消えたマグノリア
本日より第九章が始まります。
今章も、どうぞよろしくお願いいたします(*^-^*)
まだ寒さが残る初春の頃、リリーの赤ちゃんが誕生した。
栗色の髪が綺麗な、小さな可愛い女の子だった。
リリーの出産は上を下への大騒ぎとなったのだが、それはまたの機会にお話しする事にしよう。
何はともあれ。母子ともに健康に誕生したリリーと不憫な護衛騎士の愛娘は、『エリカ』と名付けられた。
護衛騎士の実家のある領地では、野原一面にエリカの花が咲くという。
地球では別名ヒースとも呼ばれていて、小さな花を木の枝いっぱいに咲かせる姿で知られている。
ピンクの花のイメージが強いエリカだが、思ったよりも色とりどりだ。
意外に花色は多く、白、赤、紫、黄色にオレンジとある。
可憐で愛らしいが荒野に咲く花でもあり、力強さを感じさせる花。
素朴で愛らしくて忍耐強い、彼ららしい名前だと思った。
産後暫く経ちすっかり体調が戻ったリリーの元へ、マグノリアは週一位のペースで通っている。
早く仕事に復帰するのだと言っていたリリーだが、卒乳まではゆっくりした方が良いのではないかと説得したのだ。
若い頃は良いけど、無理をすると年を取ってから身体にガタが来るのだと、地球の誰かが言っていたのだ。
身内絶対大事マンなマグノリアは、鼻息荒く産後の肥立ちについて説明したのである。
経産婦じゃないどころか、未婚だけどね!
リリーの母親も護衛騎士の母親も自宅へ戻り、小さい赤ちゃんを抱えて大変だろうと思っての訪問だ。お互い貧乏男爵家出身であるリリーと護衛騎士は、自分達の事は基本自分達で行う慎ましい生活をしている。
小さな子がいて炊事は大変だろうと、時に調理場からの差し入れを持参し、時に新しい料理の試作品を持参する事にしているのだ。
勿論、ふたりの負担も考えて、極々短い時間滞在をして帰って来るようにしているのはお約束だ。
「いけない! エリカへのお土産を馬車の中に置いて来ちゃった」
リリーの家に向かう階段を上る途中で、マグノリアはガイの方を振り返った。
「……私、取って来るよ」
「ドジっすねぇ。あっしが取って来やすよ」
凡そ従者が発して良い言葉だとは思えないが、長年一緒に過ごして気心が知れているからだ。マグノリアにとってガイは、頼れる護衛であると同時に、親戚の伯父さんみたいな感じでもある。
勿論、ガイにとってもマグノリアは仕えるべき主人であると同時に、小さい頃から成長を見続けている、可愛らしい娘みたいなものであった。
「……何か悪いねぇ」
照れ隠しに、おっさんなのにと付け加える。
ガイは年齢こそ立派なオジさんであるが、技のキレも動きもまだまだ充分凄腕の、隠密兼暗殺者である。お互い解っての憎まれ口だ。
「従者にそんな事をいうのはお嬢位っすよ? さぁ、危ないっすからリリーさん家に入っててくださいよ!」
階段を登りながら、マグノリアに入室を急かす。
「……危ないって、大丈夫だよ。下の階はお婆ちゃんだし、上は大家さんだよ?
入っておくから、ここで良いよ、早く行って来て?」
苦笑いをしながらそう答えた。
リリー達の住む住居は、四階建てのワンフロアに各家族が住む形になっている物件だ。
一階にはだいぶ前に子育てが終わった親子が。二階には悠々自適なお婆ちゃん。三階にはリリー一家。そして最上階にオーナーが住まう形になっている。
確かにそうだと思う。
もう何十回となくここに通っているが、危ない事があった試しなんて一度もない。どの階に住まう人達も善良な人達で、会ったらにこやかに挨拶をする間柄だ。
――念のため気配を浚うが、特に違和感は感じなかった。
急いで馬車の扉を開けると、お目当てのものがみつかった。リボンのかかった小さな包みを優しく掴む。
最近離乳食を始めたエリカに、可愛らしいうさぎ柄の皿を見つけたのであった。
ガイは頬を緩めて包みを手に取ると、再び大急ぎでマグノリアの待つ三階まで駆け上った。
ところが。
「……お嬢?」
扉の前には誰も居なかった。
性格的に部屋の外で待っていそうではあるが……
若干の焦燥感を感じながらも、珍しく言づけ通り部屋の中に入ったのかと思い、リリーの部屋をノックする。
母親になっても可愛らしい笑顔のリリーが、扉を開けてすぐさま顔を出した。
「あら、ガイさん。こんにちは」
「リリーさん、お嬢は?」
ガイの言葉に首を傾げる。
うー、あー。ママに抱っこされたエリカがふくふくとした手を口元にやりながら、声を出していた。
「マグノリア様? まだいらしてないですよ?」
不思議そうなリリーの言葉を聞きながら、少々強引に部屋の奥を覗き見る。
確かにリリーの言う通り、マグノリアの姿は見えない。
隠れていたとしても感じる、気配すらもない。
「……すれ違ったんすかね。ちょっと下を見てからまた来やす」
「え? はい……」
強張った顔を無理矢理微笑みに変え、順番に各部屋の住民に話をして家の中を見せて貰った。
皆、気持ちよく見せてくれ、オーナーに至っては屋上に続く扉の鍵を開けて、荷物と植木鉢が置いてある屋上も見せてくれたのだった。
居ない。どこにも。
階段や廊下には隠れる場所など無い。
マグノリアと怪しい気配と痕跡とを探そうと試みるが、全く何も見当たらないばかりか、感じられもしなかった。
(……どういう事だ?)
ガイは厳しい表情をして、階段は面倒だと屋上から飛び降りた。
四方で護衛をしている騎士達に駆け寄り、マグノリアが、もしくはおかしな人間が建物から出て来なかったか確認する。
「……お嬢様ですか? 先程入って行ったっきり、見ていませんが」
ガイの様子を見て、行動範囲を広げて探し出し始めた騎士を横目に、ガイは再び注意深く、息を潜めながら階段を駆け登った。
「……居ない……!」
とある初秋の麗らかな日の午後。
マグノリアが忽然とその姿を消した。




