ヒロインの資質
「おじ様、おば様。ご無沙汰しております」
『リシュア~、久し振り☆』
「マグノリア様、ラドリも。お久しぶりでございます」
ヴァイオレットの両親が頭を下げた。
そこそこ付き合いが長いリシュア子爵と夫人を、マグノリアはおじ様おば様と呼んでいる。
ご両親の方も初めの頃の様な懸念は吹っ飛んだらしく、娘の友人であるマグノリアを、親戚の子どものように親しく思うようになっていた。
「……大丈夫でございますか?」
夫人が気遣わし気に聞いた。
息を潜めて行く末を見守っていたのだろう。ヴァイオレットに比べて何だか顔色が悪い。
マグノリアは苦笑いしながら頷く。
「全然。おば様達の方こそお顔の色が悪いですわ。嫌な思いをさせてすみませんでした」
「いいえ。とんでもございません。お気になさいませんよう」
仕事でも付き合いがある子爵は、マグノリアの努力を知る人間でもあるからか、殊更気に掛けてくれている。
今も労わりの籠った瞳でマグノリアを見ているので、にっこりと頷く。
「今年もヴァイオレットをお借りしますね! 可愛い娘さんをひとり占めしてすみません」
マグノリアの言葉に、子爵と夫人は笑いながら首を振った。
「ヴァイオレットの方こそ、お邪魔するのを楽しみにしていたんですよ。仲良くして下さってありがとうございます」
******
王子達の来訪をヴィクターに知らせる為、ラドリを放つ。
クルクルと頭上を舞っていたが、『じゃあねぇ~♪』といってはご機嫌で飛んで行った。
三人でその姿を見送る。
今や要塞は、王子御一行の荷物を運びこむ人間でごった返している。
久々の再会を離れた場所から見守っていたセルヴェスとクロードに頷くと、やはり同じ様に頷き返された。ディーンとヴァイオレットが馬車に乗る為、元々ふたりは馬で帰る予定であった。
珍しく空気のように黙って成り行きを見ていたガイは、クロードに何か耳打ちされると、小さく頷いて踵を返したのだった。
「何というか、イメージと違うご令嬢だね」
館への馬車の中。
マグノリアの言葉に、ヴァイオレットとディーンが顔を見合わせた。
乙女ゲームのヒロインというのは、賢く思慮深く、明るく元気で頑張り屋。優しくって性格も顔も可愛い……じゃなかったっけか?
ヴァイオレットノートに書かれていたマーガレット像も、そう離れたものではなかった筈だ。
(つーか、並べてみると現実味がなさ過ぎて怖いわ。善意の塊……そんな人間いるんかねぇ)
アゼンダの小さな女神と呼ばれるマグノリアだが、善人ではあるが真っさらかと言われると首を捻る。
そこそこ賢いで通っているが、同時にやらかし体質だと口を揃えて言われるだろう。暴走体質だとも言われる。
頑張り屋ではあるが、結構面倒臭がり屋でもあり、かなり適当なところもある。取り繕いはするが、ご存じの通り中身はガサツで口が悪い。顔は結構可愛いが性格はどうだろうか……
むやみやたらな暴力はいけないと思うが、右の頬を殴られたら左も差し出すなんて事はしない。右を打たれたら間違いなく往復ビンタをお見舞する。命の危機があれば警棒で突くし、鎚鉾をぶん回す。魔道具を叩き込み吹っ飛ばす(物理)。
マグノリアがゲームのヒロインたり得ない理由であろう。
マグノリアの言葉を受け、ヴァイオレットとディーンが腕組みをして考え込んだ。
「成績は良いんだけどね。……明るく元気だし、頑張り屋でもあるね?」
「優しいし性格も顔も可愛いよね……思慮深いが微妙だけど……でも別の側面から見れば思慮深いところもあるんだよねぇ」
成績はディーンに続く男爵家出身の上位クラス在籍者である。
ディーンが教えてくれる人間に恵まれたのに比べ、読み書きの基礎は実母から学んだとはいえ、マーガレットはほぼ独学、たった二年間で学んだのだ。
学業的にはかなり優秀である事が伺える。
前向きだし、朗らかで気さく過ぎる位で、かつ非常に素直である。
クラスで浮き上がっていた時も、ガーディニアに呼び出された時も、マーガレットが直接誰かを悪く言った事は無かった。
身分に関係なく……例えば使用人にも対応が丁寧である。
ついこの間まで平民だったのだ。同じ立場だった大人に偉そうになんて出来ないのであろう。
足りていない貴族教育も、友人たちの協力を得ながら頑張っている。その証拠に少しずつではあるが、立ち居振る舞いも洗練されて来ていると言える。
そしてアーノルド王子への対応。王子だからと色眼鏡で見ずに、実に公平に評価している。
結果から言えば、彼は彼なりに頑張っているのだ。小さな頃とは違い、成長した今は立場にあった人間でいようと藻掻いている様を感じる。
元々のポテンシャルがそんなにでも無いからか、なかなか結果に結びつかないだけで。人間には個人差があり、出来る範囲と出来ない範囲は必ず存在するのである。
『人間努力する事が大事』『過程が大切である』というのならば、彼は彼なりに頑張っていると思う。
例えば同じ努力による結果が――クロードが百で、アーノルドが十しか出来なかったとしても。努力自体は同じ分量である。
ちなみに普通の人間は五だとする。出来ないとはいえ、普通の人間よりは全然出来ているのである。
更にはガーディニアが努力を百出来るところを、アーノルドが十しか努力出来なかったとしても……精神力と気持ちや頑張りは同じ分量である。そこをなかなか認めて貰えないが。
ところが、十しか出来ないのだ。――やはり普通の人間は五だとする。以下同文。
結果、周りの人間はクロードやガーディニアと比べ、何故出来ないのかと問うだろうし、嘆くかもしれない。呆れるかもしれない。
もしかしたら裏ではなじる人もいるかもしれない。
多くの人は、立場があるのだからもっともっと努力しろと励ますだろう。期待してくれているのだろうが、重圧でもある。無茶振りでもある。
そこで頑張って頑張って、二十出来た。今までの倍も頑張ったのである。もうヘロヘロだ。
人には個人差がありますよね? あなたはどう評価しますか?
結果は目の前に晒されやすい――例えば数字で。はたまた出来上がった何かで。可視化され易いし認識され易い。
だが努力や精神力は目に見えない。もしくは見え難い。
更には、あなたが頑張らなくてはならない立場だったとしたら?
倍も頑張ったのにも関わらず、全然足りないから更にその倍頑張りなさいとずっと言われ続けたら? 過程が、努力する事が大事と言いながら、結果はどうしたと言われ続けたら?
マーガレットはそこに気付ける人間であり、認める事の出来る人間だ。
思慮深く優しい人間。ある意味まったくバイアスのかかっていない公平な人間。
立場だけに目を向けるのではなく、その人の行った事を見て判断する。
そこに王子も側近も、下働きの平民もない。
「……なんて事があったりするのかねぇ」
もともとアーノルド王子は、女性の美醜で選んでいる感じはしなかった。例えばお茶会の時も、ご令嬢の容姿にそれ程重きを置いている様子はなかったと思う。
なのでマーガレットの容姿が可愛らしいからというのは、多少は関係しても全てとは言えない気がする。
勿論好みの容姿はあるだろうし、放って置けないなどの感情もあるかもしれないが。何かもっと……あそこまで自分の懐に入れようとするのには、内面的な歩み寄りの様なものがあるような気がするのだ。
「うーん。近からず遠からずというか……百と十はともかくとして、確かにアーノルド王子は王子なりに頑張っているところもあるのは確かだよね」
……結果が伴い難いけど。
同じクラスのディーンは、意外に授業は真面目なアーノルド王子を思い出して言った。
そしてマーガレットはアーノルドに対して、してくれた事に感謝も、行った事に対して等しく労いもしている。王子の側近にもする。
「……何だか結構ホラーだわぁ」
ヴァイオレットが顔を顰める。確かにそんな話を聞くと、自分の誰か他の人に対する無意識な決めつけを考えさせられるではないか。
「まあ、取り敢えず語尾に♡や☆が付かなくなったよね……」
「うん」
ディーンが真面目な顔でヴァイオレットに同意を求めた。こっくりと頷くヴァイオレット。
「?」
……ハートや星?
(何だろう? とにかく的外れではないけど、ヒロインに関しても微妙にズレているんだろうか……)
マグノリアは手紙や伝言で知らされていたマーガレットと、ノートで見知ったヒロイン。そして今日見た彼女を思い起こして、盛大に首を傾げた。
******
要塞の客間では、マーガレットが項垂れていた。
責任を感じているらしく、アーノルドにも側近達にも、辺境伯家の人間に謝った侍従長にも涙目で詫びた。
辺境伯が伯爵ではない事は常識中の常識だったそうだが、知らなかった。
誰も教えてくれなかったからだが……当たり前すぎて知らないなんて思いもしなかったのであろう。
そんな当たり前な事を知らないなんて、マーガレットが悪いのだろう。
ついつい浮足立った気持ちは、失敗を重ねに重ねた。
訪問先について事前に、きちんと調べておくべきだったのだ。
楽しいからといってみんながいるからといって、もっとちゃんと気持ちを引き締めるべきだった。
大切な帽子を拾ってくれたおじいさんに会って、何だかご縁を感じて。どんな方かも解らないというのに、こんなに学院の生徒達を引き受けてくれるのは、きっと子ども好きで優しい方だと思い込んで、いつもの様にご挨拶しなければと思ってしまった。
みんなの反応から焦って慌ててしまい、きっととても言い辛い理由なのだろうと、自分も同じだからと共感するように、決めつけて要らぬことを言ってしまった……
先程の可愛らしいご令嬢は、お家の方々が出世欲がない為に侯爵令嬢だけれども、本当は公爵令嬢と同じなのだと教えられた。
あのガーディニア様よりも高位のご令嬢なのだそうだ。
「……マーガレット、失敗は誰にでもあるのだ。辺境伯はカラリとした性格なので謝ったのなら大丈夫だ。せっかくの旅行なのだから、泣いていては勿体ないぞ?」
アーノルドが優しい声で言い含める。
上目遣いに見上げた萌黄色の瞳が泣き腫らして赤くなっている。可哀想に思うものの、金色の睫毛に涙が濡れ光る様子は酷く美しいと思ってしまい、小さく息を飲んだ。
「カーテシーはだいぶ上手に出来ていました。今後はマナーだけでなく、貴族の階級や細かい決まり事なども学んでいきましょう?」
ルイも優しく微笑みながら提案する。
マーガレットは涙を拭って、こくりと頷く。
「……よろしくお願いいたします!」
侍従長とて鬼ではない。
今少女が落ち込み嘆いているところに、塩を塗り込むような事は出来ないのであった。
『……随分お優しい殿方に囲まれとるなぁ』
離れた場所からおっさんな虫が呆れたように言った。
「頑張っているからだろうな」
『ふぉ~ん?』
ブライアンとて、歩み寄って慰めてあげたいと思う感情はある。
しかし事がアゼンダ辺境伯領での事であり、自分の身内であるだけに加わり難かった。
不慣れなのだから仕方が無いだろうと思う反面、本当にそうなのか自問自答する。
ガーディニアへのふたりの対応は、自分がされたらどう思う?
辺境伯家への対応は? もし自分がマグノリアの立場で、同じように言われたらどうだ?
マーガレットは優しい。明るく元気で、頑張り屋だ。性格も素直で愛らしい。
――なんだか純粋な結晶みたいだと思う。
とても綺麗だが、それは綺麗ゆえに、実は美しさを保つ為に無意識に、硬くて頑ななところがあるのだ。
「人間って、色んな側面があるのだな……」
『そや。視点が変われば、善が悪に変わる事もあるで』
「……悪は悪、正義は正義だろ?」
『大概はなぁ、そや。ただ絶対はないんやで』
おっさんな虫は訳知り顔でそう言った。




