閑話 隠されたお嬢様(ガイ視点)
一週間ほど前に出会ったお嬢様は、小さい身体でありながら大人の男に歯向かって来ようとする跳ねっ返りのお姫様だった。
しかし無謀に抵抗しようとした訳でなく、冷静に状況を判断したうえで逃げられない(こちらは襲うつもりなんてなかったけど)と悟った上での行動であり、年老いた庭師の爺さんを心配しての行動でもあった。
普通なら怖くて震えるか泣くかするところを、多分将来は国一番の別嬪さんであるだろう顔をこれでもかという位にしかめて、武器(農具)の在処を確認していたっけ。
躊躇なく俺の急所に打ち込んでやるという瞳だった。
切羽詰まった顔で睨んできたので敢えてどんなもんか、殺気を出して挑発していた俺が悪いのだが。
「くくっ、ボロは着てても心根は『ギルモア』なんだねぇ」
未婚の王女も公女も居ない今、国で一番の高貴な未婚女性である筈の女子はマグノリア様という御名だった。
御年三歳。
今はもう消え去った北の小国の特徴的な、ピンクの髪と朱鷺色の瞳。
セルヴェス様の御母上であるアゼリア様と同じお色。お顔も良く似ていらした。
ギルモア侯爵家とアゼンダ辺境伯家は、微妙な関係だ。
商業的な関係はすこぶる良好だが、心理的な部分とでも言うか。
十年程前、うっかり陞爵されそうになり焦ったセルヴェス様がやらかしたからだ。
見た目優男な息子のジェラルド坊ちゃまは、禍々しい笑顔でダンマリを決め込んでいたが、あれはすんごい怒っていた筈だ。
……セルヴェス様も、きちんと説明すれば良かったのに。
息子の余りの怒気と奥様からの叱責、未だ幼い義息子からの進言。ついでに建領と移領に伴うあれやこれやでてんやわんやだったのもあっただろう。
そして一番駄目なのが、息子の優秀さに甘えて、『解るよな?』とばかりに中途半端な説明でうやむやにしてしまったのだ。
名将も、家族にはしがないオジサン。家では結構な割合で迷走しているのだなと思う一件だった。
お小さい頃からひたすらに頑張って頑張って、努力されていたのに……せめてもっともっと褒めて差し上げれば良かったのにと思うし、事情や本心をお話しすれば良かったのだ。
頑張り過ぎたジェラルド坊ちゃまには、懸命に熟すばかりに視野が狭くなり、父親の不器用な信頼だけでは足りなかったし、心には届かなくなっていたのだ。
そこは子どもなのだから仕方ない。本来子どもにそこまで強いる親の方が悪いのだ。
まあ、言い訳と言われてしまえば仕方ないが、時は戦渦の時代。親は親で役割を熟すのにいっぱいいっぱいな事もあるし、親業自体も手探りだったりと、上手くやれない事は多々あるものだろうと、主を長年見て来た人間としては思う。
ジェラルド坊ちゃまは……優秀でありながらもどこかで自信が無く、悪い方悪い方に考えてしまったのだろう。
それだけ傷ついていたとも言えるし、愛情に飢えていたのだろうし、張り詰めていたのだろう。
出来過ぎると言うのも時に良くないもんだなとガイは思う。
ただ、だからこそ、自分や周りを必要以上に傷つけるような行動をしないでも良かったのに、とも思う。
まず、怒れる坊ちゃまは騎士団をアゼンダ辺境伯にぶん投げて来た。
これは私設の騎士団を同じ家門(領が違うから同じ家門では無いのだが)が複数持つのは過剰戦力になるだろうと、貴族間や王家との力関係を懸念していろんなうやむやがあって……領地を分けるに当たって(外野が)揉めていた。結果、
「痛くない腹を探るおつもりか? 今迄のギルモアの王家への献身をお疑いになると? そのように思われるのは不本意ですので。当方いりません故」
と。笑顔で『元帥が引き取って国境を警備されよ』とあっさりぶん投げて来たのだ。
そして、更にそれを証明するように、ギルモア初の文官になった。
王宮も軍部(期待の新人(予定)だったらしい)も、セルヴェス様もびっくりだ。
泣いた。全軍部の役人(特に事務方)が泣いた。
それなら国政の中枢へ!と言われたのにもかかわらず(ジェラルド坊ちゃまは頭もすこぶる良かった)、何処から見つけて来たのか聞いた事も無い閑職を希望した。
「急な世襲で、成人したばかりの若輩者。不慣れですので身に余る役職は残念ながら御受け致しかねます。お聞き届け頂けねば残念ながら出仕は取りやめ、直ちに帰領し領政に専念致します」
確かに……ギルモア侯爵領は広大だ。
実際は長年、子どもながらに領政を担って来たジェラルド坊ちゃまなので、手慣れてすらいるのだが。完全な当てこすりである。
全然残念そうじゃないし。
しかし実情も事情も知らない貴族たちは、尤もだと頷いた。
急な世襲も、長年の父不在であったにもかかわらず、領政を教示させる時間も取らせず移領させることになった事も鑑みれば……諸先輩方は若者の負担を減らそうと頷くしかなかった。
王宮も行政部(軍部に行くと思ったのにラッキー!! と思っていたらしい)も、てんやわんやだったらしい。
勝手にそちらが画策してたんでしょ、と内心で呟きながら涼しい顔はジェラルド坊ちゃまだけだった。
そして、極めつきは孔雀みたいな見た目の嫁さんを貰ったことだ。
当てつけ以外の何ものでもないのだろうが、一生を左右する結婚まで犠牲にする必要なかったのに……本格的に気持ちを折りに行きたかったのだろう。
奥様が窘めたが、全く聞く耳をお持ちにならなかった。
まず、奥様と孔雀嫁の相性が最悪だった。孔雀嫁は、説明しても説明しても、家政を全く理解しなかった(その辺は坊ちゃまの計画通りだったのだが)。
優秀なクロード坊ちゃまは信じられないという目で呆れ果て。脳筋っぽいけど意外に書類仕事も熟すセルヴェス様も、嫁の出来なさ加減とキンキラキンさにあっけに取られていた。
……移領の為の準備で、奥様も途中で匙を投げることになった。
更に、美しさを鼻にかけ(そこそこ美しい。けどケバい)、傲慢で浪費家。
ギルモア侯爵家は代々質実剛健がモットーの家門。
いつも許され、周りに甘えて来た孔雀嫁にとっては、なんやかんや厳しい姑も、うるさい舅も、冷めた目で相手にしない義弟も嫌いになるのに時間は掛からなかった。
家を分けてから殆ど会う事もせず、どうしても会わなくてはいけない場合(ブライアン様のお披露目等)はジェラルド坊ちゃま以外は居心地の悪い針の筵の上状態だった。
なので、当然の様に用事があったり挨拶伺いは王城のセルヴェス様の部屋か、アゼンダ辺境伯家の王都のタウンハウスかで。当たり前のようにジェラルド坊ちゃまが来て済ませて行く。
クロード坊ちゃまが何度も取り成したが、駄目だった。
ギルモア侯爵家に行くと言えば濁され、躱され、断られる。
特にここ数年は徹底していた。
流石に何かおかしいのでは? とクロード坊ちゃまが声を上げた。
彼はジェラルド坊ちゃま以上に冷静な坊ちゃまだ。
兄を尊敬しており、小さな頃から慕ってもいたのでこの関係悪化を一番苦慮した御人だろう。
自分の責任(小さい子どもに責任なんてあるような内容じゃなかったが)を気に病んでもいらした。
セルヴェス様も色々違和感を覚えていた。
しかし自分のせいでどんどんドツボに嵌って行き、行動を起こせば起こす度、説明しては悪化して行く関係に今更と踏み込めないでいたのだ。
そうして周辺国ときな臭い国内貴族などの偵察から戻され、数年ぶりに俺がギルモア家へ出向き、密偵を任されたというくだりだった。
まず、あの後庭師の爺様に詳しく尋ねたが、ジェラルド坊ちゃまは具体的な事を口にしなかったそうだ。
庭師の爺様は昔、斥候を専門にする騎士だった。
騎士団を辞めた後もギルモア家の『お庭番』だった。
屋敷の使用人の話に紛れて浚って行く。問題のお嬢様の境遇、ご様子。
とても信じられない、聞くに堪えないような内容が語られた。
ジェラルド坊ちゃまは情報統制にかなり気を付けていたらしく、お嬢様の存在は外へ殆ど漏れていない様子だ。使用人にも契約書を書かせ、強く口止めしているようだった。
セルヴェス様への複雑な感情以前に、王家に対しての不信感があるのだろう。確かに、現王は危ういところがある。
次代はかなりヤバいと専らの評判だ。
王宮に勤め、噂だけでない何かを嗅ぎ取ったのだろう。
もしくは何かを掴んでいるのかもしれない。
そして、驚くべき事にギルモア付きの隠密の存在が無くなっていた。国の護りを担うギルモア家に、諜報は欠かせない。
詳しく顛末を聞こうとしたら、屋根裏にも物陰にも、何処にもいなかった。仕方なく裏ギルドで確認を取る。
……必要な情報は都度金で買うことにしたらしい。戦争も無ければ、軍事にも国の中枢にも関わっていないので、以前ほど後ろ暗い事が無いのだろう。影の存在など必要になる事も少ないのだろう。
そして領政は至って明朗会計。真っ白・真っ当以外の何ものでもなく。
王宮でも国でも地位を得ようなんて思っていない事から、策略もしない・されないらしい。
ある意味、非の打ちどころがない。
自分と家門の問題があった時に後腐れなく情報を買取り、流したり操作したりすれば良いという合理主義で過ごしているらしかった。
主に忠誠心を持つ危ない人間を飼いならすのは有益な事も多いが、深く家の内情を知る存在になるとも言える。まして忠誠心は、目に見えることもあるが見えない事もある。
そういう存在と距離を取り、必要な時だけ自らだけが赴き、家という巣箱に頑丈な鍵をかけたのだ。
お嬢様は囚われている。その存在を無いものとして扱われるために。
せめてセルヴェス様に近況をお伝えしようと、孫姫さまの部屋を覗き込んだ。
勿論窓から。
……偵察しやすいような木が無く、足場を確保するのにかなり苦労した。
(相変わらず徹底してやすねぇ)
目の前にはいない陰険なジェラルド坊ちゃまに向かって愚痴を零す。
「ふっ! はっ!! とう! やぁ!! えいっ! やぁ!! さっ!」
「?」
お嬢様は寝てるかと思いきや、小さい鎚鉾を両手に片足を上げたり飛び跳ねたり、走ったりしている。
(……。暗い中何してるんだ?)
今度は何やら険しい顔で両手を交互に突き出し、正拳突きのような事をしている。
ガイは一瞬あっけに取られた後、身体を小刻みに震わせるとたまらず噴き出した。
「ぶっふぉ!!」
マグノリアが見たら憤慨である。
(つーか、今度は一体何をしようってんだ?)
ヒーヒー声が出るのを必死で抑え、腹筋と表情筋がプルプルしている。
「だ……駄目だ……反則っすよ……ぐふぅっ!」
鼻を膨らませながら変な踊りを踊っている(?)小さなお嬢様を見て、図太いな、と思う。
(いいっすね、お嬢。気に入りやしたよ)
「ていやあぁ~!!(ビシィッッ!)」
ポーズが決まったところで、ガイは崩れ落ちた。不覚である。
梟は大きな目をぐるりと回し、夜カラスが小さく「アホ~」と鳴いた。