嵐の誕生日・中編
そんな頃、城の廊下を伝令を受け取ったジェラルドが走っていた。
(この前家に入り込んでいた『ネズミ』はもしやガイか……周辺国を調べていると聞いたが。それにしても随分動きが早いな? 今、父上は領地に居る筈……王都に来ていたのか?)
まさか六十を超え、二日間ほぼぶっ通しで馬を走らせて来たとは思うまい。
――体力的に不可能ではないのは充分知っているが。
よもや顔も知らぬ孫娘の為に、そこまでするとは思ってもいない。
今日はギルモア家では普通の一日の筈だった。
ジェラルドは城に。ウィステリアは友人宅のお茶会へ。
ブライアンは最近出入りが許可された、騎士団の練習場に。
厩舎へ行き、馬を借りる。
慣れた様子でひらり飛び乗ると、軽快にわき腹を蹴って屋敷へと走り出した。
お茶の用意がサロンに運ばれ、祖父と叔父と幼女が穏やかに会話をしている。
内容は余り和やかでは無いが。
花の国の名前通り一年中花で溢れるこの国では、庭が良く見える様に部屋を作る事が多い。
ギルモア家のサロンからも見頃の秋バラを始め、パンジーやビオラ、オキザリス、ケイトウ、撫子、プリムラにスイートアリッサム……と、色とりどりの花が緑の中に溢れていた。
「マグノリアは普段何をしているのだ?」
「しょうでしゅね……、軟禁しゃれていりゅので大体部屋で刺繍をちてましゅ」
「「軟禁……」」
平然と紡がれた言葉を大人二人が繰り返す。
「確かにお嬢の部屋の扉だけ、べらぼうに重いっすもんねぇ」
「多分、一人で自由にでりぇない様にでしゅよ。事じちゅ確認はちてないけど、他の部屋は開けりぇましゅもん。わざわざ手間とおかにぇが込んでましゅ」
「…………」
セルヴェスとクロードの後ろに控えるガイだが、ちょいちょい掛け合い漫才のようなマグノリアの会話を聞く度、クロードは内容に苦い顔をする。
「……刺繍、好きなのか?」
「いえ、じぇんじぇん。先々にょ為の訓練(あと収入源)でしゅね~」
「それは偉いな! ちゃんと先を考えているのだなぁ」
セルヴェスは見た目はともかく好々爺と化している。
「後、ライラ……侍女しゃんに教わって、鍛錬を始めまちた」
「その、鎚鉾っ、すよね……?ぐふぅ……」
腰に括られた鎚鉾を指さすと、途中変な音が漏れるガイに、マグノリアは小さく頬を膨らます。
「ライラ……?」
何か引っかかったのかクロードが確認すると、こっくり頷き壁際に控えるライラを見遣る。
アゼンダの三人組も視線を辿る。
部屋には数人の使用人が給仕やら様々な仕事の為壁際に控えている。
視線の先には栗毛の、良家の子女らしい侍女が佇んでいた。
「……ああ。『切り裂きライラ』か……何故ここに?」
クロードの発した物騒な二つ名に、危うくマグノリアはお茶を噴き出しそうになる。
(『切り裂きライラ』!? 何それ、コワい呼び名なんですけど!!)
セルヴェスは思い出したように呟く。
「バーナード子爵の娘御か。……確か東狼侯のところで騎士になるんじゃなかったか?」
ライラは自分の名が挙がり、一歩前へ出て礼を取る。
「……侍女の身故、ご挨拶が遅れ失礼いたしました。バーナード子爵が娘、ライラでございます。マグノリア様のお世話のお手伝いをさせて頂いております。以後お見知りおきを」
「ライラは婚姻が決まって、春に結婚しゅるのでしゅ」
「はい。学院時代はペルヴォンシュ侯爵様の下へ参ずる予定でおりましたが、父が縁談を纏めまして……」
「そうか。折角の人材を東狼侯も残念じゃな。しかし、婚姻が纏まり、おめでとう」
「ありがとうございます」
ライラは穏やかに笑うと、頭を下げ、再び壁に控えた。
ガイが小声で教えてくれる。
「ライラさんは学院時代に街で悪人を捕まえて。お役人に引き渡したら犯人が抵抗したんで、持ってる武器で服をズタズタに切り裂いたから『切り裂きライラ』って呼ばれてるんすよ」
(ズタズタ……)
……淑女以外の何ものでも無い雰囲気なのに……
人とは解らないものである。
服で良かったというべきなのか。
軍部で有名人なんすよ、と付け加えられ、役人の前で引き裂けば、そりゃそうでしょうねとしか思えなかった。
……そんな雑念を断ち切るかの様に、遠くから急ぐ蹄の音が聞こえてくる。
「……帰って来おった様だな」
セルヴェスの声に、クロードとガイが小さく頷き返す。
(さっき出て行ったのは親父さんに知らせる為か……)
何だろう。これはもしかしなくても揉め事の予感だろうか。
(……私か?)
私の境遇をガイに聞いて、もしや改善の為に乗り込んできたのか。
なんだかムズムズする気持ちに蓋をして、どう対応するのが良いものか、高速で頭を回転させる。
目の前の彼等の人間性も目的も、解らないことだらけだ。
仮にガイに聞いたとして、何故ここに来ることにしたのか。
それに、実際面と向かって親父さんに理由を聞いた訳でも無い。
(……考えたってわかんないよねぇ。そんな時は出たとこ勝負っしょ!)
臨機応変に、女は度胸だ!
冷めたお茶をぐいーーっと一気に飲み干すと、むん!と鼻息を吐いた。
ジェラルドが屋敷のアプローチを駆け抜け玄関前に降り立つと、顔色を悪くした家令が待っていた。
「父上はどちらに?」
「サロンに……クロード様とガイ、マグノリア様といらっしゃいます」
頷くと家令へ手袋を渡し、大股でサロンへ向かう。
(さて、どう出るのか)
……出来れば知られる前に全てを片づけておきたかったが、仕方ない。
ジェラルドがサロンの扉を開くと、意外にも和やかな雰囲気で小さなお茶会が開かれていた。
久々に見るマグノリアの腕には、何故か干し肉がたんまりと乗せられていたが。
「よう、ジェラルド。久し振りだな」
大きなセルヴェスが小さい(普通の大きさだが)カップでお茶を飲む姿は、珍妙にも感じるが誰も気にしていないらしい。
「お久し振りです、父上。……いらっしゃるなら先触れを出して頂けるとありがたいのですが? 辺境伯をお迎えするのに家の者の支度もありますし、予定があります故」
言いながら弟であるクロードを観察する。この場は口出しする気は無いらしく、いつもの様に静かに成り行きを見守るに徹している様だ。
「いや、何」
言ったと思いきや。
一瞬の内に、大きな身体がどうしたらそんなに速く動くのかわからない速さでジェラルドに寄ると、高い金属音が部屋に響いた。
「……ほう。腕は鈍ってないみたいだな?」
「……お人が悪いですね。通常、邸内で抜剣は禁止ですよ?」
ニヤリと笑うセルヴェスが覆いかぶさるように剣を押し付け、ジェラルドは何処かに隠していたらしい仕込み杖でその重い剣を受け止めていた。
(……何、この親子? じい様も大概だけど、親父さんも存外すげぇな……)
全くふたりの動きが見えなかったマグノリアは、心の中、すっかり前世の口調で独り言ちた。
親父さんが武闘派だというのは誇張ではないらしい。
若い使用人は息を詰めて固まっている。
そりゃあそうだろう。
偉い人ともっと偉い人がいきなりの刃傷沙汰を、部屋の中、自分の目の前で始められたら引く。かなり引く。
張り詰めた空気の中、セルヴェスは剣を鞘に収めると、ポン、とジェラルドの肩に手をのせた。
「……本気で話し合いを……謝罪をしなければと思ってな」
「普通、話し合いや謝罪の前に切りかかったら決裂しますよ?」
「いやぁ、普通、死んじゃいやすよね!」
ガイが空気を読まずに割って入ると、ジェラルドとクロードが渋い顔で奴を見る。
……あいつは少し怒られた方が良いと思う。
セルヴェスは何てことない様子でさっきまでマグノリアが座っていた場所に座ると、孫娘を手招きした。
マグノリアは素直に祖父の隣に座っておく。寄らば大樹の陰だ。
「……謝罪とは?」
セルヴェスの正面の席に着くと、ため息交じりに父に問うた。
おおぅ。個人の部屋でなく、ここで始めるのですね?
「後目と移領の件だ」
「今更ですか?もう十年前で……」
「今更でもだ」
被せる様に発せられた言葉に、ジェラルドは視線で先を促す。
「お前にギルモアを継がせたのは、お前が名乗るにふさわしいと思ったからだ。他意は無い。儂が上手く伝えられなかった故、お前を深く傷つけた事、心より謝る。本当に申し訳なかった」
深く頭を下げる。
ここまで素直に、そして頭を垂れる父の姿に内心ぎょっとしつつ、ジェラルドは誰にも気づかれない様に小さく息を飲んだ。
「言葉が足りなかったのは儂の傲りだ。小さい時分から家族、家門、領民の為に良く尽くしてくれた。今更だが礼を言う。本当にありがとう。……そして不安な、淋しい、迷う気持ちをわかってやれず済まなかった」
「……謝れば許されると?」
ジェラルドの言葉に壁に控えている使用人全員が驚いて目を見開いた。
当然の様に、受け入れると思ったのだろう。
――声を誰も漏らさなかったのは流石というべきか。
アスカルド王国で家長の言葉は重い。
今は同じ領主同士ではあるものの、実際彼らは親子である。
何処か当然の様に、セルヴェスが頭を下げたなら許されるべしと思っていたのだろう事が窺える。
しかし、この程度で受け入れる位ならここまで事態は深刻化していなかっただろうと、セルヴェスだけでなく、クロードもマグノリアも、そしてガイも思う。
それに、人の気持ちというのは謝られたからといって、それが正しいからと思ったとして、はいそうですかと飲み込めるようには出来ていない。
「いいや。許して貰う為に謝るのではない。悪い事をしたから謝る。謝らねばならぬから謝るのだ」
「…………」
真意を測りかねる様に、ジェラルドは注意深く自分の父をみつめた。
セルヴェスは、息子の長年にわたる気持ちのわだかまりを軽くするには……彼の中の満たされない小さな子どもに、どう言えば伝わるのか考える。
親としてしてやれることはそう多くない。ましてやもう大人。手を貸すような事も無いであろう。
かと言って何か小細工をするつもりは無い。きちんと全てを広げ見せる必要がある。
「領地をひとつとしなかったのは、アゼンダをアゼンダのまま、彼の地に返したかったからだ」
「返す?」
セルヴェスは、どう説明すれば理解されやすいかを考える。いや、理解されなかったとしても、理由をきちんと伝えなければ。
……賢い息子であれば、自分の拙い説明でも意を汲んでくれるではあろうが、万が一にも再び違って受け取られてしまう事は避けたいと思っていた。
「確かに公爵となるのも避けたかったのも本心だが、それよりもアゼンダを変えたくなかったのだ」
ジェラルドは怪訝そうな表情で小さく頷く。
「アゼンダ公国の歴史は知っての通り、昔より周辺国の緩衝国となって来た。約二十年ほど前に砂漠の国と幾つかの小国の連合軍に攻め入られ、占拠されてしまったが」
「国境を接する我が国が介入して奪還したのですね?」
歴史書をなぞるようにジェラルドが相槌を打つ。
「うむ。酷い有様だった。しかしそれまでも時の権力者や時勢に左右されながら、アゼンダの民は長い時を、いかなる時も我慢強く生きて来たのだ。儂はその姿に敬意を持っている。儂が……いや、ギルモアが一時的に守護したとしても、いつか民のもとにそのまま返せれば良いと思っている」
「――お偉方が当時検討していた領地の引き直しは、後々返還する時に新たな問題や遺恨を残しかねないから避けたかった、と?」
「そうだ」
ジェラルドは髪よりやや濃い色合いの睫毛を伏せて何やら考えている。
新しい領地に線引きを変えてしまえば、元に戻すのは色々と困難になる。人も移動すれば、様々なものが変化するのが摂理だからだ。
「……なぜ当時それをおっしゃらなかったのです?」
「……言ってもそんな事と普通は理解されまい? それに当時、周囲から不要な詮索を避ける為力を分散する形にもしたかった」
「詮索……?」
セルヴェスは当時を思い出すかのように遠くを見る。
「アゼンダを得、陞爵されるとなると、当家が必要以上に力を付けることになる。それを良しとしない人間がありもしない噂を声高々に主張していたのだ。……もう一つ、公国大公家の人間が生きており、その勢力と組んで事を起こそうとしていると見做す人間も少なからずいたのだ」
ジェラルドは当時を振り返る。陞爵を言い出したのは先王であり、場所の指定も王家が行った筈。
……まあ、そう思わない人間も居ると言う事だろう。人間は見たいように物事を見る生き物だ。
「……大公家の方々は皆亡くなったのですよね? それとも本当はご存命なのですか?」
「人間、大きな力は怖いものなのだよ。あっても無くても、目に見えなければ余計にな。時代も時代だ。皆、疑心暗鬼だった」
「…………」
マグノリアは、納得しきれない顔の父親と、哀しい瞳で、誠実に対応しようとする祖父が対峙しているのを瞳に映しながら考える。
ジェラルドについては、理由が不当であれ正当であれ、凝り固まった気持ちはすぐに納得できるというものではないだろう。
正式に謝罪され、今後どうするのかは彼が決める事だ。
――一般的には丸く収まるのが良いのだろうが、心は自由だ。許せないなら無理に許さないでも良いのだ。
セルヴェスがジェラルドをギルモア家の当主に指名したのは、能力も資質も問題無いからがひとつ。
力不足どころか、彼こそが当主と決めていたようだ。
公爵家に陞爵されたくないため、領地を分けたのがひとつ。
小国とは言え一国と、広大なギルモア領と同じ規模の領地が合併した場合、広大な領土となる。王の信頼も篤い。まして独自の戦力も持っている家門だ。
国の中でギルモア家の権力集中を懸念した人たちや、独立ないしクーデター的なものを画策していると想像していた人たちが居た為、領地を離して分散しているように見せたかったという事。
そんなんで見せかけられるのかは不明だが。焼け石に水とは言え、他に方法もなかったのであろう。
もうひとつはアゼンダ公国をいつか元の公国に戻したいが為。
長い間耐え忍んだかの国の人々を思い、将来的に元の国に戻せるようにしておきたいから、そのままの形で維持したかったと言う事だ。
ただ、普通そんな考えは理解されない。
領地や家門を盛り立てることを考えるのが領主の仕事だ。
元に戻したいから、と説明しても理解されないばかりか、ヘタをすると弐心を抱いているように捉えられかねないので上手く説明出来なかったと言ったところか。
それ以外に言えない事があるのか、全てなのかは解らないけど。セルヴェスなりに精一杯の説明なのは真摯な対応から解った。
「儂がしてしまった事、足りなかった事についてはこれからも謝るつもりだ。だが」
続く言葉に、ジェラルドは剣呑な瞳を向ける。
「マグノリアにお前がしていることは許容出来ん」
「結局お説教ですか?」
ジェラルドは鼻で笑う様に言い捨てる。
「そうではない。お前なりに何か理由があり考えて行った事なのだろうが、理解の範疇を超えている」
「子の処遇を決めるのは親の筈ですが」
「そうだが、子に何をしても良いと言う訳ではない。その子を守り、幸せになるような道筋を整えるのが親の役目ではないのか?」
「マグノリアが不幸だと?」
「傍目にはそう見えるだろう。じゃあお前は、あるべき名を与えられず、披露目もされず、食事すら一緒に取る事も無い。家族誰とも触れ合わずに、閉じ込められて暮らす生活が幸せだと?」
静かに応戦は続く。
「勝手に瑕疵をつけられ修道院に入れ、その後どうするつもりなのだ? それがマグノリアの幸せになると?」
「王家に使い捨てられるより良いでしょう。それどころか……」
何かを言いかけて、ジェラルドは口を噤んだ。
セルヴェスは問いかけるようにジェラルドを見たが、握りしめられた息子の拳を見つめ、再び口を開いた。
「……お前が王家に何を思おうと構わん。だが、如何なる理由があろうとも、マグノリアへの対応は間違っている」
「言えた義理なのですか?」
二人の視線は厳しいものだ。
声を荒げないのに、部屋の空気の密度が濃くなるように息苦しさを感じる。
「間違えたからこそだ。そして家族が間違った選択をするのなら、諫めるのもまた家族故」
セルヴェスは小さく息を吐く。
「お前は、後悔してもしきれなくなるぞ。『ギルモアの中のギルモア』であるジェラルドよ。だが今の護りはギルモアに非ず!ギルモアとは、常に自らが守護する者の楯になる者の事だ」




