妖精の力・超聴覚
ブライアンは扉の前で逡巡していた。
『何してんねん、早よノックしぃな!』
そう、この妙なテントウムシである。
近衛の制服の肩に、ちょこんと乗る虫。
……ちっちゃくって丸くって赤い。一見可愛い見た目であるが、完全におっさんなのである。
更には非常におしゃべりで四六時中、隙あらば喋っている。煩い。非常にうるさい。
ブライアンは一週間程様子をみていたが……疲れて幻聴が聞こえていると言う訳でもないらしく、ずっと虫たちの声が聞こえている。
そして今まで思ってもみなかったが、虫というのはありとあらゆる所にいるらしく……
外で訓練をすれば虫の叫び声が聞こえ(騎士に踏み潰されそうになっている、もしくは踏み潰された)。
学院で護衛に付けば虫の文句が聞こえ(学院は生徒が多いので虫にはデンジャラスな場所らしい。時に変な教師も合わさる)。
家に帰れば庭からも屋敷の壁や天井からも、ベッドの下からも。
あーでもないこーでもないと話声や悲鳴と怒鳴り声が聞こえて来るのだった。
自分は気が触れたのかと思ったが。仮に今現在正常だとしても、そう遠くなく変になりそうな気がして仕方がない。
『大丈夫や、その内慣れんで!』
そう言いながら細くてギザギザした手(脚)で、トントンとブライアンの肩を叩いた。
とはいえ。多分このおかしな状況に何かしらの答えを出せるとするのならば、父か祖父しかいないであろう。
何となくではあるが、多分これは例の異能――ハルティア王家に多く出現する『妖精(精霊)の力』というやつでまず間違いはないであろうと結論付ける。
願わくば、対処法があると有難い。
「……失礼致します」
「入りなさい」
柔らかいが不思議と落ち着きのある声が聞こえて来る。
見た目も爽やかで優しい王子様の様であるので、うっかり騙されてしまうが。
自分も成人してみて思う父というのは、爽やかな優しい王子様ではなく、腹黒で意外に喰えない人であると言う事だった。
(まぁ、身内で良かったよ)
味方であれば、これ程心強い事も無い。頼りになる人であるのは変わらない事実だ。
珍しく自ら執務室にやって来た息子を見ると、どうしたのか、何やらげっそりした顔をしていた。思わず、茶色い瞳を瞬かせる。
制服の肩に乗っているテントウムシにふと目が行く。
虫に気が付かない位疲れているのか……はて、そこまで忙しかっただろうかと、ジェラルドは首を傾げた。
「お忙しいところ申し訳ないのですが、ハルティアの『妖精の力』についてお伺いしたいのですが……」
思いつめたような息子の表情に、ジェラルドは小さく頷く。
「現存する資料が殆ど無いので口伝な上、余り詳しい事は解っていない」
そして妖精国ハルティアの建国の話から滅亡に至るまでの簡単な歴史と、妖精や精霊の力による魔法・魔術に似た力の説明をする。
「その、似た力というのはどういうものなのでしょう。……具体的に」
「……うん。魔法と魔術は実は明確な違いがあるのだが。何だかんだで実際は重なる所も多い。一般的に良く言われているのは『魔法』だな」
過去には魔法や魔術とほぼ変わらない事が出来たらしい。
攻撃や防御に留まらず魔法で出来る、ありとあらゆることが可能だったそうだ。
「……凄い……」
モンテリオーナ聖国の人間と違い、ハルティアの人間に魔力はない。
元々は妖精だったと言われるハルティアの民。
魔力の代わりに自然の力などを宿していたそうだ。その妖力の様なものと、他の妖精や精霊、自然界のありとあらゆるものの力を借りたり増幅させたりして、不思議な現象を起こしていたと伝えられているらしい。
「現在、当時と同じように力を使いこなす事は不可能だ。お前の曾祖母であるアゼリア姫は妖精と精霊との会話と目視しか出来なかったと聞いている」
「会話……」
ジェラルドが考えるように続けた。
「お祖母様が生き永らえたのも妖精たちの導きに従ったからだそうだ。目には見えないが妖精や精霊たちは近くにおり、様々に力を貸してくれようとしている。
……例えば虫の知らせだな。あれは妖精たちが人間に知らせている内容だけを受け取っているそうだ。姿や声は感じられない為に、予感がするという事に変換されている」
「……では、屋敷内にも妖精や精霊はいると言う事ですか?」
ブライアンの問いに、ジェラルドとテントウムシの返事が重なる。
「そうだな」
『おるでぇ!』
ブライアンは、眉が顰められそうになるのを懸命に堪えた。怒ったような困ったような変な顔をする息子に、ジェラルドは密かに首を傾げる。
「彼らは自然の多い場所を好むし、人工的な場所だと生命力が弱まるので少ないがな」
「……父上はそれも見えるのですか?」
「いや。見えんな」
大の大人の男がふたりで、妖精だ精霊だとファンシーな会話であるが。ブライアンは大真面目である。
首を振る父にいよいよ本題に入る事にした。
「その……妖精の力の発現というのは、いつでもありうるのでしょうか?」
「大概は幼少期に現れる事が多い。純粋だから妖精や精霊の力が及びやすいのだろう。無論、大人になってから現れる事もあるだろうとは思う」
ちなみに当家の子ども達に発現の様子はなかった、と言われる。
先祖返りの見目と言われるマグノリアの事も聞いていると感じたのであろう。
「……それで? ブライアン。何が視えたか感じたか?」
驚いたような顔をしたブライアンに、ジェラルドは苦笑いしながら頬杖をついた。
急にこんな話をし出すなんて、丸解かりである。
ブライアンは決まりの悪い子どもの様に数度瑠璃色の瞳を左右に揺らすと、小さくため息をついて、この一週間の出来事を語り始めた。
******
「……虫の声?」
「はい……」
言いながらブライアンの肩の上の虫を見る。
なるほど、飛び立たないのも払わないのも、意思の疎通が出来ているからなのか。
「うーん。まあ、虫も自然界の一部だからな……ありえなくはないのではないか……?」
クレアオーディエンス。
普通は聞こえない声や音を聞く事の出来る能力。いわゆる超聴覚だ。
更にいえば、人の考えている事が聞こえるのもこの能力に分類される。
しかし、虫。
……その絶対数から考えて、物凄く騒がしい事であろうとジェラルドは想像する。
(何故そんなものを聞かせようとするのか……多分、面白いからだろうな。妖精らはそんな奴らだ)
「声を一時的に遮断するとか、方法は無いものなのでしょうか?」
「その、肩のテントウムシはなんと言っているんだ?」
気付いていたらしい父の言葉に眉を上げ、肩の上に意識を向けると、何とも言えない微妙な表情をした。
「……慣れ、だそうです」
「……。他の生き物の声は聞こえないのか?」
「今のところは。一瞬だけ鳥の声が聞こえた気がしたのですが……」
「それは……より一層騒がしそうだな。では今後、他の生き物の声が聞こえる事もありうるかも知れないな」
ブライアンは口をへの字に曲げ、心底嫌そうな顔をした。
……気持ちは解る。
すると、肩から舞い上がったテントウムシは、ジェラルドの座る執務机に降り立った。
多分何かを言っているのであろう。二本脚で立つと、残りの脚をうごうごと動かしている。
「……何と言っているんだ?」
「意訳とそのままと、どちらが宜しいですか?」
「そのままで」
ブライアンはちらりとテントウムシを見遣る。
「『お~、アンタも妖精王の末裔か! 倅とは違ごうてエッライ腹黒やなぁ。ワシは虫の貴婦人『れでぇバグ』やで! 宜しゅうお頼み申します~。
取り敢えずお前んとこのボンボン、世話する事にしたったで。まあ、これも乗り掛かった舟、袖振り合うも他生の縁や。宜しゅうな』……だそうです」
「…………。変った言葉遣いだな。オスなのか?」
「多分」
何とも言えない空気が蔓延するが、ジェラルドは小さく頷いてテントウムシに向き直った。
「ブライアンの父のジェラルドだ。その通り、ハルティアに祖先を持つ。息子を宜しく」
テントウムシは頷くと羽ばたき、ジェラルドの周りをひと回りしてからブライアンの肩に戻って行った。
事実のようである。
「どうして今回、急に発現したのでしょう?」
「その辺は解らんな。ハルティアには手がかりもあったのかもしれないが、書物などはすべて燃やされてしまったそうだからな」
「そうですか……」
「多分、私よりその虫の話を聞いた方が確実だろう」
ジェラルドの言葉に、ブライアンは頷きながらも小さくため息をついた。




