ギルモア家の歴史
数日ロサは遠慮がちな様子だったが、更に数日経ち、通常に戻った様子だった。
マグノリアは毎日日課として小さな刺繍を一つか二つ刺すと、図書室に籠る日々に戻った。ロサは何も言わなかった。
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ギルモアの発祥はかなり古く、はっきりとした内容は残されていない。国家として纏まっていない時代には小国を治めていたという説もあれば、どこぞの豪族であったという説もある。はたまた戦闘民族だったという言い伝えや、神に任命された国を護る守護者(なんだそれ)であったとか、実に様々だ。
地球の歴史だって、遥か過去における国の成り立ちや所謂古代時代など、明確に解ってはいないなんてことはそれなりにあるわけで。その場合、神話物語から始まるのはセオリーのひとつだと言っても過言じゃない。
事実を書き残すという行為が取り入れられるのがだいぶ後世だったり、政治的な背景から修正されたり改竄されたりするのが歴史書なのだから仕方ないとも言える。
少なくとも八百~九百年程前には『ギルモア家』が複数の歴史書に散見される事から、千年位は続く家門らしいと察せられた。
今の王家が王位に就き二百年足らず。前王朝は三百年程続いたというから、幾つもの王家に仕えた、古くからある旧家と言う事だ。
『大陸』と言われているこの広大な土地は、魔法の国と言われるモンテリオーナ聖国、海の国と言われる軍事国家のマリナーゼ帝国、そして花の国と呼ばれるここ、アスカルド王国の三つの大国と、中小十個の国とがひしめく土地だ。
集落で助け合う時代は終わり、人が増えれば権力が生まれる。知恵が増えれば策略と陰謀が引き起こされる。富が、権力が増えれば言わずもがな。
世界が違かろうが、人の歩みの歴史は地球と変わりないようで。
三百年ほど前から戦争があちこちで始まり、特に最後の百年は『大戦』もしくは『百年戦争』と呼ばれ、大陸全土を飲み込んだ戦闘が苛烈を極めたと歴史は語る。
その百年に及ぶ大戦に終止符を打ったのが、アスカルド王国・前国王と、当時の元帥だった先代のギルモア侯爵である。
元々アスカルド王国で軍や国防の要を担って来た家門の一つがギルモア家だが、その歴代の武人の中でも屈指の強さを持つと言われているのが当時ギルモア侯爵だったマグノリアの祖父だ。
肖像画でのみ知る、屈強な大男である祖父。
勿論マグノリアは会った事はない。
十年ほど前に新たな領地を賜って、現在はアゼンダ辺境伯となっているそうな。
戦乱の時代に、名将と名高い父と亡国の妖精姫と呼ばれた美しい母との間に、一人息子として産まれたギルモア家五十六代目当主、セルヴェス・ジーン・ギルモアは、幼い頃から様々な武術の薫陶を受ける。
卓越した身体能力と恵まれた体躯、そして才能を遺憾なく発揮し、十八歳でギルモア騎士団に正式入隊。その後各地を転戦し、弱冠二十歳にして五つの国を攻め落とし、幾人もの武将をその手に掛けた。
中でも暴虐の限りを尽くしたと悪名高い『悪鬼皇』と呼ばれた砂漠の国の皇帝の首を取る大金星を挙げたことで、大陸中にその名が轟くことになる。
二メートルを超す赤毛の大男。剛健な筋肉に覆われた、小山の様な身体。
剣を振るう鬼気迫る様子から『赤い悪魔』だとか『悪魔将軍』、『赤鬼将軍』だとか呼ばれ、大層恐れられていたらしい。
そして今から二十年ほど前……正確には十八年前。
武力と話し合いとを尽くし、荒廃し切った大陸の未来を憂いたアスカルド王の働きかけにより、大国三国の不可侵条約が締結されたのを皮切りに、各国とも条約が結ばれ終戦を迎える。
そうして大陸全土を巻き込んだ百年に及ぶ大戦は一応の終結を迎えた。
……とは言えすぐに平和になる筈も無く、内乱や内戦、小国同士の小競り合い、侵略や略奪などが起こり、十年近く大陸のあちこちで混迷を極める。国の数も形もその時その時で変え、復興と疲弊とをくり返しながら進んで行った。
そして後の約十年、今やっと平和な時代が訪れたそうだ。
図書室の窓の外を見る。
緑が溢れ、色とりどりの花が咲く美しい中庭。小鳥が歌い蝶が羽を揺らす、平和の象徴みたいな美しい箱庭。
そしてギルモアの歴史も紡がれる。
セルヴェスには実子が一人、養子が一人。年の離れた二人の息子がいる。
結婚が早いこの世界で、セルヴェスは珍しく二十八歳で結婚した晩婚派だった。長男は三十一歳の時に誕生している。
長男は、実子である第五十七代目当主・ジェラルド・サイラス・ギルモア。
長男らしく真面目で落ち着いた彼は、常に戦地に赴く父に代わり、幼い時分より母を助け、領政を共に担う出来た少年であったらしい。
頭脳明晰で沈着冷静。荒々しい祖父と父に比べ、貴公子然とした美しい少年。
そんな少年でありながら『ギルモア』のご多分に漏れず、私設騎士団を統べる剣技も兼ね備えており、父が内戦地で怪我を負った際には、未だ学生で十六歳の若さでありながら領地に残されていた騎士団を連れて戦地へ赴き、初陣でありながらも敵将を捕らえ捕虜とした上に、相手軍の裏をかき見事撤退させるという武功を挙げているそうだ。
誰よりもギルモアらしいと言わしめる心根を持った惣領息子。
ギルモアは国防のために私設騎士団を持つことを許された、数少ない家門である。
故に、武術や剣技に優れた武人に注目されがちではあるが、本来の役割は『国の護り』。
幼少より家門を守り、領地・領民を守り、時に倒れた父を守り。必要とあらばその知力と武力を持って戦を制する。
ギルモアの精神と役割を体現する若きご当主様。
マグノリアが見た父は、決して小柄ではないものの、身長は平均よりやや高い位。服の上からは屈強で堅牢な筋肉の塊は見当たらなかった。
誇張でないのなら……あの漫画チックな筋肉ダルマな祖父の絵姿から、父ジェラルドの優美な姿は連想できない。親子詐欺である。
(そっか。あの厚みのある、ごつごつした手は剣を握る手なのか)
いや、意外に剣ではなく、バトルアックスとかハルバードなんかを振り回しているのかもしれないが。
(文官と言うから、てっきり文系のインテリウラナリ青年を予想していたのに)
歴史書が改竄されていないのならば、裕福な生まれとは言えなかなかの苦労人である。
そして優男な見た目に反して、意外に武闘派であることが窺える。
更に、王立学院は前期・後期とも首席で卒業している(らしい)。
(何これ。どこのチートキャラなんだろう。親父さんに忖度してないか??)
なら何でウィステリアさんと結婚したのか……? こう言っては何だが、もっと良い人が居ただろうに。
見た目? ワガママ言って振り回す娘が可愛い系??
エリートお坊ちゃまが反抗心から羽伸ばしーので、目端の利くキャバ嬢に引っ掛かってデキ婚するっていう前世のパターンがちらつく。
若しくは箱入りお嬢様が無意識のうちにワザと駄メンズに引っ掛かって、自分を敢えてボロボロにするっていう隠れメンヘラパターン。この場合、お嬢様じゃなくお坊ちゃまなんだけど。
……夫婦にしか解らない色々があるのだろう、きっと。
そっ閉じである。
蓼食う虫も好き好き。夫婦喧嘩は犬も喰わない。割れ鍋に綴じ蓋。
そっ閉じ。
そして次男のクロード・アレン・ギルモア。
アゼンダ領がまだアゼンダ公国という小国だった頃、戦災孤児となった身の上。
戦争で侵略して来た国に被害を受けた男爵一家唯一の生き残りだったそうで、産まれたばかりで隠し部屋に隠され、衰弱しているところを助っ人として出征していたセルヴェスが見つけ、保護し引き取ったと記載がある。
実子であるジェラルドの十歳下。
小さな頃から非常に優秀で、こちらも王立学園を前期後期とも、やはり首席で卒業している。
在学中に教師と共同研究をしては色々認められていたようで、学院では稀代の天才と言われていたらしい。
必然的に次期アゼンダ辺境伯でもある。
その優秀な頭脳を学院に残り活かすことを切望されながら、当然の様に卒業後はギルモア騎士団に入隊し、騎士として養父と一緒に騎士団と辺境伯領を束ねているとある。
騎士としてもかなり強いらしく、ギルモア騎士団でも五本の指に入る剣豪で、セルヴェスの再来と言われ、黒髪のその姿から『アゼンダの黒獅子』と呼ばれていると記載されている。
まだ若い上に、既に戦後なので大きい武勲は無いみたいだが、記載内容が本当ならこちらもチートの塊である。
更に薄幸の孤児属性。キャラの大渋滞である。
『悪魔』とか『黒獅子』とか二つ名もイタい。何やら邪眼が疼きそうだ。
九歳でアゼンダへ移領した為、それ以前に描かれたのであろう小さい頃のものだが、祖父と祖母、父とクロード少年が並んで描かれた肖像画も、例の回廊に飾ってあった。
ちょっと緊張した表情で、兄であるジェラルドの隣に立っていた幼い叔父は、黒髪で青紫の瞳のめっちゃ美少年だった。
ジェラルド少年が癒し系のほんわか美少年(見た目は)なら、クロードは怜悧な、と言うか、切れ長の瞳に高い鼻梁、薄い唇の、えらい綺麗な端麗系美少年だった。
(しかし……我が兄は今後大丈夫なのだろうか。)
王子様カラーで態度も王子様(尊大)なブライアン少年に思いを馳せる。
父も叔父も嘘っぽい程の文武両道で、祖父は鬼とか悪魔呼ばわりされる程の伝説の騎士である。
兄……『武』は如何程の実力か解らないけど、『文』は多分壊滅的にダメダメな気がするんだよね。性格的に策略とかも無い感じだし……限りない小物感が漂う。
戦争が無くなった事と、アゼンダ辺境領が出来て国境に守りを強めた方が良いとの判断から、ギルモア騎士団は名はそのままに、事実上アゼンダ辺境伯の騎士団になった。
この辺は大人の色んな事情があったのだろう。
マグノリアは、勿論その場所に居合わせたのではないから、正しい内容までは正確には解らないが、なぜ騎士団の名を変えないのか、とか。そもそも武家の名門から騎士団を取り上げた理由は、とか。色々察せられるところや思いつくところはある。
叔父がアゼンダ辺境伯予定ならば、仮に兄がギルモア騎士団に入隊したとしても(現実的には将来ギルモアの領政もあるから、王都の騎士団や軍に入るんだとは思うけど)、後継者になることは無いだろうから、指導者の器うんぬんって言うのは考える必要が無いんだろうけど。
学院は、周りにも教師にも常に比べられそうで辛そうだし、ギルモアの後継というのも余程才能に溢れていないとプレッシャーが半端なく凄そうである。
天才・秀才の中の凡人は途轍もなくキツそうだ。考えるだけでご愁傷様としかコメントが思い浮かばない。自分なら途方に暮れる筈だ。
まあ、そうして。家門は続けど、約千年に及ぶ国護りとしてのギルモア家は無くなり、アゼンダ辺境伯家にその役割が移行された訳だが。
誰よりもギルモアらしいギルモアであるという父。
……幼少期から戦地を転々とする父親とは碌に触れ合えず、常に父の死に怯え、幼い身でありながら母親と義理の弟を守り、家門を任され。
やっと平和になったかと思えば自分は子供時代を過ぎ、家族は自分を残して居なくなってしまった。
ジェラルド少年のよすがであったであろうギルモアは早くに継いだが、それまでの歴史が意味する真のギルモアに非ず。
「なりゅ程、なりゅ程。」
マグノリアは歴史書の文字を瞳に映しながら、独り言ちる。
多分、先代のギルモア侯爵夫妻は、根は善良な人達なのだろう。
孤児を引き取り、書かれていることが正しいのなら、実子と同じようにきちんと養育出来る人達だ。
自分の息子に期待し過ぎたのか。良く出来た子だったから安心してしまったのか。
時勢も悪かったんだろう。本当ならちゃんと気配り出来る人達だったんだろうに。
陞爵を蹴って敢えて領地を二つにしたのも、多分出世欲も名誉欲も無い人だったんだろう。
当時の情勢が解らないからはっきりとは言えないものの、多分それで正解なんだろうけど。
父――ジェラルドの為には公爵になった方が良かったのかもなぁ。
きっと、拗れなかった筈だ。色々。
「戦争ってこあいね」
ポツリと零した呟きが、静かな図書室に溶ける。
程度の差こそあれ、過去のその時代、ジェラルド少年のような子供は沢山居た。会ったことのない叔父と同じような境遇の子供も。誰にも助けられず掬いあげられず、儚く土に還った子供も沢山居ただろう。
自分が置かれている境遇を肯定はしないけど。
ジェラルド少年のやるせなさはちょっと解る気がして、小さくため息を吐いた。