リリーの結婚
心を落ち着ける為、皆無心で咀嚼する。
もしゃもしゃ。
ラドリと言えば呑気に、かつ図々しくも人の皿から勝手に啄み始めた。
暫くして再びヴィクターが口を開いた。
「そう言えば、リリーちゃんはまだ暫く休暇中?」
「はい」
「良かったじゃん。マグノリアちゃんも彼女の結婚、心配していたもんねぇ」
ヴィクターの言葉に、過去にマグノリアの呟きを聞いていたガイとユーゴが頷いた。
そうなのである。
結婚がほぼ必須な上、適齢期も早そうなこの世界なのであるが。
リリーは、男爵家とは名ばかりの貧しい家を支える為にずっと働くつもりでいたので、縁談を全く受けても考えてもいなかったそうなのである。
実家の方もだいぶ落ち着いたそうで、頑なに独身で職業婦人を通す必要も無くなり。
……地球だったらマグノリアとて、お節介などせず放っておくのだが……そう、この世界は放っておいて良い所なのか迷う所だったのだ。
縁遠そうな使用人には、主人が色々世話をしたりするのが慣例らしいと聞いたものの、マグノリアには妙齢の結婚相手を紹介するほど伝手は無いのである。
……セルヴェスとクロードに相談しようかとも考えたのだが、クロードの婚姻話に飛び火してしまうと何なので、ふたりに相談は断念し、勝手に頭を悩ませていたのだ。
そんなある日恥ずかしそうに、結婚を考えていると言われて心底驚いたのだ。
リリーが自身の幸せを考えてくれるのはとても嬉しい。
とは言えマグノリアにしてみれば、舞踏会など滅多に社交界へ顔を出さないリリーが、一体いつそんな人に出会ったのかと首を傾げた。
職場恋愛? と思ったが……昔からの使用人が多い辺境伯家の面々は、男性といえばおっさんとお爺さんばっかりなのである。
お相手は、なんとあの不憫護衛騎士であった。
王都の事件の時に、リリー宅の護衛に行って貰っていたのだが、色々話す内にお互い好意が芽生えたらしく。
……良くある話といえばそうなのだが、元気で健気なリリーと、誠実そうで穏やかそうな護衛騎士の組み合わせは、なかなか好感度が高い組み合わせだと思う。
不憫護衛騎士の家も同じ様な男爵家だったそうで、家格もぴったりだったそうだ。
「もし高位貴族に見初められたら、辺境伯家の養女にして送り出すって言ってたもんねぇ」
「小さい時からお世話して貰ってますからね。私だってその位の気概はありますよ」
そうなのだ。
もし難しい婚姻になりそうだったら、辺境伯家の養女として胸を張って嫁いで貰うつもりだったのである。
「まぁ、愛でパンは買えませんが……変な人間でないのなら、自分が合うと思う人と結婚する方が長い人生ではプラスだと思いますよ」
お互い定職を持っているのだし、何とかなるであろう。
なるべく条件の良い所へとか家格がなんたらとか言われるけど、一生我慢を強いられるのもどうかとも思うのだ。
……その辺りは地球的な考え方なのであろうが。
今後も辺境伯家で働く気満々なリリーの話を聞き、嬉しい様な、放って置けないんだろうなとちょっと申し訳ないような複雑な気持ちでもある。
「十歳とは思えない現実的な意見だね~」
苦笑いするヴィクターに、全員が何とも言えない顔でマグノリアを見る。
甘いのは風貌だけであって、かじったら苦いおばちゃんが出て来るのである。
「お嬢も、ずっと一緒だったリリーさんがお嫁に行って淋しいっすからねぇ」
「次はマグノリアちゃんだね!」
悪戯っぽく言うふたりに、ジト目で返す。
「私、まだ十歳だからね? おじい様とパウル以外、ここに居る誰も結婚していないのだよ。私よりも早く片付くべきなのはあなた達だからね!」
眉間に皺を寄せ、ビシッと指摘する。
そう。パウルも一年程前に結婚したのである。遠縁のお嬢さんだそうだ。
それは置いておいて。
マグノリアの言葉を受けてガイ、ユーゴ、ヴィクター、ダン、イーサン、クロードがお互いに顔を見合わせた。
「……ほら、僕が結婚しちゃうとマグノリアちゃんの仮の婚約者がいなくなるから……」
「結婚を考える人がいるならご自分を優先してください。流れてしまっても責任取れませんから。こっちは纏まらなかったって言えばいい事ですからね?」
誤魔化す様にいうので、食い気味で返す。
相手はヴィクターであろうと匂わせるような、高位貴族と婚約を進めるつもりだという言葉で、確かにゴリ押しして来る有象無象を牽制する効果はあるのだが、その為に無理をして欲しいとも思わない。
……まあ、八割がた言い訳だとは思うが。
「本当だ! この席みんなおじs……未婚の人ばかりですね!」
途中何やら言おうとして、不穏な視線を感じたのか、一瞬口を閉じたディーンが心底感心したように言い直した。
「……長い事好き勝手してると、纏まるのも面倒臭くなるんだよ」
「へぇ?」
穢れのない少年に、元同じ人種のマグノリアが教え諭す。
独身貴族とは良く言ったものだ。
……男たちはイーサンに視線を投げ、イーサンはガイに視線を投げていた。
『オッサン♪ オッサン☆』
言いながらテーブルの上を転がるラドリが、クロードに摘み上げられた。
「……焼き鳥にされたいのか?」
『八つ当たり~』
この中で次期辺境伯であるクロードが、年齢は若くとも一番急務と言える問題であろう。
睨みつけられてもどこ吹く風。
短い羽をバタつかせながら、ブランコの様に揺れて遊んでいる。
ポイッと放り投げられると、ぱたぱたと羽ばたいて、マグノリアの頭に着地した。
「……私としては結婚しなくても良いんですけどねぇ。それに、外交的に何かあった場合、それなりの立場の人間が控えてた方が良いでしょうからね」
昔の地球でも身分の高い人間は早く結婚するイメージであるが、それこそ家格が合わないと結婚相手がおらず、独身で過ごした人達も結構いたとも聞いた事がある。
有名どころだと、フランス王室のルイ15世の娘である三姉妹であろうか。
マグノリアが公爵令嬢と同等と言うのならば、独身の王女も公女もいない今、平和の為の婚姻――兼人質が必要な場合に備え、フリーであるのも利点というものであろう。
以前と違って、自分がその立場にふさわしい扱いを受け、ふさわしい生活を送らせて貰っている覚えも自覚もある。
それならば、自分もそれに見合った責任を負わねばならないと思うのだ。
ノブレス・オブリージュ。
そんな考えを知ってか知らずか、セルヴェスが困ったように口を開いた。
「……心構えは立派だが、そんな事は考えんでも良いのだよ。先々を考えれば結婚した方が良いだろうと思うが、したくないなら無理にする必要も無い。マグノリアが幸せだと思える選択をする事の方が大切だ」
「おじい様……」
厳つい顔付きだけれども、とっても優しい表情で話すセルヴェスに、マグノリアも困った顔を向ける。
いつもなら嫁にはやらんとゴロンゴロン転がる所なのだろうが、マグノリアの何気ない本気を前に真面目に伝えて来たらしい。
この世界のセオリーとは全く違うだろうに、異世界から来たマグノリアの考えや気持ちを慮って言ってくれているのだろう。
有難い事である。
だからこそ、役に立ちたいとも思えるのだが。
「……当分先の事ですよ。私は」
セルヴェスを安心させるように、眉を八の字にして苦笑いをした。
******
一か月程前の秋晴れの日、リリーは自分で縫ったというドレスに身を包んで、幸せそうに微笑んでいた。
ドレスは贈るつもりでいたのだが、自分で縫ったドレスを纏う事が小さい頃からの夢だったと言われてしまっては、退散するしかない。
代わりに新居に必要なあれこれを一式贈る事にし、三か月の休暇を取って貰う事にした。
退職しないリリーは他の人に比べて旦那さんと過ごす時間も短い事だろう。
以前のように事業に引っ張りまわすような、無茶振り(?)な仕事は投げないつもりだが、結婚直後位はゆっくりと過ごして欲しい。
住居を整えたり挨拶回りをしたりと、意外に忙しいだろうとも思う。
いつもはやや頼りなさげな不憫護衛騎士も、リリーを優しくエスコートする姿はなかなかどうして、様になっているものであった。
秋晴れの空の下。同じ位晴れやかな気持ちで心から、ふたりに幸多からん事を祈り願うマグノリアであった。




