新しい生活
翌朝、クロードとトマスに見送られてタウンハウスを出た。
このまま入寮となり、両親とは暫しの別れとなる。
いつもは気丈な母が涙目である事に、ディーンも目頭が熱くなった。
――まだ十二歳だ、親元を遠く離れて淋しくない筈が無い。
「しっかりな」
噛み締めるような父の言葉に、はい、と返事をした。
そして両親ともう一度抱き合って、走って行く馬車を見送った。
二年前にはマグノリアとヴァイオレットと見た、豪奢な門の前でひとり佇む。
(行ってしまった……)
暫くしてノロノロと寮まで戻って来ると、入寮の手続きをした時の係の人と、学院の生徒らしいやけに日焼けした上に制服を腕まくりした人が立っていた。
「ああ、良かった。広いからてっきり迷ったのかと思ったよ。こちらが寮長のデュカス君」
デュカスと呼ばれた人が、腰に手を宛てたままニッコリ笑った。
「寮長のデュカスだ! 後期三年である! 困ったことがあったら何でも聞いてくれ!!」
キラーン、と白い歯が光った。
……そして声がやたらデカい。
ディーンは丸い瞳を瞬かせて自分より大きな寮長を見上げる。
「新入生のパルモア君だよ」
「ディーン・パルモアです、よろしくお願いします」
ディーンが控えめに挨拶すると、よろしく!! と大音声で返された。
「私は男子寮管理人のハリスです。寮の細々とした事や、寮で暮らす皆さんのお手伝いをしています。見回りや雑務をしている時以外は、管理人室の中にいますよ」
そう言って管理室を指さす普通そうなハリスと、熱血なのか……声の調整ボタンがイカれているのか解らないデュカスを交互に見た。
寮は学院の敷地の奥の方に建っている、コの字型の三階建ての建物だ。
右側に後期生、左側に前期生が暮らしている。真ん中の横長な部分は共用部になっていて、食堂や談話室などがあると説明を受けた。
「女子寮も同じ様な造りで、少し離れた敷地の右側に建っている!」
「……はぁ」
女子寮に行く用事も無いが、と思いながらも頷いておく。
「門限は二十時だ! ちなみに女子寮の門限は十九時だ!!」
「……はぁ」
すれ違う人間もいるが、みんなこの大声を不思議に思わないらしく、下級生はデュカスに会釈をして行く。
……よってこれが極日常の事なのだと言う事が解る。
ディーンはひとり居た堪れない気分でついて行くのみであった。
ひと通り引っ張り回され、やっとの事で三階の部屋の前に辿り着いた。
一年生は三階で、学年が上がるごとに階は下がるらしい。
……普通は逆に感じるが、特に朝の一分一秒、出入りが楽な方が重要なのだと説明された。
――そういうものなのだろうか?
ディーンは思わず首を捻る。
「ふたり一部屋だ! 相手が大物だが学生は一応平等だ! 頑張れ!!」
「ありがとうございます……?」
「朝食は七時! 夕食は六時だ! 昼は学食を使え!!」
大物? 何を頑張るのだか解らないが。
延々と続くだろう、変わらない圧に引きつりながら頷く。
「明日、クラス分けの試験だな! 頑張れ!!」
「……はい」
とても良い人なんだろうとは思うが、何処か微妙だと思ってしまうのは仕方がないだろう。
ため息と共に扉を開けると、自分と同じくらいの少年が本を読んでいた。
「あ! ごめんなさい、ノックをしないで!」
まさか中に人が居るとは思わず、いきなり扉を開けた無作法を詫びる。
顔をあげた少年は、綺麗な銀髪だった。
(うわ、美少年だ!)
ディーンは自分の方を見た少年の顔を見て瞳を瞬かせた。
小麦色の肌にさらさらと音を立てそうな銀色の髪。少し垂れた瞳はミント色をしている。ふっくらとした唇に、目元のほくろが特徴的である。
……純粋に美しさで言えばクロードの方が『綺麗』かもしれないが……ただ綺麗なだけではない、何だか妙な色っぽさのある少年であった。
思わず、ディーンはドギマギしてしゃちほこ張る。
「大丈夫大丈夫。ほら、デュカス先輩声が大きいからさ。階段あがってきた辺りから解ってたよ」
苦笑気味に言うと、立ち上がって右手を差し出す。
「同室のユリウス・グイド・マリナーゼだよ。よろしくね」
「……デ、ディーン・パルモアです。よろしくお願いします!」
ミドルネーム持ち。家柄は侯爵以上と言う事だ。
――なるほど、『大物』とはこの事を言っていたのかと、先ほどのデュカスの言葉を心の中で反芻する。
とは言え、高位貴族は広大な領地持ち。よって普通、タウンハウスを所持しているのでそこから通う者が殆どだと思っていたのだが。
珍しいなと思いながら右手を出し握手をする。
「同じ年だし敬語は無しで、ね? 一緒に生活するんだし、堅苦しいと疲れるからさ」
微笑んでそう言うと、荷物はそこに置いてあるよと入寮の手続きの際に渡しておいた鞄を指さされた。
管理人さんか誰かが運んでくれたらしい。
「……うん。ありがとう」
(高位貴族なのに、偉ぶらない良い人っぽいな)
ディーンは呑気にそんな事を思っていた。
……多分、初めての親元からの巣立ちでなく、変な先輩と関わった後で無ければ、すぐにピンと来たであろうに。
「机、取り敢えず先についたから奥を使っていたんだけど。場所、代わった方がいいかな?」
「ううん。どっちでも大丈夫だから、そのままで構わないよ」
「そう? ありがとう」
フワッと笑った顔が艶めかしくて、ディーンは丸い瞳をパチパチする。
(……都会の子って凄いな)
同い年とは思えないな、とひとり頷く。
マグノリアに聞かせたら違う! と食い気味に言い返されそうな事を考えていたのだった。
夕食の時間に食堂に行くと、まだ新学期が始まるまで日数があるからか、全体的にまばらであった。
新入生でまだ入寮していない者もいる上に、在校生は帰郷している者も多いのであろう。
ユリウスに一緒に食べに行くか聞かれ、素直に頷いたディーンだが……廊下や食堂でチラチラと視線を感じて首を捻る。
「……ああ、大丈夫そうだね」
食堂では、様子を見に来たらしい管理人のハリスにほっとした様にそう言われ、益々首を捻る。
(なんだろう。男爵家と高位貴族の取り合わせだから心配してくれてるのかな?)
何の肉か解らない硬いステーキを口に運びながら、モグモグと咀嚼しては首を傾げる。
「これ、何の肉だろうね?」
ディーンが肉を不思議に思っていると思ってか、ユリウスも咀嚼しながらミント色の瞳を上に向け、考えているようであった。
風呂に入り、ベッドの位置を決め、雑談の後に消灯になる。
目まぐるしかった一日を思い、苦笑いをする。
(……デュカス先輩のせい? お陰? で、淋しがるタイミングが吹っ飛んでいったなぁ)
その後出会った、細やかに気遣ってくれるユリウスのお陰で、新しい生活の不安もだいぶ薄らいだ。
今頃は、母の方が淋しがっているのではないだろうかと思う。
(マグノリアも少しは淋しがってくれてるかな……)
愛おしい少女の姿を想いながら。疲れからかすぐに瞼が重くなり、程無くして静かな寝息をたて始めた……
……と思ったら。落ちかけた瞼をグワッと勢いよく開いた。
(……ちょっと待てよ……オイオイオイオイッッ!!)
マリナーゼ。
ユリウス・グイド・マリナーゼって言わなかったか? そう思いながら、背中に冷汗が流れる。
思わず意識を二段ベッドの下に向ける。
上側だと落ちそうだから下の方がいいとユリウスに言われて、ディーンが上段になったのだが……
アスカルド王国に、マリナーゼという高位貴族はいない。
セバスチャンにもトマスにも、貴族名鑑は覚えておいた方が良いと言われた上、マグノリアにも覚えなさいと言われて覚えさせられたので間違いはない。
お隣の大国と同じ名前の姓。
かの国の王族は、南の海と同じ色の瞳をしているという――クルースの青い海とは違って、かの国の海は、エメラルドグリーンに見えるのだそうだ。
皇子様。本物の皇子サマだ。
(……大物って、大物過ぎるだろう~~~~~~!!)
声にならない声が漏れる。
(嘘だろうっ!? 嘘だと言ってくれぇ!)
――何で個室じゃない訳? っつーか、確かやんごとなき留学生用の貴賓室があったんじゃなかったっけ? そして、何故すぐに気がつかなかったんだ、俺!
心の中で盛大に唸る。
(……俺、皇子サマの上に寝て、不敬で罰せられたりしないよね!?)
……今更、部屋を替えてくれなんて言えないだろう。
ディーンはすぐに気づかなかった自分に、心の中で呪詛の言葉を吐いた。
出張出演中(?)のユリウス皇子が出て来ました。




