学校にて
理事長室に入ると、ガーディニアとヴァイオレット、クロードが応接ソファに座った。
ガイとディーンがお茶の用意を始める。
「ガーディニア様をご招待して置きながらお相手できず申し訳ございませんが、どうぞお寛ぎになって?」
断りを入れマグノリアは、書類を手に取り目を通すとサインをし始めた。
「マグノリア様は何をされていますの……?」
「学校に関する執務ですね。大まかな運営は校長などに任せておりますが、マグノリアはこの学校の創設者兼理事長として、最終的な権限を有しておりますので」
書類に向かうマグノリアに気を遣ってか、ガーディニアが小声で問うた。それを受けてクロードが答える。
「創設者……。理事長……」
ガーディニアは王太子妃となる為に、ご令嬢として完璧とも言えるような教育に加え、王室の人間が必要な教育も受けている。
その中に執務もある事はあるが、まだまだ本格的な権限もなければ知識も足りているとは言えなかった。
周囲の意向もあり、生まれてこの方ほぼ王都で過ごしている。
小さな頃から自らの領地に行った事は殆ど無く、領地経営についても教科書通り一遍の事しか解らない。
とはいえ、年齢的にはそれが普通であろう。
以前からマグノリアが事業を起こして領地経営にも参画していると聞いてはいたが、本格的に本人が行っているとは全く思っていなかった。
自分の周囲にそんな子どもはいなかったし、現実的に考えても不可能に近いからだ。
大人の作った偶像である。何かと瑕疵の多いマグノリアの為であり、事業の成功の為に。センセーショナルな売りがあった方が目につくだろう。
目につかなくては手に取って貰えないし、手に取って貰わなければ商品は売れないのだ。
身体が弱いというのが王太子妃にならない為の言い訳だとしても、自分と年の変らない子どもが、大人に混じって仕事をするなど――それも責任者の地位に就くなど、名前だけの名誉職というやつだと高をくくっていたのである。
扉がノックされマグノリアが返事をすると、フォーレ校長が入室して来た。
「……これは、御来客中でしたか」
「いえ。大丈夫です」
ゆっくりと部屋の中の面々に頭を下げると、いそいそと書類を差し出した。
「こちら、来年度採用分の見積もりですな」
「預かります。こちらが決裁済み、こちら差し戻しです」
書類を受け取ると、流れるようにマグノリアの机の決裁箱から取り出した書類が、フォーレ校長の腕に乗せられた。
差し戻し分に目を落とすと、ピタリと止まる。
「おや……数字が違っておりますな。担当に言って再提出させましょう」
「お願いします」
微笑みながら静かに出て行く校長の後姿をガーディニアは見つめて、先程の老人が、数年前まで王立学院で学院長をしていたフォーレ前学院長だと思い当たる。
「ガイ、もしもお兄様に用事を頼まれてるなら席を外しても大丈夫だよ?」
「おや、知ってたんすか?」
ガイがニヤニヤ笑いながら聞く。
「内容は知らないけど。昨日ゴソゴソしてたからね」
クロードと視線を合わせると、ガイは頷いて部屋を出て行った。
何を調べているのか解らないが……どっちにしろ現在来訪中の王子御一行の誰かか何かについて調べているのだろうとは思う。
「ディーンはガーディニア様とヴァイオレットの護衛ね」
「……ガイさんも外に出して、マグノリアは大丈夫なのか?」
「私? 大丈夫だよ?」
流石に学校内で襲撃や刃傷沙汰は起きないだろう。
……起きないよね?
「お兄様はどうされます? 護衛に就かれます?」
さっきも言ったように、学校内で事件を引き起こす輩などいないであろう。
ギルモア騎士団の見回り範囲である上に、数名は守衛室にも詰めている。その上今日はクロードがいるのだ。……その場合、輩の命の方が危ないと言える。
どちらかと言えば、子ども達とガーディニアとの距離を取って貰う為だ。
当人もその辺は心得ているようで、表情を変えずに頷いた。
「そうだな。未来の王太子妃に何かあってもいけないので、そうしよう」
驚いたのはガーディニアの方だ。
クロードの言葉にギョッとして首を振った。
「そんな、クロード様に護衛に就いていただくなど……! お仕事もおありでしょうから、お気になさらず」
「いえ、学校で私の執務は無いので。純粋に研究者として実験などをしているだけですので」
「はぁ……」
(未成年が執務があって、大人が研究のみ……? それは本当なの?)
いや。領地経営に、投資に運用。騎士団の運営・管理はいうに及ばず、本人の騎士としての仕事、王都の軍部の役割。本人は加減しているつもりでも周りからしたらトップギアで突っ走ろうとしているマグノリアの調整と事業の細々としたサポート等、仕事は山のように抱えているクロードであるが。
「ヴァイオレット、これ」
そう言うと、マグノリアは隠しから懐かしの鎚鉾を取り出す。
ライラから貰った当初は腕と同じ位の長さであったが、今はとても小さく感じる。
「え? ……うわっとっと!」
放り投げられたそれを何とか落とさずにキャッチすると、まじまじと鎚鉾とマグノリアを見比べた。
「……何、これ」
「使い方は覚えているよね? 万一必要な時は、振り回してぶっ刺して」
「振り回してぶっ刺す……」
自分の身は自分で守れとか、場合によってはガーディニアを守れと言う事かと思い、情けない表情でディーンとクロードの顔を見た。
「……ヴァイオレット嬢も護衛対象だが。武器はあるに越した事は無いだろう」
「まあ、振り回したら案外、何とかなるもんだよ」
クロードとディーンが適当な事を言う。
そして笑いながら席を立つと、マグノリアを先頭に教務員室に向かった。
*******
「理事長、おはようございます」
「おはようございます」
「おや、見学ですか?」
休暇をせずに学校にいる教員で行っている夏期講習。
本職が職人や商人でない限りは、人生研究に重きを置いている人達なので、殆どが敷地内にある寮に住んでいる。
……長期休暇なので実家には帰らないのか聞いても、研究を進めますという言葉がほぼ返って来るのだった。
「……椅子が足りますかな」
「申し訳ないのですが、もし足りないなら、取り敢えず二脚入れてくださると有難いです」
マグノリアの言葉に、比較的若い教師がディーンとクロードを見る。
「二脚?」
「ディーンとお兄様は護衛を兼ねるので、立ってても大丈夫です」
「…………」
教師がクロードの顔をまじまじと見る。見られた本人はしれっとしているが、次期辺境伯だ。
(……そんな、立たせられる訳ないじゃん!)
自分の心情的に。心の中でそう言いながら教員室を出て行った。
挨拶をしながら何か変わった事や伝えたい事は無いか確認して行く。
雑談や世間話をしつつ、細やかにコミュニケーションを取って行く。
ひと通り終わると、マグノリアは教員室に置いてある教材を手にし振り向いた。
「そろそろ講習の時間です。教室に移動します」
前を歩くマグノリアを見てガーディニアは思う。かなり落ちついた色合いのワンピースだ。
生徒に平民が多いというのもあるのだろうが、多分教師らしく、可愛らしさや美しさよりも浮ついていないものを選んでいるのだろう。
講習の時間が始まって、初めはどんな感じなのかと思ってみていたが、ガーディニアはどんどん授業にのめり込んで行く自分を感じていた。
講習は、自分の意見や主張をどう上手く、相手の立場も加味し尊重しながら、自己表現して行く技術の事らしい。
意思疎通を円滑に行う為の必要な能力の底上げがはかれるそうだ。
あくまでも理論なのだろうが、実践的であると思う。
「……立場が弱いものほど、不利益を被るところもありますので」
静かにクロードが説明をする。
「今の前身である平民向けの学校を作ったのも、読み書きが出来ない者が騙されるのを見て、それを解消する為だったのですよ」
その学校が無料で行われていた事と、現在もプレクラスは無料である事。それらはマグノリアの私財である事業の報酬が使われている事を聞いて、ガーディニアは再び驚いた。
「……勿論上位者がいるからこそ、安心して暮らして行ける側面もありますが、理不尽な搾取や押し付けを回避する為に、上手に自己主張すると言う事らしいです」
(炊き出しや寄付ではなく……一時的な支援じゃないんだわ。与えられた人達が本当に必要な、財産になるようなものを渡しているのだわ)
「でもそれは……特に貴族の立場が危うくなったりはしないのでしょうか?」
圧倒的多数の平民。その数が大きく力をつけたら――?
「……その可能性もあるとは言っていますね。ただ、平民との関係性にも因るのではないかとも言っていました。そして起こるにしても今すぐと言う訳ではなく、今暫く思想の成熟が必要だろうとの事です」
「思想の成熟……」
うわ言の様に呟いて、教壇に立つマグノリアを見る。
自分とそれ程変わらない少女が、一体何を見つめてどこを目指しているのか。そしてどこまで見据えているのかを考えると、薄ら寒く思えた。
そして、今までの考えは誤りだったと痛感する。
(……マグノリア様は、本当に自分で事業を立ち上げて……聞こえて来る話に、嘘も偽りも、誇張なんて一切無いのだわ)
次元が違い過ぎて、もう競争心嫉妬などというものは浮かんで来ない。
そして思う。マグノリアから見て、自分はどう映っているのだろうと。
――さぞや滑稽なのではないだろうか?
******
「申し訳ございません、今日はコマ数が多くって……」
午前中詰め込まれた授業をこなしたマグノリアが、苦笑いをしながら謝る。
ディーンとヴァイオレット、起きたラドリに食堂から昼食を取って来て貰う。
本当は食堂に行って食べようと思ったのだが、平民ばっかりの場所でガーディニアが食事をするのはハードルが高いだろうと思ったのだった。
ランチボックスに入ったようなものなら、ラドリのポシェットに入れても問題無いであろう。
「いいえ。本当にきちんとした授業でびっくり致しました。あの考え方はマグノリア様が?」
ガーディニアの問いかけに、ヤバい。心密かに焦って、マグノリアは瞳を左右に揺らす。
「いえ。他の国の本に(但し異世界)……書いてあったものです……」
「まあ。外国の思想書を読まれるのですね!」
いや、思想じゃないけどね……とマグノリアは思う。
アサーションはコミュニケーションスキルのひとつだ。何の事は無い、日本の大学の講義で受けた内容の範囲だ。
人権が怪しいこの世界、少しずつみんなが住みやすい環境になったら良いと思う。
……あんまりにもこの世界の理を無視し過ぎて、人権! 権利! と不用意に推進し過ぎてしまって、万一革命などが起きても大変なのだが。
自然の流れで起きるのはこの国の発展だったり衰退だったりで仕方がないし、必要な事だと思う。
だがマグノリアが不用意に持ち込んだものによって、この世界で起きなかった筈の事が起きるのは避けたいと思っている。この世界の時間軸や流れに沿った形で発生して欲しいし、するべきだと思っているのだ。
革命とか、責任が取れない上に被害が甚大すぎる。人類史の大きな一歩だけれども、血なまぐさいのはよろしくない。
「マグノリア様には沢山の引き出しがあるのですね」
「……いえ、そんな事は……」
全て地球で聞き齧って来た事であって、自分でどうこうした訳ではない。よって時折苦しい気持ちを味わう訳だが……
「……私も、マグノリア様の様に出来る事があれば良いのですが……」
そう言って、ガーディニアは視線を落とした。
マーガレットが現れて、内心穏やかでないのだろうと推測する。ある意味ガーディニアと彼女は正反対のタイプだろう。
クロードとマグノリアが顔を見合わせた。
「……出来る事、沢山あると思いますが……」
「本当にそう思われますか? 例えば?」
勢いよく顔を上げて、珍しく早口で捲し立てた。
縋るような表情は真剣で、思ったよりも深く悩んでいる事が見て取れる。
「そうですね。どういう立場でどういう事をしたいと思ってるのかっていう前提が必要ですけど……私のように『仕事』だとすると」
もしかしたら王太子妃としての出来る事かもと思いつつも、別の道を示唆したくて仕事を推す事にする。丁度、違う道を考えるように話をしたいと思っていたのだ。ここを使わずしてどうするのか。
「国で有数の淑女教育を受けたガーディニア様でしたら、現状ですぐ出来るのは『マナー講師』ですね。これ以上の先生はいないと言っても過言ではないでしょう」
ズバリ、とでも言うように断言するマグノリアに、ガーディニアは蒼い瞳を瞬かせた。
「……すぐ?」
「はい。やる気になれば今すぐ出来る上に、かなり需要があると思います。
あとは……ご領地は織物が特産かと思いますので、それを使ったドレスなどの品々を考えて、お針子さんに作って貰う事も出来そうです。社交界でお使いになって宣伝したら、結構な収益になるのではないでしょうか?」
何と言っても現時点では未来の王太子妃なのだ。広告塔としてこれ以上の人材も居ないだろう。特に若い人のファッションリーダーになりそうである。
「ガーディニア様は、何かお好きな事はありますか?」
「……刺繍でしょうか」
ほほう。これまたお嬢様らしい趣味である。
「でしたら、素材として特産の織物と相性が良いですよね。布小物と組み合わせて商品にしたり、刺繍で絵を描いたり……色々活かし方や新製品の作り方など模索できると思います」
「なるほど……思ってもみませんでしたが、もしかすると、考えれば思ったよりも私にも出来る事はあるのかもしれませんね?」
「ありますあります。それこそ沢山!」
自信満々に話すマグノリアに、ガーディニアは薄く微笑んだ。
ドヤドヤと全く落ち着きのない様子で理事長室に帰って来たふたりと一羽から、トレーを受け取る。
「この給食は無料で食べられるんですよ! 製造元や店舗で消費しきれないものや形が不揃いのもの、傷モノで売値がつきにくいものなどを格安で買い取って、生徒や教員、働いて下さっている方の食事に使っているんですよ」
うどんにオムライス、サンドイッチにカルボナーラ。渾身の新作、冷やし中華がテーブルの上に並べられた。
「……これが無料なのですか……?」
「はい。材料が格安なので。学生の為に役立てて欲しいと寄付してくださる方もいますし……本当は働く時間を使って、学校に通っている子どもも多いので。当初はなるべく通って貰い、最低限の知識を身につけて貰う為の苦肉の策だったんですけど」
手をつけない様子を見て、マグノリアが更に説明する。
「余りものとはいえ鮮度は気をつけていますし、傷などがついた場所は勿論外してありますので。温かいものは温かい内に召しあがった方が美味しいですよ?」
暫し様子を見ていたクロードが懐から小さな魔道具を出すと、食事の少し上をなぞるように移動させた。
「……毒も反応が無いので大丈夫です」
そういう訳ではなかったのだろう。少し驚きながらも頷くと、カルボナーラを選んで食べる。
ヴァイオレットは素早く冷やし中華を手繰り寄せると、ひとり食べては悶えていた。懐かしい味なのであろう。クロードとディーンが横目で様子をうかがっている……新しいものを食べたかったらしい。
マグノリアは、残ったサンドイッチを開ける。
待ってましたとばかりにラドリがやって来て、勝手に箱の中を突きだした。
「ちょっと、ラドリ!」
『お腹空いた!』
「あんた、さっきまで寝てたじゃないよ」
文句を言いつつも仕方なく全種類を少しずつちぎって、箱の蓋に乗せて渡した。
ガーディニアは不思議そうにラドリを見ている。
「……インコ? オウム?」
「……インコ、ですね」
全員が微妙な顔をしながら、大きく頷いた。……絶対嘘のやつである。
『ガーディニア、撫でてもいいよ♪』
空気を羽毛に含ませモフモフになると、ころころとテーブルを転がってガーディニアの前に移動する。
「まあ。いいの?」
『特別ね☆』
「……偉そう!」
鳩胸を張るラドリに、マグノリアが苦笑いする。
ガーディニアは指の背でゆっくりと優しくラドリを撫でる。
ラドリも黒いつぶらな目を細めた。
「ふわふわ……」
撫でながら、今日初めて少女らしい微笑みが浮かんだのだった。
お昼を沢山食べて再び昼寝を始めたラドリをガーディニアに預け、再び午後の教壇に立つ。
全て講習を終えた後にお茶に誘ったが、ガーディニアは首を振っていとまを告げた。
この後に執務がある事を見越したらしい。
「本当に、今日はありがとうございました。とても有意義な時間を過ごす事が出来ましたし、貴重なお話を聞けて為になりました」
「……時間が取れずに失礼致しました。懲りずに、良かったらまたいらしてくださいませ」
「はい。ありがとうございます」
強張っていた顔が心なしかスッキリしたようにも見える。
鬱々とした気持ちが、少しでも晴れたのなら良いのだが……
ラドリがガーディニアの手から、マグノリアの肩に飛び移った。
「念のため騎士をつけますので、気をつけてお帰り下さいませ」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
ガーディニアは彼女らしくカーテシーをすると、背筋を伸ばして歩き出した。