悪魔将軍来訪中
凄まじい勢いで走る複数の早駆の蹄音と、断続的に低い地響きがする。
こんな邸宅街に珍しい事もあるものだ。馬にはスピード違反は無いのだろうか?
屋敷の主人が殆どは城に居る為、伝令の早馬が来ることは滅多に無い。
……いつもは静かなギルモア侯爵邸がにわかに騒がしくなり、程無くして廊下を走る足音があちこちで響くようになる。
「……?」
いつものように刺繍に精を出すマグノリアは、不思議そうに首を傾げた。
最近はダフニー夫人の授業にも碌に出させて貰えないので、近隣国の言葉での挨拶や簡単な会話を心の中で練習しながら針を動かす。
……挨拶と簡単な会話なのは、難しい内容は独学では厳しいからだ。
出来ないなら、出来る事を完璧に。必要なものを学ぶ。
ちょっとイラッとしない訳でも無いが、将来設計と言う計画ないし妄想をして過ごす。
大きくなって孤児院を出て、ある程度移動が可能になったらば、大国に紛れて暮らす方が安全なのか。それともアスカルド王国と国交が稀な小国でひっそり暮らした方が良いものなのか迷いどころだ。
……この厄介なピンク色がある程度居る国の方が良いだろう。元々北の方の国の色だという。北方面の国に紛れれば目立たないだろうか?
何やら下の方で怒鳴り声が聞こえ始める。
流石におかしいと思い窓の外を覗くと、使いの者が屋敷から転がり出て行くのが見えた。
(何だろ? まさか敵襲? ……今って平和な世の中なんだよね??)
不安そうに扉を見つめるロサを見て、腰に括りつけた鎚鉾を撫でる。
(……まさか修道院に入れるにあたり、人に攫われたテイにするの? そんな事よりこっそりナイショで連れ出した方が簡単なんじゃない!?)
病気療養とか養子に出したとか。
使用人達への言い訳なんて幾らでもある。
それに攫うテイにするにしても、何も人目の多い真っ昼間に騒ぎを起こすより、夜中にでもこっそりしたら良いだろうに。
それとも、ウィステリアさんがついに本気で排除に動いて、ガチの人攫いを送り込んで来たとか!?
もつれるような足音。激しい衣擦れ。焦る声音。
「……様! 先触れは如何な……いました!」
「先触れな……出し……ところで締め出される……オチ! そもそも戦場で相……に先ぶれなど出さ……わ! 奇襲あるのみ!!」
「ち……うえ、穏便……、お……にですよ!」
奇襲……。
家令と執事長の声がする。それと聞いた事のないがなり声。もう一方は冷静で低いバリトンボイス。
小さな足音と重そうな足音。何か重いものを引きずる音。
それらが段々と絡まりながらマグノリアの部屋に近づいて来ている。
ロサは青い顔で固まっている。
(……ロサは知らされていないのか……)
と、言う事は茶番じゃない?
それともリアリティー重視の味方にも教えていないってやつ?
針を針山に刺し、スカートの糸くずを払うと、ロサを庇う様にやや前側に立つ。
本来立場が逆な気もするが……まあそこはそれ。
人攫いの茶番なら酷く傷つけられはしないだろう。本当の奴だった場合は……どうだろう。余り考えたくない。
強盗なら強盗で、今の主人は文官だとは言え、ギルモア家に喧嘩を売る奴なんているんだろうか。
ズバアァァァンッッッ!!!!!
アホの様に重い筈の樫扉が凄い勢いで開け拡げられた。
(ちょっ! ……ドア、壁にめり込んでないよね!? 毟れてないよね!?)
思わず煙が上がりそうな勢いと音にあっけに取られて、マグノリアは壁と扉を交互に見る。
そして。
開け放たれた扉の前には、右肩に家令、左腕に執事長。腰に守衛さんと護衛騎士をぶら下げた、赤毛が波打つ筋骨隆々の大男が立ち塞がっていた。
(……。グリズリーみたい……デカい)
悪魔将軍。
先代のギルモア侯爵ことセルヴェス・ジーン・ギルモア。
――アゼンダ辺境伯だ。
(……肖像画は実に写実的だったと証明されたよ)
そしてその後ろには、相変わらずニヤニヤした顔のガイと。
頭が痛そうにげんなりした顔をした、への字口の、黒髪のやや癖のある髪を肩に流したとても麗しい青年が立っていた。




