リリー、母になる
義理堅いクロードはあの後、図書室の本棚の奥の方からハルティアの本を見つけ出しては、キャンベル商会への荷物と一緒にかの商会の定期便に乗せて貰った。
ラドリに運んで貰っても良いのだが……自らの経験上、あまり良い記憶がない為に止めておく事にしたのだ。ラドリがおかしなことを言ったりやったりして、セルヴェスが暴れるという絵面しか見えない。
(タウンハウスに迷惑が掛かるのも良くないからな……)
ついでに、その方が余計な修繕費がかかるような事態に陥る事もないであろう。
取り敢えず隼に手紙はつけて既に飛ばしてあるので、本はおまけの様なものである。
ましてや異能について、大したことは書かれていなかったのだ。
ジェラルドが読んで、クロードには見つけられないヒントがみつかれば良いのだが……
「……今年は来ないでくれると良いが……」
そして、そろそろ王都にいる人間が夏季休暇の予定を聞かされる時期でもある。
言いながらため息をついた。
……王妃とは違い、王子はマグノリアに興味は一ミリもなさそうであるが。
領地でのあれこれがかなりお気に召したらしい王子は、毎年毎年アゼンダに来ようとする。面倒見の良いヴィクターの対応が、いちいち王子に刺さるのだろう。
……ある種、同じ立場になりうるからこそのポイントが解るという奴なのだろうか。
とはいえ、そろそろ他の領地へも行って欲しいのだが。流石に締め出す訳にも行かないだろうし、どうしたものか。
とにかくヒロインが学院に入学した事で、どうか王子達が王都周辺で楽しく過ごしてくれますようにと祈るばかりである。
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「……ねぇ、リリー。最近体調悪い?」
最近、いつまで経っても細いマグノリアの髪を丁寧に梳かすリリーの手が耳朶を掠める度、温かい事が気になっていた。
「いいえ? 顔色が変ですか?」
不思議そうに首を傾げるリリーの方へ身体を向けると、その柔らかい手を櫛ごと握った。
「……やっぱり温かい。最近熱っぽいよね?」
「そうですかねぇ? 自覚はありませんが……風邪でしょうか。伝染したら大変ですから、お薬を飲んでおかないと」
慌てたように手で口を押さえると、大きく頷いた。いつまで経っても可愛らしい仕草である。
だがマグノリアと言えば、なんだか引っ掛かりを覚えて。瞬間、朱鷺色の瞳を大きく瞠った。
「…………!! ちょ、ちょっと座ろうか?」
「え!? えぇ?」
髪がまだですよと言っているが、それどころではない。
マグノリアは瞳を左右に揺らしながら自らもソファに座り、リリーの手を握る。
「えと。最近やたら眠いなぁとか、何だか気持ち悪いとか……ない?」
「う~ん? そう言えば……先日珍しくお肉が焼ける匂いで気持ち悪くなった事がありましたねぇ」
「…………」
食べすぎでしょうか? と言って笑う。
いやいやいや。多分違うでしょ、と心の中でツッコミを入れた。
……まあ、可能性は零ではないけど……多分違うと思う。
うん。
本当は色々身体の変化とかもあるんだけど、それを未婚の十二、三歳の女の子が指摘するのもどうなのかと思って、一旦口をつぐむ。
更には侍女と不憫護衛騎士のあれやこれやも聞くのも憚られ、再度口をつぐんだ。
……一旦帰って貰って、お医者さんに行って貰った方が良いものか。
いやいや、出掛けている最中に万が一があったら危ないから、お医者さんに来て貰った方が良いものか……!
すっくと立ち上がって、リリーを見る。
「リリーはちょっとここに座ってて? いい、動いちゃ駄目よ?」
「は、はぁ?」
可愛い顔を凄めるだけ凄んで、鬼と化したマグノリアがリリーに言い聞かせる。リリーは茶色の瞳をぱちぱちさせながら、コクコクと首を縦に振った。
マグノリアがご令嬢とは思えない顔と勢いで館の中を移動していると、丁度館を警備中の不憫護衛騎士を見つけては。
「いたーーーっ!!」
「ひっ!?」
凄まじい顔で迫り来るお嬢様に、思わず短い悲鳴をあげた。
「お前、何かやったんか?」
「い、いや!」
同僚騎士の身に覚えがない言葉にブルブルと激しく首を横に振ると、不憫護衛騎士は目の前でお嬢様らしくない顔の(いつもだけど)お嬢様と出来るだけ距離を取るべく、身体を斜めにし、出来るだけ顔を後ろに反らした。
「今すぐ! 可及的速やかに!! 大至急お医者様を呼んで来て!!!!」
「ど、どこかお悪いのですか?」
「違う」
マグノリアは護衛騎士の首元を掴むと、耳打ちする。
「助産師さん……産婦人科系のお医者ね!」
「えっ!?」
産婦人科!? 騎士は何とも言えない表情でマグノリアを見る。
何か意図を確認をしてから……と思うものの、焦れたマグノリアは鬼の様な形相である。
「良いから! 早く!!」
「はい! 只今っ!!」
走って行く不憫護衛騎士を、騎士とマグノリアが見送った。
今はスン、としているお嬢様の変りようを見て、如何にもギルモア騎士団らしい筋骨隆々の騎士は、マグノリアに確認されて、プルプルと首を横に振った。
「ひとりで警備出来る? 誰か呼ぶ?」
「……いえ、大丈夫です!元々その先で別れる予定だったので……!」
一見可愛らしいが、そこそこ長い期間騎士団にいる者であれば、マグノリアがその辺の大人以上にやり手であり、口が回る事も知っている訳で。
更にはご令嬢でましてや子どもなどと侮っていたら、隠し持った鎚鉾や警棒でぶん殴られるばかりか、魔道具爆弾を使って爆破するわ拘束するわと、下手したら殺られ兼ねない強者(殺らないが)である事も知っている訳である。
見目に騙されてはならない。やはりギルモア家の人間なのだと声を大にして言いたい騎士なのであった。
馬を急がせて帰って来た護衛騎士と一緒に、お婆ちゃん先生がやって来た。
馬を駆る音にロビーで待っていたマグノリアがいそいそと階段を登り、部屋へと案内する。
何だか急におかしな態度を取り出したマグノリアに休んでいる様に言われ、訳も解らぬままにソファに座っていたリリーであったが。
部屋に女医……助産師と夫がやって来て、びっくりしたような顔をした。
そして流石に何かに思い当たったようで、急にアワアワし始める。
「先生、診ていただきたいのは彼女です。微熱と吐き気が見られるようですが、本人は無自覚なようです……私は外に出ておりますので。お湯とリネンはあちらに用意してあります」
「はいはい。承知致しました」
テキパキと説明をするマグノリアと、穏やかに頷くお婆ちゃん先生。
一緒に出て行こうとする護衛騎士を部屋に押し戻し、マグノリアは部屋を出た。心配なので廊下で待機している。
……そう時をかけずに呼ばれる事になる。
そこには、顔を真っ赤にしたリリーと護衛騎士がいた。うむ。
「お嬢様はまだお若いのに良く解りましたねぇ。お見立て通り、おめでたですよ」
お婆ちゃん先生がニコニコしながらそう言った。
(おお! やっぱり!)
……多分そうだろうと思ってはいたが、実際に聞くと感無量というか……
姉の様なリリーが遂に母親になったと思うと、不思議な感じと嬉しいと驚きとが交じり合って、不覚にも涙が出そうになる。
「まだ初期ですからね、身体に気をつけながら過ごして行きましょうね」
「ありがとうございました」
とても柔らかい雰囲気のお婆ちゃんで、安心して色々話せそうな感じの先生ではある。
多分今後、初めての事で色々不安になったり迷ったりする事になるだろうから、相談し易いというのは大切な事である。
「お送りして来ます……」
おずおずと護衛騎士が扉を開けた。
「馬車でお送りしてあげて」
「はい」
ふたりを見送っても、ぼーっとしたような表情でいるリリーに、マグノリアが瞳を合わせた。
「リリー、おめでとう。お母様だね」
「……お母様……」
うわ言の様な声で呟く。そしてそっと、未だ膨らんでいないお腹を撫でた。
「うん。そうだよ。もうお腹に赤ちゃんがいるんだから、この子のお母様だよ。体調に問題が無ければ普通に過ごして大丈夫だと思うけど、少しでも辛かったらすぐに休んで。多分初期が一番体調悪いって言っても過言じゃないから」
次々に続く注意を聞きながら、リリーは感心をする。
「マグノリア様、良くお解りですねぇ。私、全然気づきもしませんでしたのに……お恥ずかしい限りです」
「まぁ、結婚しているんだしね。それに初めての事だから、もう少ししたらきっと気付いたと思うよ。
……安定期に入るまでは人に言いたくないけど、仕事柄報告しておかないと不味いかなぁ」
地球標準と異世界では違うかもしれない。
リリーはマグノリア付きである為に、館の重労働なもの等の作業は殆ど無いとはいえ、どうなのだろうか……
腕を組んで難しい顔をするマグノリアを見て微笑むと、大きく頷いた。
「クロード様と、同じマグノリア様付きのガイさん。そしてセバスチャンさんとプラムさんに、取り急ぎご報告致します」
「うん。……言い辛いとかない?」
「大丈夫です」
医療がそれ程発達している世界ではない。
出生率がどの程度なのか解らないが、且つてマグノリアがいた日本とはかけ離れた数値である事は想像に難くない。
「ありがとうございます。マグノリア様」
リリーの微笑みは、陳腐だけど聖女みたいだった。
優しくて、幸せそうで。そして全てを包み込むような。
どうか、元気に生まれて来て欲しい。
マグノリアは心からそう願った。




