姐さんに聞いてみよう
「お嬢様がイグニスの王子様に誘われて、マホロバ国に行く計画を練っているらしいですよ?」
王都・アゼンダ辺境伯家のタウンハウス。
社交から帰って来たクロードの元に、タウンハウスのお庭番が報告を上げて来る。
「マホロバ国? ……随分と珍しい所に行く予定だな」
久しく王国の人間の話題に上らない国の名前に、涼し気な瞳を微かに瞠った。
「イグニスでは国交を復活するつもりで動いているようですね。ガイ先輩の伝言によると、お嬢様がずっと探していた『おこめ』がありそうなので、様子を見に行きたいようですよ」
行きたい理由を聞いて、クロードはなるほどとため息をついた。
「こめか……それは、ほぼ行くに決まりだな」
「じゃあ、念のため出国申請書を王宮に紛れ込ませておきますか?」
「……そうだな。使わないなら使わないで構わないが、使う場合は時間が掛かるからな」
「奴ら怠けもんですからねぇ。カットインしておきますよ」
王宮の人間が聞いたら泡を吹きそうなことを言うお庭番に、程々にして置けと言っておく。
「はーい! 了解しました~♪」
……解っているのか解っていないのか、お庭番は適当な返事を残して消えた。
(それにしても、マホロバ国か……)
クロードは金の髪と金の瞳のアーネストを思い浮かべる。
かの第三王子は、何だかんだでマグノリアを気に入っているらしかった。
実に細やかに気配りと贈り物を欠かさない。
アゼンダに寄港する際には必ずマグノリアの好きそうなものや欲しがっていたものを、大量に送りつけて来る。
――マグノリアは義理堅いだけだと言っているが、多分違うだろう。本国での彼の立場は不安定だ。婿入りを狙っているのか。
はたまた妃としての能力を欲しているのか……
ふたりは十歳以上年の差がある。
成人間際の娘ならともかく、流石に学院入学前の子どもにあからさまな恋愛感情は無いだろうが、何処か無意識に惹かれているのだろうか。
マグノリアの人柄は、やや破天荒ではあるが公平で慈悲深い。
明るい人柄に惹かれる人間は、今後沢山出て来る事だろう。そこにあの見目と能力である。
第三王子と何度か接した対応から、充分誠実な青年である事が感じられるし、調べた内容からもきちんとした人間である事ははっきりしている。
……おかしな趣味嗜好を持っていない事も報告済みである。
(まぁ、仮に結婚したのならば大事にはしそうだがな。あちらに嫁入りするには不穏な立ち位置になるが、あちらでのいざこざを厭って婿入りを考えているのならば、悪い相手ではないだろう……)
のんきな姪っ子はディーンの気持ちに気付いているのかいないのかも解らない。
――あれで本当に成人していた女性なのだろうか。全くその辺の事に無頓着過ぎるのだが。
(王妃や王子が何か言って来ない内に、問題無いならマホロバ国に行かせてみるのも悪くは無いだろう。マホロバ国について調べてからだな)
そう段取りをつけながらも……小さかったマグノリアが、最近は抱き上げるのにも躊躇する程に成長した事に、淋しいような反面、短いような長い様な共に過ごした騒がしくも楽しくもある日々を思い起こすクロードであった。
*****
マホロバ国におかしな事やきな臭い事はなく、至って平和で穏やかな国であった。
どちらかと言えばかの国の人達が、お人好し過ぎる方を心配した方が良いかもしれない。悪い奴らに荒らされないと良いがと要らぬ心配をするガイである。
「へえ。書類の手回しも早いっすねぇ」
クロードへの伝言を頼んだ後輩のお庭番は、王宮に入り込んでサインを最短で貰って来たらしかった。
高位貴族の海外への外出申請と言う事で、最後にサインをするのは国王である。
注意力散漫になった所を狙って未決箱に入れたのか。はたまた寝ぼけまなこの状態の時に手元の書類と入れ替えたのか。
バレたら非常にヤバいものだが、そこはそれ失敗などする筈もなく。
とにかくこれで無事マホロバ国へ出発する事が出来そうである。
「……後は、セルヴェス様とクロード様次第っすね」
昨年は港町でニードルフィッシュとソードフィッシュに襲われた(?)身。流石に王子の来訪は無いと思いたいが。
普通は二度と領地に足を踏み入れないだろう筈だが……如何せんあの王子である。
(何だかんだで楽しんでいたようっすからねぇ)
ガイは王城の方向へ顔を向けた。
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「……信じられん……!」
クロードは王族の提案に呆れていた。
今年の夏休みも是非アゼンダにと言って来たのである。
「……昨年は危険な魚に遭遇したのをお忘れでしょうか? 万一御身に何かあっては、お詫びのしようも御座いません。侍従長殿や近衛の方々が、私共に文句を言われて帰られた事はお忘れでしょうか? パレスも大規模改修で暫く工事が終わりませんし(嘘)、別の避暑地をお選びになられた方が宜しいかと思いますが……?」
帰領の挨拶の為王宮へ行き謁見を願い出れば、耳を疑う言葉を投げかけられた。
正気なのだろうか? 更には何かあったとしても、こちらに責任は取れないのだが。
ふと宰相であるブリストル公爵と王子の侍従と見れば、苦虫を噛み潰した顔で立っていた。
彼らも反対したらしい。まあそうであろう。
(それでも尚、来ようというのか? そこまで行くと狂気の沙汰だな)
実際に怪我をしていないから、軽く考えているのであろうか。
言葉を変え二度ほど断って来たが、ちゃんと彼らに届いているのだろうか。届いていると信じたい……
クロードはもう一度ため息をついた所で、トマスより約束のお客様の来訪を知らされた。
「クロード様、リシュア子爵令嬢がいらっしゃいました」
「…………」
クロードはもう一度、大きなため息をついたのであった。
ディーンだけでは飽き足らず、彼にまで見学したあれこれを捲し立てようというのだろうか。
……彼女ほど物怖じしない子爵令嬢を、クロードは知らない。
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そして辺境伯家の庭で、今日はコレットがお茶を飲んでいた。
くすんだ様な濃い青のドレスに、真っ白な肌が艶めかしい。
コレットは普段黒に近い色合いのドレスを好んで着ている。それがブルネットの髪と蒼い瞳に、そして何より真っ白な肌に良く似あうとマグノリアは思う。
「マホロバ国ですか……是非一度伺ってみたいですわね」
「変わった食材や民芸品など、目新しいものがあるかもしれませんものね」
マグノリアの合いの手に、薄く微笑んで頷いた。
姐さんはすこぶるご機嫌らしかった。
「アーネスト……シャンメリー商会の方に伺ったら、商会として同行されるなら、船さえご自分達で出せるのなら同行して構わないと言ってました」
「勿論ですわ。同行させていただく際には、自分達の商会の船で参りますとも」
色々な国と独自にやり取りのあるキャンベル商会である。
何か知ってる事が無いかラドリに飛んで貰い、コレットに知っていたら教えて欲しいと頼むと、『二日後に行く』そう、時間を置く事なくすぐに返答がやって来た。
そして今日のお茶会なのである。
貴族にしては非常にフットワークの軽いコレット。世界も時代も違えど、ビジネスマンのフットワークの軽さは共通の事らしかった。
手広い商いをしているキャンベル商会は、勿論、自分達の商船で買いつけから卸まで行っている。
「今までキャンベル商会はマホロバ国とやり取りは無かったのですか?」
「ええ。時折沖に出て売買をする事はあるようなのだけど、うちは遭遇したことがないですわね」
コレットによれば、船で近くの海を行きかう人々には意外に知られた国らしい。
海流というか潮の流れに特徴があり、岸に近づくにもコツがあるらしく……かつてマリナーゼ帝国の船が大破したのは、神風や奇跡ではなく、潮目を読み間違ったからであろうとの事であった。
「海洋国家の船でもそんな事があるのですね」
「何百年も前の事ですからね。文明然り人間の意識然り、未発達だったり解明されていなかったりする事はままありますわ」
大陸の激化する戦争に巻き込まれない様に対応し、鎖国状態にしたマホロバ国。
未だ発展途上のこの世界は、意識的にも技術的にも、かつての地球のように数多の国と行き来できるような状況ではない。
「国と国が国交を再開していない状態でも、やり取りは可能なんでしょうか」
マグノリアが疑問に思っている事を確認する。
仮にあちらが良くても、王国のお役人や王族に文句を言われるのは避けたいのだが。
話を出した時点で、セルヴェスもセバスチャンも注意しなかった。よって国としてマズいというものではないのだろうと推測はされるが、念には念をだ。
「今まで問題になった事はないですわね。戦争をしている同士ならともかく……どちらかと言えば個人間でやり取りが増え、それによって国交が自然と結ばれる方が多いですわ」
キャンベル商会の様に他国とやり取りのある商会へ『渡航禁止リスト』の様なものを渡されるらしいが……
要注意国だが禁止はしない国に、あの砂漠の国があげられている位なのだそうだ。
よって、国が行き来を制限している国は今の所無いらしく。かつてのマホロバ国の鎖国宣言もどこか古い時代の忘れ去られた取り決めというような、風化した取り決めらしい。
「意外に適当というか、緩いのですね……」
なんともザルな管理にマグノリアは微妙な顔をする。
「外交という所に、それこそ未だ意識が未発達なのですわ。
……特にアスカルド王国は輸出入に頼らずとも困らないお国柄ですから、余計に外に目を向ける気持ちが薄いと言えますわね」
「ふーん……」
そういうものなのか。マグノリアは首を捻る。
「商会は特に申請は要りませんが、私は取り急ぎ申請だけ出しておきますわ。とは言え低級貴族ですから。お役人の了承だけですみますから、問題ございません」
そう言うと、例の扇を拡げてニッコリと笑った。
……彼女も、国王のサインでさえも容易に捥ぎ取って来そうで、マグノリア的に特に心配はしていないのだが。




