは言うまでもない。
「それにしても、黄緑色の液体か……」
遠くに船の灯りを確認出来るようになり、鴉が次々と情報を持って飛来していた。
斥候が施した情報を見るに、そこまで厳重に警戒された様子ではないという事が解る。上陸は容易く、余程の事がない限りは制圧も安易であろうと考えられた。
「現物を見てみないと何とも言えないっすが、いいモンではないでしょうねぇ」
「……植物などからの抽出物でしょうか?」
液体という事からそう思ったのだろう、サイモンが小さな声で呟いた。
「諸外国の闇市でそう言ったものの売買は見た事があるか?」
仕事柄、そういったものの知識も持ち合わせているクロードだが、記憶に掠らない。
諸外国や、大陸以外の地域はどうかとサイモンに振ったが、芳しい答えは得られなかった。
「うーん……私は服飾が専門ですから、あまりそういうのは……でも、保存や持ち運びの事もあって液体よりは粉の方が多いのではないかと思うのですが」
「……イグニスでも聞いた事がないです」
且つてイグニスの商船の船乗りだったパウルも、思い出すような表情をしながら言った。
ガイはどうしてなのかを考えながら発言する。
「液体の方が都合がいいんでしょうねぇ。溶けやすい、詰め替えやすい。扱いやすい……」
「…………」
考え込むクロードに視線を向け、セルヴェスはユーゴに向き直った。
「イグニス海軍が加勢をしてくれるようだ。奴隷船にはマグノリアは居ない。混乱している内に叩いてしまおう」
「……じゃあ、このまま?」
頭が痛そうなユーゴに、ニヤリと笑う。
「正面突破だ! 我々は機会を見て島へ上陸、マグノリアを回収する。騎士団は敵を全員確保だ」
「…………」
作戦も何もあったものじゃない。
力技で押し通す齢七十の騎士団長に、ユーゴとイーサンはため息を飲み込んだ。
「お、俺……荒事は……!」
ヒョロヒョロしたパウルが、真っ青な顔で首を振る。若干涙目な事は、見なかった事にしよう。
「……。大丈夫」
多分。
心の中でつけ加えると、ユーゴが胡散臭い笑顔でパウルに笑いかけた。
二十数年前に、ジェラルドにされた表情、言われた言葉だ。
無茶な作戦を実行するといわれ、無謀だと反対した時ににっこり胡散臭い顔で笑った上に、微妙な間と共に大丈夫だと言われたのだ。
……結果、大丈夫といえば大丈夫だったのだが……だいぶ危ない目に遭った。
それに比べれば過剰戦力だろう。安全とすら言えるかもしれない。
******
「さぁ、突っ込むぞ!」
ユーゴの声と共に、応! という威勢のいい声が返って来た。
「大砲用意! 撃て!」
運び込んだ大砲を、相手の船めがけてブッ放つ。
いきなり迫って来た商船が突っ込んで来た上に、あろうことか大砲を撃って来たのだ。
奴隷船の乗組員たちは思わず絶句した。
威嚇ではなく、帆に大きな穴が開いたのをしっかりと確認して、更にパニックになる。
捕らえた筈の貴族のご令嬢が忽然と居なくなり、混乱していたが一度島を見てみようという話になった矢先の事だ。
「商船に大砲打ち込んで来る奴なんか居るのかっ!?」
奴隷船のリーダー格の男が、そう言って目を白黒させる。
様子を見ていたイグニス海軍の師団長が、苦笑いをしながらギルモア騎士団の様子を見ていた。
「……本当に、正面から行くんですね」
伝書鳩ならぬ伝書鴉がやって来て、
『真っ正面からぶっ潰します。お好きなタイミングで参加願います』
と書かれた書簡が届いたのだった。
どんな作戦なのか。
真っ向勝負のぶつかり合いらしい。
その時、ギルモア騎士団の乗る船の後ろに付いていた小型の船が、猛スピードで波間を滑って来た。
そこに順番に三名の影が乗り移るのが見えた。
(っていうか、甲板から飛び降りたのか……?)
師団長は大きな船と小さな船を交互に見比べる。
商船といえそこそこ大きな船は、足をかけた縁から海面まで一体何メートルあるのか。
岩の様な大男と、長身の男、そしてやけに軽い身のこなしの小柄な男。
暗い海の上に黒い影が、まるで滑降するように空を滑って行く。
淡い月明かりがキラキラと暗い海を照らして、酷く幻想的に見えた。
冒険活劇の一場面の様であるが、そんな危ない事を現実にやる人間などいないばかりか、飛び乗る船は速度を緩めることなく、あっという間にアジトのある島へ向かって進んで行ってしまった。
「……悪魔将軍?」
見間違える筈のない大きな影を思い起こしては、ポツリと呟く。
かの御仁は幾つだったか?
「……師団長……?」
部下の言葉に、遠い目をしながら頷いた。
「今から参戦する。ひとりも逃すな!」
「はっ!」
負けじと船を急発進させ、乱闘が始まっているらしい奴隷船に師団長始め海軍の面々も飛び移っては。
ゴロツキ共に拳を容赦なく叩きつけた。
******
「ラドリさん、お嬢の居場所は解りやすか?」
『うん、解る!』
潮風を受けながら、ガイが少し上を飛ぶラドリに聞いた。
意識さえあれば、相手が何処にいるのか確認出来得るらしいラドリは、船の前に立つように飛ぶスピードを上げた。
同じ頃、アーネストは獣道をひた走っていた。
マグノリアを探すべく行動していたが、セルヴェス達が到着し、すぐさま船で上陸する予定だと鴉が飛んで来た。
……下手な戦闘にマグノリアを巻き込むよりも、セルヴェス達に任せて、少しでも早く島を脱出して貰う方が良いであろう。
異母兄が素直に投降してくれれば良いが、多分それは望めないであろう。
醜い言い争いばかりか、斬り合うところを見せねばならなくなるだろうから、それは出来る限り避けたかった。
マグノリアにショックを与えたくないという気持ちが大半であったものの、どこか残酷な自分――為政者の側面を持つもう一人の自分を、見ては欲しくないような気がしたのである。
勿論、聡い彼女は言うまでもなく知っているであろう。
彼女自身が、幼い頃から領地の政を担っているのだ。
見た目に反して、彼女は綺麗なだけでない現実を知っているだろうに。
それでもアーネストは、彼女の前では優しい兄の様な存在でありたいと思ったのであった。
******
そんな頃マグノリアは。
木と木を飛び移れないものかと思案していた。
地上を移動するよりも、確実にみつかり難いだろうと思うのだが。
(ロープみたいなやつ……)
ロープ、もしくは強靭な蔓とか。
セルヴェス達が来て、余程の事がない限りは安全が護られるのだ。
自分と同じように連れて来られてしまった人間が居たら、助けて一緒に帰りたいと思う。
マグノリアの安全を確実にする為に、アジトの調査が後回しになってしまう事は避けたい。
(……アジトの側に移動していて、なし崩し的に調査に持ち込みたい……!)
魔道具を使う人間が他にもいたらという懸念はあるが、魔力持ちはそう多くないと聞いた。彼らがそんな人間を沢山集めているなんて事はそうそう無い……と思うのだが。
それに、魔力持ちでなくても魔道具を使う事は出来る。
マグノリアやクロードのように魔石を使えばいいのだ。
(用心に越した事は無いけど、考え過ぎて及び腰になるのは相手の思う壺じゃんか!)
絶対、奴らは隙を見て逃げるに決まっている。
逃がしてなるものか。一体どれだけの人間を勝手に攫って売り払ってくれたのか知らないが、許せん!
ふんす! と鼻息荒く見えない敵を睨みつける。
……木の上で見渡してみても、都合よくロープが落ちている筈はなく。マグノリアは腕組をして難しい顔をした。
暫し考えた結果、手持ちの布を使うしかないだろうという、考えなくても行きつく現実にしか思い至らなかったのである。
(……切った方が長く出来るが、結び目が解けたり切れたりし易い……)
取り敢えず隣の木の枝に布を投げ、届くか確認する。
(よし! ……先に鉤みたいなのがあればなぁ)
濡れて重みがあるせいか、きつくねじって細くした布はちゃんと届く。
……しかし、スルリと枝を滑りぬける。
勿論、そんな忍び道具宜しくなものを持ち歩いている筈はなく。
仕方なく手甲から警棒を外し、布の端に強く結びつけた。
「よっ!」
木に渡すと、重さで警棒を付けた先が戻って来る。空中ブランコのようだ。
「…………」
……ガイのように投げただけで枝に巻き付けるなんて事は出来ないから、逆に戻って来た端と持っている端を合わせ、渡した中心を輪にし、確実にぶら下がれるようにした方が落ちないであろう。
そして枝が折れないか強めに引っ張って確認し、弾みをつけては思い切って飛び移る。
ぶわり。
耳元で空を切る風の音がして、隣の木の枝に飛び移った。
(よっし!)
そうして、途中、着地に失敗して宙吊りになってみたり、なかなか枝にねじねじ布が引っ掛からなかったりと悪戦苦闘しながら、島の中心部に少しずつ移動していくマグノリアであるが。
『……なんか、マグノリアが少しずつ移動してる……!』
道案内で前を飛んでいるラドリが、何とも言えない声でそういった。
あっという間に島に着いた三人は、注意深く木々の生い茂る中を小走りで進んでいた。
船を操作していた騎士は、巡視船の斥候と合流して貰う。
三人も島で待っていた斥候から詳しい話を聞き、今こうして島の中を走っている訳だが。
「待ちくたびれて、何かやらかそうとしてるな……」
クロードの言葉に、ふたりも頷いた。
間もなく前方に、ピンクの髪が風にたなびいている様子が目視出来た。
……ロープの様なものを木の枝に渡しながら、木と木を飛び移っている姿が見える。
頭が痛いのはもはや、言うまでもないであろう。
お転婆なのは今に始まった事ではない。
色々言いたい事はあるが……大人しくしている様な娘であれば、未だ船で小さくなっている事であろう。
『マグノリア~!!』
ラドリが叫びながら突っ込んで飛んで行く。
気が削がれたのか、布にぶら下がりながら振り返ると、手のひらが布を滑って下へと急降下した。
焦ったマグノリアの顔が見えた。
「ちっ!」
小さく舌打ちすると、三人は猛然と地面を蹴る。木の枝が自身の身体を打つが、知った事ではない。
セルヴェスに至っては細い木をそのまま腕でなぎ倒して進んで行く。
後ろには、きっと立派な獣道が出来ている事だろう。
抉れた土を力強く踏みつけて、三人は更にスピードを上げた。
衝撃に備え、マグノリアは強く目をつぶって身体を固くしたが。
いつまで経ってもある筈の衝撃も痛みもない。
「…………?」
そっと朱鷺色の瞳を開くと、めっちゃ恐ろしい顔をしたクロードのご尊顔が目に入って来た。
助けて貰ってなんだが、悲鳴をあげなかったのは褒められるべきだろう。
落ちるマグノリアを抱きとめてくれたのだ。
…………。
……非常に有難いのだが、その、顔がめっちゃ怖いのだが。
思わず瞳をついっと逸らす。
そして心配そうなセルヴェスと、ホッとしたようなガイの顔がマグノリアを囲むように見下ろしていた。
「……何をしている?」
『もう! 動いちゃダメじゃん!』
機嫌のすこぶる悪そうなクロードの頭の上に、これまた怒ったようなラドリが、手羽先を組んで見下ろしていた。
シュールである。
ひっくい地を這うバリトンボイスと、甲高い声が重なってマグノリアに投げつけられた。
(に、逃げられない……!)
「え、えへへ……?」
思わず愛想笑いをする。
すると、より一層眉間に渓谷を作ったクロードが、ヒンヤリした声で言った。
「えへへ、じゃない!」
(ひょえぇぇぇぇ!)
抱っこを、セルヴェスかガイに交代する事を希望します!
実際には口が裂けても言えないけど。
心の中でマグノリアは、そう、盛大に訴えたのだった。




