閑話 我らにお米がやって来た
『お~い、ユリウスぅ』
ユリウスが寮の部屋でゴロ寝を決め込んでいると、不思議鳥類・ラドリが飛んで来た。
思わず飛び込んで来た窓を見て、しっかりと開いていた事に胸を撫で下ろす。
一度、閉まっている窓ガラスをまんまとぶち破って入って来た事があった。
割れたガラス窓と飛び散る破片を眺めながら、どうしたものかディーンとふたりで途方に暮れたものである。
「久々だね、ラドリ。今日はどうしたの?」
『マグノリアから、荷物だよぅ』
そう言うと、ラドリは黒い小さなポシェットから、小さな包みを引っ張り出す。
あの手羽先ではどれだけ小さい荷物も持ち上がらないだろうと、ユリウスは苦笑いしながらポシェットの近くに右手を差し出した。
ユリウスの手のひらに乗せられたのは小さい包みだった。
手巾で包まれたそれは、中に細かいものが入っているようでサラサラと小さな音をたてた。
「!?」
不思議に思いながら呑気に結び目を開いていたユリウスだが、出てきたものを見てミントグリーンの目を瞠った。
「こ、これは……!!」
『弾け麦☆』
「みつかったの!? 何処で!?」
小さな肩を揺さぶろうとするが、小さすぎる為に人差し指でユサユサすると、小さくため息をつかれた。
『マホロバ国だよぅ。これからヴァイオレットのところ行く~』
「マホロバ国? ヴァイオレット?」
マホロバ国ってどこだっけ? そして何故ヴァイオレット??
ヴァイオレットの名前を聞いて、少し冷静になる。
――もしかしなくても、あの、おかしな行動をしている子爵令嬢の事だろうか?
何やらアーノルド王子達やガーディニアの事をじっとりと見つめ続ける変人令嬢。
成金子爵家のご令嬢らしいが、学院でもちょっとした有名人な彼女だ。
「はっ! それよりも急いでアゼンダに行かなくちゃ! 米! 米がオイラを呼んでいる!!」
ユリウスは部屋の端に引っ掛けてある外套を掴み取ると、急いで辺境伯家のタウンハウスへと走る事にした。
「ユリウス殿下? 如何なさいましたか?」
いかにも家令然としたトマスが、驚いたように少年を見下ろした。
肩で息をしている様子から、皇子は余程急いでやって来たと見える。
「……辺境伯家へ、早馬を、出そうと思った、のですが……はあはあ」
「ちょっと一旦中で休憩なさいませ。さあ」
招き入れると、いつもの温かなお茶ではなく、氷の入った冷たいお茶が差し出される。
(アイスティー! 有難い……!)
本当なら麦茶をゴクゴクと飲みたいところであるが。
お茶といえば温かいものが当たり前の世界で、冷たいものが出て来るだけ有難いというものである。
上品さはどこへ放り投げたのか、ゴクゴクと喉を鳴らしながら一気に流し込んだ。
「実は、急遽辺境伯領へ伺おうと思いまして。事前に早馬でお知らせするべきなのですが、先程決まりまして」
「はい……」
トマスは青い瞳を瞬かせる。
アーノルド王子や学院の教師達と違い、常識的な少年であるユリウスがこんなに急ぐのも珍しい事である。
「ご事情がおありになるのですね。早馬で間に合わないのでしたら伝書鳩を飛ばしましょう」
鳩ではなく隼であるが。
「殿下が伺うこと以外に、当家の者へ伝言はございますか?」
「マグノリア嬢へ、ラドリ案件承ったと。辺境伯とクロード殿にも急な来訪で申し訳ないとご伝言いただければ幸いです」
ラドリ案件。
いきなり突っ込んで来る小鳥の案件と言う事は、マグノリアが何やら糸を引いている(?)のであろう。
それよりも、他国の……それも大国の皇子を自領――それも辺境くんだりに呼びつけるのは良いのであろうか。
普通は侯爵令嬢が馳せ参じるのではないのだろうか?
そう思ったトマスであるが、マグノリアにしてもユリウスにしてもヴァイオレットにしても、ちょっと変……んんっ、独特な感覚の持ち主である故、そのような事は些細な事なのだろうと飲み込むことにする。
「……畏まりました」
「…………。キィ」
全て察した様なトマスとは裏腹に、ラドリの名前を聞いた隼が嫌そうに鳴いて首を振った。
ユリウスが礼を述べタウンハウスを去すると、貸し馬屋へ急ぐ。
トマスが馬の貸し出しを申し出てくれたが、万一の事があると恐ろしい金額を払わねばならなそうな立派な馬ばかりだったので、ダイジョウブデスと言ってフェイドアウトして来たユリウス。
往来を急ぎ足で歩いていると、後ろの方からざわめきが聞こえて来る。
はて? と思い後ろを振り返ると、
「どけどけどけぇぃ! どけどけどけぇぃ!!」
そう叫びながら、リシュア子爵令嬢が馬車を爆走させている姿が瞳に飛び込んで来た。
(……え? えぇ?)
ヴァイオレットのとても令嬢とは思えない表情に若干引きながらも、その尋常じゃない有様に瞳を瞬かせた。
******
遡る事十五分前。
『ヴァイオレット~! おっひさぁ☆』
「おー、ラドリじゃん? どうしたん? マグノリア帰って来たの?」
部屋にひとりだった事もあり、口調が完璧に地球のそれである。
『うん。もうすぐ着くよぅ。これ、ヴァイオレットにって♪』
そう言って例のポシェットを開け、ヴァイオレット宛ての荷物を引っ張り出した。
荷物は放物線を描くように落ちて行き、図ったようにヴァイオレットの手のひらに着地した。
サリっとした小さな音。
「何、これ?」
『弾け麦!』
ラドリが小さな鳩胸を張る。
……いつもドヤってるけど、基本マグノリアの手柄じゃん、と思いつつもお口チャックで包みを開ける。
(弾け麦って何なん? また不思議植物?)
そう思いながら開くと、中には小さな丸い、半透明の白い粒々したものが沢山入っていた。
「!! ……ちょっ、これ!!」
震える声で言いながら、ヴァイオレットはホバリングするラドリを見上げる。
『弾け麦!!(ドヤァ!)』
「おおぉ……っ!!(効果音)」
……つーか、こうしちゃ居れん!!
ヴァイオレットはいつでも出発できるように用意してあった旅行かばんをむんずと掴むと、凄まじい形相で階段を駆け下りた。
「ヴァイオレットお嬢様!?」
書類を持って廊下を歩いていた家令がびっくりして、思わずといったような上ずった声をあげた。
「ど、何処へ行かれるんですか!?」
「アゼンダ辺境伯領!」
「え!? ちょっとお待ちくださいませ……!」
前世では病弱だったし、今世はお嬢様ゆえ重い荷物なんて持った事がないのに、大きなカバンを軽々と持ち上げると馬舎へ向かって猛然とダッシュする。
「お嬢様! せめて奥様か旦那様がお帰りになるまでお待ちくださいませ!!」
家令はオオグソクムシもかくやといった風に足をわしゃわしゃさせながら追って来る。
「無理! 一刻も早くアゼンダに行かなきゃ!!」
そう言い捨てると、点検の為に馬と馬車を繋いでいるのを発見し、俄然ダッシュする。目を白黒させるお世話係を尻目に口早に問題無いか確認すると、カバンを馬車の中に放り投げて、自らは御者台に座り。
「はいやーっ!」
気合を入れて馬に合図をすると、凄まじい速さで屋敷を飛び出して行ったのであった。
「お嬢様ぁぁぁ!!」
後には、哀し気に叫ぶ家令の声が響き渡ったとかいないとか。
*****
ユリウスはちょっとお近づきにはなりたくないけれども(いろんな意味で)、今このタイミングで馬車を爆走させていると言う事はそういう事なのだろう。多分。
(しかし、なんで『コメ』を知っているんだろう?)
一、転生者である。
二、マグノリアの料理の信奉者である。
三、全然関係ない事で馬車を走らせている。
さて、どれなのか。
「もしもーし、ヴァイオレット嬢?」
ユリウスは走りながら呼びかける。
あぁん?という、大変ガラの悪い声が聞こえてきそうな表情で横を向く。
「もしかして、アゼンダ辺境伯領に行くのですか?」
「はい……え? なに? ん??」
頭の中がハテナでいっぱいと言わんばかりの顔で、茶色の瞳をパチパチしている。
「僕も向かう途中なのです。乗せていただく事は可能ですか?」
ユリウスの言葉にヴァイオレットは、コクコクと頷いた。
……まあ、幾ら錯乱状態とはいえ、大国の皇子にお願いされて却下する事なんて不可能なのであるが。
「よっ!」
御者台の端に手をかけると、重力なんてないかの様にゆったりと空中を滞空しながら飛び乗る。
「わっ!?」
「ちょっと待ってね?」
にっこり笑うと、ノートの切れ端に、ずっと探していた珍しい商品の件でアゼンダ辺境伯領へ行く事。マリナーゼのユリウスも一緒である事を走り書きして折り畳み、馬車の後ろを見遣る。
(あれ、いないな……? まあ落としておけば拾うか)
ユリウスはそう心の中で独り言ちると、紙切れを道に落とした。
辺境伯家のタウンハウスへ訪問した際、無事に辺境伯領へ行きつくように見張りがつけられていた。
一応内緒で見守るテイだが、人の気配を察知する事に慣れているユリウスはもちろん気づいていたのである。
トマスが、万が一にもユリウスが怪我をしたりしないよう、もしもの時にのみ手助けするようにと言い含めてつけさせていたのであったのだが。
ひらり。
建物と建物の間に音も無く舞い降りると、若いお庭番は紙切れを拾った。
「ちぇっ、気付いてたのかぁ。皇子のくせにやるじゃん?」
ある程度離れても追尾出来るよう、そして人ごみでも見失わない様に屋根の上から追走していたのである。
「あー、でもリシュア邸に行ってたら追尾出来ないなぁ」
行先は解っているものの、その間に何かあったのでは責任問題である。
「あ!」
(丁度いいのみっけ!)
視線の先には真新しい陸軍の制服を着たデュカス青年がいた。
学院を卒業したデュカスは、取り敢えず軍に就職する事にしたのであった。
元気が有り余っている為、きっと天職であろうと(周りの人間が)思っている。
「こんにちは。これ、ユリウス皇子からリシュア子爵邸の家令さんに渡して欲しいそうです。オレ、場所解らないのでお願いしまーす!」
相手に二の句を告げさせないよう、早口で言うと、手の中に紙切れを押し付けて走り去る。
「おい! ちょっと待て!!」
辺りにデカい声が響き渡る。
が、手の中に押し付けられた紙を見た一瞬の隙に、目の前の男がいなくなってしまった。
キョロキョロと辺りを見回すデュカス青年に、お庭番は屋根の上から両手を合わせた。
「ごめんね、ごめんね~! シクヨロでぇす!」
*****
そんなこんなで。やってきましたアゼンダ辺境伯領。
薄汚れた皇子と令嬢をみて、クロードとセバスチャンが呆れたような表情で見ている。
「…………。取り敢えず、湯あみになさいませ」
「ハイ」
有無を言わさぬセバスチャンの言葉に、ふたりは大人しく従う事にした。
マグノリアはというと。
鶏肉とお野菜いっぱいの優しい味の炊き込みご飯。海の幸の出汁がしみわたる華やかなパエリア。
赤いチキンライスに黄色いふわふわとろとろ卵のオムライス。
海鮮がたっぷりと乗った海鮮丼(with 茹でクラーケン乗せ)。
そしてガッツリ系の牛丼に親子丼……
それらを館の調理場と、庭のキャンプをしている先生方を総動員して製作していた。
大人数な為、庭をガーデンパーティー風にして解放する。
テーブルを真っ直ぐに並べると、作った料理の数々をその上に並べた。
「う、うわぁぁぁぁ~~~~っ!!」
髪が半乾きにもかかわらず、ユリウスとヴァイオレットは感激しながら走り寄る。
そして。
目の前には真っ白い炊き立てご飯に、イカの塩辛、キンメダイもどきの煮つけ。ユリウスの待望の豚の生姜焼き。きゅうりと白菜の漬物と豆腐とわかめもどきとネギのお味噌汁が置かれていた。
そして。
おそるおそるふたりが、ご飯を口に含むと。
「うっまぁ!」
そう言って、猛然と炊き立てご飯と目の前のおかずをかっ込み出した。
まるで漫画のようである。
「す、凄いなぁ……」
「恐るべし『弾け麦』ですね」
取り繕いを忘れて貪るふたりを尻目に、教師たちはドン引きしながら見ていると。
「さあさ、先生方もおじい様も。みんな冷めない内に食べましょう?」
マグノリアの号令で、炭水化物パーティーが始まった。
「本当にマグノリア、料理上手じゃん!」
「いや、男の料理だけどね……」
マグノリアはふろ吹き大根を齧りながら、微妙な表情をする。
そう、彼女の料理は綺麗に面取りをし、出汁を……というタイプの料理ではない。ぶった切ってぶち込むという表現の方が似合う、適当な料理である。
「本当は、梅干しが欲しかったんだけど見かけないんだよねぇ」
「あぁ、梅干し! 特別好きではなかったけど、猛烈に食べたいかも!!」
ヴァイオレットの言葉に、ユリウスがうんうんと頷く。
「俺……じゃない、僕はカレー! 家で作る黄色い、具がゴロゴロした『お家カレー』が食べたい!!」
鼻息荒く、前回ご所望だった念願の生姜焼きをお代わりした口が言いやがる。
「ああ、カレーね……あれって、スパイスが何十種類も入ってるじゃん?」
「ああ……」
ユリウスが暗い顔をした。お察しである。
胡椒と金貨が同じ重さで売買される世界である。ましてや何処に生息しているのかも解らないスパイス達を探し出すのに、どれ程の労力が必要な事か……
ところが。
「ふっふっふっふ……」
ヴァイオレットがおもむろに笑いながら顔を上げ、スクリューキャップ瓶を掲げた。
「じゃーん! いつかマグノリアがやるだろうと思って、お小遣いをはたき、数年かけて情報収集をし、今回集めました!」
「カレー粉!!!!!!」
「流石、成金令嬢!!」
思わずマグノリアとユリウスが叫び声をあげた。
「肉! そしてポテト芋と人参、玉ねぎとニンニクの用意!」
「鍋! 大鍋を洗うぞぉー!」
ふたりが騒がしく動き出した。
セルヴェスは茶色い瞳を瞬かせ、クロードは眉間に渓谷を作り。
ディーンとリリーは忙しそうに手伝いを始める。
ディーンは、いつもと大分様子の違うユリウスを見て、マグノリアと関わるとみんなこうなっちゃうのか……と内心戦慄していた。
ガイは安定のニヤニヤ顔で、海鮮丼を頬張っていた。
「……ルーから作るとか、調理実習でしかしたこと無いんだけど」
「同じく」
バターと小麦粉を炒めながらマグノリアが遠い目をする。
かつては、具材を炒めた後に煮込み、いつもの市販のカレールーを入れる方法での調理である。
一応同意をしているユリウスだが、調理においては、多分力仕事以外は戦力にならない。
「あー、福神漬け! 福神漬けが無い!!」
「しゃーないよ。この漬物で!」
先生方は興味深そうにマグノリアの手元を見ている。
……カレー、キャンプ飯の最たるもんですもんね!
「うわ~、何この匂い!」
「めっちゃいい匂いがする!!」
「ふぉふぉふぉふぉ」
鼻をヒクヒクさせながらヴィクターとダン、何故かフォーレ前学院長がやって来た。
……食べ物に鼻が利く人達である。
ガヤガヤと騒がしい中で、ユリウスとヴァイオレットは横目でお互いを見遣る。
お米の為に爆走し、こんなにお米を喜んで食べて、カレーを知っているって事は。
何となくそうかな? と思いつつも、敢えて話題を避けてきたが……
「転生者だな」
「転生者だね」
そう言って、お互いにニヤリとほくそ笑んだ。
もうじき、待望のカレーが出来上がる。




