その頃、アゼンダ辺境伯領では
マグノリアがだだっ広い大会議室の片隅で、とても嫌な予感に顔を引きつらせている頃。
アゼンダ辺境伯領では、王子達がヴィクターにこき使われていた。
今夏の滞在期間は三週間。
今年は夏季休暇の後半に、王家主催の大掛かりな舞踏会が開かれる事となった為、唯一の王子であるアーノルドも、そしてその婚約者であるガーディニアも一緒に帰還する事になっている。
元々努力家で、未来の王太子妃としての教育も順調に進んでいるガーディニアは、既に王子の正式な婚約者として公式行事でパートナーを務めているからだ。
「ガーディニア嬢! 侍女殿!」
王子達の指導を務め終えたヴィクターが、肩を小さくキュッと縮込めながら、おいでおいでしていた。
侍女に日傘をさして貰いながら王子達の様子を見ていたガーディニアは、首を小さく傾げながら近づいて行く。
今日王子達は、城壁の修復の手伝いをさせられていた。
冒険者ギルドのFランクの者が行う簡単な仕事である。
未来の冒険者……もしくはただのお小遣い稼ぎにやって来た子ども達が、せっせと城壁のひび割れを直している。
「暑いでしょ? 日陰に入って、男子には無いからナイショでこれ飲んじゃって!」
ヴィクターは冷たい果実水をガーディニアと侍女に手渡すと、ふたりが日陰になるように、そして王子とその側近から隠す為、自ら壁になった。
「女の子はドレスが暑いからね。ちゃんと涼しいところに居ないと駄目だよ?」
そう言うと、ニッカリ笑う。
ガーディニアは困ったように王子達を見ながらも、コクリと頷いて果実水を口にした。
「とても美味しいです。ありがとうございます」
侍女と共にお礼を告げる。
ガーディニアは切ない様な苦しい様な、何とも言えない気持ちになりながら小さく微笑んだ。
初めてヴィクターを見た時はびっくりしたものである。
その奇抜な見た目もあるが、逞し過ぎる筋肉に軽い恐怖を覚える位であった。
王子が側近にと勧誘しているディーン・パルモアが『ヴィクターさん』と呼んだので、平民か下位貴族かと思えば、ブリストル公爵家の令息だと知り二度驚いたのである。
……筆頭公爵家の次男・ヴィクターは、社交界では謎の人物とされている。
貴族名鑑の肖像画は何故か若い時のままであり、長い期間社交界には全くと言って良い程に顔を出さない。
それどころかもうとっくに子どもがいる年にもかかわらず、結婚どころか婚約すらしていないのである。
時折、姿を見たという人もいるのだが……令息の名を語る別人であるという、まことしやかな噂まで流れていた位だ。
それらの事から社交界では、ご病気か、何かよんどころ無い理由か不都合があり、社交をしない(出来ない)のだろうという話になっていたのである。
――現実には、病気どころか大規模な肉体改造で別人のような姿に変わり、家を出奔して冒険者になっていたとは――誰も思わないであろう。
聞けば、宰相職が忙しく王都を離れるのが難しい公爵に代わり、時折遠方の社交を頼まれる事があるらしい。
そこで目にした人が余りにも変わり過ぎた姿に、別人だとか成りすましだとか言う噂を流しているのだろうと納得した。
……もしかしたら本気でそう思っているかもしれないし、思っても納得出来ると同意もするが。
見た目は非常に個性的過ぎるが、細やかな上に紳士的で、その上年も離れており身分が格下なガーディニアにも気さくに対応してくれる。
婚約者であるにもかかわらず、投げやり気味な対応が多い王子とついつい比べてしまうのは、良くないと思いながらも仕方ない事であろうとも思う。
――女性に優しいのは元の気質もあるとはいえ、コレットとアイリスに扱かれたからなのであるが。気さくなのも堅苦しいのが嫌いなだけであり、年少の女の子への対応もマグノリアやコレットの娘で慣れているからなのであるが。
しかし、そんな事はガーディニアにはあずかり知らぬ事。
婚約者に振り向かれない、相手にされない自分を大切に扱ってくれ、かつ危険には逞しく立ち向かっていく……
ガーディニアにとって、ヴィクターは気は優しくて力持ち的な、ステキ紳士なおじ様なのであった。
「あと三日で出発だね。今年はヴァイオレットちゃんがいなくて残念だったね?」
「…………」
ガーディニアは何と言ったものかと頭を急回転させる。
リシュア子爵令嬢は自分にそぐわない為、相手にしていないと言ったら軽蔑されるのではないかと思い、焦ってしまう。
何の取柄も無さそうな……それどころか、ちょっと変なご令嬢であるリシュア子爵令嬢とマグノリアが仲が良い事に、思わず首を傾げるガーディニアだ。
(持ち上げてくれるから? いや、あのマグノリア・ギルモアの事だから、何か理由がある筈……私はそれを見抜く事が出来ない人間なのだろうか……)
せっかくヴィクターと一緒にいるのに、ついついマグノリアと自分を比べて暗い気持ちになる。
どことなく落ち込んだように見えるガーディニアに気付いたヴィクターは、侍女と顔を見合わせた。
「ガーディニア嬢、大丈夫?」
「私とマグノリア様の違いは何なのでしょうか……」
彼女と私の違いは?
思わず口をついて出てしまう。
ハッとして口を閉じるものの、既に遅い。
それでなくても、ヴィクターとマグノリアは旧知の仲なのだ。
ガーディニアは一瞬青ざめさせた顔を、羞恥に紅くさせた。
「……あ~……、侯爵夫人に何か言われた?」
ガーディニアの心情を察したのか、彼女の母の指摘を察したのか。はたまた両方か。
「……まぁ、『じゃない方』の気持ちって奴だよね。解る解かる」
ヴィクターは苦笑いしながら頷いた。そして。
「僕もいつも『じゃない方』だからね」
――嫡男じゃない。宰相の器じゃない。ジェラルドの様に優秀じゃない。
そして何より、あの人にとっての彼じゃない――
「でもさ、ガーディニア嬢は努力してちゃんと頑張ってるし、王太子妃候補にもなった訳じゃん。充分頑張ってるよ!」
「ヴィクター様……」
ガーディニアは思わず泣きそうになる。
ヴィクターは小さくため息をついた。
「周りは色々言いたい事言って来るし。親は親で自分の子どもは期待値が高いからダメ出しが多いしねぇ」
「期待値が高い……?」
「そうだよ。同じ事を他の家の子がしたら多分褒める。だけど自分の子どもだから、より高みを目指させたいというか、もっと出来る筈と思うというか……でも子どもからするとそういうのはちょっと厄介だよね~」
意外なヴィクターの言葉に、ガーディニアは蒼い瞳を瞬かせた。
「自分の子どもだから期待もするし、もっともっと幸せになって欲しいしってね? 人によっては見栄とかもあるかもだけど」
「…………」
「僕はもっとダメダメだったから、劣等感とか卑屈さとか、良く解るよ」
優しくて逞しくて、筆頭公爵家の令息で。
そんなヴィクターにも劣等感があるのだろうか?
こんなに明るいのに卑屈さなんて……ガーディニアは不思議な気持ちでヴィクターを見た。
「……それに僕は二重にスペアだからね」
小さく自嘲気味に言うと、感情を振り切るかのようにニッカリと笑った。
「ま、ガーディニア嬢はちゃんと頑張ってるし、美人さんだし、全然大丈夫だよ。自信持って!」
いつもは控え目な侍女も、同意するかのように小さく頷いた。
「……ありがとう、ございます」
ガーディニアは目頭に力を入れ涙を零さないように、ご令嬢らしい微笑みを浮かべた。
遠くからヴィクターとガーディニアのやり取りをみつめる。
……何を話しているのかまでは解らないが、彼女の気持ちも解らなくもない。
自分達の主であるアーノルド王子は、そんな事も知らずに、平民の子ども相手に夢中で修復の競争をしていた。
(……暑い。自分達にも飲み物をくれないだろうか。やはり女性優先という奴なのだろうか……)
王子の側近であり、『みん恋』の攻略対象者でもあるルイとブライアンは。
炎天下で汗だくになりながら大きくため息をついた。
もう少し我慢できなくなれば自分で水を飲みに行くしかない……別に飲み物を制限されている訳ではない。なんなら身体に悪いから、ちゃんと水分を取りなさいとヴィクターに前もって言われている。
だがどうせなら彼女達と同じ、冷たい飲み物が欲しかった。
「……一体、僕らは何をしているんでしょうね?」
「まあ。危険な魚が飛んで来るよりは良いだろう」
確かにな。そう思うしかない。
何にせよ、あと三日も経てば馬上の人である。
「早く王都に帰りたい……」
白い肌は日に焼けて赤くなってヒリヒリする。
その上毎朝騎士に絞られ、身体は悲鳴をあげている。
更には安い賃金でヴィクターに扱き使われる……一体王子は、何が楽しくてアゼンダ辺境伯領に来たいのだろうか。
王子曰く、アゼンダ辺境伯領には自由があるというが、全くもって理解出来ないのだが。
体力のないルイは、心底そう思いながらため息をついた。




