もうひとりのフォーレ
(……やった! やっと書き終わった!!)
ジョルジュ・フォーレはインクが乾き切らない原稿を天に向かって掲げると、喜びのあまり花を飛ばしつつ滂沱の涙を流している。
笑いながらクルクルと周り、涙で頬を濡らしながら満面の笑みを浮かべる様子は異様であるが……
だがここ王立学院の教員室ではよくある事で、行き詰っていた研究が解決したフォーレ家の者や、数年にわたる大がかりな論文を仕上げたフォーレ家の者、はたまた生徒間の問題が解決したフォーレ家の者が、祈りを捧げたり踊ったりしている事は日常茶飯事である。
フォーレ家の者は頭が良いが変人が多いと言うのが、教員たちの共通認識である。
「ジョルジュ先生、どうされたのですか?」
葡萄色の髪をひっつめてシンプルにまとめた女教師が、ジョルジュの右のほっぺたに付いたインクを指さしながら尋ねる。
首を傾げながら手の甲で頬を拭うと、余計に大きくインクが拭き拡がってしまった。
やり取りを見ていた緑色の髪のおっさん先生がグフ、と笑う。彼は名前こそフォーレではないが、血族的には半分フォーレである。
如何にもフォーレ家の者が特別なように言ったが、そうではない。
王立学院の教師になるような人間はみな似たり寄ったり、同じ様な人種である。
教師であり研究者でもある彼等は、研究が興に乗れば寝食を忘れたり風呂に入らなかったり。はたまた授業を忘れたり……
長期休暇だというのに家にも碌に帰らず、研究をしている学者ジャンキーの集団なのであった。
「教科書を書き上げたのです! 新しい学校の! マグノリア様にお渡しして、是非とも色々とお話を伺うのです!」
ふんすと鼻息荒く原稿を掲げると得意げにいう。
「教科書?」
「新しい学校?」
「マグノリア様?」
「そこ、もっと詳しく!」
教員室にいた人間がおもむろに顔をあげ、ジョルジュを見た。
……ひ弱な研究者である筈の彼等の瞳が、まるで獰猛な猛獣か猛禽類の様に光ったのは気のせいでは無いだろう。
「伯父……前学院長が今アゼンダ辺境伯領にいるのですよ。新しい学校を作られるとかで、気に入ったらあちらに移住して立ち上げに参加するとかで」
ジョルジュから概要を聞き出した教師陣は、うーむと唸る。
久方ぶりの天才の入学を楽しみに手ぐすねを引いていたが、どうやら色々な問題を鑑みて入学をしない事を選んだらしく。
航海病についても、肥料やその他の様々な事々についても、聞き尋ねる機会を失ってしまったのである。
学院は義務でも無ければ強制でもない……高位貴族が婚姻や重病以外で入学しないのは、まあ稀ではあるが……
「……では、我々も一緒に参りましょうぞ!」
「馬車の中で教科書の一つや二つ、書き上げてしんぜよう!」
「この機会、逃すまじ!」
白熱する先輩教師達に、ジョルジュはぎょっとする。
「……いやぁ、いきなり大勢で押しかけたら、クロードが怒る……いや、迷惑なんじゃ?」
「そうやって、自分だけ抜け駆けはズルいですぞ!」
「辺境伯家のタウンハウスに行って伝言して貰いましょう」
先触れを出せば問題無いと、誰かが言い出す。
逃げ出し抜け駆けをしない様に、ジョルジュは両手を男性教員にがっちりと組まれて、教員たちは夏の王都を走り出て行ったのであった。
「……で、皆様でいきなりいらっしゃったのですか?」
それから暫くして。数名で襲来した教師陣に、トマスは青い瞳を半眼にした。
トマスの呆れた物言いにも何のその。教師陣は大きく頷いて全く引く気は無かったのである。
「さあ! 隼を飛ばすのです!」
トマスはため息をついて、教師が多数押しかける旨の伝言を記して放つ。
飛んで行く様を暫し見送って、タウンハウスの玄関先で、教師たちが勝鬨をあげ出す。
「さあ、我々も行くぞー!」
「おぉーーーっ!!」
ジョルジュを担ぎ上げたまま走って行く集団を見送って、トマスは大きくため息をついた。
*****
『お腹いたいよ~……』
いつもは丸い瞳を些か眇めて、カラドリウスが一羽、執務机の上で転がっている。
昨日喜び勇んでヴィクターの所へ飛んで行ったラドリは、案の定お菓子を貰い過ぎた上、食べ過ぎてお腹を壊したのだ。
そもそも、神鳥ってお腹を壊すのか。
苦笑いしつつも心配したガイが、整腸剤を作って食べさせていた。
見た目にはそう思えないが、何ともマメな男である。
セルヴェスのいう通り、超高位貴族に任せたのは功を奏したようで。
文句を言っていたり絡んでいたら強制労働させるからと言っていたらしいが、案の定、強制労働に相成ったそうだ。
そこは安定の予想通りである。
……王子を扱き使って大丈夫なのか、と思うが。
遊び体験の一環としてさせる(?)から大丈夫だし、多少の無理を押し通したとしても差しつかえない身分もあるから、そう問題にもならない。
ある種ヴィクターだから出来る荒療治だとセルヴェスは言っていた。
一方で、不憫護衛騎士の報告を聞いたヴァイオレットが、珍しい王子のデレ(?)を見逃したことを嘆いていた。
見に行きたいがせっかく泊まりに来ているのに、マグノリアと過ごさないのもどうなのかと迷うヴァイオレットがソワソワしている。
彼女の転生後の目標は、大好きなこの世界の大好きな元キャラ達のあらゆる出来事を目撃する事。
どうせ帰宅後話を聞くのだし、いいから行って来いと言われると、待ってましたとばかりに護衛騎士と共に飛び出して行った。
そんな後姿を見て、セルヴェスとクロード、そしてリリーが苦笑いをし、ガイがニヤニヤしたのは言うまでもない。
これから三日間、ヴァイオレットもパプリカ畑に通うのだろう。
そんな事を思っていると、コツコツ、と規則正しく窓を叩く音がする。
全員が怪訝そうな顔で窓を見ると、トマスの隼がガラス窓を叩いていた。
「…………」
部屋の中を、微妙な空気が包み込む。
タウンハウスからの伝言は、基本的には厄介ごとの発生だからだ。
取り敢えず窓を開けると、隼は困ったようにラドリを見てからセルヴェスに手紙を取って貰い、素早くクロードの執務机に飛んで行った。
すっかり懐かれたようである。
「大丈夫だ、今日のあいつは食い過ぎで使い物にならんから」
「キィ」
『酷い、クロード』
そんな中手紙を読んでいたセルヴェスが、何とも言えない表情で口を開いた。
「フォーレ家の集団がこちらに向かっているらしい」
……正確には、教員集団なのだが、ほぼほぼフォーレ家の血縁であると言っても良いので間違いではないだろう。
「……何をしに?」
問いかけるマグノリアに対して、渋い顔をしたクロードがため息をついた。
「おおかた、入学しないと解ったマグノリアに会いに来る為ですか」
「そうだ」
「ええ~?」
身に覚えのない訪問客に、マグノリアは眉を顰めた。
また、厄介な奴らに絡まれるのだろうか……
「……と言うか、せめて返事を待ってから出ると言う考えは無いものか」
「……まぁ、フォーレ家だからな。下手に断られない様、伝言を飛ばした時点で突っ走って来る事は決定と言っても良いだろうからなぁ」
呆れるクロードに、訳知り顔のセルヴェスが苦笑いをする。
後ろでガイとリリーがうんうん頷いているのが何とも。
(どんだけ我の強い集団なの……)
マグノリアはまだ見ぬ教師集団に、警戒心を募らせた。
それから三日後。そろそろ来る頃だろうと、知らせを聞いたフォーレ前学院長は領主館で待機していた。
リリーとガイと一緒に、暫しお茶を楽しんでいるとの事であった。
今日の王子御一行は、パプリカ畑の収穫にひと段落つけ、クルースの海の清掃作業にかり出されているらしい。
(ヴィクターさん、ここぞとばかりに良いように扱き使ってるなぁ)
マグノリアだけではなく、話を聞いた全員が思った事であろう。
ディーンは連れてきてしまった責任を感じて、王子御一行から平民を守る為に今日も出ているし、ヴァイオレットは無かった筈のイベントを見逃さない様に、やはり見学に出ていた。
そしていつも通り辺境伯家の人間が執務をしている午前中に、辻馬車を拾ったのか見知らぬ馬車が二台、領主館の前に停まった。
「お着きになられました」
やはり訳知り顔のセバスチャンが執務室に伝えに来る。
セルヴェスとクロード、そしてマグノリアが応接室に向かいながら、使用人に頼んで大きな荷物を馬車から庭に降ろしている様子を見て首を傾げた。
一応彼等も貴族ではあるので、ある程度荷物があってもおかしくはないのだが……
扉を開けると五人程の男女が立ち上がり、礼を取った。
「閣下とクロード様、お久しぶりでございます。急に押しかけ申し訳ございません」
「急に押しかけているという事は理解してるんだな……」
呆れるクロードにもなんのその、大きく頷いて、教師たちが一斉にマグノリアにロックオンした。
「マグノリア様、初めまして! やっとお会いできて嬉しいです!!」
「是非色々とお話を!」
「小さい妖精姫だ、めちゃ可愛い!」
グイグイ迫り来る圧(物理)に、マグノリアはたじろぐ。
「学校を作られると言う事で、基本の教科書原稿を作って来ました!自由に使ってくれて構いません!」
緑色の髪に灰色の瞳の若い教師が、ババンとテーブルの上に原稿の山を乗せた。思わず朱鷺色の瞳を瞬かせる。
国語、数学、自然科学、歴史……他。そこには幾つかの教科の原稿が積まれた。
(……ええ~?)
「是非お話を! そして臨時教師を致します!」
「……臨時って、学院は副業大丈夫なんですか?」
まさか辞めて来るとか言わないよね?
余りの圧に、素直に聞いてしまうマグノリアであった。
「それよりも、急に押しかけて来て宿はどうするんだ?」
クロードの質問に、葡萄色の髪が印象的な女性教師がサムズアップして答える。
「大丈夫です。テントを持ってきました」
「寝袋を持ってきました」
結構おじさんの部類の教師もイイ笑顔で追走した。
「…………」
大丈夫なのかな……?
取り敢えず、寝床を作って来ますと言って五人はドヤドヤと部屋を出、廊下を走って行く。思ったらすぐ行動なのだろう。
そして庭にいそいそとテントを張り出した。
あの大荷物は野営のテント一式だったらしい。
「……まだ邸内の滞在許可をしていないのに」
勝手な、とクロードがため息をつく。
「まあ、夏だし大丈夫だろう。死にゃあせん」
「研究では、分野によっては野宿もしやすからねぇ」
「先生方らしいですね……」
セルヴェスとガイ、リリーが言いながら頷く。
「ふぉふぉふぉ」
黙って成り行きを見ていたフォーレの笑い声が部屋に響いた。
全員で脱力しながら窓の外を見ていると、草むらからひょっこり顔を出した狸を見て、教師のひとりが声をあげる。
「お、狸だ! 狸汁だ!!」
「捕まえろ! 肉だぞー!!」
五人で狸を追いかけ始める。
もちろん、驚いた狸は毛を逆立てて逃げ出す。
夏の庭で、狸と教師たちの追いかけっこが始まった。
……ええぇ~……




