数週間が過ぎました
王都の王立学院では。
……ディーンは疲れ切って部屋へ帰って来た。
辺境伯領を出たのが三月末。学力テストを受けたのが四月初め。
それから数週間。
ディーンの生活は一変した。
まず、学力試験が二位だったと知って心底驚いたのもつかの間。
ユリウスことユリウス皇子からの『コレット女男爵以来』という援護射撃もあってか、面と向かって悪意をぶつけて来る人はすぐ居なくなった。
……それどころか、コレットと同じ位の能力があるのかもと誤解した人たちが、自分の側近にならないかとか卒業後は是非〇〇部へ! と声高らかに勧誘をして来る事になった。
恐ろしい事である。
何処をどうまかり間違ったらコレットと同じになどなるのか。なる訳が無い。
(たまたま、間違って問題が解けただけなのに……)
もう涙目以外の何ものでもないのだった。
大半は同じ学院生の高位貴族であるが、時折大人がやって来て勧誘して行くので、固まったまま怯えて濁すのみである。
彼の身分が男爵家子息である為、強く言い返せないのもお察しである。
知らない人にも話し掛けられたりと、いつ何処にいても気が抜けず……比べるのも烏滸がましいが、王子や皇子といった人たちはいつもこうなのかと、メンタルの強さに恐れ入るディーンであったのだが。
最近はアーノルド王子までもが側近になれと言って来るので質が悪い。
「有難いお言葉ですが、俺……いえ、私は男爵家の出身ですので。殿下のお側へ参りますのは些か荷が重いかと……」
「関係なかろう? 私が良いと言っておるのだ」
キョトンとした後、自信満々に微笑みをたたえられても。
教室中の目が自分に向いている気がして、非常に心臓に悪い。
――ああ、この場から逃げ出したい。
遠回りにお断りしても伝わらないと知り、恐々と言葉を替えてみる。
「それに、当家は祖父母の代よりアゼンダ辺境伯家に仕える身にございます。私自身、主家のお嬢様に仕えておりますので……」
王子は首を傾げる。
「辺境伯家より王家の人間に仕える方が良かろう? まして令嬢であろう、問題無い」
ディーンはカチンと来つつも困り果てていた。どう言っても通じない御仁らしい。
(マグノリアだったら啖呵を切りそうだけど、俺は無理そうだな……)
辺境伯家より王家って、それは人によると思うのだ。
代々お世話になっているのならば、やはり義理も忠誠もあろうというもの。
まして令嬢であろうって……目の前の自信過剰、いや自信家な王子様をまじまじと見る。
仕事にせよ能力にせよ、即位でもして仕事に忙殺されない限りは、そのご令嬢の方が上手なのは疑いようもない。
第一、特に何もしていないクサい王子の側近って何をするというのか? ヨイショ? 太鼓持ち?
例えば一緒に学んでいる有力貴族(の子息ら)の情報でも調べるのだろうか? それとも公務(しているの見たこと無いけど)の手伝い?
騎士なら解る。身辺警護と言われれば、平和この上なさそうな学院生活ではあるけれども、万が一があるやもしれないから。
困り切った顔のディーンの返答待ちで会話が途切れると、ユリウスが間に入って来た。
「……お話し中失礼しても? 彼と同部屋なので、ちょっと手を借りたいのですが……宜しいだろうか?」
「ユリウス皇子。如何された?」
「図書館で本を借りたいのですが、ちょっと持ち切れなくて……」
そう言って恥ずかし気に微笑むと、近くの女生徒からため息がこぼれた。
「ユリウス皇子は勉強家ですな。どうぞ。ディーン、手伝って差し上げろ」
アーノルド王子はまるで自分の側近にでも指示するかのように言った。
釈然としないものの、はいと取り敢えず返事をしておく。
身分差の悲しきものよ。
教室を出ると、どちらともなく苦笑いを浮かべた。
「しかし、大変だねぇ」
「はぁ」
同情めいた、気遣うような声色でユリウス。ディーンは疲れたような声でやんわりと肯定した。
「まぁ、なかなかガツンと言い難い相手だからねぇ……本来は意見する所なんだろうけど面倒そうだから、休憩時間になったら何処かへ雲隠れする方が良いよ」
そう言って肩を竦めた。
確かに。今後はそうした方が面倒が少ないだろうとディーンも思う。
「あ、ここまでで大丈夫だよ」
校舎を出て暫く、図書館のだいぶ手前でユリウスは歩みを止めた。
「でも、本を運ぶんだよね?」
ディーンが丸い瞳を瞬かせて首を傾げた。
ユリウスが苦笑いをして首を横に振る。
「いや、教室を抜け出す方便だよ。本位自分で運ぶさ。じゃあ!」
そう言うと、キラキラとしたイケメンスマイルを振りまいて走って行ってしまった。
何と気が利く皇子なのであろう!
(やっぱり、ああいうのが『おうじサマ』だよね)
ディーンは自分の心の声に、思わずうんうんと頷いたのであった。
*****
(……辺境伯家のご令嬢と言う事は、彼は『マグノリア・ギルモア』の従者なのか)
亜麻色の巻き毛の、女の子みたいなディーンを思い起こす。
出身領地が遠いのだとは言っていたが、まさかアゼンダだったとは。
長年この世界を苦しめた病の一つである、航海病の解明と治療の確立をやってのけた『アゼンダの小さな智慧の女神』
海のある領地からほど遠い上に作物が良く実り、航海病に対して知識も興味も無いアスカルド王国ではその価値をさほど評価されていないようだが、諸外国では本当に女神のように崇められている。
その姿は妖精のように愛らしいという噂だ。
……まあ、目にしたことがあるので知っているが。
ユリウスは図書館の椅子に座り、過去の新聞を手にしていた。
肥料の開発と販売。領地改革。新しい事業。平民を相手にした小規模な学校の運営――
肥料も、花の国と呼ばれるアスカルド王国では無用の長物である為、見向きもされていないが。
……他の国では飛ぶように売れているのだ。
彼女の祖父が販売しているらしいが、考案者は彼女だと言う事だ。
そして女生徒たちが持っている流行のポーチやパッチワーク。
ザワークラウトやツナ、近年アゼンダ辺境伯領から発売される、この世界では存在しなかった各種調味料の数々……
(偶然……? それにしては、彼女の周りでのみ起こり過ぎている)
第一、ギルモア侯爵の娘であるマグノリア・ギルモアは、何故アゼンダにいるのか。
アーノルド王子にご執心な筈ではなかったのか。
当時四歳の子どもが、事業など立ち上げ出来るものなのか。
(一度、頃合いを見てアゼンダ辺境伯領に行く必要があるかもしれないな……)
冬の教会での奇跡、という記事と、王都襲撃爆破事件の記事を流し読みして、ユリウスはそう結論付けた。
ユリウスが適当な本を数冊持って部屋に帰ると、ゲンナリと机に上半身を投げ出したディーンがいた。
あの後も色々な人に声を掛けられたのであろう。
身分差から強くあしらう事も出来ず、何とも不憫だと思うが。
教師も彼と似たような身分の者が多いので、生徒はともかく、大人の高位貴族に強く言える人は少ないだろう。
……研究者が多い為、どこか浮世離れしている人もいる。
この騒動(?)に、もしかしたら気づいていないなんて人も居るのかもしれない。
「あ、ユリウス皇子……」
「何か、萎れ切ってるねぇ」
苦笑いをして返す。
お節介かと思ったが、ひと言アドバイスをする位は良いだろうと思って言ってみる事にした。
「その、辺境伯家に現状をお伝えしてみたらどうだろう? 何ていうか、このままだと学院生活がままならなくなり兼ねないだろう?」
……実際、権力者の側近になったら有象無象をあしらうのも仕事の内だとは思うが。場慣れしていない十二、三歳の少年には難しい事だろうとも思う。
ディーンは困ったように暫く瞳を揺らしていたが、小さく頷いた。
「……取り敢えず、トマスさんに……タウンハウスの家令に、相談してみます」
「うん。そうした方が良いよ。改善されると良いね」
噂通りの良い主家ならば、抗議のひとつやふたつしてくれるであろう。
少し安心したかのように、ディーンは少年らしい笑みを浮かべた。




