ブライアンとヒロインの落とし物
春のとある日、ブライアンはジェラルドの執務室へ呼び出された。
近衛の制服のまま現れた息子を見て微かに表情を緩めると、応接テーブルを勧める。
お茶を淹れていたギルモア家の家令であるベルノルトが、静かに頭を下げて部屋を出て行った。
今年十九歳になるブライアンは、見目麗しい凛々しい青年に成長した。
子どもの頃は我儘で乱暴な所が目立つ少年だったが、本人なりにかなり努力をし、今では侯爵家の嫡男として不足なく成長するに至ったと思う。
……そこはマグノリアが絡まなければという但し書きがつくのではあるが。
「近衛の方は順調か?」
「はい。皆様良くしてくださるので、何とか熟せております」
遠見の通り、王子の側近となり、近衛に入隊したブライアンは、正式にアーノルド王子の護衛騎士となった。
ジェラルド譲りの金髪と、母親譲りである瑠璃色の瞳。優し気な風貌の両親よりも精悍さが勝るのは、彼の祖父や曾祖父の遺伝子が強く出ているのであろう。
稽古をしても筋肉が付きにくいジェラルドと比べても、遥かに厚い筋肉に覆われている事が解る身体つき。
武人の家系であるギルモア家らしい青年である。
今のブライアン位の頃に自分はギルモア侯爵になったのだなと思うと、月日が流れるのは早いというか感慨深いものであると思う。
「……王子はどうだ?」
ジェラルドの言葉に、ブライアンは少し困ったような表情を浮かべた。
「……そうですね。努力はなさっていると思うのですが、やはり環境もあってか思うようには進まない事もあるようです」
そんな事は父も良く知っているだろうに。そんな事を聞くために自分を呼んだのであろうか。
ブライアンは瑠璃色の瞳で父をみつめた。
「……今年、キーマンが入学する」
「キーマン?」
いきなり切り出されたジェラルドの言葉に、ブライアンは言葉を繰り返した。
何の……とは問わずとも、きっと遠見で視た未来の事であろうと推測する。
キーマンとは誰なのか。
そうなりうる人物……今後、王子と関りが深くなりそうな人物。例えばマリナーゼ帝国の皇子もガーディニアも既に入学済みである。
「……マグノリアは入学しないのですよね?」
「ああ、あの娘は学校を作っているそうだ」
「学校を作る……?」
またまた。
本来まだ王立学院に入学する年な筈の妹は、何やら意味の解らない事をしているらしい。
「国力……いや、領内の底上げを考えているんだろうな。領民に教育を与える学校を作るつもりらしい」
「平民に教育を施すのですか?」
何の為に、と口をついて出そうになるが。
妹も父も納得しているらしいと言う事は、自分には理解出来ない何かがあるのだろうと思い、口を閉ざした。
「人口の大半は平民だ。我々の生活も平民の存在無くては立ちいかないという事だ。その能力を上げれば全体の能力や質も上がるというもの……まあ、マイナスの側面が無い訳でも無いが。余りあるプラスの方が多いであろう」
それは置いておいて、という言葉と共にお茶を口に含んだ。
「マグノリアのお披露目の席での事を覚えているか?」
「……はい」
忘れよう筈も無い。恥ずかしくも苦い失敗もさることながら、先祖――ハルティア王家に伝わる信じられない異能の話は、とても現実のものと思えなかった。
ただ、過去に人が亡くなっている事もあり、軽々しく口にするのも憚られてはっきりと明言はしていないものの、ある意味タブーとなっている話題である。
「本来あった未来とは違う動きをしているが、その大きなきっかけとなる人物が今年学院に入学するはずだ」
「……名前を伺っても?」
ジェラルドは裏ギルドや独自の伝手を使い、該当しそうな家や人間をつぶさに調べた。
マグノリア達と違いゲームの知識がないジェラルドは、もちろん、マーガレットの名前も素性も知らない。
遠見の力で見た、金髪に萌黄色の瞳の、見目整った少女。
多分下級貴族であると言う事。元々は市井で暮らしていたと言う事。
それらを繋ぎ合わせて探し出した少女は、ポルタ男爵家の養女だった。
「マーガレット・ポルタ男爵令嬢だ」
「マーガレット・ポルタ……」
ジェラルドは小さく頷く。
「どういうきっかけでお前たちと関わるのかまでは解らない。だが、必ず意図するしないに関わらず接触して来る事になる」
王子とその側近にと言う事だろう。
『なると思う』ではなく『なる』
立場上、普段からあからさまでないにしろ、女性が色々と接触して来る事は多いのだ。
一介の男爵令嬢が王子と親しくなるというのは考え難い事であるが……そういう未来がジェラルドに視えたのだろう。
「多分、とても魅力的に映る筈だ。だが、都度マグノリアが同じことをしたとしても同じように感じるのか、考えてみてくれ」
「……解りました」
納得出来るかと言われれば、いまいち何とも言えないが。一切合切を飲み込んで頷き、返事をした。
執務室を辞しながら口の中でもう一度、マーガレットの名前を転がした。
*****
護衛を交替し慣れた学院内を早足で進んでいると、授業の移動途中なのだろう、回廊を生徒たちとすれ違う。
そして、ひとりの少女とすれ違った時、白い手巾がはらりと床に落ちた。
「もしもし、落とされましたよ?」
渡す為に拾い上げた白い手巾の角に刺された刺繍はマーガレット。
何故だかブライアンの心臓が大きく跳ね上がる。
「……え?」
小さくそう言いながら振り返った少女を見て、思わず言葉を失った。
何と可憐で美しいのだろう。
陽の光のような眩い金の髪。萌え出る若葉色の瞳。ピンク色の小さな唇と、触れれば折れてしまいそうな華奢な身体。
……まるで、春の女神のようだと思った。
……彼女なのだろうか……?
「……マーガレット・ポルタ?」
見ず知らずの騎士から自分の名前を告げられてびっくりしたが、市井に暮らす頃にもその美貌が噂になって、名前を知られている事は度々あった事である。
「はい! 何処かでお会いしましたか?」
マーガレットは蕩けるような笑顔を向けた。
「いや……これ、落としましたよ」
ブライアンがそう言いながら拾った手巾を差し出すと、
「いっけなぁい☆ ありがとうございます!」
コツンと自分で自分の頭を軽く拳で叩くと、小さく舌をぺろっと出す。
そして嬉しそうに礼を言いながら、手巾と一緒にブライアンの大きな手を握った。
「……!」
「うわぁ! 手、おっき~い♡」
びっくりしつつも楽しそうにきゃいきゃいと言うと、あろう事かブライアンの手を取り、手のひらを合わせて来る。
「すごぉい! こんなに大きさが違う♡」
細く白い小さな手と、逞しく大きな手。
第二関節程も違うそれを見せながら、再び蕩けたように笑う。
顔にどんどん熱が集まるのを感じるものの、ジェラルドの言葉を思い出す。
――多分、とても魅力的に映る筈だ。だが、都度マグノリアが同じことをしたとしても同じように感じるのか、考えてみてくれ――
目の前の少女、マーガレットはとても愛らしい。
無邪気で、屈託なく、天真爛漫……令嬢らしい言動からは程遠いだろうが、嫌な気持ちにはならない。
それどころか甘やかな、なぜか放って置けないような気持ちを感じる。
(もしマグノリアだったら?)
男に媚びるような表情、何かを企んでいるのだろう微笑み、愚か者。
仮にも侯爵令嬢ともあろう者が、いきなり男の手を取り合わせて来るなど。
汚らわしく、嘆かわしく、多分叱りつける事だろう。
ブライアンは冷や水を浴びせられたような気持ちを味わう。
(……酷いな……)
自分の気持ちの変りようも。目の前の少女の行動も。
確かに、ジェラルドの言っている事は尤もだった。
冷静になったブライアンは、取り繕った微笑みを浮かべる。
「……騎士様?」
「……いや、失敬。これは君のもので間違いはない?」
それとなく合わせた手を外しながら、不自然にならない様に手巾を指さした。
「はい。どうもありがとうございます」
上目遣いでブライアンを見遣る。
本来礼を言う時は頭を下げるべきだが……ブライアンの肩よりも低い背のマーガレットは、自然と上目遣いになってしまうのだろう。
「それは良かった。次の授業の移動中ではないのかい?」
胸に抱え込んでいるノートを見て言えば、ハッとしたようなマーガレット。
「大~変☆ 急がなきゃ遅れちゃうっ! ありがとうございました、騎士様ぁ♡」
そう言って走りながら、手巾と共に右手を上げて大きく振った。
慌てながらも礼を言いながら走って行く姿は愛らしいが……マグノリアとまではいかず、他のご令嬢だったとしても礼儀やマナーは教えられていないのかと眉を顰める事だろう。
――相手によってこんなにも、考え方や気持ちが違うものなのだろうか?
妹に対して持ってはいけない感情を感じた時と同じ位、意味も解らずマーガレットに惹かれてしまう感情に恐怖を感じる。
(確か、過去に父上は『強制力』と言ったか……)
そう、訳の分からない自分の偏見なのか、歪んでいる認識なのかに密かに凹んでいると。
『きゃー! ボウヤ! ボウヤ!?』
何処からか小さな悲鳴が聞こえて来る。
思わず周囲を見回すブライアン。
しかしここは学院内である。
……ご婦人の様な声が聞こえて来たが、ご婦人もボウヤもいないであろう。
更には、結構近くから聞こえている筈なのにかなり声が小さい。
「??????」
……今も泣き叫ぶような声が聞こえる。
首を捻りながら声のする方へ進んで行くと、中庭から何かが目の前を横切るように飛んで来た。
『どないしたんや? ダイジョウブかいな!?』
『人間の少女に、ボウヤが蹴り飛ばされて……!』
『そりゃ、大変なこっちゃ! おい、ボウズ、解るかぁ?』
(……虫?)
思わず瑠璃色の瞳を瞬かせるが、間違いなく虫がとまった場所から、小さな怒鳴り声(?)が聞こえて来る。
そっと声に近づくと、アリとテントウムシが何やら動いている。
(…………)
ショッキングな出来事に、顔をずずいっと近づけた。
『……おい、おい!』
『……あ、れ? おかあちゃん?』
『ボウヤ! ああ、良かった!』
気絶していたらしい子アリが母アリに抱き締められていた。
『ボウズ、良かったなぁ。痛いところは無いか?』
『頭が痛いよ』
『どれ……あ~、デッカイたんこぶ出来とるわいな。しっかし、あれだけ豪快に蹴っ飛ばされて、コブだけで良かったなぁ』
流石ありんこや。と、テントウムシが言いながら子アリの身体を確認すると、他に怪我している様子も無いのか、満足気に子アリをぽんぽんと前脚(?)で軽く叩いて励ました。
『とんだ災難やったなぁ。ここは人間の子どもが仰山おるさかい、気ィつけたってえや!』
『本当にご親切に。ありがとうございます』
母アリが礼を言いながらペコペコ、テントウムシに頭を下げている。
(……一体、何を見せられているんだ……?)
というか、虫が喋っている?
ブライアンは信じがたい出来事に、口をへの字にして再び虫たちのやり取りに視線を戻した。
『おじちゃん、バイバーイ』
『お~、気ぃつけてなぁ!』
頭を下げながら歩いて行くアリの親子に、テントウムシが変な言葉で話し掛けながら手を振っていた。
『……ほな、ワイも行こか……って、うわぁ!?』
振り返って飛び上がったところにブライアンの顔があって、びっくりしたように叫び声をあげると、一瞬軌道がヨレヨレになって、再び元気に戻った。
『なんやねん! いきなり人がおってびっくりしたわ!……妖精王の末裔じゃねぇか。えっらい しけた顔しとるな~』
キヒヒ、と笑いながらブライアンの顔の前でブンブン飛んでいる。
思わず顔を顰めると、更に言い募って来る。
『お前らのヒロインっちゅう奴が、さっきのボウズ蹴り飛ばしたんや! 仮にも貴族の娘だろうに、何ちゅーガサツな娘なんや! おい、代わりに謝ったりぃな!』
何というガラの悪い虫なのだろう。
(しかし。間違いなく虫が喋っている言葉が解るようだ……一体、これはなんだ?)
飛び回るテントウムシを尚も視線で追っていると、なんだか小首を傾げたように小さな頭を動かして、口を開いた。
『なんや、お前さん、もしやワイの言葉が聞こえるんか?』
おずおずと頷くと、へぇ、と言いながらくるりと大きく旋回した。
そしてブライアンの目の前で再びホバリングすると、偉そうに言い放つ。
『ワイは虫の貴婦人、『れでぇバグ』やで!』
「……いや、貴婦人って、お前は多分オスだろう?」
ブライアンはしょっぱい顔をしながら、貴婦人虫と言われるテントウムシのおっちゃんに向かって、至極ごもっともな事を言い返した。
*****
「僕、生まれて初めて『忍法・隠れ身の術(?)』をやったよ」
「意外に気付かないモンなのね」
回廊の壁に、同系色の布をピンと伸ばし、隠れるように手と足を使って壁と同化するユリウスとヴァイオレット。
周りの様子が見えるように、目の所だけ傷や窪みに似せて穴を開けてある。もちろん、ヴァイオレットのお手製である。
ふたりは今、『逞しい騎士様にドッキドキッ☆ 運命の落とし物』イベントの鑑賞中である。
「……これで攻略対象者の出会いイベントは終わりなんだよね?」
「いや、ジェラルドとクロードがあるんじゃないかな?」
ヴァイオレットの言葉を聞いて、ユリウスが眉を顰める。
「いや、ギルモア侯爵は宰相じゃないでしょ? 今回も攻略対象者なの?」
「解らないけど、違うという保証もないじゃない」
「……どこで会うのか知らないけど、王宮は無理だよ!? 不審者として間違いなく捕まるからね?」
ユリウスが嫌そうに言い放った。
「え~、乗り掛かった舟じゃん」
「国際問題になるよ!」
言い合いをしながらも、ふたりはしゃがみ込んだままブツブツと何かを言っているブライアンに再び瞳を向け、同時に首を捻った。
「どうしたんだろう?」
「マーガレットの可愛さに、やられちゃったのかな?」
ふたりは『忍法・隠れ身の術』を続けながら、顔を見合わせた。
アリの生態がおかしくない?
――そうですね、地球のアリはその通りだと思います。




