王立学院入学に向けて
季節は三月を迎えた。
アゼンダでも沢山の花が咲き、春らしい季節になった。
マグノリアに宿題を出されたディーンは、一週間ほど考えた末、王立学院へ入学する事に決めた。
冷静に考えればマグノリアや両親の言う事は、全くもってその通りであるのだ。
出来る事を多くする為、手札を多くする為には、学院で勉強をするというのが理に適っている。
ただ、六年という時間はとても長い。
マグノリアは『あっという間』と言ったが、途轍もなく長い。
卒業する頃にはマグノリアは十六、ディーンは十八である。
――貴族令嬢であるマグノリアは、きっと婚約が調うであろう。
戻って来て、誰かのものになると決まった……もしくは既に嫁いだマグノリアと、どう接するのか、平常心で接する事が出来るのか全く想像が出来ない。
(……だけど、それは進学しないでずっとそばに居るのでも変わらない)
ディーンとマグノリアが結ばれる事は、きっとない事であろう。
それでも、この気持ちが少しでもそれを受け入れるようになり、マグノリアの役に立てるように知識と技術を磨く。
誰も何も言わないが、きっと周りの人に気づかれているのだろう。
距離を置くべきだと、冷静な自分が囁く。
護衛の為の技術を教えてくれているガイも、いつだったか「時間薬が解決してくれることもある」と言っていた。ディーンの気持ちに対しての直接の言葉ではなかったが、多分この気持ちもひっくるめての助言だったのだろう。
飼い慣らせる日が来るのだろうか?
それとも心変わりをする日が来るのだろうか?
(どうしても無理な場合は……王都にとどまれる様に、どうにか対策を考えよう)
窓辺の日の光を受け柔らかく光るように、淡く溶ける様に輝くマグノリアを見つめて、ディーンは綺麗だと思う。
(本当に、綺麗だ……)
*****
「しっかりおやりよ!」
プラムははっぱをかける様に言いながらも、涙ぐんでいる。
遠く離れた地に身内を送り出すというのは、いつだって淋しく心配は尽きないのだろう。いつまでも小さいとばかり思っている末っ子だからなおさらなのだろう。
これから両親と一緒に王都に向かい、入学と入寮の手続きを行う事になる。
せっかく使用人も駐屯しているのだし、タウンハウスを使ったらどうかとマグノリアが提案したが、恐れ多いとパルモア家全員からダメ出しを喰らった。
「ディーン君、安心してください! ディーン君の留守中、ガイさんと私がマグノリア様の事守りますんで!!」
結婚しても変わらないリリーが、ふんすと鼻息荒く胸を叩いた。
ディーンとガイは苦笑いをして頷く。
「はい。お願いします」
セバスチャンやセルヴェスへも挨拶が終わり。
馬車へ乗り込むばかりのディーンにマグノリアはお菓子の詰め合わせを手渡した。
チーズケーキにクッキーといった辺境伯家お馴染みのお菓子たち。
ふたりの想い出の味でもある。
「いっぱい勉強して、いっぱい楽しんで。身体だけは気を付けてね」
『がんばれ♪』
「うん。マグノリアもな」
一時期のような思いつめた様子はなく、ディーンは穏やかな笑顔を浮かべている。
諦めなのか達観なのか。それとも違う感情なのか。
辺境伯家の面々が見送る中、ディーン親子を乗せた馬車が遠ざかって行く。
馬車が見えなくなるまでみんなで見送った。
******
三日半程の日程で王都へ着くと、その足で入学手続きと入寮の手続きをしに学院へ行く。
二年ぶりの王都は、やはり初めは緊張感を伴うものだった。
いつかの遊歩道に差し掛かった際は、思わず小さく息を詰めた。
……すっかり綺麗に舗装された道ではあるが、黒く煤けたそれも、木の間から現れる赤い瞳の襲撃者達も。
いつかの剣戟と怒声と土埃とが、ありありと目の前に浮かぶようであった。
「……どうしたの、ディーン? 顔色が真っ青よ」
心配そうに言いながら、ディーンの母が顔を覗き込む。
ディーンは作り笑いをして首を振ると、ふと自分達と一緒に襲撃に遭遇した少女の事を思い出した。
(ヴァイオレット様はこの近くに住んでいるのだったな……暫くは不安だっただろうな)
あの事件から一年に二度ほど、父親の仕事や休みに付いて来ては、賑やかに去っていくリシュア子爵令嬢を思い出した。
そして、あのご令嬢もプレクラスに入学するのだろうかと考える。
(……しそうだなぁ。王子やガーディニア様の事をいつも話していたもの)
マグノリアに言わせると、ヴァイオレットは王子やガーディニアのファンなんだと言っていた。特に一番のファンは、マグノリアの父親であるギルモア侯爵なのだとも。
確かにヴァイオレットがギルモア侯爵の話をする時の圧は凄い。
侯爵を『ジェラルド』と呼び捨てにしているのだが、良いのだろうかといつも不思議に思う。
それに、時折何かを確かめるかのように確認するかのように、ディーンの顔と様子を見て来る様子も気になった。
(王子殿下のご婚約も調ったし、絶対賑やかだろうな……)
顔見知りがいる事は心強く思う反面、ちょっと変わったお嬢様であるので、どうしたものなのか……マグノリアという緩衝材がいないと、対応に困るなとも思った。
今日はセルヴェスの好意により、タウンハウスの客間に滞在をさせて貰う事になっている。
翌日には入寮し、その次の日にクラス分けの為の試験を受けるらしい。
遠方からの新入生も数多い為、日程は到着順に数日をかけて行われ、発表は入学の当日だと係の説明を受ける。
兄たちによれば、上位クラスと通常クラスという形に分けられており、上位クラスは学年に一クラスだそうだ。
上位クラスには王族や公爵家、侯爵家の子ども達が在籍するのが常で、時折成績の良い伯爵家以下の者も加わる事はあるが、稀であると言う事だった。
――男爵家の人間には関係のない世界である。
(学校までも、そんな格差を思い知らされるなんてなぁ)
とは言え、そんな上位貴族たちと一緒のクラスなんて息が詰まるであろう事は確かだ。ディーンの学年には王子殿下が在籍するのだ。
……分かれていて正解であると思い直した。
「ディーン、お久しぶりですね」
「トマスさん。ご無沙汰しております」
タウンハウスに到着すると、にこやかなトマスが出迎えてくれた。
……セバスチャンと見た目が全く同じ為、ディーンにしてみれば余り久し振りには感じないのだが。
そんな気持ちを知ってか、トマスは穏やかに笑った。
「三人の到着をクロード様がお待ちです。
……疲れているだろうから挨拶は明日でもと仰ってましたが、如何なさいますか?」
クロードが忙しいのならば別だが、タウンハウスへ来て主家の人間に挨拶をしないなんて非礼は許される筈が無い。
荷物を客間へ置くと、すぐさま執務室へ挨拶に向かった。
重厚な樫扉をノックをすると、どうぞ、と言う低い声が返って来た。
未だ声変わりをしていないディーンにとって、クロードの低い声はちょっと憧れる男らしい声だ。
クロードは低い声に似合わず、見た目は美しいと言った方が良い程の美麗というか淡麗というか、とにかくとても綺麗な顔立ちをしている。
かといってけして女性的な訳ではなく、骨格も目鼻立ちも男性以外の何者でもないのだが。
元々は男爵家の生き残りであり、セルヴェスの養子になったと聞く。
しかし、とても自分と同じ男爵家の人間とは思えない、滲み出るような高貴さがあるのだ。
「到着したばかりで申し訳なかったな」
羽ペンを置くと、立ち上がってテーブルを示す。そこには既にトマスが用意したお茶が並べられていた。
香しいお茶の香りが部屋を満たしている。
「いえ。主家の皆様には良くして頂き、なんとお礼を申し上げれば良いものか……」
「ディーンはプラムの孫で、マグノリアの友人だからな。当然だ」
恐縮する両親とは対照的に、クロードは穏やかな顔でお茶に口をつける。
そしてディーンに向かって、思い遣りに満ちた声で言った。
「もし困ったことがあれば、タウンハウスにはトマスが常駐しているので頼る様に」
壁際に待機しているトマスが言葉を受けて頷いた。
「学院で何か対応が難しい事に遭遇したら、ジョルジュ・フォーレに確認するといい。彼は俺の同窓生で学院で教師をしている。多分力になってくれる筈だ」
「ありがとうございます」
ディーンもお礼を言いながら頭を下げる。多分、その先生に話をしてくれたのであろう。
「……王都に来ても、体調は大丈夫だったか? マグノリアが、もしかすると二年前のショックで不調を訴えるのではないかと心配していたが……」
……流石マグノリアだ、と思う。
さっきディーンが感じたような症状になる事を予見しているのだ。
(医師でもないのに、どうして解るんだろう……本当に凄いな)
そう言うと、本で読んだのだと答えるのであるが、流石にどれだけの本を読めばそれだけの知識が持てるのかと不思議に思う。
ディーンには想像も出来ないような頭の構造をしているに違いないと思うのだが、どうなのだろう。
「……はい、現場近くを見た時には流石に怖く思いました。ですが、じきに慣れるかと思います」
ディーンの言葉に、心配そうにしながらも頷く。
クロードにしても、騎士団でそういう心因性の反応が起こる人間を多く見て来ている。
初期の段階でのケアを三人に行ってはいるが、個人差もある為、もう少し重ねた方が良いかもしれないと算段する。
「……そうか。そう考えるとやはりタウンハウスで過ごすよりも、学院の寮で過ごす方が心の負担にならないだろうな。余りに治らない時は医師に相談した方が良いと思う」
寮は学院の敷地内にある。毎日貴族街から通って現場を通るよりも、目に入れない方が心安らかであろうというものだ。
ややあって、空気を変える様にゲンナリとした表情でクロードが続けた。
「……それと、予想通りリシュア子爵令嬢がプレクラスに通うらしい。マグノリアが来ないと知り、先日もけたたましく問い詰めては色々話し倒して行った……ディーンの所にも襲来すると思われる……」
「……ああ……」
やっぱり。
ディーンも愛想笑いを浮かべながら、アゼンダの黒獅子を問い詰めて話し倒して行く精神力は凄いなと、妙な感心をしたのであった。
両親も離れて暮らす息子への気持ちを慮られた。そして、疲れているだろうとすぐに暇を許される。
また、暫しの別れの為、夕食は親子水入らずでゆっくりと摂れば良いと気遣われた。
明日から新しい生活が始まる。




