ギルモア邸にて
平和だったはずの貴族街に文字通り激震が走った。
突然の爆発音と閃光が走って暫くの後、今度はすさまじい爆発音が響いたのであった。
外を見れば、細く煙が上がっている事がわかる。
……理由は解らないが、近くで爆発があったのは確かだ。
初めの爆発で様子を見に出ようとする者が多くいたが、二度目の爆発でむやみに外へ出るのは危険と判断した者が殆どであった。
まさかいきなり戦争が始まったと言う訳でも無いであろうが。
訳が分からない中、とりあえずは戸締りと警備を固め、各家が固唾を呑んで息を潜めていた。
静まり返る貴族街を、ギルモア家の黒塗りの馬車が走り抜けて行く。
手綱を握るのは仕立ての良いお仕着せを着た御者ではなく、簡易鎧をつけた騎士だ。
暫くしてギルモア家に着くと、屋敷の門番に向かってクロードが口を開いた。
「兄上が先ほどの戦闘で怪我をした。担架を用意して欲しい」
弾かれたように玄関へ走って行く門番に続いて、馬車はゆっくりと玄関まで続くアプローチを進んで行く。
慌てて出て来たらしい執事長と先ほどの門番が困ったように玄関に立っていた。
「……担架はどうした?」
「ご用意が……」
ない、と言う事なのだろう。
下手に強く動かせば、傷に負担がかかってしまう。
(せっかく鳥さんに塞いで貰った傷口が開いちゃうよ!)
マグノリアは焦れたように門番に指示を出す。
「持てる太さの、長い強度のある棒を二本と、シーツを数枚持って来て下さい!」
「はい……!」
マグノリアが家を出てから入ったのだろう、見た事のない若い門番が再び走って行った。
「ベルノルトは?」
クロードは執事長に家令の名前を告げる。
「……ベルノルトはお休みを頂いて、実家の方へ帰省しております」
「申し訳ないが……冠婚葬祭や見舞などでないのであれば、すぐさま呼び戻してくれ。何か本人とご実家に問題があれば別だが、緊急事態だ。そして兄上の部屋の用意を。すぐに医者が来る」
大怪我だ、と付け加えると、執事長が顔色を悪くして頷いた。
居合わせた使用人達がざわざわと立ち尽くしている。
先ほどの爆発もあって色々混乱しているのであろうが、マグノリアは突っ立っている場合じゃねぇんだよ、と思ってしまう。
(……あれだ、集団心理……傍観者効果)
人が沢山いると『誰かがやるだろう』と思ってしまう心理の事だ。
誰かが雑踏で倒れた時、誰かがやるだろうと思ってしまい、通報がなかなかなされない。
逆に目の前に一人しかいない場合、その人がするしか無い訳で、迷わずに行動に移されやすいのだ。
そこに、職場の人間関係や役割もあるだろうから……勝手にすると、とか。
出しゃばると、とか。自分の担当じゃないとか。
そんな、色々な考えも混じるのだろう。
だがそんな事は、命が関わらなそうな時にやって欲しい。
やっとのことで棒を探して来たらしい門番が、息せき切って帰って来た。
傍観者効果の解決法は、指名をする事だ。
マグノリアは、目の前の侍女に瞳を合わせた。
「そこのあなた、リネン室からシーツを数枚持って来て下さい。あなたはリネンを大量にお父様の部屋へ」
「はい!」
指示を受けた侍女がはっとした様に返事をして走って行く。
残った者に続けざまに指示を出す。
「あなた! 調理場へ行って大量にお湯を沸かして貰うように言って下さい。あなたとあなた、酒精の強いお酒を幾つか部屋へ運んで下さい。消毒に使います! あなたは桶を綺麗に洗ってから消毒して下さい」
言いながら、クロードと一緒に破れないようシーツを重ねて、三分の一の所に棒を置き、同じ幅だけシーツを畳む。人幅に余裕を取った所にもう一本棒を置き、残りの布を畳んで、簡易担架を作る。
カラドリウスはマグノリアの肩に乗り、大人しく首を傾げていた。
男性使用人にゆっくりと担架の上に降ろされ、ジェラルドは部屋へと運ばれて行こうという時。
「貴方!」
そこへ侍女に聞いたのだろう、ウィステリアが悲鳴のような声をあげながら階段を駆け下りて来た。
そして泣きながら何度もジェラルドに呼びかけ、縋るようにして一緒に廊下へと出て行ったのであった。
クロードとマグノリアは、その姿を黙って見送る。
暫くして騎士の馬にしがみつくように乗せられて運ばれてきた軍医は、肩で息をしながらフラフラと玄関に降り立った。
本来ならギルモア家の主治医を呼ぶ所なのだろうが、戦闘での怪我と言う事で、軍医の方が適任と思ったのであった。
蹄の音に合わせ、執事長とクロード、マグノリアの三人は玄関へ出た。
クロードが医師に説明をする。
「わざわざ申し訳ありません。怪我人はギルモア侯爵です……全身に打撲と切創、擦過傷がありますが、胸部から腹部にかけて、半月刀で斬られた大きい刀傷があります。深い為、手術が必要かと思われます」
「……わかりました」
厳しい顔で頷くと、後から乗せられてきた助手と共にジェラルドの部屋へと消えて行った。
「マグノリア、手術が終わるまでここへ残るか?」
クロードが確認をする。
無理矢理抜けて来ている為、軍部へ説明をしなけばならない。
……が、取り敢えずはショックを受けて寝込んでいるとでもいえば、数日時間を稼ぐ事は可能であろう。
何よりも、手術の様子が気になるだろう。
クロードとて気にはなるが、セルヴェスに至急連絡が必要だ。
更には王へ直接事情を説明したり、事件を探る為に調査をしたり等々、色々すべきことがある。
珍妙な小鳥の言う事を信じれば、ジェラルドは助かるのだ。
おかしな話を信じれるかどうかはわからないが……少なくとも不思議な存在が不思議な力を使い、何かをしたらしい事は確かであった。
何も解らないのならば、ジェラルドの気力と不思議な小鳥を信じるしかないであろうと思った。
「いいえ。私に出来る事はもうありませんし……使用人の方のお邪魔になるといけません。トマスさんも心配していると思います」
力なく首を振るマグノリアを改めて見て、執事長は息を呑んだ。
余りの出来事に目に入らなかったが……かつて小さかったお嬢様はボロボロの服を纏った上に、煤だらけであり、手は血で真っ赤である。
お嬢様も、戦闘に巻き込まれたのだ。
「お嬢様、お怪我は?」
気遣わし気な執事長の様子に、マグノリアは首を振った。
「大丈夫です。ガイとお父様に護って頂いたので……」
「左様でございますか……ご無事で、本当に宜しゅうございました」
心の籠った言葉に、マグノリアは素直に頷いた。
クロードは落ち着いたマグノリアから聞いた範囲の襲撃内容を執事長へ伝えると、家令のベルノルトにも伝えて欲しい事と、何かあったら時間を気にせず知らせて欲しい事、手伝える事等があれば言うように伝えると、マグノリアとふたりで帰宅する事にした。
クロードはマグノリアを腕に抱き上げると、馬車へ向かって歩く。
「……汚れてしまいますよ」
「問題無い」
肩に乗ったカラドリウスが、腕を滑り台のようにして滑り降り、マグノリアの小さな手のひらに収まった。
「もふもふだ……温かい」
『おとーさんは大丈夫だよ、元気出して!』
空気を含んで膨れるシマエナガの様なカラドリウスに、マグノリアは小さく微笑んだ。
御者を務めてくれている騎士も、顔を合わせては頷いて笑ってくれた。
「頑張ったな」
ポツリと言葉が落とされた後、クロードに帰ろう、と言われ……安心と切なさが入り交じった気持ちになって、無性に泣けた。




