ふたりの女・後編
実際には行われませんが、若干残酷な表記と会話があります。
苦手な方は読まずに回避してください。
【吟遊詩人】
乾いた熱い風が通り抜ける。
ここには何もない。
あるのは砂の海。実らない大地。飢え、貧困、病、絶望。
子ども達は子守唄代わりに、かつての皇帝を奪った悪魔将軍への怒りを聞かされる。
敗戦国へと導いたかの騎士団を。
そしてこの現状に自分達を貶めたギルモア家への恨みとつらみを聞かされて育つ。
豊かさを自分達だけで独占する他国は狡いと言う。
こんな場所に追いやられ、こんな暮らしをしているのはアイツらのせいだと言う。
やられたから、いつかやり返すのだと言う。
沢山の人間が苦境に喘ぐ原因を作った悪を懲らしめるのは、正義だと言う。
怒れ、子ども達よ。
忘れるな、先祖の仇を。
思え、両親の嘆きを。
刻み込め、亡き兄弟の涙を。
正義って何だろうね――争いに正義なんてあるのかな?
仇って、それは自分達も同じじゃないの?
いう事をきかなかった国を滅ぼしたんだって――そんな権利は自分達にだけはあるというの?
昔々のお話。自分達が産まれる前の、それはずっと前の戦いの事。
そして今、自分達の目の前に広がっているのは、現実。
熱くて寒い砂の海。実らない大地。飢え、貧困、病、絶望。
生きて行くのに綺麗ごとも言い訳もないよ。やせ細る家族を前に、今日を生きる糧を得るのに、正義も理由も関係ない。
もう涙は枯れ果てた。
そして、子ども達は生きる為に武器を取る。
少女は砂漠に生きる毒虫を見遣る。
(……水も草もない環境でも、生きてる奴もいるんだね)
足元の小さな毒虫に、生命力の頼もしさを感じる。
刺されない様に気をつけながら、毒を抽出させて貰う。
――彼女の針に塗って使うのだ。
絞れるだけ搾り取って、砂の上に放つ。
毒を再び作り出すまで、せいぜい敵に襲われない様にと祈っておく。
色々なところに潜り込むのに、吟遊詩人はうってつけだ。
何か大きな情報を掴んだら、それを売っても良い。実際情報だけのやり取りと言った仕事もあるものだ。
終戦から十年以上が経ったが、砂漠の国の国政は破綻していた。
内戦に次ぐ内戦で、貧しさは年々深刻化している。
国内の権力者――各部族を治める豪族たちは、それで尚、利権争いに忙しいそうだ。
ピンチはチャンス。
今の内に国内で覇権を取り、自らが皇帝として立つ事を夢見ているのだ。
泥船の様な砂の城の様な国の皇帝になったからといって、どうしようと言うのだろう。
そんな中で砂漠の国の民たちは、貧しい生活を強いられ、その上に流行り病が蔓延して国中の多くの命が儚く散って行った。
少女もその流行り病で家族を全て亡くした。
絶望に終わりはあるのだろうか?
人生の底って何処なのだろう?
同じ様な境遇の人間は溢れ返っている。
当然の様に悪い人間の仲間になるしか生きる道は無いのだが、拾って貰えたのは彼女が魔力持ちだったからだと言えるだろう。
彼女には移動魔法という珍しい魔法が使えた。
彼女の先祖に、ハルティアかアゼンダ公国の人間がいたのだろう。魔法の国・モンテリオーナ聖国の人間と彼らの間に産まれた子供に、魔力持ちが産まれる事はままある。
きっとどちらかの国から奪って来た女性の子孫なのであろうと言う事だったが、詳しくは解らない。
……とはいえここは『秩序の女神』の管轄外。せいぜい数百メートル程移動させるのがやっとだ。重さや大きさによっても異なり、動かす者の比重が大きくなれば大きくなる程移動距離は小さくなる。
だが、盗みを働いて即座に仲間の元へ物品を送り届ける事が出来れば、みつかるリスクも捕まるリスクも少なくなるのだ。
そうやって悪い奴らの間を転々とし、毒の知識を、時に暗器の使い方を。そして潜り込む為の歌や演奏を仕込まれ、程無くして一端の裏の人間に成長したのだった。
吟遊詩人。彼女のもうひとつの職業であり呼び名である。
*******
六年前、大きな商売のルートが潰された。
後ろ暗い商売に違いないのだろうが、目に見えて部族の生活が良くなってきた矢先の事だった。
再び貧しい生活に逆戻りしたところに、再び流行り病が蔓延して、またもや多くの命が儚く散った。
再び彼女と同じ運命を辿る子ども達がいる事だろう。
「毒殺ですか?」
表向き金貸し業を営んでいる男は頷いた。実際のところの正体は何でも屋なのだ。
文字通りの何でも屋。
……それは主に人生の裏道に比重が傾くもの。
片付けると言えばゴミではなく人間で、消すと言えば火ではなく命だ。
「ああ。ギルモアが勘付いて動いているようだ。多分取引は失敗するだろう」
吟遊詩人は何も言わずにじっと男を見た。
「ひとりは状況が良く解っていないイカレた人形野郎だ。ひとりはヤク中。放って置いても問題無いが、万一がある」
口を封じておいた方が良いだろう。そういう事だ。
「解りました」
「本当に忌々しいよ! せっかくアイツらを使って、我が王に妖精姫の中身を献上しようと思っていたのに!」
「……中身?」
怪訝そうな吟遊詩人が、男の言葉を繰り返した。
男はニヤリと嗤う。
「人形師が剥製を作った後の内臓さ。半分を我が王に。半分を悪魔将軍に送りつけてやろうと思っていたのに!」
吟遊詩人は何も言わずに頷いた。腐った話は聞きたくもないので、先を促す。
「今晩、王宮の女官に道案内を頼んである。多分裏庭の警備は手薄になるだろう。この件の『親玉』である人形師、『仲介』である傭兵崩れの薬物中毒者がターゲットだ」
黙って立ち上がると、男に呼び止められる。小さな革袋が差し出された。
「これを道案内の女官長に」
「……礼ですか?」
擦れる音から、中身が数枚の大銀貨だと解る。
再び男が嗤った。
「いや、呼び水だよ。ずっと先のね」
そして六年後。狡猾な何でも屋の男に目をつけられた女官長は、獄中死の片棒を担いだ件で暗に脅され、鍵を数分間だけ男に渡す事になる。
――移動中回廊にちょっとだけ鍵を落とし、直ぐに気付き、無事にみつけて元の場所に戻すというだけである。
男は型取りの皮に強く押し付けると、約束通りすぐさまに返した。
ここから数日、女官長には休みを取って貰いアゼンダに向かって貰う。
数日の猶予を取るのは、なるべく誘拐の足がつかないように慎重に事を運ぶ為だ。
ギルモア家の姫をゆっくりと処理する為に、アジトに連れて行く。その船に姫を運んだら女官長は解放だ。
『ゲート』を戻して貰い、もう二度と彼女の前には現れない事になっている。二度と。
砂漠の国の豪族は再び別のルートを使い、かつての人身売買を再開した。
イグニスが話に乗って来た所で、後ろ盾が出来た。
代わりにイグニスの御仁には、綺麗な朱鷺色の目玉とピンク色の髪を進呈する手筈だ。
……彼の敵勢への贈り物なのだそうだ。
それを見せられた異母弟君は、一体どんな顔をするのだろうか。
丸々でない所がなかなか意地が悪い。
くり抜かれた身体は、欲しければ我が王へ。要らなければアゼンダの海岸にでも置いて差し上げれば良いであろう。
吟遊詩人には、大量の魔石を用意してある。ふたりでの移動とはいえ、数時間後にはアゼンダに着くであろう。
男はゲートを使い消えた吟遊詩人と女官長を見送って、自らは馬車に乗り込む事にした。
吟遊詩人はギルモア家の姫の行動を確認する為、数年前から怪しくない程度に入り込み、観察を続けた。
足が付きにくいよう敢えて屋敷や騎士団は避け、街中のマグノリアを観察する。
……数年見続け、とても素晴らしいお嬢様だと思った。
貴族の中でもとびっきりの家に生まれたにもかかわらず、偉ぶった所は無いし、民の為に尽力している様子が見えた。吟遊詩人は彼女に対して悪意などこれっぽっちもない。
こんな子をつけ狙うなんて理不尽だと思う。
理不尽。
そう、人生はいつだって理不尽で不条理だ。
世の中の人間がどう思うかは解らないが、女官長が特別極悪人と言う訳ではないだろうと吟遊詩人は思っている。
寧ろ普通の人よりも家族の為に頑張った、家族想いの人だ。自らを犠牲にしてそこまで尽くせる人はなかなか居ないとすら思う。大体普段綺麗ごとを言っている人間の方が、いざという時の変わり身は早い。
……もっと違う家に生まれたなら。きっと彼女は悪事に手を染めず、幸せに過ごせただろうに。
自分だってそうだ。
違う国の違う人間に産まれたなら、慎ましくも平凡に過ごせた事だろう。
勿論、やった事を正当化する訳ではない。
どうあがいても、自分は人殺しだと言う事は紛れもない事実で。
あの善良で活発なお姫様も、ギルモア家に生まれてしまったのが運のつき。……勝手に過去のあれこれの為に、命を刈り取られようとしているのだ。
理不尽以外の何ものでもない。
そして、ついにチャンスがやって来た。
お姫様は週に一度位の割合で、自らの侍女の家に遊びに来る。
四方八方に騎士団の屈強な護衛がおり、わざわざ剣を交えるのはどう考えても避けた方が良いだろう。
屋敷――領主館には結界が張られ侵入が面倒なので、街中で攫う予定だ。
毎日、侍女の家の近くで歌を歌う。もの哀しい郷愁の調べ。
規格外な護衛がお姫様から離れた。
数百メートル。この程度なら自分ひとり、魔道具を使わずとも移動出来るであろう。
お姫様の後ろに移動し、振り向ききらない内に薬を嗅がせる。そのまま片腕で崩れた身体を抱え込み、右手を掲げた。
(……急げ!)
『開門!』
瞳を開けば、馬車の中だった。
のんびりとしたアゼンダの長閑な風景が窓の外に広がっている……計算通り、数キロ先に用意して置いた馬車の中に移動出来たのだ。
急いで荷物の間にお姫様を隠し、外から見えない様に細工をする。焦らずともほんの数秒で検問は始まらないであろうが。
話に聞いていた『居場所を追跡する為の魔道具』と、『爆弾の魔道具』を無効化する為、魔力を抜いてゲートに充填して行く。宝石のような色合いの石が、みるみる薄灰色に変色していった。
この魔力は有難く使わせていただくとしよう。
不自然でない程度に馬車を飛ばし、クルースの手前数キロのところで再びゲートを使う事にしてある。
人を抱えて船に乗り込むのは目立つ為だ。
クルースと所縁があるお姫様だ。誰かに目撃されたら直ぐに怪しまれる事だろう。
馬車を片付ける為に待っていた同業者に頷くと、再び魔道具を右手に掲げた。
光の残渣がキラキラと輝く中瞳を開けば、船の上。
強張った顔の女官長が吟遊詩人を見つめていた。
そして。お姫様ことマグノリアを監禁し、船は静かに出港した。
帝国を経由し、イグニスに向かう事になっている商船。
――実際は帝国近くの無人島にあるアジトに行く事になっている。
「余り明るいと危険ですので、暗くなったら移動しましょう」
本来は直ぐにゲートを返却する必要はない。
押収した魔道具を使う事は倫理上ありえないし、未だかつてそんな人間はいなかった。
魔道具の確認の為に中を確認するのは年末の虫干しの時位だろうから、まず無くなっている事を誰かに知られる事は無い。元々宝物庫に人が入る事も少ないので尚更だ。
それでも急ぐのは、万が一にも拉致誘拐が女官長に関わるものではないとする為だ。
拉致に過去の遺物が使われたとは思わせない為。
アゼンダと王都は急いでも馬車で三日は掛かる。
明日、予定通り王宮に出勤すれば、アゼンダで攫われたマグノリアの事件と女官長を結びつけて考える人間はまずいないだろうと、金貸し兼何でも屋の男が言った。
「あの子はどうなるの?」
「……さあ。私には解りません」
怯えたように確認する女官長に、吟遊詩人は首を振った。
何も、わざわざ本当の事を言って怖がらせる必要も無い。
吟遊詩人は、赤い夕陽が沈む金色に揺れる海を見て、故郷の砂漠のようだと思った。
******
再び魔道具を掲げ、宝物庫に移動する。
空間移動の際はいつもめまいを起こす。今日はもう何度も行っている為に、より酷いと言える。
……くらりとしている瞳を開けようとして、多数の殺気立った気配がある事に気付き瞳を見開いた。
(何故!?)
女官長と引き離される。
取り押さえられ、身体を床に押し付けられている女官長に向かって毒針を投げた。
瞳を凍らせたように瞠った女官長の表情が見える。
裏切られたと思ったのだろう。違う。ある種の憐憫だ。
――確かに何でも屋の男には、宝物庫で殺して自害したように見せろと依頼されていた。
自分達に少しも疑惑の目が向かない様に、女官長に罪をなすりつける為に。
『万が一にも拉致誘拐が女官長に関わるものではないとする為』だなんて、真っ赤な嘘だ。彼女を安心させる為の、何でも屋の男の常套句。
毒にも素養がある女官長は借金の資金繰りの事もあり、六年前の獄中死の件で裏社会の人間に雇われ手を下したのではないかと、容疑者のひとりとして名前が挙がっていたのを男は知っていた。
もしかしたら、初めからその為の人選だったのかもしれないとすら思う。
加えて女官長はギルモア家のお姫様に対して、余り良い感情を持っていない。
ただの貴族の女が全て自分でやったとするのは無理があるだろう。
だから、彼らが考える筋書きにある程度乗っかるのだ。
――自分達に都合が悪い事がバレる事を恐れた人形師達に関りのある人間から、金で毒殺するよう依頼を受け、手を下した。
家族が作った借金を返す為奔走していた女官長は、その話に乗るしかなかったのである。
だが、良心の呵責に苛まれる事になり……その原因になったマグノリアを恨む様になる。
元々好まない上、自分が持たないものをすべて持つ少女に、いつしか強い憎しみを持つようになったのだ。
宝物庫の鍵の管理者でもある女官長は、ある日、とうとう保管されている魔道具に手を伸ばしてしまう。
魔石を使い必死に移動し、マグノリアを拉致。そして殺した。
だが、急に途轍もない後悔に押しつぶされる事になる。
バレないように魔道具を戻しながら、衝動的に自死を選ぶ――そんな、三流小説のような筋書きだ。
だが吟遊詩人が彼女を殺そうとしたのは、せめてもの憐憫の為だ。
今後、厳しい取り調べを受けるばかりか、かなりきつい責めを受ける事だろう。苦労しているとはいえ、普通の貴族女性が耐えられるだろうか?
ましてや、彼女は家族に間違いなく捨てられるのだ。確実に。
……いくら助けたところで、彼女を助けてはくれないのだ。
そんな酷い現実を、今更彼女が見る必要も知る必要も無いだろうに。
体勢を崩しながらも、針は女官長の皮膚を掠った。手の甲に赤い線が走る。
だが苦しむ間もなく、すぐさま解毒薬が投与された。ジェラルドである。
そして。やはり床に押し付けられた吟遊詩人に向かって、ジェラルドは口を開いた。
「……あっさり死なせると思うか?」
答えを待たずに猿ぐつわを噛ませられた。自死しない為だ。手は後ろ手に縛られ、魔法を封じる為の魔道具がつけられる――逃走防止の為に。
正義感溢れる騎士の誰かに強く押さえつけられ、高潔な兵士の誰かから罵声を浴びせられた。
無抵抗な吟遊詩人の華奢な身体は、ミシリと音をたてた。
暗い筈の宝物庫が、煌々と光っている。
その眩しい光を見て、故郷の照り付ける太陽を思い出す。
吟遊詩人はこの仕事が終わったら、王都を抜け旅に出るつもりだった。
彼女は人殺しではあるが、別に楽しくてしている訳じゃない。
いろいろとやるせなく、暫く、裏の世界から離れたかったのだ。
ただの吟遊詩人として、旅してまわる。
贖罪と後悔を綯い交ぜにしながら歩き、弔いの鎮魂歌を歌う。
偽善に自己満足。何と言われても良い。実際にそうでしかないのだから。
だって、人は弱くて汚くて狡いから。
――吟遊詩人は自分をそういう人間だと理解している。
何処かで秩序の女神が嗤った気がした。
人が人を死に至らしめるのは、『秩序』の範疇外よ、と言って。
※大銀貨→1枚約10万円




