遠見の力
※若干乱暴な描写があります。
大した描写ではありませんが、少しでも苦手な方は回避・ご注意願います。
ジェラルドは納税に関する提出書類を見ながら、数字の違いを数か所確認した所で小さくため息をついた。
陽の光が入る窓辺の席は、暖かく心地よい。
ゆったりとした緩慢な空気も相まって、下手をすると眠ってしまいそうだ。
間違いと故意が混在するそれを差し戻しの箱に入れた所で、涼やかな音と微かな風を感じる。
予兆だ。
祖母が言うには、妖精や精霊の福音らしい。
ジェラルド以外は感じないもの。そしてすぐ、視界が別のモノに変わるのを感じた。
珍しいな、そう思った瞬間、驚愕に茶色の瞳を瞠った。
ほんの少し前、ジェラルドの視界に広がった暦は今日を示していた。
(珍しいな、ご親切に日付を教えてくれるのか)
次の瞬間。
見るからに薬物中毒の集団に襲われる馬車は、見慣れた屋根飾りがついている。
言わずともギルモア家の馬車で間違いはない。
――今日、ウィステリアは屋敷に髪結いを呼ぶと言っていたので在宅であろう。
ブライアンは朝に登校した筈だ――
視界の中は今とさして変わらない陽の高さ。
少しでも情報を得る為に逸る心を抑え込む。
疑問や思考は断ち切って、ただただ注意深く細部まで『視る』。
整備された街路樹。ゆったりとしたアーチを描く歩道。黒ずくめの男たち。ある特定の薬の過剰摂取で現れる淀んだ赤い瞳。反り返る刀。
使われる言葉は? 肌の色は?
指示をしている様な人間はいないか?
応戦するガイ。
(マグノリアか!)
椅子が大きく音をたてた。
静かな部屋の中に殊更大きく響き、部屋にいた数人の同僚達が顔を上げた。
「……ギルモア侯? どうされました?」
いつも穏やかな顔で飄々としている美丈夫が、珍しく表情を無くして立ち尽くしている。
近くの席の部下が、訝しんで声を掛けた。
「あ……いや、急用を思い出した。悪いが少し席を外すよ」
「は? えっ……侯爵!?」
取り繕った表情で足早に出て行くジェラルドを、幾人かが不思議に思いながら見送る。
ここ数日、王宮のあちこちで、やっと王家主催のお茶会に出席していたマグノリアの話が持ち上がっていた。
……ブリストル公爵と軍部の何人かが、クロードがえらい不機嫌だったと絡んでき……零してもいた。
――あの馬車には多分、マグノリアが乗っているのだ。
場合によってはクロードも一緒かもしれない。
そうであってくれたら、心配ではあるものの大変心強いのだが――
(……何故いつも肝心なところを見せないのか! 妖精め!!)
それから数分後、いきなり入口に射した人影に、御者の青年がブラッシングの手を止め向き直った。
「旦那様? どうなさいましたか?」
いつもの落ち着いた穏やかな様子はなりを潜め、見た事も無い程張り詰めた雰囲気で近づいて来るジェラルドの気迫に、青年は二歩程後ろへ後ずさった。
(この者では命を落としてしまう……ひとりで行くしかない)
純朴そうな若い青年は、剣など握った事も無いだろう。
連れて行っても庇ってやれないかもしれない。
時間があれば軍を動員して貰う所だが、起こってもいない事件の為に動くとも思えなければ、動かすにしてもその為の説得をする時間が無い事は明白であった。
第一、軍部とジェラルドのいた文官棟では大分距離がある為、一刻も争う今、悠長に移動した上話し合う暇など無いのは明白。
……クロードが王宮内にいるのなら、あいつに対応して貰うしかない。
「悪いが、軍部にいるアゼンダ辺境伯家のクロード・アレン・ギルモアに伝言してくれ。ギルモア騎士団の副団長だ、解るか? 貴族街と平民街を隔てる遊歩道で襲撃があると。もし軍部にいないようなら、辺境伯家のタウンハウスに行って伝言を頼む」
「えっ!? ちょ、旦那様!?」
確認されて頷いたものの、後半に物騒過ぎる言葉を聞いて、青年は焦って聞き返そうとする。
だが言い終わるや否や、ジェラルドは御者台に飛び乗るといきなり馬に鞭を打ち、猛発進で走り出した。
「え、ええぇ~……」
******
王宮の出口を出ると、真っ直ぐに伸びる街道を爆走する。
すれ違う馬車が慌てたように手綱を引いているのを横目で見ながら、走り抜ける。
(時間があれば外出を取りやめるように伝言できるのに……)
そちらの方が確実なのに。
わざわざ機動力の劣る馬車で出たのは、自分が囮になる為だ。
面倒臭がったセルヴェスが家名も紋章もそのままにしたため、見た目ではどっちの家の馬車かわからない。
多分、奴等は遊歩道の何処かで待ち伏せして襲撃をしようとしているのだ。
……あんなおかしな様子の人間がずっと付け回していたのなら、クロードもガイもすぐに気が付くだろう。
よって、奴等は潜んでいるのだと導き出す。
無差別なのかギルモア家の『誰か』を狙ったものなのかはわからないが……どちらにしろ自分が先にみつかれば、代わりに襲撃を受ける事になる筈だ。
もしも『誰か』でないとバレたとしても、足止め位にはなる。
(とは言え、知っていてクロードを襲撃するとは思い難い……無差別に貴族の馬車を狙ったのでないとするなら、マグノリアが狙いなのか?)
ともかく。事件を未然に防ぐ為には、なるべく早く賊と合流しなければならない。
端から端まで、どれだけ時間が掛かるかわからない。
木が茂り花が咲き乱れる遊歩道は、一見何処も同じに見える。
だが隠れるなら、開けた場所ではなく樹々が生い茂っている所だろう。
視た場所はどこなのか?
******
(軍部って何処だろう……)
御者の青年は大変焦っていた。
広大な王宮の中、キョロキョロと首を左右に振りながら小走りで走って行く。
場所を尋ねるにしても、平民丸出しの自分が貴族以外の何者でもなさそうな人達に声を掛けて確認するのは、非常に敷居が高く酷く気後れしてしまう。
災難な事に青年はまだ新人であり、ひとりで御者仕事をしたのが今日で三回目だ。
まだまだ王宮に詳しい筈もなく、慣れない敷地を泣きそうな気持ちで彷徨っていた。
やっとの事で案内板を見つけ、現在地と目的地の場所を確認する。
……軍部は反対側の端の方であった。
看板からその方向へ目を向ければ、目視出来ない程の距離に青年は本当に泣きそうになった。
広大な敷地の為、わざわざ部署へ足を運ばずとも受付へ行けば、各部署へ通信の魔道具で連絡を取ってくれる。急ぎであればそのまま会話する事だって出来るのだ。
勿論先輩御者は、万が一彼がジェラルドや誰かに連絡を取らねばならない事を考えて、初めにきちんと伝えてくれていたが……
パニック状態の青年はそんな事など、すっかり頭から抜け落ちてしまっていたのであった。
******
(……もし、マグノリアを狙おうとするなら、何処だ?)
迷った時は、最悪のシナリオから潰す。
ジェラルドのやり方だ。
自分が襲撃する立場だったらどうするか……
行動がある程度知られているのならば、それに沿って計画されるだろう。
普段アゼンダ辺境伯領にいるのだ。
特にマグノリアは日数的にも行動を監視・分析される程、まだ外出していない筈。
(数手に分かれて、必要があれば目的地へ誘導するか。そして挟み撃ちにする?)
通る可能性の一番高い、辺境伯家のタウンハウスに近い遊歩道付近で、人が隠れやすい場所。
遊歩道とはいえかなり広く、場所によっては林のようでもある。
先ほど見た景色を、頭の中で反芻する。
(……なるべく太い道よりは、静かな道の方が事に及びやすいだろう。通るであろうタウンハウスに一番近い道を挟んで数本、比較的木の多い平民街側……)
相手が、思ったよりも大人数かもしれないと予測される。
ジェラルドはいつもの優美な表情を、険しい騎士の顔へと変貌させた。
割り出した場所を中心に、出来るだけ距離を取りたい。
マグノリアが巻き込まれる事がない為に。
剣戟の音がすれば、ガイならば迂回するであろう。
(こちら側から予測の場所まで走るか)
逸る気持ちを抑え、一度馬車を停める。
中に人がいない事がバレぬよう座席のカーテンを閉め、座席の隠しから強度の強い戦闘用の剣を引き出す。
ジェラルドが本来持つ筈だった剣だ。
(また人を斬る事になるとはな……)
ジェラルドはギルモアの人間ではあるが、人を斬る事を良しとしない。
文官になったもう一つの理由が、人に向かって剣を振るいたくないからだ。
勿論、セルヴェスもクロードも、好んで人を傷つける訳でも殺める訳でも無いのは解っている。
だが、騎士として生きる人間とジェラルドが肉を切り骨を断つ心持は、多分大きく違う。
(……感傷に浸ってる暇はない)
一瞬の迷いが命取りになる。
ジェラルドは容赦なく力を振るう為に、その重たい剣を勢いよく引っ掴んだ。
ゆっくりと馬車を走らせる。
チクチクと刺すような視線と気配が、ジェラルドに注がれているのを感じている。
自分の予想がはずれていない事にほくそ笑みながら、まるで隠す事のない殺気は如何なものなのかとも思う。
暫く移動した所で、馬車が一台現れた。
停まると、四人、扉が開き黒ずくめの男達が降りて来る。
同時に木の陰からも次々に。
ジェラルドも……本来なら蹴散らして走り抜ける所だが、自分はダミーだ。
お相手する為に御者台を降りる。
「……其方等は、ギルモア家と知っての狼藉か?」
鞘から剣を抜きながら問いかける。
「如何にも! やれ!!」
聞き覚えの無い声だった。
号令と共に奇声を上げながら数人纏めて斬りかかって来た。
もう何人斬っているのか。
文官とは思えない程ジェラルドの太刀筋は素早い。
だが綺麗な、型通りの太刀筋では決して無い。
相手の剣を受けて払いながら、返しで別の剣を流す。流しながら別の人間を仕留める。
耳障りな甲高い、金属のぶつかる音が続けざまに響き渡る。
この音を聞く度ジェラルドは、剣を振るっている者達の心の叫びに聞こえて仕方がない。
振りかぶられた重い剣を受けながら、ナイフを突こうとした右横の男を蹴り倒す。
優美な顔は歪められ、鋭い眼光で敵を睨んでいた。
力でねじ伏せるセルヴェス、流れるような剣を振るうクロード。
ジェラルドは泥臭くも確実に仕留める剣だ。
それぞれに自分の得意な戦法がある。
ジェラルドの剣は戦場で確実に生き残り、味方を護る為に戦う剣だ。
痛みも恐怖も感じない輩はどうして誕生したのか。
……王宮で悪さをしている奴らの仕業ではない。小悪党と呼ばれる様な奴等だ。
ここまで大掛かりな上に、危険な橋は渡らない奴等。
そして遠見で視た刀は、かつて砂漠の国で使われていたもの。
ここに居る輩たちは通常の剣を使っている事から、様々な立場の混合集団であると思われる。
(かつての残党? 裏組織の何か?)
「乗ってない! 騙された!!」
「くそっ!」
正気を保っているらしい輩が、馬車の窓を叩き壊して確認して怒鳴る。
本来の獲物を狙う為に移動しようとする者の足に向かって、行かせないよう懐のナイフを飛ばす。
短い悲鳴の後、動かない足を抱えて喚きながら転がり回る。
ジェラルドは体勢を崩しそうになりながら、そのまま身体を傾けて大きく周囲の足元を剣で薙ぐ。ひっくり返らないよう、空いた手を地に突け重心をかけて、反対の腕は剣ごと大きく振り、遠心力を味方に体勢を整える。
その合間に、乗ってきた馬車に再び乗り込んで急発進させる輩。
奴の見開いた赤い瞳は、血走っているようにも見えた。
(……ちっ!)
******
道を戻る為に回り込む内に、前から猛スピードでやって来る馬車に追いつかれてしまうだろう。
馬車を捨てて逃げるのが早いのだが、ガイだけならまだしも、戦えない上に足も遅いであろう子ども達ではすぐにつかまってしまうのは解り切っている。
また、潜んでいた暴漢達は驚異的な身体能力をフル活用してか、林の中をあっという間に移動して、横と後ろから奇襲するつもりでいるらしかった。
(前に突っ込むしかないなんて、なんてこった!)
遠くでの剣戟はいまだ続いているが、そうしない内に向かって来る車輪の音は止まった。
降りて待ち伏せているのか、剣戟に加わっているのか。
ただの通行人が真剣を使った戦いに遭遇してしまい、逃げる為に馬車を急発進させただけなのか。
ここからでは流石にガイでも解らない。
暫く猛然と馬車を走らせれば、突っ切る筈の道を馬車で遮るように停められた上、更には馬車から降りて待ち伏せている黒ずくめの男たちが見えた。
(……ついてないっす!)
薬物中毒者だ、それも身体強化をされた。
後ろや横からやって来る奴らのお仲間らしかった。
(周りの奴らも同じ状態なんすね……道理で尋常じゃない速さで追って来る筈っす)
ガイは馬に謝って鞭を入れ、勢いよく男たちに突っ込みながら、剣で薙ぎ払った。
後ろと横から近づいてきた奴らも、凡そ人間とは思えない速さで追いつき、ガイに襲い掛かる。
鞭を振る手も惜しく、馬のわき腹を蹴って走らせながら、黒ずくめの男たちに応戦する。
剣戟の音が近い。
決闘をしている貴族や騎士だったら、こっちの戦闘に力を貸してくれないだろうか。
そんな淡い期待を寄せる。
せめて、詰所に走って欲しい……!!
「!!」
ところが。
瞳に飛び込んできたのは、同じギルモア家の馬車で。
更には同じ薬物中毒者を十人以上も相手に戦う、ジェラルドの姿であった。
更に、横から増えた暴漢のお仲間に、ガイは心の中で叫んだ。
(……ついてないっす!)




