某領・オルセー地区(デュカス先輩の場合)
「本当に供をつけなくて大丈夫ですか? 馬を連れて行きませんか?」
心配性らしい夫君が、旅装束を纏ったユリウスに何回も確認している。
その問いかけにいちいち律儀に断りを入れているユリウス。
小さい頃から彼にお世話をされているアイリスと、自身の父である為常に世話を焼かれている息子は、苦笑いをしながらその様子を見ていた。
……出会ってこの方ずっとアイリスの従者を務める夫君は、こころ配りと気配りが非常に行き届いているのだった。
「皇子はかの帝国の皇子だ。腕に覚えがあるのだろう」
自分の夫に、アイリスは呆れたような声を出す。
夫君は万が一を考えているのだろう。もしくは自分の息子を重ねてみているのか。どっちもなのか。
ともかく非常に恨みがましそうな顔で、アイリスとユリウスを交互に見た。
確かに。剣豪と呼ばれるアイリスに敵うかどうかは別として、ユリウスもそれなりに剣は使えると言える。
「食事だけでなく泊まらせて頂いてありがとうございました。洗濯もして頂いて……何から何まですみません。このご恩は必ず」
帝国から何か贈り物を送った方が良いだろうかと考えているのが口から出ていたのか、苦笑いしながらお構いなくと言われる。
「気をつけて行くと良いよ」
「ありがとうございます、ペルヴォンシュ先輩」
ユリウスにイイ笑顔でペルヴォンシュ先輩、と言われ、息子氏は微妙な顔をした。
夫君とアイリスが、ニヤニヤしながら自身の息子を見遣る。
――息子氏はツンデレである。もしくはクールを気取っている。
きっとそういうお年頃なのだろう。
「ありがとうございました!」
元気に手を振りながら、ユリウスはペルヴォンシュ侯爵邸を後にした。
(東狼侯って『普通』だな……多分)
若干(?)ボーイッシュなだけで、中身は女性らしい、まさに女性だった。
すっぽりとその身をすべて委ねるような安心したような雰囲気からも、旦那さんを非常に好いている事が解る。
旦那さんはそれ以上に奥さんにメロメロみたいだったけど。
――他が付け入る隙など無いであろう。
微笑ましい一家の様子に、ユリウスはほくほくと微笑みながら気ままなひとり旅を続ける事にした。
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一方、西に向かっていたデュカスは現在行き倒れていた。
数年前にオルセー男爵が代官を務めるオルセー地区からアゼンダのクルースまで、大がかりな街道工事が行われた。
勿論、発起人はピンクの人とブルネットの人である。
とにかく道が整備された事で、物品をはじめ人や馬車の行き来が非常に便利になったのだが。
その往来の真ん中に、小汚い格好の少年のような青年のような男が倒れ込んでいるのである。
……馬車や馬が、そこを避けるようにして行きかっていた。
「父さーん、道に人が倒れてるよ!」
幌馬車の御者台に座っていた少年が、立ち上がって前の方を指した。
父さんと呼ばれた男が、どれどれと手でひさしを作り、息子の指差す方向を見る。
「……本当だ。どうしたんだろうね」
「具合が悪いのかな? それとも死んじゃってる?」
物騒な事を言っては怯えたような息子の頭を励ますように撫でると、幌馬車を端に寄せて確認してみる事にした。
そっと首に触れ脈を確認すると、ちゃんと振れてはいる。
身体が熱いので、熱中症なのだろう。
少し安心してしゃがみ込むと、倒れている男に向かって問いかける。
「おーい、君。聞こえるかーい?」
「…………ズ…………」
ピクリ、と道端に投げ出された指が反応すると、非常に小さくて掠れた声が発せられた。
「「……ズ?」」
父と子は、同じ茶色の髪を揺らし同じ黒い瞳を丸くして、同じように首を傾げた。
「……で、この小汚い子を連れて来たの?」
ここはアスカルド王国の端っこの領地の、そのまた端っこの町、オルセー地区。
そのオルセー地区にあるキャンベル商会本店の休憩室である。
空腹と疲労で行き倒れていたデュカス青年は、キャンベル商会本店会頭のロイド・キャンベル親子に助けられたのであった。
「だって、あのままにして置いたら干からびちゃうだろうからねぇ」
腕を組んで呆れる女将さんに、眉を下げてロイドが答えた。
女将さんは言わずと知れたコレット女史であるが、女将さんとか奥さんとかいうよりは、ボスと言った方がしっくりくる様に思うのはなぜなのだろうか。
尋問と供述が頭の上で繰り広げられる中、デュカスは脇目も振らず、食事を搔っ込んでいた。
「良く食べるねぇ」
第一発見者である長男が、しみじみと言った。
本当にな、と両親も心の中で呟く。
この年頃は味よりも量だろうと言って、ロイド自ら山のようなパスタを作ったのだが。
大皿に山の様に盛られた『ナポリタン』は、軽く十人前はあるであろう。
……それがもう無くなりそうである……
マグノリアによって紹介された『パスタ』は、味付けで色々変わるだけではなく、冷製パスタ、スープパスタ、リボンやねじねじ型など様々な形のショートパスタと、色々バリエーション豊かに展開できるところが凄いと思っている。
そんな商品を次から次に考え出す女の子。
一体、噂の少女の頭の中はどうなっているのかといつも不思議なのだが。
彼女と付き合いが長い弟のサイモンは、遂にお嬢様が爆弾を投げて王都を爆撃したと聞き――そうするだけの理由はあったのだが――遂に来るところまで来たと、非常に重々しい表情で語っていたのが印象的であった。
ともかく、行き倒れて干からび寸前だったデュカス青年はキャンベル親子に助けられ、幌馬車の中に寝かされて水を飲まされた。
人心地すると物凄い盛大な腹の虫を響かせて再び倒れ込んだので、慌てて店舗兼住宅へ連れ帰ったのであった。
「なんか、お兄ちゃんクサーイ!」
いきなりやって来ては猛然と食べ進める青年に、二番目の子どもである娘は鼻をつまんで顔を顰めた。
……炎天下を行き倒れていたので、汗が大量に出ては乾いたのであろう……
女の子というのはいつでも残酷である。容赦なく真実を突き付けて来る。
そして真実なので反論し難い所が何とも。
流石に思う所あったのか、一瞬食べる手を止め娘ちゃんに頭を下げると、申し訳なさそうに再びモソモソと食べ始めた。
そうして全て食べ終わると、風呂に行って来いとコレットに叩きだされた青年はこざっぱりとして帰って来た。
洗濯も一緒にしたらしく、更にはまだ乾いていないと思うのだが、良いのだろうかとロイドは黒い瞳を瞬かせた。
「ご挨拶が遅くなりました! 助けて頂き、誠にありがとうございます!!」
キィィィィィィン……と耳鳴りがするような大音量で礼を言い、頭を下げた。
「……う……うわーーーん!!」
大声にびっくりした末っ子が、大声で泣きだす。
「も、申し訳ありません!!」
焦ったデュカスが、あたふたしながら再び大声で頭を下げた。
「ぎゃーーー!!」
大声と泣き声の応酬に、ロイドとコレットはしょっぱい顔をして顔を見合わせた。
言葉遣いから、見た目は農民に混じっても山賊に混じっても、スラム街に混じったとして違和感を全くもって感じさせないが、貴族の青年なのだろうと察せられた。
「どちらかへ向かう予定だったのですか?」
しー! と人差し指を唇にあてながら、ロイドは確認する。
口を大きく開けた所をコレットに睨まれ、小さくすぼんで解答した。
「はい! 俺……じゃない、私はデュカスと申します!! 叔父の所へ行く途中でしたが、生憎路銀が尽きまして、行き倒れてしまいまして……」
ロイドとコレットは聞き覚えがある名前に、とある人間の顔を思い浮かべた。
尤も、ロイドは目の前の青年の叔父である、部隊長の方を思い浮かべるのみであり、コレットは自分と同級生だった兄と、騎士になった弟の両方を思い浮かべたのであるが。
「……デュカスって、デュカス伯爵家のご子息?」
「はい! 父をご存じなのですか!?」
「シッ!!」
コレットに凄まれ、慌てて口を押えてたデュカス青年は、コクコクと首を縦に振った。
確かに見目は父親であるデュカス(兄)に似ている。
……なんだろう。こう、十倍くらい振る舞いに粗雑さを増した感じではあるが。
しかし、デュカス兄弟は精悍な見た目に反して比較的穏やかな性格で知られており、騎士をしている弟に輪をかけて穏やかで、おっとりしているのが、多分目の前の青年の父親であるデュカス(兄)だと思ったのだが。
「……一周回って、騒々しいが全てあなたに凝縮したのかしらねぇ……」
「?」
声が大きいだけで、彼も性格は穏やかなのであろう。
嫌そうな顔で嫌味を言われても、ただただ首を捻る青年はとても人が良さそうではある。
そして、相も変わらず毒舌がさえわたる妻に、ロイドは苦笑いをする。
……女の子というのはいつでも残酷である。容赦なく真実を突き付けて来るのだ。
「路銀が尽きたって、何だか良く解らないけど……初めから家の馬車か馬で来れば良かったのに。取り敢えず、アゼンダから迎えを呼ぶ?」
「いえ! 大丈夫であります!」
「……でも、倒れていたんだから無理しない方が良いよ?」
ロイドが心配そうに言うと、とても良い顔で微笑んだ。
伯爵家の令息でありながらも自分の食べた食器を洗い終えると、食事諸々と助けて貰ったお礼に何か手伝わせて欲しいと言って来た。
大丈夫だと断るが頑なに引かないので、仕方なく荷物の上げ下ろしを手伝って貰う事にする。
こちらも文句を言う事無くテキパキと熟し、声は大きいが非常に素直で礼儀正しい青年である事が良く解った。
早く終わった事を商会の人間に褒められると、照れたように笑って頭を掻いていたのが、微笑ましくもあり好ましくもある。
その後三人の子ども達と遊んでくれ、振り回したり放り投げたりと非常に荒々しい遊びだったが、子ども達は大変気に入ったようでケラケラと笑っていた。
そして太陽が幾ばくか西に傾き始めた頃、非常に遺憾だと言いたげなユーゴ・デュカスがキャンベル商会の扉を叩いたのであった。
「あら、デュカス隊長。忙しいのに呼び出してごめんなさいね」
ちっとも悪いと思って無さそうなコレットの言葉は慣れたものだ。
ひとりで大丈夫だというデュカス青年だが、思ってもみない事でまた行き倒れたら大変だと、倉庫にいる間に駐屯部隊へ伝書鷹を飛ばしたのだ。
「……うちの甥っ子が倒れていたところ助けて頂いた上、忙しい中色々とご迷惑を掛けたそうで、大変申し訳ない事をしました」
ユーゴはロイドにそう言うと、頭を下げた。
慌ててデュカス青年も頭を下げる。
「いえいえ。お腹が空いたのと水分不足で体調を崩してたみたいで。もう大丈夫だと思いますよ」
一瞬、原因を聞いたユーゴが、物凄く微妙な顔をしてため息をつく。
「……本当にありがとうございます」
「お気遣いなく。ちゃんとお手伝いをしてくれた上に、子ども達の遊び相手もしてくれましたので」
ロイドの言葉にユーゴが甥っ子を見遣ると、きまり悪そうに首を竦めた。
「叱らないであげて下さいね? 叔父さんに会うのが嬉しくて、張り切り過ぎちゃっただけみたいですので」
……今年十八になる人間が、嬉し過ぎて行き倒れるというのもどうなのかとコレットとユーゴがしょっぱい顔をした。
言いながらロイドも苦笑いするが、三人のお父さんであるロイドは寛容である。
「でも、危ないから今度から気をつけてね」
そう優しく念押しすると、デュカス青年は素直に返事をした。
「ボロのクサいお兄ちゃん、バイバーイ!」
「声がでかいお兄ちゃん、また遊んでね!」
「大食いのお兄ちゃん、また来てね!」
散々な子ども達の甥っ子の評価に、ユーゴは苦虫を噛み潰した顔をする。
お世話になりましたと甥っ子と共に再度頭を下げ、馬に乗る。
甥っ子も並走させて来た馬にまたがって、馬上の人となった。
見れば、一体どうしてそうなったのかと問いたいような色褪せ破れた服を着ており、背中には何故かズタ袋を背負っている。
(何故、兄上も義姉上もこんなんで外に出したんだ??)
……そして少々臭う。
「またなーーー!!」
デュカス青年は振り返って子ども達に手を振る。
大声に驚いて、馬が小さく嘶いた。
苦笑いをするキャンベル夫妻と、全く悪びれない子ども達に見送られながら、ふたりは西部駐屯部隊へ向かって行ったのであった。




