セルヴェスの帰領
「タレーラン先生、もう宜しいんですか?」
「はいっ! 何とか動きます故、ありがとうございました!!」
怪我をして四週間。思ったよりも早い復帰であった。
いや、まだ完全に治ってはいないそうなのだが。
「無理なさらないでも……」
「いえっ!」
松葉杖を携えながら、左手と右足が包帯でグルグル巻きである……何とか授業は可能だということであった。
「……では、引き続き生活のサポー……」
「もう、大丈夫でございます!」
クロードの言葉に、食い気味に返事を返すタレーラン。
鬼気迫る表情に、クロードとマグノリアは目を瞬かせた。
……ガイはニヤニヤしている。
「本当にありがとうございましたっ。騎士の方にはお引き取りいただいて! もう全然、大丈夫でっす、ハイ!!」
めっちゃ早口で、顔をずいっと近づけられたクロードは、やや引きながら頷いた。
「……先生がそういうのであれば……?」
ホッとした雰囲気のタレーランに、マグノリアがノートを手渡す。
「それでは、こちらがお休みの間に行った授業の内容です。先生があまり動かなくて良いのと、子ども達の定着加減を見る為にテストを致しましょう。全クラスを終える間、補助で就かせていただきます。その後も必要なようでしたら遠慮なく仰ってくださいね」
「マグノリア様……いえ、理事長。長期のお休みと代わりに授業を受け持っていただきましてありがとうございました」
タレーランは松葉杖をつきながら、深々と頭を下げた。
「いいえ。お役に立って何よりです。ただ治りかけですので……あまり無理をなさらない様に」
「……はい」
ちょっとクロードとガイを見て警戒したような表情をして、もう一度頭を下げた。
松葉杖をガコガコと突き立てるようにしながら、だけれども凄い速さで部屋を出て行く。
「…………。よっぽど生徒たちが心配だったんですかね?」
「……さあ……?」
マグノリアとクロードは不思議そうに首を傾げた。
*****
「マグノリアァァァァァ!!!!」
「おじい様、お帰りなさいませっ!」
ぎゅうぎゅうに抱き締められながら頬ずりされ、苦笑いをしながら全く貴族らしからぬ暑っ苦しい愛情を、マグノリアも受け入れた。
年頃の娘ならば嫌がりそうなほどの猫っ可愛がりっぷりであるが、中身は大人であり、小さい頃に屈折した色々があった身としては、解り易いセルヴェスの愛情は有難くもあり安心出来るものでもある。
「留守の間大丈夫だったか?」
「ええ。領内は至って平和でしたよ」
「取り敢えず、旅装束を解いて一度湯あみをしてください」
慣れたやり取りに小さくため息をついたクロードが、父に強行軍だった身なりを綺麗にするよう、言い含めた。
「一度、お休みにならなくて大丈夫ですか?」
「いいや、軽く話をしてから休むとするよ」
心配そうなマグノリアに、セルヴェスは笑って答える。
爽やかな初夏の風が吹き抜ける執務室で、セルヴェスが不在の間の領内の話と、事業に関する報告をクロードが資料を差し出しながら掻い摘んで説明していた。
例の如く、必要なものは既に鴉で伝言済みである。
「うむ。特に問題無いようだな。学校はどうだ?」
「そちらも特には。ひとり階段を踏み外して怪我をされた方がいらして、代わりに授業をした事位でしょうか」
「ほう。マグノリアが授業を?」
「はい。それで、夏季休暇中の補講をやってみないかと言われて、何コマか受け持つ予定です」
そうなのである。生徒と教師両方からやって欲しいという要望が出て、引き受ける事になったのだ。
事業や領内の仕事で忙しい場合は引き受けられないので、取り敢えず今年だけという事でオーケーを出した。
直接の教科ではなく、『ノートの取り方』『どうして勉強をするか』と勉強をするにあたってのコツや考え方。そして『自分の意見を上手く伝える方法』――いわゆるアサーションである。
この世界、基本的には人権が無視されているに等しいので、可能な範囲で自分の意見を上手に発信し、更にはお互いがお互いを尊重出来る関係性を作るお手伝いになれば良いなと思っている。
――とはいえ、マグノリア自身が人にそれらを講釈を垂れる程なのかと言われると、言葉を詰まらせてしまいそうになるのだが……
一応現代人として生きた記憶がある為、マグノリアが他の人間に比べて先進的な考えを持っている事は間違いないだろう。
少しでも生きやすい未来をつくる為に、またそれらを身につけやすいように、出来うる範囲で説明をして取り入れて貰えればと思っている。
「頑張ってるなぁ。エライな、マグノリア」
感激してクネクネするセルヴェスを、部屋にいる人間達が生温かい目で見守る。
「……それで、今年はどうでしょうか?」
きっと駄目ですよね、とでも言わんばかりに暗い表情でクロードが言うと、セルヴェスが口をひん曲げて首を振った。
「……今年も訪問するので宜しくだそうだ」
「…………」
まさかの決定事項。
思わず三人で顔を見合わせた。
――あいつら、本当に全然人の話きいてねぇな。
「他の領地からお誘いをかけて頂く訳には行かないのでしょうか?」
「ブリストル公爵領は何度もしているそうだよ。だが別の時期に来訪しているらしいのと、両陛下は違う場所へ出掛けている為、面目は保たれているのだ」
あくまで学生時代の極々プライベートの旅行、というテイだそうで。
「何がそんなに惹きつけるのでしょうか……?」
「安全面以外放って置かれるのが、存外楽なのだろうな」
クロードが腕を組む。
「……体良く、社会勉強と情操教育を兼ねてるのでは?」
「うむ。ヴィクターは面倒見が良いからなぁ。それでなくても身内だしな」
ボヤくようにセルヴェスが続けた。
「宰相の奴が何だかんだで許容しているのは、自分の息子が対応するからだろうしなぁ」
長い期間、王都でのお勤めを熟したセルヴェスがリラックスできるように、という言い訳の元、身内以外は排してある。
セルヴェスとクロードがいる部屋に賊が入ったとして、無事では出られないだろうから護衛は必要ない。隠密に出ていない者たちは、今日も庭で毒草を植えているし、セバスチャンは家令の仕事に勤しんでいるし、リリーは部屋で休んでいる。ラドリはリリーとお菓子を食べている。
元々戦地を転々としていたセルヴェスは自分の事は自分で出来る為、辺境伯でありながらお茶位自分で入れる事に何の躊躇も戸惑いもためらいもない。
ポットにお茶を淹れておきさえすれば、適当に注いで勝手に飲むだろう。茶菓子もケーキだろうがジャーキーだろうが堅パンだろうが頓着しない。
無論、芸術を愛する人間なので美醜も解ればセンスもある訳だが……
一見貴公子以外の何ものでもないクロードも、そんな親に育てられている為、オフレコな場面では結構適当である。
ズボラな姪っ子に躾をする為には口うるさくあれこれ指摘するものの、寸分たがわずにものが配置されていなければ暮らせないような、整理整頓の鬼であるとか神経質なタイプでは全くないのである。
マグノリアは言わずもがな。
……マグノリアが辺境伯家に来てからというもの、何が飛び出すか解らない為、時折三人以外誰も居ない時間と空間を作り出す必要があるのだ。
「じゃあ、手取足取り上げ膳据え膳でもてなしたら来なくなりますかね?」
「……滞在期間が延びる予感しかしないな」
ですよねー。マグノリアは作り笑いを浮かべた。
「ブライアンお兄様はどうですか? マシになりました?」
気を取り直す様に変えた話題に、これまた渋い表情が帰って来た。
「うーん。何か、妙に懐いた虫が色々教授してくれているようで……オスの貴婦人な虫とか言っておったか……」
「雄の貴婦人? ……『男の娘』みたいな奴ですかね?」
「男の娘とはなんだ?」
「う~ん……」
セルヴェスとマグノリアが何ともな反応をしている。それぞれ別々の事を考えての反応なのであるが。
説明をすると面倒臭そうなので、マグノリアとしてはスルーしておきたい。
「ま、取り敢えず。マーガレット・ポルタについては如何ですか?」
「ああ、なかなか賑わしていたな。本人にはそのつもりは無いのかもしれないが、入学早々婚約を解消した者が出たそうだ」
「……仲を壊したと言う事ですか?」
クロードが警戒するように確認する。
「うむ。どうも色々行き違いというか認識の違いがあったようだが。ポルタ家が元々そこまで栄えているという家門でもない、ごく普通の男爵家なのだが……教育も短い期間では全てカバーする事は出来なかったのだろう。
学術の成績が良く上位クラスに配された事で、高位貴族との礼儀作法や認識の差が大きく出たようだ」
「二年前まで市井に暮らしていたのだったか……」
部屋に沈黙がおりる。
ユリウスとヴァイオレットのところにラドリを飛ばしたが、やはり貴族の教育が足りていないという事しか書かれていなかった。
それ以外、目立った特色は見受けられないという事だろう。
「じゃあ、彼女が転生者である事は無い?」
マグノリアの言葉に、セルヴェスは是と返す。
「彼女にはマグノリア達三人の様な感じは見受けられなかった。仮に同じだとしても、記憶は無いか戻っていないと思われる」
そして、流石に不味いと感じたらしいマーガレットは、自称友人達の手を借りて目下マナーの特訓に励んでいるらしい。
「そして、多分遠見の力で彼女の存在を知っていたのだろう。ジェラルドが避けまくっている」
「えっ!」
クロードとマグノリアが驚いて声をあげた。
「親父さ……いえ、お父様は、何故学院に出入りしているんです?」
「いや、避けるなら初めから学院に出入りしないだろう。マーガレット・ポルタはもしや既に王宮に出入りしているのですか?」
(もう!? まだ学院入学して三か月も経っていないよね!?)
思わずクロードの言葉に心の中でツッコミを入れていると、再びセルヴェスが是と返した。
「表向き、王子とその側近にお茶会に招かれてマナー講習をしているようだ。実際は楽しくお茶会をしている様にしか見えないそうだが……その辺は妬みややっかみもあるだろうから、実際に見てみないと何とも言えんな」
「流石ヒロインですね。王子達がチョロ過ぎるのか……」
ちょいちょい変な言葉が出ているが、セルヴェスは元より最近はクロードも諦めたようで、取り繕いが必要な時にだけ取り繕えれば良しと言う事にしてある。
いちいち突っ込んでるときりがないからだ。
「お父様が避けまくっているというのは?」
マグノリアの言葉に、セルヴェスは微妙な顔をする。
「それが……彼女はやたら人にぶつかったり落とし物をしたり……行動がおかしいのだ」
「行動がおかしい……? 出会いのイベント……?」
それぞれ攻略対象とは、出会いのきっかけだったり、仲を深める出来事だったりと数々の『イベント』と呼ばれる出来事が起こる。
ゲームではそれを上手くこなして好感度を上げて行き、攻略対象者を攻略するのだが。
「王宮で会って、丁度ブライアンの事について相談に乗っている時にも、彼女の帽子が風に飛ばされて来てな……」
拾ったものの、持ち主を見てギョッとしたジェラルドはセルヴェスに帽子を渡したそうだ。
関りたく無いから代わりに渡して欲しいといわれ、セルヴェスが仕方なく渡すと、礼と共になぜか手を握られ、是非お礼をしたいから一緒にお茶会をしようと言われたそうである。
王子達とのお茶会であろう。
……友達の友達はみな友達精神なのだろうか。
見ず知らずのおじさんとお爺さんに、一緒にお茶をしようと誘うのも凄いが。
誘われた方もびっくりだが、連れて行ったらきっと向こうもびっくりだろう。
笑えるような笑えないような話だ。
「断ったらお礼にクッキーを焼くので名前を教えて欲しいと……」
クッキー……美味しいけどね。
名前って。焼いて届けるの? 職場に? 屋敷に?
……それとも待ち伏せ?
チーフ・ゲームクリエイター神崎氏の考える女子力のアピールなんだろうか?
知らない人に帽子を拾って貰って、お茶会をしようとかクッキーを焼くとか……ちょっとホラーなのだが気のせいだろうか?
「…………。教えたのですか?」
「まさか!」
セルヴェスはぶるぶると首を横に振った。
「聞けば度々そういう事があるらしく……いつでもどこでも輝くような笑顔で、なんだか気味が悪いとジェラルドが恐怖しておった。気が良いと言えばそうなのだろうが……ご令嬢としては厳しいな」
「……そんなおかしなキャラだったんでしたっけ?」
首を振るセルヴェスと、疑問を口にするマグノリアに、クロードは記憶を浚うように答えた。
「確か、『健気で前向きな頑張り屋さんな女の子。文句なしにヒロイン指数百パーセント』ではなかったか?」
「……良く覚えてますねぇ」
とり澄ましたご令嬢が多い中、素朴で砕けたマーガレットの態度が新鮮なのだろうと言う事だ。その上見た目も可愛らしく、貴族の常識にも疎い中、懸命に頑張る姿も庇護欲をそそるし、自分の優位性が感じられて自尊心をくすぐられるのだろうと。
「産まれた側から王太子妃教育をされているガーディニア様も、『健気で前向きな頑張り屋さんな女の子』だと思いますがねぇ」
「まあ。そんなで、最近は王妃様の耳にも噂が届くようになってな……多数の令息を虜にするマーガレット嬢を警戒しているようだ」
「……悪い虫的な感じですか?」
セルヴェスは複雑そうな表情で頷く。
うーむ。
「ぶっちゃけ、側妃って男爵家のご令嬢でも差し支えないのですよね?」
「表面上はそうだが……王妃が不在時には色々内々で取り仕切る事もありうるので、余りにおかしな態度を取る人間もな」
ましてや側妃とはいえ次期王の妃である。貞淑さが求められるのは、正妃と同じである。
……まあ、彼女は不貞を犯している訳ではないのだろうが。
ただ、そう連想させてしまう危うさがあるのであろう。
それよりもそんなに可愛いのだとしたら、そんなにゆるゆるな対応で大丈夫なのだろうか? 変な大人や男に騙されやしないのだろうか?
実際は腹黒く計算で、人を選んでしているなら心配はいらないんだけど……オバちゃん心配だよ! ――そう心の中で叫ぶ。
「それに、ゲームでは彼女が王太子妃になるのだろう?」
おおぅ。なんだろう、話を聞く限りでは全くもって想像出来ないのだが。
ヒロインパワーで何処かでめっちゃ淑女に変身するのだろうか?
「今年は王妃様もアゼンダにいらっしゃりたいと言っていたが、それは丁重にお断りして来た。宰相に今までのように無理矢理ねじ込んだら、いい加減武装すると言って来た」
「……物騒ですね。大丈夫でした?」
「宰相も流石に思う所があるらしく……そろそろあちらの方が爆発するかもしれん」
取り敢えず、今年は王妃様に沢山の予定を詰め込んでくれたらしい。
王子の予定も詰め込んでくれたらいいのにと思う三人なのであった。




