王子とディーンのファーストコンタクト
「……眠れなかったの?」
ディーンの目の下の隈を見て、ユリウスはミント色の垂れ目を瞬かせた。
「……いや……はい」
正体を知って敬語になりかけるが、意向に逆らって不敬と言われても困る。
思わず言葉を飲み込んだ。
「そっか。まだ幼いのに、親元から離れて不安だよね」
解ります、と言わんばかりに頷かれた。
いや、そうじゃない。
……多少はあるかもしれないけど、違う。
まさかあなたが皇子と知って緊張して眠れなかった、とも言えず、曖昧に返事をする。
(……なんか、マグノリアと一緒だな)
自分も同じ筈なのに、あたかも年上のような物言い。
不安だというのなら、ユリウスの方が不安であろう。
自国を離れて外国に来ているのだ。
友好関係を結んでいるとはいえ、親の時代には敵同士で戦をしていた国に。
自分など比べ物にならない程心細い筈なのに。
「今日は学力試験だね。頑張ってね」
穏やかに微笑んで励まされた。
試験は意外にもスラスラと解けた。
今後の学院生活に不安を抱かせないよう、簡単な問題になっているのであろう。
(なんだ、構えて損したなぁ)
幾つかある通常クラスの振り分けの際に、偏りが出ない様に振り分ける為なのだろうが、こんなに簡単で分別できるのだろうかと首を傾げた。
試験場である教室では、ディーンを入れて五名程の新入生が試験を受けている。
静かな教室にペンと紙の擦れる音が響く。
麗らかな春の日差しに、寝不足のディーンは必死に欠伸をかみ殺していた。
一週間後。
そんなこんなで余裕をぶっこいていた自分を引っ叩いてやりたいと思う事になる。
――後悔先に立たず。
校舎の前に張り出されたクラス分けの紙を、もう、十回は見直しをしていた。
「……ディーン、何回見ても変わらないよ?」
ユリウスは苦笑いしながら、自分よりやや小さいディーンの肩を叩いた。
諦めて教室に行こう? 皇子にそう言われてディーンは渋々、トボトボと歩みを進める。
(マグノリア……! クロード様!!)
ディーンは心の中でふたりに吠える。
そもそも、あのふたりに進捗度合いを合わせたのが間違いだったのだ。
どっちも超がつくほど優秀なのだ。そのふたりが満足行くほどに仕上げれば、出来上がりは言わずもがな。
……いやだいやだと言いつつも、課題を積み上げればそれなりに熟すディーンに、どうせ習うのだから良いだろうと色々詰め込まれたのである。
勿論家庭教師はついていたのだが。
家庭教師はいやに覚えが良い生徒にホクホクして、必要であろう範囲内を丁寧に教えたのである。
そんな教師の目を掻い潜って(?)自由時間などにご褒美をダシに、マグノリアとクロードに本を読まされたり計算をさせられたり、ひたすら問題を解かされたりしたのだ。
ゴクリ。
教室を前にディーンは立ち止まり、逡巡した。
「入らないの?」
ユリウスはきょとんとして、固まったままのディーンをみつめる。
(終わった……俺の穏便な学院生活)
とほほ。心の中で涙を流しながら、ドアノブに指をかけた。
教室はきらびやかな人達で溢れ返っていた。
洗練された雰囲気と、同じ規格の制服なのかと思う制服、華やかな表情。
(うわ~、これが社交界)
……の縮図。
将来の高位貴族たちが、集っておられる。
上位クラスに今から潜入である。
とほほと嘆いているディーンの気持ちなど知らぬとばかりに、格好イイのと可愛いのの出現に淑女たちがざわめいた。
扉を開けた途端視線が集中して、ディーンはひくり、と右頬を引きつらせた。
小さく会釈をし、さり気なく視線を逸らすと、そそくさと空いている席に座る。
ユリウスはそんな視線は慣れているのか、教室をゆっくりと見回して、首を傾げた。
「席は好きな所でいいのかな?」
微笑みながら近くの少女にたずねると、コクコク、と頬を赤らめながら頷く。
確認できると、さも当然のようにディーンの近くに腰を降ろした。
(……みんな、めっちゃ見てるんですけど)
ディーンのライフは既に零である。
「ユリウス皇子、久しいな」
とりわけ華やかな中央の集団の、その中心人物。
アーノルド・ヴァージル・サムソン・アスカルド。
焦げ茶の髪と、青銅色の瞳。
――この国の王子様が口を開いた。
(うわぁ。姿絵そっくりだ)
当たり前のことを心の中で呟きながら、ディーンの青と墨色の瞳は光が無くなっていた。
ちょっとやんちゃそうな、強気な表情。涼しげな目元に高い鼻梁、薄めの形良い唇。王子様然とした佇まいだ。
彼も物凄く格好いい。これでもかという位、黒の上着と白いスラックスの制服が良く似合っている。
目の前に王子と皇子がいらっしゃる。
……それよりも、何か既に女子生徒が侍っている風だけど、良いのだろうか。
婚約したばかりなのに。
ここは学校だよな? まだ十二か十三だよね?
……でも良いのだろう、権力ってそういうものだ。
何やら心の中で忙しく呟いている風のディーンをちらりと見遣って、ユリウスは口を開いた。
「これはアーノルド王子。先日は歓迎の宴をありがとうございました。国王陛下と王妃様によろしくお伝えくださいませ」
ユリウスのお礼に、鷹揚に頷く。
「そう言えば聞かれたか? 今年は男爵家の人間が上位クラスに紛れ込んだらしいぞ」
アーノルドの声に、クスクスと、あちらこちらから笑い声が聞こえる。
ディーンは小さくため息を飲み込んで、聞こえないふりを決め込んだ。
もしかしたら、自分以外にも男爵家の人間が居たりするのだろうか? 淡い期待を寄せておく。
……そりゃあ、高位貴族の中に低位貴族の、それも男爵家の人間が混じったら揶揄われるのは目に見えている。
「そうですか。それはとても優秀な方なのでしょうね。確か……前回男爵家出身者の上位クラス在籍は、かのオルセー女男爵以来ではないですか? そんな方と一緒に学べるのは素晴らしいですね」
ユリウスの言葉に、笑っていた人達は視線を彷徨わせた。
王子はちょっと置いておいて、皇子はイイ奴だなと思いつつも。思ってもみない言葉にディーンが内心で息を飲む。
(オルセー女男爵以来……あの人と並ぶのか……?)
それって何十年ぶりなんだ? そんなにも稀な事なのか? 噓だろ?
そして。狐のような豹のような、途轍もない獰猛な何かと一緒と知って、無理!! と心の中で叫んだ。
前途多難。その一言である。
(終わった……俺の穏便な学院生活……)




