宴
銀色の細長い魚が、雨のように砂浜に突き刺さる。時には海風に乗って、かなり離れたゴミ箱や看板などにも突き刺さっていた。
(え? 何これ。海にも魔獣っているんだっけ?)
現実逃避なのか、ヴィクターはそんな事を考えながら、飛んでくるニードルフィッシュを避け、突き刺さった楯を引っこ抜いては取り敢えず頭を庇う様に掲げた。
あんな鋭利なものが勢い良く突っ込んで刺さったら、流石に痛いでは済まないだろう。
意識を頭上に戻せば、大きく飛び上がった魚は浜辺に突き刺さってる奴等ともまた形状が違う。
ただ共通しているのは、口のようなものが異様に尖っていると言う事だ。
クルースの海にはそれ程危険な生物はいない……筈だ。
小さな棘のある生物や、微毒のある生物位しか聞いた事が無い……筈だ。
「ヴィクター様!!」
近衛に抱きかかえられながら遠ざかるガーディニアが、叫び声をあげた。
人々が逃げる中、楯を持ちひとり構えるヴィクターに、ガーディニアは嫌な予感しかしなかった。
ヴァイオレットも近衛騎士と一緒に走りながら、ヴィクターと周りを見遣る。
――本当に、ゲームでは解らないこと無かったことだらけだ。
何、このイベント(?)。誰得なんだろうか。
(まぁ、ヴィクターさんなら大丈夫だろう)
殺しても死なない。そう心の中で結論付けると、弟系攻略対象者である愛くるしい見た目のルイと、頑張る少年代表であるディーンのツーショットを瞳に焼き付ける。
金髪のふわふわ髪にアクアマリンの潤んだ瞳のルイと、亜麻色の巻き毛と青と墨が入り交じった大きな瞳のディーンは癒し系の見目というのだろうか。愛らしい良く似た系統である。
半泣きのような表情で走るルイを庇う様に、ディーンはいつかの小剣を出し、近づいたひょろ長い魚を勇敢にも叩き切っていた。
(そう、マグノリアと比べたり騎士さんに混じればまだまだだけど……同年代と比べたら出来る子なんだよね)
うんうん。近所のお姉さん宜しく、心の中で独り言ちながら頷く。
このまま従僕でいるつもりなのか、当初の希望通り騎士になるのか。一体彼はどうするのだろうかと思いながら。
……近衛は、怖がりもせず何やら頷きながら訳知り顔で走る少女を、微妙な顔で見ながら……領主一家といいその友人といい、使用人といい。アゼンダと言う所は変わっている上に怖い所だと思うのであった。
高く飛び上がった大きな魚――ソードフィッシュをヴィクターは楯で受け止める。
ヴィクターの倍はあるであろう体長。数倍の重さ。全身に激しい衝撃が伝わった。
柔らかな砂浜に足が沈んで行き、じりじりと後ろに押される。
打ち付ける飛沫が夏の日差しを受け、キラキラと輝き。
まるで金属のように黒光りした、つるりとした感触が伝わるような肌の質感がヴィクターの瞳に映り。
長く鋭い吻が、金属で出来ている筈の楯を容易に突き破って来た。
(え……? ちょ、これ本当に魚なのかなっ!?)
――もう、魔獣に認定して良くない!? そうヴィクターは思う。
楯に突き刺さり身動きが取れなくなったからか、それとも呼吸が苦しいのか。
――両方か?
大きな身体をくねらせて暴れる巨大魚を、唸り声をあげながら石で出来た縁石に叩きつける。魚の巨体と楯が打ち付けられる音が、続けざまに響く。
遠くの方で悲鳴が聞こえたような気がするが、取り敢えず目の前の危険生物を確実に仕留めるのが先だ。
口元近くまで突き刺さり抜けなくなった楯ごと持ち上げ、左右にそれぞれ振りかぶっては、石畳に叩きつけた。軽く地響きがするのは気のせいなのだろうか。
「ヴィクター! 大丈夫か!?」
馬は空飛ぶ魚が刺さって危険と思ったのか、離れた場所で降り、楯と剣を持ったユーゴとギルモア騎士団がやって来る。
「デカいのはこいつだけみたいだ! その細いのも突き刺さって危ないよ!」
言っている側から細長い奴らが飛んで来ては、トストス! と、音を立てながら砂浜に突き刺さって行く。
「解った! 領民を後方に退避! 安全を図れ!」
応!の声が響き渡る。
逃げ遅れている領民達を守りながら、キラキラと輝きながら空を泳ぐように、はたまた弾丸のように飛んでくる細長い魚をギルモア騎士団は切り捨てて行く。
「大丈夫ですか! こちらで手当を行います!」
デュカス青年はかすり傷を負った人達を案内する役目をこなしながら、騎士団とギルド長の戦う姿を瞳に焼き付けていた。
*****
「……そんな心許ない装備で大丈夫か?」
武器庫に転がっていた胸当てをつけたマグノリアを見て、セルヴェスが唸る。
「……大丈夫ですよ。どれだけ飛ばしても着く頃にはだいぶ引いているか終わってるかですよ」
魚群がどの位の規模なのかにも寄るだろうが、元々は群れる魚ではない記憶がある。
まあ、世界が違う以上参考程度の知識でしかないのであるが。
「それに、おじい様が護ってくれますから。安心です」
マグノリアがにっこり笑うと、セルヴェスはぎゅむっと孫娘を抱きしめる。
最近はだいぶ慣れたのか、マグノリアが大きくなったからか、強くはあるものの背骨が折られそうだと思う事は少なくなった。
「大丈夫だ! 例え肉壁となろうとも、必ずやおじい様がマグノリアを護ってやるぞ!」
「いやいやいやいや。そこはそんな血みどろじゃない感じでお願いします……」
もう、セルヴェスのこの様子には慣れっこのクロードがふたりに向き直る。
「さあ、急ぎましょう」
「うむ」
マグノリアをいつも通り抱えて飛び乗ると、あっという間に二頭の暴走馬は屋敷を飛び出して行った。
「……リリーさん、本当に来るんすか? 館で待っていた方が良いんじゃないっすか?」
心配そうに確認するガイに、きゅきゅーっと眉をあげたリリーが否を突き付けた。
「いえ、私も参ります!」
何故だか教師のひとりがギルモア家の馬車を繰り、意気揚々と教師達に呼びかける。
「さあ、皆さん乗って下さい!」
「さ、侍女殿も。四人乗りですが詰めればイケるでしょう」
「もうひとり、御者台に行けば大丈夫。ここはジョルジュ君が御者台へ」
ドヤドヤと乗り込む教師陣に、ガイが細い瞳を瞬かせる。
「……先生方も、危ないっすよ?」
「大丈夫ですぞ! どのような生物なのか確認しなければ!」
「一応医学も修めていますからね、万一の場合やりますよ!」
「時には研究の為秘境にも行きますからな。差し支えない!」
「ふぉふぉふぉ」
やりますがどうも違うものに聞こえる気がするが…… つーか、結構なご老体の前学院長までいるんだが……
言っても聞かなそうな人達に、ガイはもう諦めて、暴走馬を追いかける事にした。
******
領民の避難が終わると、様子が落ち着くまで浜辺を立ち入り禁止にする。
ピークは過ぎたのか、ひっきりなしに飛んで来たニードルフィッシュは時折、忘れた頃に飛び出して来る位だ。
『ヴィクター、大丈夫~?』
ラドリがのんびりした声でゆっくりと飛んで来た。
ヴィクターは太い腕で手を振ると、苦笑いした。
「どこへ行ってたのさ? ラドリこそ大丈夫だった?」
『長い尖った魚、沖に戻して来たー』
「エライじゃん!」
先程までの、まさに槍が降って来る様な緊迫した雰囲気とは違い、ほのぼのとした空気感が漂っている。
大きな怪我人はいないという三隊全ての報告と、無事王子御一行が要塞に着いたという知らせを受け、ユーゴとその後ろに控えたイーサンはやっと表情を緩めた。
「……しかし、ある意味壮観だな」
「片付けが大変そうだ」
砂浜やら看板やら、挙句は停泊していた船やらに突き刺さっている一面の銀の魚たちを見て、ユーゴとイーサンはため息をついた。
******
「……なんでこんな事になっている?」
程無くして到着した辺境伯一家は、無数に突き刺さる銀色の魚を見てため息をついた。
ぴょーん! と一匹、あいさつ代わりに飛んできたが、セルヴェスの手刀で呆気なく地面に叩きつけられていた。
マグノリアが何故か楯に吻を突っ込んだまま横たわっている巨大な魚を見る。
――やはり、かつて見た事も食べた事もある『カジキマグロ』である。
「この楯使ってた人、怪我はなかったですか?」
ほぼ根元まで刺さっている為、長さからどう考えても持っていた人間も串刺しにしていそうで怖いのだが。
「あ、大丈夫だよー、それ持ってたの僕だから」
元気なパイナップルヘアを揺らすヴィクターを見て、なるほどと思う。
「ヴィクターさんなら大丈夫ですね」
ドラゴンと戦う人間である(強制的にだが)。巨大魚の一匹や十匹、どうって事ないであろう。
「頭に刺さんないで良かったっすね!」
ガイが余計な事を言って睨まれていた。
更にそれ程時間を置かずに教師一同が乗る馬車も到着する。馬車とは思えない速さだが、街道の人達は大丈夫だったのだろうか。
御者台に乗る先生方の髪がとんでもない方向へ癖づいているのだが、一体どれ程かっ飛ばして来たのだろうか。
中からリリーがまろび出て来る。左右に首を揺らして自分の夫を探し、見つけると無事を確認する為に一目散に走り出した。
「あなた……!」
「リリー!?」
妻の姿を見て驚く護衛騎士は、何故かふくらはぎに包帯をしていた。
「もしや刺さったの!?」
「いや……上手く砂に刺さらずに打ち付けられた魚が口を開いた所に、足が滑って転んで噛まれたそうだ……」
「…………」
驚いたマグノリアがユーゴに怪我した理由を聞いて、何とも言えない表情をした。
(さ、流石不憫護衛騎士……)
「先生方は余り浜辺に近づかないで下さい。まだたまに飛んでくるようですから、怪我をすると危ないですよ」
クロードが、長さを測ったり匂いを嗅いだり、小さなひれを開閉したりしている集団に注意を促す。
「ほほう。実物は初めて見ますな」
「だいぶ長いのですね!」
「これは毒などはないのでしょうか」
「興味深いですなぁ」
全く聞いていない様子に、クロードは再びため息をついた。
「多分毒は無いと思います。大きいのがソードフィッシュ。長いものがニードルフィッシュと呼ばれています。普段は帝国の南の海を泳いでいる魚です……俺もクルースでは初めてみました」
アゼンダ商会のパウルが騎士の間から顔をのぞかせた。
彼はかつてイグニス国のシャンメリー商会の商船に乗って、沢山の国に行き来した船員だったのだ。
なのでどちらも見た事があるとの事だった。
「どっちも食べられるの?」
マグノリアは念のため確認する。
「はい、食べれます」
ですよね、食べますよね――といった表情で、頷く。
「充分注意しながら回収して調理しましょう。広場が良いですね……あの突き刺さっているゴミ箱と、傷がついていないものを広場に並べて、領民に見て貰いましょう」
領民に食事を振舞うついでに見て貰い、注意を促すのだ。
普通の人間が遭遇して、万一刺さったら危険である。
「文章でも通達した方が良いな」
「まだ回遊している可能性もある。注意が必要だろう」
騎士団に浜辺の巡回をして貰う事に決め、ふとリリーを見れば、泣きながら護衛騎士に抱きついており、不憫護衛騎士は困ったように視線を左右に動かしていた。
(心配だったんだなぁ)
良かった良かったとほっこりしていると、
『男やもめ~☆』
頭上をクルクル旋回するラドリが該当者をあざ笑うかのように繰り返しながら飛んでいた。
「一体、どこで覚えるんだ……」
ユーゴ達は苦い顔をして白い毛玉を見つめていた。
近隣の店舗の台所と、広場に仮設した竈を使って領民と騎士団へふるまう為に料理を作る事にする。
地の野菜とニードルフィッシュのつみれを使ったスープ。こんがりきつね色に揚げた唐揚げ。
ソードフィッシュは目の前の大きな鉄板で焼くレモンソテー、そして新鮮なのでカルパチョだ。
人数も多く時間も無いので簡単に出来るものを用意する事にする。
作っている間に離れた場所に住む人にも声掛けして貰い、可能なら集まって貰う。
要塞へ避難していた王子御一行にも声掛けしたが……恐怖からなのか平民と集うのが気が進まないのか、はたまた警備の関係からか来ないとの事であった。
要塞からはディーンとヴァイオレット、そして意外にもガーディニアがやって来た。
「ヴィクター様!!」
ガーディニアはヴィクターを見つけると、珍しく声を荒げて小走りで近づいて来る。
「大丈夫でございますか? お怪我は?」
「全然大丈夫ですよ。ご心配おかけしました」
ふふふ~と笑うヴィクターの様子に、ガーディニアはやっと、強張っていた身体の力を抜いた様子であった。
どうも、楯に突き刺さるソードフィッシュと格闘する姿を見たらしく……悲鳴をあげて気絶したのだそうだ。
……何だろう、冒険者をしているのを知っているので、そこまで正直ヴィクターに対して心配はしていなかったが……普段荒事に遭遇しないお嬢様には、大変ショックだったのであろう。
ヴァイオレットによれば、どうも彼の無事を確認する為に侍女の反対をねじ伏せて、無理矢理出て来たそうだ。
「ふたりも無事で良かった」
「うん。大丈夫大丈夫!」
マグノリアが騎士に連れられやって来たディーンとヴァイオレットの無事を確認すると、いい匂いを漂わせている料理たちを指さした。
「好きなのとっておいでよ」
「……マグノリアらしいねぇ」
「基本、食べられる奴は何でも料理されちゃうよね」
クスクス笑って料理をとりに行く姿をみつめる。
「旨いですなぁ!」
「このような味なのですね!」
「ふぉふぉふぉ」
狸汁を食べそこなって嘆いていた教師集団も、それぞれ舌鼓を打っているようで何よりである。
子ども達は展示されている突き刺さった魚を興味深そうに見つめたり、恐る恐る触ったりと忙しい。
危険なので見かけたらすぐ逃げるようにと騎士達から説明を受けている。
「……大事なくて良かったな」
セルヴェスとクロードがマグノリアにそう言って微笑む。
「は……」
「とても旨いです!」
マグノリアが返事をしようとした所、会場に大きな声が響いた。
「おい、こら! 静かに食べなさい」
苦い顔をしたユーゴが、甥であるデュカス青年を窘める。
「ヴィクター殿はギルド長だとか! とてもお強いのですね!!」
興奮気味に大声で詰め寄る青年に、ヴィクターが青い目を瞬かせた。
涙を浮かべていたガーディニアは、びっくりして涙が引っ込んだらしい。
周囲の人達も余りの大声にキョロキョロしながら青年を見ている。
……ユーゴは苦虫を噛み潰した表情で頭を抱えていた。
「……誰?」
「……デュカス先輩だよ。学院の先輩」
「デュカス……」
やたら大声で話す日焼けして真っ黒な青年と、困ったように諫めるユーゴを見て思い当たる。
(デュカス卿がお薦めしていた『甥っ子』か)
「……無いわ~……」
マグノリアはため息をついて首を振った。
「……いい人ではあるんだけどねぇ……」
「声が大き過ぎるよね。あと微妙に空気読めない」
『空気読めない♪』
尚も大声で感動を伝えるデュカス青年を見て、ディーンとヴァイオレットが言いながら頷く。
夏の賑やかな夜は、まだまだこれからのようであった。




