魔力残渣とガイの過去
ガイは再びリリーの家の扉をノックした。
今度は真剣な顔をしたリリーが、エリカを抱いて立っていた。
騒がしい建物の様子を感じ取っているのだろう。
ガイも至極真面目な顔をして頷いた。
「……リリーさん、お嬢が消えやした。建物内でいなくなったんで、大掛かりな騎士団の捜査が入ると思いやす」
「……居なくなった?」
リリーはかすれたような声で、小さく囁いた。
「はい。忽然と。……賊の可能性がありやす。住人に万が一の事があっちゃいけないので一時、要塞に移って貰うつもりっす」
「……解りました。今、荷物の用意をします」
頷いて、自分と娘の荷物を手早く用意する為に部屋を移動する。
不思議そうに瞳を瞬かせながら、エリカがリリーの顔を見ていた。
(消えたって……マグノリア様、どうされたのですか……)
「……う~、あぁ。んあ!」
ご機嫌なエリカの声が、しんとした部屋に響く。
「お待たせしました」
ややあって、張り詰めた顔のリリーを見て、ガイが小さく何度も頷いた。
「荷物、持つっす……要塞よりも館へ行きやしょう。あっちの方が、みんなも居て……エリカの面倒を見てくれる婆ぁ達も居やすからね」
全くもってガイらしくない作り笑いに、リリーは静かに頷いた。
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ガイはリリーが荷物を纏めている間に、階段近くの廊下をあちこち見て回っていた。
通気口も見てみたが、人が通ったような形跡はない。
そして再び扉の前に立つ。
それ程広くもない廊下。そして階段と踊り場。
踊り場の壁に窓はあるが、もしもここから出入りしたのだとしたら護衛をしている騎士が見つける事だろう。
窓から身を乗り出し、屋上や左右飛び移れそうなものを確認するが、これといってそれらしきものは見当たらない。
――ここから馬車まで戻り、再び三階へ上がって来るまで五分もかかっていないだろう。ガイも姿を目撃していない。
(……腕力のある男が連れ去ったとして、お嬢を抱えて一階へ降り、自分にも騎士達にも見つからないで、どうやって連れ去る?)
リリーを始め、住人たちの様子に嘘は見受けられない。人間はどんなに上手く嘘をつこうとしても、何処かに違和感が生じるものなのだ。
長い裏稼業で身につけた勘が、どうも違うと言っている。
(ならどうやって?)
「……魔法?」
そう呟くと、ポケットから魔道具を取り出し魔法陣を展開させる。
手のひらに乗せた親指の爪ほどの研磨された魔石からは大きく光が広がって、空中に魔法陣が描かれた。
青、緑、黄色。そして橙に赤と変わり、紫に。
魔法陣は中の文字と記号、複雑な文様とをくるくると回転させながら光り輝く。
白く輝いたと思いきや光が弾けるように広がっては、そこら辺一帯に沁み込んで行くように消えた。
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ガイはどこから流れて来たのか解らない、移民の子どもだ。
物心がつく前の事なので自分では覚えていないが、魔力持ちで気味が悪かったのだろう。アスカルド王国のとある孤児院の前に捨てられていたのだそうだ。
移民だと思われるのは当時着ていた服装から判断したと、孤児院の大人から言われた。なので何処の誰なのか、本当のところは何も解らない。
せっかく拾って貰った孤児院でも遠巻きにされて浮き上がっており、居心地が悪いので物心つく頃に脱走し、生きて行く為に悪い奴らの仲間になった。
なかなか覚えが良く、自己流の火魔法を使えたガイは重宝したのだろう。程無くして大人に混じって裏の仕事をするようになる。
子どもとは思えない腕前に、一目置かれるようになるのはそう掛からなかった。
しかし上には上がいるものだ。
裏の仕事を始めて五年ほどたったある日、ガイは仕事をしくじった。
相手は砂漠の国出身の人間で、裏社会ではそこそこ有名な奴だった。
子どもの癖に鼻持ちならない様子に腹が立ったのだろう。鼻っ柱を折ってやろうと思ったのか、いたぶる様に遊ばれて負けた。
ズタボロになって路地裏に伸びていたのは、十一歳になったばかりの冬だった。
そこからは良くあるパターンだ。
戦争孤児や荒れた子どもを孤児院で過ごさせる為に定期的に見回っていた、若きセルヴェスに声を掛けられる。
再び辛気臭い孤児院に逆戻りなんかするもんかと、いきなりナイフを突きつけたガイに一瞬だけあの茶色い瞳を丸くすると、にやりと笑ってナイフを握ったままの腕を上に引っ張り上げられた。
「……くっ!」
「痛いか? コイツが刺さったらもっと痛いぞ? ……『ごめんなさい』は?」
睨みつけるガイに、ふうん、と言って笑った。
「俺はセルヴェス。お前は?」
尚も睨みつけるガイを見て、セルヴェスは楽しそうに笑う。
「根性はあるって訳か。だがこんなところに寝っ転がってると凍死するぞ。どうせ行くところは無いんだろう? よし、お前、俺ん家に来いよ」
そう言うと、ガイを地面におろした。
腕を捕まれたまま再び暴れると、ドスっと鳩尾に拳を入れられる。
「……ぐっ!?」
空きっ腹で怪我をしているところにだ。大人しくするようにとの事だが、口で言っても通じないと思ったのだろう。言うより早いし確実だから、そういう輩に実力行使は良くある事だ。
チカチカする視界を霧散させるよう頭を振って、なけなしの力を振り絞ってナイフを振り上げると、簡単に手刀で叩き落とされた。
この辺で戦意喪失である。
なぜかと言えば、本人は軽く叩いたつもりだろうが――肋骨と腕が折られていたからだ。激痛なんてものじゃない。
ギルモア家のタウンハウスでは丁寧に扱われ、医師の治療を受けた。
セルヴェスには何度も謝られた。本当に軽~く触っただけだったそうだ。信じらんねぇと子どもの時分は思ったものだ……が、多分本当に軽く叩いた程度だったのだろうと、今では長年の付き合いで思う。
大きな身体を折り曲げて、貴族の癖に移民の孤児に何度も頭を下げるセルヴェスを見て、ガイは、もしかしたらこの人は、信じてみても良いのかもしれないと思ったのだった。
そのまま屋敷でお庭番の訓練を受け、今に至る。
調理場や厩舎など他の仕事もあると言われたが、今までの経験から自分に適性があると思った為、自らの意志でお庭番を選んだのだった。
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「……残渣あり。魔道具で連れ去ったのか?」
苦々しくガイが呟く。
魔力持ちは基本、モンテリオーナ聖国にしかいない。
ただ、モンテリオーナ聖国の流れを汲む人間には、魔力を持つ者も稀にいるのだ。
魔力は凄いと思われがちだが――この世界の魔法や魔力は案外使い勝手が悪い。
基本、魔力はモンテリオーナ聖国の中でしか上手く作用しないのだ。
それは、秩序の女神の加護だから。
本来の能力で十の魔力があったとして、別の国では二割位の魔力しか発揮されない。いや、もしかしたらもっと少ないかもしれない。
そして、攻撃魔法はご法度。なぜかと言えば、魔法が使えない人間が多数の世界に、魔力持ち――魔法使いや魔術師が攻撃したらどうなるかは、火をみるよりも明らかだろう。
かつて神話の時代、秩序の女神と婚姻したモンテリオーナの王は、むやみに悪意による使用をしない事や魔力を得る代わりに人を傷つけない事を始めとした誓約を結んで、魔力持ち……いわゆる『魔法使い』になったのだそうだ。
世の理や元素といった様々な『秩序』を元に展開されるらしい魔法や魔術は、それを使う魔力持ちの『秩序』を持って使用が可能となっている。
秩序の女神の加護の外になる場所では、魔力はかなり少なくなる。
更に、秩序を破れば待っているのは罰だ。信じられない事に全て、秩序の女神の『秩序』の上で判断されているのだという。
特に、人をむやみに傷つけたり命を奪うといった行為は、自らもそれ相応の代償を持って償われる事になる。
なので攻撃魔法は基本は使われない。魔力持ちが自分や誰かの身を守る為に特化して使うのは許されるが、いたずらに攻撃をするのはタブーなのだ。
……魔力のない人間が使う魔道具に関しては、若干抜け道があるとも言えるが……邪心から使うと発動しないと言われている。
魔道具の製作には魔力が必須であり、材料も魔力を帯びているモンテリオーナ聖国のものが使われている。そして全てモンテリオーナ聖国で作られている。
……魔法ギルドの者など、魔道具に精通した人間なら多少回路をいじって改造する事は可能だが、し過ぎると壊れるようにもなっている。
そういう訳でモンテリオーナ聖国は、大戦中唯一戦争をしなかった国である。信じられない程の膨大な魔力で強力な結界を作り、他国からの侵入や攻撃を防いでいたのだという。
そして現在も、唯一の永世中立国として存在している。
だからと言うのもおかしいが、モンテリオーナ聖国の人間は殆どが自国民と婚姻を結ぶ。
だが国境を隣していたアゼンダ公国とハルティア王国とは、過去、幾つか婚姻があったと聞く。
そしてその二国は、砂漠の国に蹂躙の限りを尽くされた国でもある。
――多分、砂漠の国やその関係国に連れ去られた女性も沢山いた事であろう。
砂漠の国と国交が無い今、はっきりした事は解らないが。
連れ去られた女性との間に産まれた、魔力を持った混血の人間がいたとしても何もおかしい事は無い。
勿論、魔石を使えば魔力持ちでなくても魔道具を起動する事は出来るだろう。
冷蔵の魔道具などの生活道具を始め、マグノリアの髪飾り爆弾やGPSブローチ、クロードの持つ様々な魔道具など。
ちなみにどういう仕組みなのかガイには全く解らないが、武器になりうるものを悪意を持って使った場合は、起動しない様に作られている上、死なない威力に抑えられているそうだ。
戦争利用されないよう、ひとつひとつに特別な魔術を施すらしく……そんな訳で物凄く高価なものとなるのだ。
(魔法が使われているなら、拘束か移動に使われたのか……)
姿を目撃されていない事から、きっと移動に使ったのだろう。
移動魔法は高度な魔法で魔力も大きく消費する為、一度に沢山の距離を移動する事は出来ない筈だ。
魔道具で使うにしても、とんでもない量の魔石を使う事になる。
この辺も、魔法や魔術が使い勝手が悪い要因だ。
多分使用者は、自力で魔力を充填できる魔力持ちであろう。
ガイはため息をついて、もう荷造りも終えるだろう、リリーの元へ戻る事にした。




