外へ出る算段
そう来るならこっちだってやってやろうじゃない!?
――そう、啖呵を切れたらどれだけ良かった事でしょう。
……え? そこはお嬢様らしく泣き濡れる場面だって?
――そりゃ、必ずヒーローが助けに来てくれる人がやる事であって、残念ながら何も無い予定の人間がするこっちゃない。
うかうかしてると、あっという間に取り返しがつかない事になる。
『まだ大丈夫』『もう少し』……が、『あの時早くやっておけば!』になるのだ(前世経験則)。
準備は早いに越したことは無い。準備しておいて実行する時期を見極めれば良い。
王家についてわかる範囲で調べてみたものの、特にこれと言った情報は無かった。数年前、現国王が即位され、今が落ち着いた治世であると言う事しか見受けられない。王妃様がおっとりされた方だとか、王子殿下がやんちゃ……お元気だといった位だ。
だが、何処かに見落としがあるか、外に漏れ出て来ない何かがあるか。
実際に接してみないとわからない理由がある筈だ。
適当に合わせて上手く躱した方が楽な筈だし家門の為な筈なのに、それを敢えてしないというのは必ず原因がある。
まずは。家を出て安全な場所に行くことだ。
マグノリアが貴族の娘として世間にしなければならない務めがあると言うならば、立場上しなければならないだろう。
豊かに暮らすことを許された身ならば、その身はそれを施してくれた人々に対して有効に使わないといけない義務があるのは承知している。
けれど、親の勝手で貴族としない為、もしくは損なうための諸々が行われており(もしかしたら巡り巡っては領民の為になる計画なのかもしれないが?)、その内容が解らないまま自身が必要以上に脅かされるなら、回避だ回避。
だって領民の役に立つっていう保証ないもんね。
しかし、三歳という時点でひとり安全な場所に辿り着くのは困難だ。
平民として暮らすとしても。このまま市井に飛び出たとして、三歳では野垂れ死にするか誘拐されるか、丸く収まってもストリートチルドレンになるかのどれかでしかないと思う。
商売をするのも元手が無いし、就職ないしフリーターになるにしても、まともに三歳児を雇ってはくれなそうだ。
それにこの見た目が、どの位ギルモア家と関係しているか解るものなのか……
平民界隈でも知られてるものなんだろうか。
うーーーむ。
マグノリアは図書室で借りた地図を広げる。
アスカルド王国は大陸のやや西側にある国だ。北側を大きな森を挟みモンテリオーナ聖国と、東側は小さな国々と。西から南に掛けて、マリナーゼ帝国と小さな国々が面している。
西の一部は唯一、アスカルドが海に面している土地で、そこがアゼンダ辺境伯領になる。
森……。森で暮らすことって可能なんだろうか?
畑仕事をしたり、薬草を売ったり、裁縫をしまくって暮らす。お使いだと言って売りに行って。大きくなったら街へ出て何か見習いになるでも良い。
気分は年末スペシャルの無人島生活である。
ちょっとの期待に胸躍らせて、北の森についての書物を読む。
『――――モンテリオーナ聖国は魔法の国。かの地にはあらゆるものに魔力が宿り、森も例外ではありません。森には大小さまざまな魔獣や魔虫がおり、土地や木々に魔力が無いアスカルド王国にその被害が及ぶことは殆どありませんが、時折遭遇してしまう事があり、大規模な討伐隊が編成されることがあります』
……魔獣。そして魔虫。
――魔虫って何? ラノベで魔獣は聞いた事あるけど、虫まで居るの……?
無理。背筋に悪寒が走る。
大規模な討伐隊が出るような生物に、ひ弱な三歳児が敵う訳がない。
そっと本を閉じる。
……北の森ではなく、アスカルド王国内のどこかの領地の、小さい森の中なら行けるだろうか?
取り敢えず森に住む案は置いておいて。
多分、父はマグノリアを『修道院から嫁入り』コースに乗せるつもりだろう。
目障りなら領地へ閉じ込めて置けば良いのに、そうしないのはマグノリアを知る人間をこれ以上増やしたくないからだろうと思うのだ。
そして万一何かが破綻した時、自分で直にリカバー出来るよう、自分で監視して置きたいからだ。
家で教育をしないのも、教師達に存在を知られたくないのと、はっきりと『修道院で教育された』という瑕疵が欲しいからだと予測する。
多分そう遠くない時期に修道院行きになる。
――修道院自体には、別に忌避感などはない。
如何せん実情が解らないし、多分貴族として行くならば(札付きのワルとして行くのか、狂人扱いとして行くのかは解らないが)最低限、丁寧な扱いをされるはずだ。
ただ、ずっと監視が付く生活になるだろう。
どの程度の自由があるのか想像がつかないばかりか、団体によって違いそうだし、もしかしたら世話人と言う名の監視人によっても違いそうだ。
婚姻もヘタしたら、無いと思っていた一桁が決行されかねない。
修道院生活で掛かる金額を少なくするのと、きっちり回収するために、変わったご趣味の御仁にお金や事業、その他の利権と引き換えに差し出される可能性がある。
普通の人と婚姻より、変な人との婚姻の方が利益(父にとって)が得易いだろう。
だって貴重なほど高値が付くのはいつの世も同じ筈。
win-winの関係(あくまで親父さんと変態が)。
(……多分、王家に知られたくないなら遠い場所に住む人間が相手だろう。そして王家と接点が無いような低位貴族……いや、平民の可能性もあるなぁ。ただお金回りが良いか、親父さんか『ギルモア家』に何かしらの利を渡すことが出来る人物だよね。そして必要とあればサックリ切り捨てられる人間だ)
そう考えると、修道院に行く前か移動の最中に行方不明になるのが一番良いだろう。
もしくは準備が出来次第、部屋を荒らして偽装して、近々に屋敷から夜中に家出をするか。
どっちとも、死んだと見せかけられれば多分殆ど探さない筈。
Nシステムや監視カメラがある世界じゃない。上手く逃げ通せれば誤魔化しようは幾らでもある筈だ。
なんにしても、侍女達や関わる従者などに出来るだけ迷惑が掛からないようにしたい。
(移動中の場合、はぐれて襲われたように取り繕って……暫らく潜伏して。ほとぼりが冷めたら孤児の振りでもして、どこかの孤児院に収容されるしか生きて行く方法がなさそうだなぁ)
よって、
・森や川などで採れる食べ物を憶える事
・潜伏しながら暫く生きられるように、内緒でお金を稼ぐ事
・武器の使い方を覚える事
・体力をつける事
取り敢えずの近々の課題が決まった。
(よっし!)
マグノリアは気合を入れて頬っぺたを両手で張ると、大きく頷いた。
ロサと一緒にいる時は今迄が比じゃない位、延々と刺繍をする。本当にずっと。ハンカチを丁寧に丁寧に縫って、花の刺繍をする。
名前代わりに花の刺繡入りの小物を使うのは調査済みだ。
実入りの良さそうなレアものを作りたいが、如何せん目立つ。
それに同じものを作った方が手際も良くなれば効率もいいし、第一幾つ作ったか解らないので数を誤魔化し易い。
刺しやすく、メジャーな名前の花を色とりどりに刺していく。縁周りに飾り刺繍を入れたり、飾りレースをつける。
目はしぱしぱするけど、ばっちこい!
「……お嬢様、少しお休みになられては如何ですか?」
ロサが流石に違和感を覚えたのか、休憩をちっとも取らないマグノリアを訝しんでお茶を勧める。
「大丈夫。もうしゅこちしたら休むね。ロサ、良かったりゃ休憩ちてて」
にっこり笑うマグノリアをみて、ロサは心配気に眉を寄せる。
……そういう事が数日間続いている。ロサは心の中でため息をついてマグノリアを見遣る。
はじめは外へ出てはいけないと言った事への意趣返しかと思ったが、すぐに考えを改めた。
集中度合いと真剣度合いが恐ろしい程なのだ。
ロサだって好きでマグノリアを外へ出さない訳ではない。ギルモア侯爵に釘を刺されたのだ。
マグノリアが産まれてから、事あるごとにおかしな選択をする侯爵夫妻に、過去、改善するよう一番に訴えて来たのはロサだった。
他の人が自分の態度をどう思っているかは解らないが。
自分がお世話するお嬢様だ。幸せになって欲しいし、いつだって笑っていて欲しい。
そんなの当たり前だ。
マグノリアが希望することなんて、ほんの些細な事なのだ。須らく叶えてあげたい。
……ウィステリアはともかく、侯爵はなにがしかの考えがある筈だ。
常識的な人間だった筈のジェラルドが、それを踏み外しての娘姫への対応は、同じように彼を小さい時から見て来たロサには到底信じられなかった。
ブライアンについては至って極普通の対応な為、マグノリアには敢えてそうしているのだとわかる。
しかし、主人であるジェラルドに強く、「理由があるので構うな」「娘と家の為だ」と言われてしまえば、侍女の身でしかない自分にはどうしようもない。
なるべく侯爵夫妻の目に触れない様に。悋気にも悪意にも触れない様に。
万一関わってしまう場合には、敵意をなるだけ持たれない様愛想良く振舞えるように。
そう育てる以外に、ロサには守り方が解らない。
リリーが部屋にやって来た時には、こっそりとハンカチが幾ら位で売れるのか聞いた。
「ものや状態によると思いますが、布代プラス三~六小銅貨位でしょうか……」
小銅貨。思わず気が遠くなる。
大陸では、各国同じ共通通貨が使われている。
銅貨が小・中・大の三種類。銀貨が小、大の二種類。金貨も小、大の二種類。国家間で取り扱うような大規模な金額の白金貨の八種類だ。
価値は、一小銅貨は十円位。一中銅貨は百円位。
そして十進法だから、十小銅貨は一中銅貨になる。
各銅貨が一枚で十円、百円、千円。銀貨が一万と十万円。金貨が百万と一千万円。白金貨は一億円だ。
――ちなみに一小銅貨以下のお金に関しては、各国で独自に流通して使用している国もあるらしい。
ハンカチ一枚が三~六小銅貨、つまり三十円~六十円だ。世知辛い。
売るのに利益も出さなきゃいけないし、原価と考えるとそんなものなのだろう……
現実に、ちょっとしょんぼりする。
「リリーには申し訳にゃいんだけど、もし可能にゃら、何処かでハンカチを買い取って貰って来て欲ちいの」
「……わかりました。お値段の下限とかはありますか?」
何か思うところもあったんだろうに、黙って飲み込んで必要な事を確認する。
「特には。どの位が妥当にゃのか、わかりゃないし」
「では、お急ぎでないのでしたら、お休みの時に行って参りますね」
十枚程ハンカチを渡すと、手すきの時にアイロンをかけてくれると言ってくれた。
みんな細かいところにまで気が回って、本当に有難い。
数日後、マグノリアの手には、五枚の中銅貨が乗せられた。
五百円。
頑張って、一枚五小銅貨で売って来てくれたらしい。
この世界に来て初めてマグノリアが稼いだお金。
金額の小ささに笑ってしまいそうになるけど、同時にとてもかけがえの無いものに感じられた。
リリーにお礼を言って、強く銅貨を握り締める。
焦る時ほど確実に。一見遠回りは、最短だったりする。
デイジーと一緒の時にはひたすら本を読む。
動植物に関する本、武器の扱い方の本。
特に食べられるものと食べられないものの選別は大切だ。無事生きながらえるかどうかの大きな柱の一つである。
平民の中でのギルモアの識別は、貴族程詳しくは無いとの事だった。
『悪魔将軍』とその親(先代と先々代)のイメージが強く、どちらかと言うと赤毛=ギルモアという認識の方が強いだろうと言っていた。
しかし、やはりこの色合いが珍しいのは確かなので、外へ出ればとても目立つのは確かなようだ。
それと、心配そうな顔をしながら、国内外の人の流れについても教えてくれた。
国内は領に依って多少の違いがあるようではあるが、そこまで厳密に取り締まられてはいないらしい。門番のいる扉から出入りするらしく、余程目につかない限りは調べられる事は少ないようだ。
国外に出るのに、貴族は王の許可証が必要。親戚がいる人や長期休暇で使われる事が殆どで、そんなに頻繁に出入りをする感じではないようだ。
平民は商業目的での出入りはある程度フリーだそうで、商業ギルド発行の身分証があれば大丈夫らしい。
買い付けであちこち行くからなのだろう。
同じように冒険者ギルドでも身分証(ギルドカードというらしい)を発行しており、C級と認定されればどの国にも出入り出来るそうだ。
商業ギルドに冒険者ギルド。異世界感たっぷりだ。
出来れば登録したいところだが、三歳児はどちらも無理だろう。
ライラと一緒の時は武器の練習をしている。
マグノリア自身も考えてもいなかったのだが、たまたまライラに貴族女性の護身術について聞いたら、意外にも彼女は武術の心得があったのだ。
聞けばご実家は騎士家系であるそうで、女子も小さい頃から自分の適性に合った武具や武術を習うそうだ。
「わたちもやってみたいのだけど……駄目だよね?」
「……。マグノリア様はお美しくおなりですからね。簡単ではありますが、基礎で宜しければお教え致しますわ」
少し考えて承諾してくれた。
多分あんなに外に出てワイワイしていたのに、閉じこもって(軟禁されてるんだけど)ばかりで可哀想と思ったのだろう。
そんな事を思ってたら。
次の日に 短剣、長剣、サーベル、ファルシオン、槍、鎖鎌、大鎌、フレイル、鎚鉾、ウォーハンマー、バトルアックス(戦斧)、ハルバード(斧槍)、鞭が目の前に置かれた。
(((……鞭……)))
マグノリアと、休日なので見学に来ていたリリーとデイジーが思わず震える。
「体術も加えた方が良いとは思うのですが、未だお小さいですからね……お身体を痛めると不味いので、この辺りがメジャーかと思い一部お持ちしました」
(……うん。身体を痛めてまで習おうとは思っていない。つーか、ライラさんガチやね……)
良く屋敷の中を歩けたな(視線的な意味でも、防犯的な意味でも)と思う。そしてどうやってこの大量の武器を運んで来たのだろう……まさか、抱えて……?
三人は思わず顔を見合わせた。
「取り敢えず、こちらで試してみましょう」
「……オネガイチマシュ」
短い棒を手に持ち、ライラに向かっていく。躱されたり、ライラが持つ棒と軽く打ち合ったり。
次に長い棒を持って、同じように。
「てい、てい。とぉう。てい!」
マグノリアの気の抜けた――本人は気合の入った掛け声が続く。
まったく表情を変えず、軽い動きで躱すライラ。
対比が酷い。
……何と言うか、じゃれつく小型犬とクールな飼い主の様だ。
暫らく振り回していると、大丈夫です、と言われ止める。そしてライラは瞳を伏せ長考に入った。
マグノリアは肩で大きく息をしている。
「……だ、大丈夫ですか? マグノリア様……」
デイジーがタオルを持ってやって来て、マグノリアの汗を拭う。
「……あいがと、う……」
ヨロヨロと椅子に座るマグノリアに、リリーが冷ましたお茶を勧める。ペコリ頷くと、ゴクゴク音を立てながら勢いよくお茶を流し込む。
「ぷはぁ~!生き返っちゃ!」
「「…………」」
静かに考え続けるライラを見て、三人は『ライラには逆らわんとこう』と決心した。
暫くしてライラが口を開く。
「マグノリア様は元の身体能力は悪くないと思いますが、ずっとお部屋の中にいらっしゃるので、体力が余り無いと思われます」
(そうでしょうね。苦情はギルモア侯爵までお願いいたします)
顔は頷いておき、文句は心の中で言う。
「大きくおなりになれば、どちらでも鍛錬によって使えるようになると思いますが、今はお小さいので相手から距離を取って戦えるものが良いと思うのです」
「じゃあ、ハルバードとかですかね……?」
鍛錬……と同時に呟きながら、デイジーが恐々と武器を見る。
「しかし。お小さすぎて、上手く使えないと思うのです」
「「「確かに」」」
「暗器の方が良いかもしれませんねぇ」
「「「アンキ」」」
おっとり言われた言葉が物騒過ぎて、三人は目をしばたたかせる。
取り敢えずこちらを、と言って比較的小さな鎚鉾を渡された。
「ここを押すと柄の先端から小刃が出ます」
言いながらボタンを押すとシャリン!と高い音を立てながら柄から大変物騒なものが飛び出て来た。
「鎚鉾で殴って、動きが鈍くなったらこれで」
こ、これで……
「まあ、色々出来ます(にっこり)」
ついでにドサっという音がして、ベルトの付いたおもりが幾つか落とされる。
六つの視線が、おもりに引き寄せられる。
「「「…………」」」
「当面こちらをつけて準備運動と軽い鍛錬を致しましょう」
室内で出来るものですからねぇとおっとり言われるが、こっちは全然おっとりしない。
こうして、ライラによるブートキャンプが幕を開けたのだった。




