クルースにて
アスカルド王国は海軍を持たない。
元々が内陸部にあり、海には面していない国だったからである。
アゼンダ公国は且つては形ばかりの備えがあったそうだが、緩衝国としての役割が大きく、その時々に属している国に反旗を翻さない為にか、近年大きな武力は持たなかった。
セルヴェスが領主になったのは戦後の事。
要塞に万一何処かが攻めて来た場合の追撃の用意はあるが、積極的に外へ攻撃を仕掛ける為の戦力を大きく用意はしていない。
「……船が、心許ないな」
「まさか海に出て戦う事になるとは思ってませんでしたからね」
戦艦などの大掛かりな用意がある筈はなく、それは巡視船であり、それもそこまで大きな船ではなかった。
「向こうもそこまで大きな船ではない筈です。商船と偽っているでしょうから」
言いながら、クロードは今後の課題に海の守りについても加える事を頭の片隅に留めておく。
すぐさま関係各所に鴉を飛ばし、検問は敷いてある。
マグノリアらしき人物を乗船させた船は無く、移動魔法で直接船に乗り込んだのであろうと考えられた。
砂漠の国は東狼侯の領地と隣接する内陸の国であり、やはり船は持たない。
以前の人身売買は陸路を使ったものであったが、今回摘発されていないのは、販路その他諸々を変えたからであろう。
念の為、陸地からも追尾出来るよう、アイリスに協力は依頼してある。今頃は頼りになるかの夫君が、色々指揮してくれているだろうと思う。
「……この検問直前に出港した船ふたつの内、イグニスの商船が怪しいだろう」
自らが船を持たない砂漠の国としては、協力国の船を動かしている筈。
いや、自国の船だとして、馬鹿正直に言っては各国から警戒されて思うように動かせない。どっちにしろ他の国の船として動かさざるを得ないだろう。
新興会社らしいその船の持ち主を、お庭番たちにあたらせている。
「手持ちの船も動かすとして、漁船か商船に協力を依頼致しましょう」
西部駐屯部隊長であるユーゴが提案すると、大きく扉をノックする音が響き、見知った顔が現れた。
「そちら、私共がご協力させていただきましょう」
*******
(やけに検問が厳しいな……)
キャンベル商会……といっても、王都に洋品店を構える方のサイモン・キャンベルが、物々しい雰囲気で行われている荷物の確認を横目に首を傾げた。
いつもなら兄が航路に出る事が多いのだが、布類や既製品の大口のやり取りという事もあり、今回は珍しくサイモンが船に乗っていた。
今日帰港したところである。
そうは言っても、兄の下で働いていた時にはかなりの頻度で海に出ていた事もあり、航海に不自由はしない。多少の荒事の経験も無い訳が無く、いつもは紳士然としているサイモンの意外な一面である。
首を捻っているところに、アゼンダ商会のパウルがやって来て頭を下げた。
マグノリアが興した商会の販売部門の責任者である彼は、当然サイモンとも面識がある。
――騒ぎがあるところにマグノリアの影あり。
その本体が見当たらないという事は、騒ぎの本元がマグノリアの不在に関係するのだろうとあたりをつけた。
「……過去に襲撃事件がありますからね」
六年前の王都で起こった痛ましい事件。
マグノリアは大きな怪我こそなかったものの、狙われた当事者でもあり、実際に襲撃犯たちと戦った人間でもある。
離れて暮らす実父が大怪我を負い、その心的負担は如何ほどかと思ったものであるが。
「まさか、誘拐?」
声を潜めながらも厳しい表情で確認するサイモン。ふたりは顔を見合わせた。
「確認した訳ではありませんが。騎士団や辺境伯家の動きから、恐らく」
「……海に出たのですか? ギルモア騎士団は、海は専門外ですよね?」
「そうですね。通常の防衛の範囲は抑えられていると思いますが……」
サイモンは普段は穏やかな顔を引き締めると、少し考えて頷いた。
「……パウルさんも行かれるんですか?」
「勿論です。マグノリア様には命を助けて頂いておりますから。ブランクがあるとはいえ、元船乗りです。多少は役に立つでしょう」
いつもは何処か気弱そうなパウルが力強くそう言うと、ふたりは、辺境伯家の人間が出撃の準備をする要塞へと足早に向かった。
コレットの義弟であり、マグノリアとも王都時代からの知り合いであるというのも大きかったのだろう。辺境伯家の人間も、仕事やプライベートで関りがあり、サイモンの人となりを良く知っている。
パウルも然り。
緊急を要する事案の為、有難く協力を受け入れる事にし、荷降ろしをする側から武器が積み入れられて行く。
騎士団の巡視船は、先に偵察と追跡の為に出港する事になった。
斥候に長けた人間を選別してある。
マグノリアの失踪から、厳重な現場の確認と聞き取り、西部駐屯部隊への移動、様々な調整に、既に三時間あまりが経過している。
それでもかなり迅速に動いているといえるだろう。
太陽はだいぶ西に傾き、茜色に輝く空の色に溶ける様に紺碧の空が混じり出した。夕闇には薄く、一番星が光り出している。
「……本格的に暗くなる前に追いつければ良いが……」
宵の闇と同じ色をした瞳を金色に光る海に向けて、クロードは誰にともなく小さく呟いた。
*****
いつになく長時間マグノリアと同調を試み、王都へ飛び。力を使い過ぎたらしいラドリは、倒れ込むようにガイの頭の上で暫しの眠りについた。
いつもは陽気な小鳥が、悲痛な声で呼びかける様は痛々しくもあった。つかの間の休息である。
セルヴェスとクロード、ガイの三人は、西部駐屯部隊の騎士たちと一緒にキャンベル商会の船に乗り込んだ。
全ての武器が積み込まれ船が港を出る頃には、陽は沈み、夜の帳が降り始めた。
無いとは思うものの、拉致は陽動で、戦力が薄くなったところに砂漠の国や他の国の人間が攻め込んでくる可能性もある。
よって万一に備え、クルースを始め各要所と各部隊の警戒を最大限にあげて出港して来た。現在アゼンダ辺境伯領は、騎士達に戦時中と同じ武装指示と警戒指示が出されている。
マグノリアの救出も大事であるが、領民を守る事も大事である。領民が傷つけば誰よりもマグノリアが哀しむであろう。
「周囲への警戒も行いながら、目的の島まで向かいましょう」
そう言うと、パウルとサイモンが頷いた。
「……万一遭遇した場合、マグノリア様の安全を確保後、海上で応戦しますか? 様子を見て島で潰しますか?」
考え込むユーゴの隣で、イーサンが口を開いた。
戦う方法自体は、多分上陸した方がギルモア騎士団の得意に持って行きやすいだろう。
とはいえ、島がどのような状態なのか、どんな設備があるのか。人がどの程度居るのかも把握できない。
「マグノリアの安全が第一だが、島の状態は早急、迅速に確認せねばならんな……」
人身売買の全てがそこに集められているのか、それとも一部なのか。他に不味いものを隠し持っていないのか……
セルヴェスは自らの隼を呼び寄せると、追加の指示をお庭番たちに投げる事にした。
砂漠の国の更なる動向だ。
人身売買と覇権の掌握後の事……国として再建するだけの事なのか。それとも、再びどこぞへ宣戦布告するつもりなのか。
(お互い、利用しているつもりで利用されているだけとも考えられるが……)
宣戦布告をするも、現状で戦うだけの術がないであろう。人も戦力も、全て。
更にはイグニスもだ。砂漠の国との同盟は、大陸で良くは迎え入れられないだろう。
イグニスの王になったところで、大陸でそれ程大きな力があるという国でもない。
(自国の王となるだけの事なのか。本当の狙いを知っておく必要はあるな)
「もう少し状況を整理してからだな」
そうセルヴェスが言ったところで、クロードの鴉が鳴きながら旋回し、腕に降り立った。




