伝える
リリーは夫である護衛騎士と共に執務室を訪れた。
事前にセバスチャンとプラムに報告があると言ったが、多分ふたりはリリーと騎士の雰囲気からも丸わかりだったのだろう。
「クロード様と一緒に伺いましょう。ご都合を聞いて参りますが、多分すぐ呼ばれるかと思います」
いつもは穏やかでありつつもパリッとした風貌であるセバスチャンも、ちゃきちゃきしてちょっと厳しいプラムも、心なしかリリーを見る目が優し気である。
「……報告っていっても、こんなにすぐでなくても大丈夫だよ。もう少しふたりで話し合ってからの方がいいんじゃない? さっき知ったばかりでしょう」
「いえ、結婚してから一応話し合ってはおりましたので……」
マグノリアは、リリーと騎士を心配そうに見遣る。
緊張した様子のふたりが、深く息を吸い込んでは、大きく吐き出している。
セバスチャンの言った通りすぐにふたりは執務室に通された。
やはりふたりの表情を見て察したらしいガイが、窓の横でニヤニヤしている。マグノリアはそんなガイに、ギロリと睨みを利かせるが、どこ吹く風なのは言うまでもない。
ふたりは懐妊の報告と、リリーは今後も働きたい旨をクロードとマグノリアに申し出た。
王都からアゼンダに一緒にやって来て、二人三脚で過ごして来たのだ。しっかりしているとはいえ未だ少女であるマグノリアの側を離れる事が心配なのであろう。
……身体の実年齢はともかく、中身はリリーよりも年上を自負するマグノリアからすれば、リリーの方こそ心配なのであるが。
クロードがポーカーフェイスで……だが内心困ったような表情で、ちらりとマグノリアを見る。
そしてふたりの話に頷くと、口を開く。
「懐妊おめでとう。無理せず身体を大切にして、元気な子どもを産んで欲しい。だがその……辞めないで続けるというのは、厳しいのではないか?」
前半は心がこもった声色であったが、後半は言い辛そうに紡がれた。
(やっぱり……基本は家庭に入るのが本来なんだなぁ)
日本だって、ほんの数十年前までは結婚したら女性は家庭に入るって状況が普通だったのである。まして彼らは低位とはいえ、立派な貴族なのであるからして。
「迷惑をおかけしない様に頑張ります!」
「いや、そうではなくて……頑張ってしまうのが、むしろ体調に響くのではないか?」
騎士への温かくも厳しい対応は慣れていても、侍女の……更には妊娠・出産といったものへの、直接の対応は殆ど無いのであろう。
珍しくクロードの心配だという事が駄々洩れな様子に、不謹慎ながら可愛らしいなと思ってしまった。
……バレたら物凄い睨まれそうなので、マグノリアは顔を引き締める。
だが、ガイにはバレているらしく、こちらの笑いを誘発するようにニヤニヤしているではないか。
(アイツ~! 後でとっちめてやる!!)
そんな事を思っていると、隣に立っている護衛騎士の表情も困った感じで固まっている。
性格的にリリーの希望を尊重してくれるタイプだとは思うが、彼は彼なりの考えもあるだろうし……
「あの、良いでしょうか」
マグノリアは小さく右手をあげると、クロードとリリー、そして護衛騎士を見た。
「一応希望を確認しておくという形にして、お仕事や今後について決めるのはもっと夫婦で話し合ってからの方がいいと思うのです。
ふたりで事前に話し合いはしていたとの事ですが、実際に実現化してからでは、考えも変わるかもしれませんし……」
クロードとセバスチャンが小さく頷いている。
「今は体調に変化がないけど、急につわりが酷くなって動けない、なんて事も有り得ると思うの」
今度は経験者のプラムがうんうん頷いている。
お産は千差万別。同じ人間でも毎回違うというではないか。
「あと、何処で出産するのか子育てするのかだよね」
リリーのご実家の近くなのか、旦那さんの実家なのか。
アゼンダで過ごすとするなら、お手伝いに来て貰えるのか自分達だけで行うのか。
「少し時間が掛かっても良いから、しっかり話し合って決めた方がいいよ」
「でも……」
リリーが困ったように眉を下げ、言葉を飲み込んだ。
「……もしも気にしてるのが私の事なら大丈夫。他の侍女さん達に必要な時だけお手伝いして貰っても良いし、リリーがいない期間だけ臨時で人を雇う事も出来る」
「…………」
マグノリアは安心させるように微笑んだ。
「今ね、身体に変化が起こっていて、ちょっとした事で不安になったり、今まですんなり流せていた事が妙に引っ掛かったり……気持ちが乱高下すると思うんだ。それが普通なんだけど……だから、リリーが一番楽な、良いと思う方法を夫婦で考えたら良いと思う」
「私が良いと思う方法……?」
リリーが言葉を繰り返す。
主家のご都合を第一に、なんていう人もいるんだろうけど。
それこそ使用人としてのポリシーやプライドがある人もいるんだろうけど。
気持ちは尊重するけど、少なくともマグノリアは、実際は時と場合によると思ってしまう派だ。
「うん。今は赤ちゃんと妊婦さん優先だから。リリーの一番良いと思う方法。
例えばアゼンダで出産すると仮定するなら、一度退職をする。体調を最優先で、短い時間、身体に負担のない仕事をする。何月までと期限を設ける。一度休職して、出産後赤ちゃんが大きくなったら戻って来る……他にも色々方法があると思うの」
「そんな我儘な事を……」
「全然我儘じゃないんだよ? 優先されるのは赤ちゃんだよ」
マグノリアはリリーの手を取り、視線を合わせた。
「ご実家の方が来て下さるなら問題無いけど、無理そうなら一人で家にいるよりもここに来ていた方が気が紛れるって事もあるかもしれないし、急に体調が悪くなった時にも対応が可能かもしれない。仮に働くって決めても、決めた通りに行かない事、出来ない事だってあるんだよ。病気とかよりも状況が変わり易いのが妊娠なんだからさ」
「マグノリア様……」
リリーは泣きそうな顔でマグノリアを見ている。
いつものリリーより感情の高ぶりが激しい気がする。ホルモンバランスがこの世界の人間にもあるのだとしたら、既に変化し始めているのだろう。
「……そうしなさい。取り敢えず、身体に負担がかからない様に過ごして、体調が悪い日は無理せずに休むように。急がないので、決まったら教えて欲しい。なるべく希望に沿うように努力しよう」
静かにクロードが言うと、セバスチャンとプラムも頷いた。
「本当にありがとうございます。……リリー、お言葉に甘えて、そうさせていただこう?」
護衛騎士は頭を下げた後、労わるようにリリーの肩を抱いて促した。
「取り敢えず、今日は早退してゆっくり身体と頭を休めると良いよ。ね?」
働いている側からすれば、色々現状を考えてしまうものだろう。責任感が強い程その傾向が強い筈だ。
だけど。
そんな顔をするよりも、赤ちゃんが来たことを喜んで欲しい。
「……お母様が悲しんだり困ると、赤ちゃんも悲しいんだって。大好きだよ、来てくれて嬉しいよって、まずは伝えてあげて?」
「はい。ありがとうございます」
ふたりは何度も頭を下げると執務室を出て行った。
静かな執務室の中で、全員がマグノリアをまじまじと見ている。
「…………。何ですか?」
セバスチャンとプラムが感心したように頷きながら言葉をもらす。
「まるでどこぞの奥方様かと思うような采配でしたね」
「ご結婚どころか、ご婚約もまだのお嬢様とはとても思えないお言葉でしたわね」
う……っ!
思わず瞳を忙しく左右に動かす。
前世込みで結婚も出産も、婚約すらもしておりませんが、周りには居ましたからね……
「海賊に爆弾を投げつけるお嬢様とは思えねぇっすね!」
ガイに関してはジト目で応戦しておく。
「……海賊に遭遇して爆弾を投げなかったら、いつ投げるのよ!」
取り敢えずと言いながら、コホン、と咳払いをした。
「今は平気でもいつ体調が不安定になるか解りませんから、基本はお休みする位の感覚でお仕事の方はお願いします。無理をして何かあったら困りますから。後は臨機応変に対応しましょう。
念の為、結婚前にリリーが使っていた部屋の掃除もしておきましょうか。……それで大丈夫ですか?」
クロードに投げると、ホッとしたようなヤレヤレとでもいうような雰囲気で頷いた。
デリケートな問題でもある上、基本セルヴェスもクロードも使用人や領民にゴリ押ししないタイプである。なかなか不慣れで気遣わしい問題だったのであろう。
「承知いたしました」
それを見て、セバスチャンとプラムが恭しく頭を下げた。
マグノリアもホッとする。
(……今日はラドリがヴィクターさんの所に遊びに行っててくれて、本当良かったわ……)
ラドリがいると囃し立てて余計にこんがらがる為、居なくて良かった! と思うマグノリアであった。




