目覚める
こちらの話にて八章は完結となります。
お読みいただきましてありがとうございました。
次章もお付き合いの程、どうぞ宜しくお願い致します。
数日が経った。
ガーディニアは今まで通り、アーノルド王子と側近達、そして今年から加わったマーガレットが楽しそうに作業をしたり散策する様を瞳に映した。
侍女が気遣うように言葉をかける。
初めの内は王子の側近たちやマーガレットが気に掛けているものの、何かに夢中になればすぐさま忘れ去られる様子に憤慨していたが、ガーディニアの心は凪いでいた。
ガーディニアに合わせるように仕方なく組まれた舟遊びや花摘みも、今年は笑い声が絶えないように感じる。
(……退屈な遊びが嫌だった訳じゃ無いのね……)
ガーディニアと過ごす事が退屈であり、つまらなかったのだ。
人によっては穿ち過ぎと言われるかもしれないが、多分そういう事なのだろう。
……本当は解っていた事を、はっきりと目の前に突き付けられた様に感じる。
そして自分の気持ちを確認するように、ひとつひとつを自分の中に落とし込んで行く。
「どうだった? アゼンダ学校」
「とっても為になりました」
いつも以上に出張らず、何かを考えるようにみつめるガーディニアに、ヴィクターが声を掛けた。
あの日、学校からの帰り道。せっかくなので、親類の屋敷まで護衛してくれたギルモア騎士団の騎士に話を聞く事にした。
マグノリアが幼くして実家から侍女とふたりだけで、祖父であるセルヴェス様の住まう辺境領に移り住んだ事。
航海病という病気が港町で発生し、治療法に心当たりがあった為、反対を押し切って治療に向かった事。そして見事治療出来た事。
領地の問題点だった貧民の問題と先の航海病を同時に解決するために、そこに住まう人間を積極的に雇い入れ、事業を立ち上げた事。スラム街の区画整理や道路の舗装。無駄に捨てられていたものを資源として再利用する仕組みの構築。そして学校設立。
たった四歳の幼女が数年をかけ、周りの大人を巻き込んで確実に事を成して行く様はまるで現実味が無くて。なんだか物語を聞いているようであった。
自分が四歳の頃はどうだっただろうかと振り返る。
厳しい礼儀作法や積み上がっていく勉強に、四苦八苦していたと思う。
ある意味、ガーディニアは王太子妃になる為に生まれ育てられてきた。
今更王家との婚約を、こちらから無かった事にするのは難しいだろう。
だけど、きっと壊れる――何故だか解らないが、それはどこか確信があった。
(アーノルド様は、彼女を愛しているのね)
壊す為の相手がマーガレットなのか、それとも未来に出会う他の誰かなのかは解らないが。
十年に及ぶアーノルドとの関りは、彼を知るのに充分な時間だった。
……愛情に、関りの長さは関係ないのだ。
愛がないならせめて情をと思うが、それは叶えられなかった。
……今後も叶う事は無いだろうし、求める事は終わりにする。
自分は愛されていない。だが、きっとそれには理由がある。
アーノルドだけが一方的に加害者な訳でもなければ、ガーディニアだけが被害者な訳でもない。歩み寄りが足りないのか、食い違いなのか。元々重ならないふたりだったのかは解らないけど。
彼の心の内は彼にしか見えない。
ガーディニアの気持ちがアーノルドには伝わらない様に。
かと言って今は改善する気力も無いし、改善したいとも思わなくなってしまった。今後もならないであろうと思う。
(アーノルド様、私たちは案外、似た者同士だったのですね……)
ガーディニアは変わらなくてはならないと思った。
自分と自分の大切な人を守る為に。
かつてのマグノリアのように生活の基盤を整え、自らが生きる為に。
「……ヴィクター様、背中を押していただきありがとうございました」
「いいえ?」
ヴィクターはガーディニアの顔をみつめる。
ガーディニアは暫く見つめ合った後に、はっとし、急いで顔を俯かせた。
「うん。その憑き物が落ちた様な顔なら、伝えて大丈夫そうだね」
「……え?」
「マグノリアちゃんから伝言。『無理はしない事。行動する際は必ず複数で、且つ偽装の隙を与えない。親切に教える必要はない、基本関わらない方が良い』だって」
「…………」
切れ長な筈の蒼い瞳はまん丸になって、瞬いていた。
ヴィクターは、ふはっ、と笑う。
「何をしでかす気なのか解らないけど、あんまり無茶をしないようにね?」
――無理はしない事。
行動する際は必ず複数で、且つ偽装の隙を与えない。
親切に教える必要はない、基本関わらない方が良い――
(ああ、私が悩んでいる事だけじゃなく、理由も知っていたのだわ……)
そして悪感情から、きつく当たられてしまう可能性まで心配してくれているのだ。
一体、どうしてマグノリアはそんな事まで知っているのだろう。
苦笑いをしながら、仲睦まじいアーノルド王子とマーガレットを見遣る。
偽装……そんな事までするのだろうか?
だが、何でもお見通しなマグノリアが言うのだから、可能性があるのだろう。
足を掬われない様に、心してかからねばならない。
ガーディニアはまるで長い夢から覚めたかのように、視界と思考がクリアになって行くのを感じた。
「ガーディニア嬢、頑張って」
ヴィクターは小さな声で、小さな貴婦人に声援を送ったのであった。
********
『へぇ、あのお嬢はん、踏ん切ったんやな』
「……踏ん切った?」
ちょっとだけ離れた場所で護衛をしながら、肩の上のおっさんな虫の言葉を繰り返す。
『ん~、そや。簡単に言やぁ、王子さんは心ん中で捨てられたんやな』
「えっ!?」
思わず大きい声が出てしまい、慌てて己の口を塞ぐ。
不思議そうに挙動不審なブライアンを見る近衛騎士に、小さく頭を下げた。
「それは不味いじゃないか!」
『しゃーないやん? 元々破綻してたんやし』
「破綻って……」
未だ結婚もしていないのに。
ブライアンは困ったような何とも言えない顔で空を睨む。
自分の主の行く末もそうだが、何よりもガーディニアだ。
今まで一生懸命努力していた事を知っている身としては、出来れば仲睦まじく幸せになって欲しいと思っている。
『ま、努力しても叶わへん事は、人生あんねん。だけどちゃぁんと、努力は糧として蓄積されてもおるんや――そういう意味では、努力は人を裏切らん』
おっさんな虫は、すぐさま口を開く。
『とはいえ、ああなった女子の気持ちは早いで。信じられへん位スッパリ行きよるからなぁ』
「…………」
確かに、それは覚えがある。
あの四歳の誕生日のマグノリアだ。
当時は何て生意気なんだと思ったものだが……どうにもならない感情は取り敢えず脇へ置いておいて……自分が逆の立場だったとしたら。
きっと悲しくて苦しくて、病んでいたかもしれないと思う。
マグノリアのように機転を利かし、自分でどうにかこうにか資金を作り……なんて事はまず間違いなく出来ないであろう。
あの時クロードに買い取り資金を借りて対応したらしいが。実際資金の目途はついていたらしく、現在事業でも取り扱っている製品をこっそり作っていたそうで。
それを売り、当日の内に利子をつけて返金されたと言っていた。
超現実的且つ行動力のある幼女。恐ろしい事である。
(……それに、見限るって、どんな気持ちなのだろうな)
そこに至るまでの過程が……痛くて、苦しくて、とても辛そうだ。
『それでも、お互い腐って行くより良いんやろ』
生意気で知ったかぶりなおっさんな虫を見て、やるせないため息をつく。
『何だかんだで、ボチボチ進むしかないねん』
*******
マグノリア達はいつもより一週間程早く、見送りの為に再び要塞に集結する事になった。
今年はマーガレットがいる為に他の領地も巡りながら、ゆっくりと帰途につくらしい。
「それでは世話になったな」
そういう王子の隣にいるのはガーディニアでも側近でもなく、マーガレットだった。
(なんでそうなった!?)
辺境伯家の人間は、微妙な顔で返事をした。
教育係の側近も侍従長もどうしたんだ!
――侍従長を見れば、『私は何度も言いましたよ』と顔に書いてあった。
そうか。大変だな、本当に。
「マグノリア様っ! お勉強、頑張ってくださいね♡」
頭をこてん。と傾けながら、両手で力こぶを作って頑張れのポーズをする……力こぶなんてまったく無いけれど。
ボディービルのポージングで言えば、フロントダブルバイセップスだ。
「あ、ども……?」
アンタもマナーの勉強頑張れよ、なんて言おうものなら嫌味でしかないのであろう。
なのでお口チャックで、人見知りの男子中学生のような返事をしておく。
「クロード様? お話出来なくて残念でした。王都にいらした際はみんなでお出掛けいたしましょうね?」
え!? と言う顔で全員がクロードを見るが。
クロードはピクリと一瞬眉間に力を入れたかと思うと、顔は笑顔を作っているものの、絶対零度のブリザードが噴き出している様な、極寒のオーラを醸し出していた。
そう。攻略対象者のみならずユリウスやディーンまで絡まれたと知り、話も通じなさそうな上面倒なので、徹底的に避けて関わらない様にしていたのである。
「……そう言えば、『クロードとヒロインの○○』なかったね?」
「いや……この状況見て良く言えるね、ヴァイオレット」
斜め後ろの方で、ヴァイオレットとディーンがごにょごにょ言っている。
セルヴェスとマグノリアは想像する。
クロードが、王子御一行とマーガレットとお出掛け……
……王都で一緒にショッピングしたり、カフェでお茶を飲んだりお菓子を食べたり……
引率? それとも何かの罰ゲーム?
「……ぐ、ぐふぅ!」
堪えきれなかったガイが変なうめき声を漏らして、クロードに睨まれていた。
「…………。機会がございましたら」
すんごい間の後に、機会は絶対ないがなと言わんばかりの、含みを感じる返答を返していた。
「辺境伯家の皆様、大変お世話になりました」
「こちらこそ。気をつけて帰られよ」
ガーディニアが丁寧に挨拶をし、セルヴェスが優しい表情で頷いた。
「結局お茶会が出来ず、申し訳ありませんでした」
「いいえ。あれだけお忙しければ仕方がありません。それどころかお仕事中にお時間を取っていただいて……」
一瞬言葉を区切っては、晴れやかに微笑むガーディニアを見て、マグノリアも微笑んだ。
「マグノリア様。ありがとうございました。……私、目が覚めたようですわ」
「私は何もしてませんわ。ガーディニア様が、ご自分で掴み取られたのです」
首を振るガーディニアに、マグノリアが付け加えた。
「もし困った時には、ヴァイオレットとディーンにお声がけ下さい。……あとユリウス皇子も。きっと力になってくれると思います」
マグノリアの後ろでコクコク頷くふたりを見て、蒼い瞳を瞬かせると、コクリと頷いた。
そして思いついたように口を開く。
「……マグノリア様が必要だと思うものや、足りないものはございますか?」
「……国に、という意味ですか?」
マグノリアの問いかけに、ガーディニアは曖昧に微笑んだ。
マグノリアは少し考える。
「やはり医療でしょうか。迷信に近いものや、場合によっては有害なものが多く行われているのが現状ですので……医薬品ももっと普及して欲しいですね。個人的には胡椒などの香辛料が、アスカルド王国のどこかで根付かないものかと思っています」
花の女神の加護で、何とかならないものなのかと思っているのだが。
……タウンハウスの庭に胡椒の苗木を植えてみたのだが、何だかひょろっひょろなのだった。
「……なるほど。参考になりました。ありがとうございます」
医療はもっともな事だが、香辛料は食いしん坊なマグノリアらしいと心の中でも微笑む。
言い終えたところで、ブライアンがやって来た。
「……ガーディニア様。そろそろ馬車に」
エスコートする為に手を差し出すと、ぱたた、とラドリが飛び立った。全員が視線で追う。そして。
ブライアンの頭に止まると、なぜか頭皮を嘴で連打し始めた。
「……い、いだだだだっ!?」
「!?」
頭を押さえるブライアンと、びっくりしたように両手で口を押えるガーディニア。
そんな様子を見て辺境伯一家は、揃って瞳を瞬かせた。
『おお~、カラドリウスはんの奥義や!』
『ブライアン、成長した。特別に、慣れ十倍速☆』
ひと通り突き終えると満足したのか、ラドリは頭上をひと回りして何処かへ飛んで行ってしまった。
恨みがましそうに涙目で、頭を押さえたブライアンがマグノリアを見遣る。
(いや、私、何も言ってねぇから!)
心の中で叫びながら、ブンブン首と両手を振った。
そうして、王子御一行は一路、嵐のように去って行ったのであった。
*******
辺境伯家の執務室で、ガイが報告をあげていた。
「……魅了の魔道具が使われている形跡は無いっす。魔力も反応しやせんでした」
「では、魔法や魔術の類いで惑わされている訳でもないのだな……」
何かを考えるように、クロードは机を指で叩いた。
マグノリアが首を傾げる。魅了とな。
「……マーガレットが魔法で何かしていると思っていたんですか?」
「ああ。俺は何も影響はなかったが……どう考えても王子達の様子は変だろう」
クロードは嫌そうに眉を顰めた。
婚約者がいるにも拘らず女友達(自称)を同行するとか。はたまたその女友達ばかり厚遇するとか。更には諫めもせず、一緒にいれあげる側近達とか。
そんな事はどう考えても可笑しいだろうと言う事だった。
なので、魔力や魔道具に反応する道具で『魅了の魔術』を使っていないか確認したり、マーガレットの血縁者の洗い直しをしたりしていたらしい。
「…………。アスカルド王国にも魔力がある人っているんですか?」
「殆ど居ないっすが、モンテリオーナ聖国の人間が血縁者の場合、遺伝する事はあるみたいっすよ?」
ガイの言葉に、クロードが頷く。
「加護の問題なのか、モンテリオーナ聖国以外で強い魔力を持つものはいないのだが。ただどんな小さな魔力でも貴重な為、魔力持ちはギルド登録される事になっている」
「へぇ~」
感心したようにマグノリアが返事をすると、セルヴェスが申し訳なさそうな、だけど確信を持ちつつ。何とも言えない様子で口を開いた。
「あれじゃないか……多分。阿呆なんじゃないか?」
「…………」
そうなのか? やっぱり?
夏の日差しが燦々と照りつける執務室に、何とも言えない沈黙が広がったのであった。




