魚影襲来
一瞬だけ捕まえた狸に引っかかれ、抵抗されて結局逃げられた様子を眺めていて、セルヴェスとクロードは呆れかえり、ガイは変な顔をしながら肩を震わせ、リリーは慌てて薬箱を取りに走って行った。
「ふぉふぉふぉ」
座ったまま優雅にお茶を飲んでいたフォーレは楽しそうに笑っている。
(……何だ、あの集団は……)
解っている事は、彼等がマグノリアが知る『先生』の範疇からとんでもなくズレているだろう事である。
何はともあれ、別の意味でも学院に入学しない選択をして良かったと思ったマグノリアである。
ただでさえ王都に行ったら色々大変そうなのに、こんな人達と六年間過ごすのは骨が折れそうだ。
「あんなに可愛いらしい狸を、本当に食べる気だったんでしょうか……?」
リリーが飴色の髪をフルフルと震わせている。
全く同意見である。
でも……あの血走った目からすると、多分本当に食べる気だったのだと思うのだ。
(……狸って美味しいのだろうか? 確かすんごくクサいんじゃなかったっけか? この世界のは違うのかな?)
取り敢えず、テントを張り終えると再びいそいそと応接室へ戻ってきた五人であったが、狸との格闘の為か服も髪もぼさぼさであった。
「一体、いきなりなんなんだ? 先生方も落ち着いてください」
クロードが腕を組んで一番若い男――ジョルジュに文句を言うと、次に周りにいる『先生』達にも苦言を呈す。
「ほら、社交の時に学校を作るって言ってたじゃない? で、声を掛けた伯父上がこっちに永住するって言うからさ、本決まりなんだなぁってね。教材とか色々いるだろうと思ってね」
そう言ってちらり、フォーレ前学院長を見た事から、彼は前学院長の甥っ子なのであろうとマグノリアが思う。
確かに瞳は同じ灰色をしており、どことなく血縁関係を感じさせる顔立ちをしている。
(お爺ちゃん先生も昔は緑色の髪だったのかな?)
自分以外ではそれ程ファンシーな色の髪を見た事がないため、地球的な人類では有り得ない色合いの髪をまじまじとみつめた。
「ですからそちらを献上して、是非ともマグノリア様とお話をしてみたく!」
「我々も! 何故入学なさらないのかー!!」
「航海病について語り合いましょうぞ!」
「マグノリア様は何が御専攻か!?」
「私も再来年退官ですので、こちらに移動したく!」
「ふぉふぉふぉ」
ぎゃいのぎゃいのとぶっちゃけつつも騒がしい先生達と、なぜかこのカオスぶりを見て楽しそうに笑っている前学院長を目の前に、マグノリアは若干引きながら眺めている。
何やら凄い盛り上がりであるが……天才少女現る的なフィーバーぶりに、一体どうしたものかと思う。
話したら教師達に身体を捏ねまくられる事を察してか、おしゃべりな筈のラドリは黙ったまま、いつの間にかガイの頭の上に避難していた。
……物理年齢である同年代の子ども達と比べて良く出来るように見えるのは、大人寄りの思考を保っている事と地球の知識があるからこそで、地頭は比べるまでも無くジェラルドやクロードの方が優秀であるというのがマグノリアの考えである。
ただ、それらの事は話せない訳で。
誤解だという事とたまたまだという事を繰り返しながら、取り敢えずは最低限、彼等の希望する語らいをしないと収まらないのだろうな、と遠い目をした。
(……いや、語らった所で終わりはあるのかな……)
******
「……ゴミというのは、こんなに沢山落ちているものなのだな」
「綺麗なのは、こうやって誰かが掃除してくれているからなんだよねぇ」
そんな、極々当たり前の事。
浜辺や町に落ちているごみを拾い集めながら、王子御一行は額の汗を拭っている。
王宮にごみなど落ちている筈はなく、いつでも清められた空間に居るのが当たり前な彼等――特にアーノルド王子に取っては、そんな些細な事も小さな発見なのである。
なかなか子宝に恵まれなかった現王と王妃は、たった一人の息子をそれはそれは溺愛している。
親が子に愛情を注ぐことは大切な事であり、大半の親が表現の形や方法が違うだけで、惜しみない愛情を持っている事だろう。
だけど、本来必要な事を目隠ししたり、いうがままに良くない事まで許すのは違う訳で。
可愛いが勝ってそんな当たり前な事が蔑ろにされてしまって、若干歪んでいる様に見えるのが王子達親子であるとヴィクターは思っている。
勿論、こんな事をちょっとしたからといって何かが大きく変わる訳ではない。大切に繭の中に囲われて暮らす生活に戻れば、あっという間に元に戻るだろう。
ただ、それでも普段とは違う日々の記憶は、記憶の片隅に残るだろうと思う。
何もしなくても不自由のない生活を過ごす彼等が、ほんの一時体験した労働や不自由。
自分がそうあれるのは、誰かの尽力があってこそという事を思い出すよすがになればいい。まだ心が柔らかい内に体験出来るといい。
統治者として少しでも心が豊かであれるように。
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ディーンは楽しそうに作業する王子達と、何かあったら余すところなく堪能しようと考えているに違いないヴァイオレットを見てため息をついた。
みんなとても楽しそうである。
(……最近殆どマグノリアと別行動だな)
せっかく帰って来たというのに、これではまるで王子の側近のようではないか。
だが、彼等がアゼンダに来てしまった責任の一端は自分にある訳で。
マグノリアが大切にしている領民が傷つけられない様に、見張る意味もあるし、一緒に出掛けなければ当たり前の様に騎士が迎えに来させられ……男爵家の自分には、断るというのも荷が重い。
何度かセルヴェスとクロードが、久々に帰省している為、ディーンの家族との時間も必要なのでと申し入れてくれたが、余り理解しているとは思えなかった。
もっと強く要請してくれると言っていたが、自分のせいで迷惑を掛けると思うとお願いしますとは言い難く、裏腹に大丈夫ですという言葉が出た。
(普通は、お願いしたって男爵家の人間が王子様とお近づきになるなんて無いもんな……)
ましてや嫡男ではなく三男である。
きっと出世のチャンスと、何にも優先して付き従うのが本来の姿なのだろう。
久し振りに帰って来た事を、家族と同じように喜んでくれたマグノリア。
だけど王子達と出掛ける事に理解を示し、ちっとも淋しがったりはしてくれないのだ。
無論、ディーンの考えや立場を理解してくれているからであろう。解ってはいるが……
自分の従僕なのに、と言って拗ねて欲しいと思ってしまう。
自分なんかよりもずっと大人な考えを持っているマグノリアが、そんな風にへそを曲げる事は無いだろう。
万一王子の側近になると言ったら、自分で決めたのならと言って、容易に許可する姿しか想像できない。
砂浜に埋もれる木片や尖った石など、危険なものを探しては籠へ入れながら。
ディーンは自分の感情に苦笑いした。
そんな時。
「魚影発見! 魚影発見!」
大きな見張り番の声と甲高い警鐘の音が聞こえる。
浜辺にいる人々が、何事かと海の方を見ている。
時おり大きな魚に追い立てられて浜辺に打ち上げられる大量の魚を、無害とわかれば領民が自由に持ち帰り、領主館にも連絡が行くのでディーンも知ってはいるが、実際に自分が体験するのは初めてだった。
「予想より大きな魚や大量の魚が打ちあがる事がある! 危ない! 退避! 退避しろ!!」
呑気に海を見つめている人間達に痺れを切らしたように、見張りの騎士が大声で怒鳴った。
確かに黒く大きな波の様な塊と、魚の鱗なのか皮なのか、陽の光を受けて銀色に輝く光も見える。
(……銀色に見えるのは、飛び跳ねてる?)
騎士が指示する場所に走り寄りながら、ディーンは空を飛んでいるかのように光るそれを見て魚とはあんなに飛ぶものなのかと首を傾げた。
ヴィクターは厳しい顔で王子御一行とガーディニア、そしてヴァイオレットの無事を確認し、再び沖から凄い勢いで近づいて来る黒くて銀色の群れをみつめた。
「……何かいつもと様子が違う……鐘で騎士団に武装の合図を!」
見目もあってか、冒険者ギルド長はここでも有名である。
現役の冒険者でもあるギルド長の言葉に、騎士は疑問を呈することなく素早く頷くと同時に、鐘の叩くリズムを変えた。
呑気にしていた領民の様子も急変し、小さく悲鳴を上げながら逃げ出す人もいる。
王子達も騒めき、ガーディニアは心配そうにヴィクターを見つめていた。
「近衛、王子達を安全な場所へ! ギルモア騎士団は領民の安全確保!」
「ヴィ、ヴィクターさん!?」
いつもの厳つい見目に反して、まったりふんわりしたヴィクターの姿はなく、非常に厳めしい表情の彼が仁王立ちしていたのである。




