海賊に遭遇しました
※若干の流血、乱暴な描写があります。
大した描写ではありませんが、少しでも苦手な方は回避・ご注意願います。
ドヤドヤと船内を走る足音が聞こえる。
波だけではない揺れ……シャンメリー商会の船はかなり大きく、多少の波では揺れないのだ。
そして大砲か鉄球でも打ち込まれたかのような音と衝撃。
「……マグノリア、起きなさい」
隣のベッドに眠っていたセルヴェスが、若干硬い声で声を掛けて来た。
マグノリアは頷いて跳び起きる。
同時にガイが天井の端をパカリと開けて顔を出した。
「襲撃です。賊っす!」
ほぼ最短の内容の報告。
船の窓からは登り始めた朝日が眩く空を照らし始めていた。
「……海の上の輩は随分早起きですね」
「寝ずに夜通しはしゃいでいたチンピラ共かもしれん。どっちにしろ迷惑な事だ」
せっかくの安眠を邪魔されて、セルヴェスもマグノリアも不機嫌である。
瞳をこすりながら、マグノリアは手早く衝立の奥で着替える。
今回マグノリアは、侯爵令嬢とは思えない程にボタンや紐が少ないワンピースを持参して来ている。
元々絢爛豪華なドレスなどは滅多な事でもない限り着ない彼女だが、旅行中は身支度を自分でしなければならない為、飾り布やリボンなどで誤魔化されているなんちゃってお嬢様風のワンピースだ。
髪は取り敢えず手櫛で整え、髪紐で無造作に括った。
呑気に着替えなど……と思うかもしれないが、寝巻で人前に出る方が良くないであろう。
襲撃中だが、扉はセルヴェスが守っているのだ。
この揺れと地響きにもかかわらず、ラドリは未だテーブルの上の簡易寝床でぷうぷうと寝息をたてている。
「ちょっと、ラドリ! 起きてよ」
『……う~ん、もう食べられない……』
そんな事を言いながら、小さな嘴をぱくぱくと動かしている。
「……何か食べてるんすねぇ」
微笑ましそうにガイがニヤニヤしているが、それ所じゃない。
マグノリアが持つよりもガイが持った方が安全だろうと思い、ガイへと毛玉を放り投げる。危なげなくキャッチすると、ジレのポケットに突っ込んだ。
……それでも未だ眠っているラドリの神経が図太過ぎる。
すると扉のドアが三回、素早く叩かれた。
「起きていらっしゃいますか? 襲撃です、避難を!」
硬く緊張をはらんだアーネストの声が聞こえた。
「それには及ばんよ。この爺が挨拶してやろう」
気負うことなく紡がれた言葉と共に、扉から大きな身体がのっそりと出て来る。
左腕には苦笑いをしたマグノリアが鎮座していた。
挨拶してやろうが殺ろうに聞こえたのはマグノリアだけなのだろうか。
「……ギルモア嬢だけでも地下に隠れた方が良いのではないですか?」
「いや、目を離して危ない事に巻き込まれる方が難儀だからのぅ。羽のように軽いマグノリアを抱いていても、何も問題ない」
足早に甲板に歩みを進めながら、セルヴェスは避難を勧めるアーネストに笑いかけた。
「ガイ、キャンベル商会の船は大丈夫?」
あちらもそれなりに大きな船ではあるが……長旅の経験もあり、荒くれ事にもそれなりに遭遇している筈ではあるが。誘った手前何かあっては申し訳ない。
……既に剣戟の音が響いている時点で遭遇の真っ只中かもしれないが。
「船上で大立ち回りしてやすね」
覗き込めば、水夫と海賊が剣を交えており、その隣でコレットが黒いドレスを翻しながら鉄扇を振り回していた。
何やら手元のボタンを押すと、ピカピカに尖った鋭いギザギザの爪が飛び出る仕組みになっているようで……めっちゃ痛そうである。
(……おおぅ……)
重い鉄扇で叩かれた上に突き刺され、抜いては引っ掻かれた海賊らしき人を見て思わず敵ながら同情する。
「ガイ、お願いね」
「了解っす!」
そう言って手元から重石のついた縄を引っ張り出すと、まわし投げ、キャンベル商会のマストに引っかけては、あっさりと海の上を滑るように飛んで行った。
そうこうしている内に、シャンメリー商会の船に大きな船がぴったりと船体を近づけて来る。 船首の上に、長い髪にもしゃもしゃの黒髭、左手には鉤爪の義手をつけた男が立っているのが見える。
「グァハハハハ! 我はキャプテン・マンティス!」
「…………」
……何やらコッテコテの海賊のおじさんがイキリ立っておられる。
臙脂色のジュストコールを着ているが、暑くはないのだろうか。
普通の戦闘だと、口上を述べている途中で上半身と下半身がすっぱりさようならしてしまうだろうが、おじい様は一応紳士な騎士である為、待っているようだ。
「命が惜しければ船を捨て、降参しろ! 荷を全て寄越すのだ!」
特撮ヒーロー宜しく大きな動きでポーズをとる。
蟷螂と言う事は、あの義手は鉤っぽいけど鎌なんだろうか。
マグノリアが首を傾げる。
「恐怖に声も出ないか! グァハハハハハ!!」
「…………」
何だろう。以前剣戟の音を聞いた時――王都で襲撃にあった時はとても怖かったのに、今は全然、全くもって怖くないのだが。
セルヴェスにしっかりと抱き止められているからなのか、目の前の海賊(?)がおちゃらけた人間だからなのか。
キャプテン・マンティスの後ろで、手下の海賊たちが下卑た笑いを浮かべていた。
それを見て、アーネストが腰に佩いている剣を抜く。
(ほう。第三王子も戦えるのか)
セルヴェスとマグノリアが同じことを思う。
海の男たちは気がいい人間が多いものの、荒事も多いのが現実だ。
幼い頃から船の上で暮らすアーネストも、それなりに海賊の略奪現場に遭遇したり、剣を振るった事があるのであろう。生国では命を狙われる身でもある。
よって自分の身を守る術は、それなりに身につけているのかもしれない。
アーネストはアーネストで、自分の船でマグノリア達を傷つけられる訳にはいかないと、本気である。
勿論悪魔将軍の名を知らぬ訳ではない。
だが、目の前の屈強な老人は、屈強とは言え七十歳近い。その上孫娘を抱きかかえているのだ。幾ら強いとはいえ、目の前の人数を前に無理が過ぎるであろうと思う。
……思うが。
セルヴェスだけでなくマグノリアも全く何とも思っていない様に感じる。
そうこうしていると、マグノリアがキャプテン・マンティスに向かって説明を始めた。
「……止めた方がいいと思うよ。この船には『悪魔将軍』が乗っているから」
「『悪魔将軍』だってよ! 一体いつの話をしているんだ?」
一斉に笑い声が上がる。
「お嬢ちゃん、歴史のお勉強が得意な様だが、おっ死んでなければ悪魔将軍はもう七十近いお爺ちゃんだぜ? それに海軍にはいねーよ? あの人は騎士団の人間だからな!」
「……騎士団の人間だとして、船で移動しないとも限らないんじゃないの? 旅行中かもしれないし」
煽る様な海賊の言葉に、至極真っ当なマグノリアの言葉が返される。その横でセルヴェス本人もうんうん頷いている。
まぁ、何と言うか。全くもってその通り、旅行の為船で移動中なのであるが。
海軍でもなければ、商船なのであるが。
「……じゃあ、何としても止めないんですね?」
「止める訳ねーだろ!」
丸顔でチビな海賊が怒鳴った。
「おじい様、どうします?」
マグノリアがセルヴェスに向き直って確認する。
セルヴェスが面倒臭そうに海賊達を見遣る。
「やっちゃうか?」
「やっちゃいます?」
(……えっと?)
何だかあっさりとヤバい事が決まった予感がするアーネストは、笑顔のまま一瞬固まる。
遠くから自分を呼ぶ侍従の声が聞こえて来て、はっとしたところ、目にも留まらぬ速さでセルヴェスが腰に佩いていた剣を抜いた。
サリッと微かな音がする。
ポーズを決めていたキャプテン・マンティスの髭が片方、皮膚すれすれの所で切れ、音も無く落ちた。
「…………」
「スマンスマン。長剣が長くてのぅ」
全くスマン感じがしないセルヴェスの言葉に、海賊達が一斉にガナり出す。
「って言うか、キャプテン・マンティスって有名なんですか?」
マグノリアがアーネストに確認する。
「そうですね……大海賊とは言いませんが、一応賞金首ですね」
「ほうほう」
あの感じからすると、弱きを助け強気を挫くという感じではないであろう。義賊ならやっつけるのも心苦しいが、正真正銘の悪者なら多少は罪悪感も減るというもの。
「マグノリアはここにおいで」
心配なので手元に置いたまま戦うつもりだったが、マグノリアが汚い奴らの血や涙が飛び散って、掛かって汚れでもしたら大変である。
それに可愛い孫娘に血飛沫を見せる訳にもいかないので、いつもの拳でぶちのめすスタイルに決めたらしいセルヴェスが、静かにマグノリアを甲板に降ろした。
そして、まるで老人とは思えない身軽さで、キャプテン・マンティスの船に乗り移る。
「さ、人が飛んでくるかもしれませんから避けておきましょうか」
マグノリアに促され、アーネストとアーネストを守る為に前に躍り出た侍従に声を掛け後ろへ下がる。
「このジジィ、調子に乗りやがって!」
赤いシャツを着た海賊が、セルヴェスにパンチを入れようと三歩程前に出る。そこをセルヴェスの剛腕が襲い掛かった。
まるで人形の様に真っ直ぐに空を飛んで行き、船壁に叩きつけられる。凄い音がしたが……無事なのか?
「う、嘘だろ……?」
数メートルを、片腕一発で吹っ飛ばされた仲間とセルヴェスとを何度も見比べる。
叩きつけられた赤シャツはくったりしているが、気を失っているだけだと信じたい。
次の瞬間、破れかぶれになった海賊たちが奇声を上げながら、次々にセルヴェスに襲い掛かった。
「アゼンダ辺境伯……!」
思わずアーネストが助っ人に入ろうとして、侍従とマグノリアが止めに入る。
「大丈夫です」
「しかし……!」
「大丈夫、です」
もう一度マグノリアが言って頷く。
セルヴェスとマグノリアにとっては、助けに入って、アーネストが怪我をする方が問題である。
納得出来なそうな王子を、庇う様にマグノリアが前に立ち、セルヴェスを見た。
――実にイキイキと拳を振るっているではないか。
ぶぅわん! 風と空を切る腕から音が鳴る。
そして肉にあたる音。骨が砕けたかもしれない音。
剣で斬りつけなくとも血飛沫は飛ぶのであるが……
ぽーんと弧を描いて空中を飛んでいる奥歯を、丸い瞳が捉える。
それでも剣よりはマシかと思い直し、マグノリアはどんどん甲板に伸びて行く海賊たちを見遣った。
「おーい!」
マグノリアはシャンメリー商会のマストにとまっているガイの鴉とセルヴェスの隼に手を振る。
顔を見合わせた二羽は、ややあってマグノリアの元へ飛んで来た。近くのサイドデッキの縁にとまると、マグノリアを見上げる。
マグノリアは髪から紫色の髪飾りを幾つか外すと、それぞれの脚と嘴に近づける。
「これを上から落としてくれる? 海賊を捕縛したいから」
それぞれ小さく鳴いて、嘴と脚でそれを掴み飛び立った。
そして、上空から間隔をあけて落とすと、例のシュルシュルという音がして伸びた海賊たちが巻き取られて行く。
爆発しない、捕縛するだけの魔道具である。
硬い所……壁や地面などにぶつかった時、近くに人間の反応があると起動し巻き取るという優れモノである。
ついでに頭の方向も同じ方向に揃えてくれるため、以前のように団子状にはならずに済むのだ。
そうでないと歩けないし、移送する際も紐を切って縛り直さなくてはいけなかったりで面倒なのである。
……色々と改良を重ねバージョンアップされているのだ。
呆気に取られて口も目も見開いているキャプテン・マンティスの足元に、マグノリアが黄色い髪飾りを投げ落とす。勿論目を閉じる事は忘れない。
「目を閉じて!」
アーネストと侍従に向けて怒鳴る。そして戸惑ったような声が聞こえる。
同時に凄まじい光が辺り一面を照らし、叫び声と共に、小さな爆発音と布が高速で巻き取られる音がする。
「くっ! ギルモア様!! これは一体!?」
アーネストの侍従が焦ったように声をあげた。
アーネストも金の瞳をぎゅっとつぶっている。
捕縛機能以外は、かつての閃光弾もどきの五分の一の威力に下げられている。
「……捕縛の魔道具です」
見えていない筈なのに瞳を泳がせてそう言うと、セルヴェスの声が聞こえて来た。
「全員完了だ!」
「おじい様、大丈夫ですか?」
ずるずると、魔道具で縛り上げられた海賊たちを引きずって来るセルヴェスに問いかける。
「造作もない」
何てこと無いように、気負いなく告げられる。
そして、縛り上げられた海賊たちの塊を、軽々と甲板に投げ入れる。目の前の様子に呆気に取られていたシャンメリー商会の水夫たちがどよめいた。
「マグノリア様! 怪我はない?」
反対側に滑るように進んで来た船はキャンベル商会の船である。
コレット達も問題無く制圧出来たようで、見ればガイが頷いていた。
マストの根元には、縛り上げられた海賊たちがぐるりと束になっている。
「はい。コレット様も大丈夫ですか?」
聞きながら、彼女に怪我が無いか確認する。かすり傷ひとつない様子で、ほっと息を吐いた。
「勿論。慣れてるから大丈夫よ」
綺麗な笑顔でにっこりと笑った。
慣れているのか……マグノリアは何も言わず、頷いてご令嬢らしく取り繕った笑みを浮かべた。
アーネストと侍従は、文字通りの海賊の山を見て瞳を瞬かせる。
目の前に広がる何とも言えない光景を目にして、アスカルド王国の人間達は恐ろしいと身を以て感じ入っていたのであった。




