緊急事態遭遇中
※この話から数話程 流血を連想させる描写や、薬物使用、残酷な描写があります。
大した描写ではありませんが、少しでも苦手な方は回避し読まない様にご注意願います。
「お嬢、スミマセン! ちょっと遅かったみたいっす!」
後ろへ向き直ると、小さなガラス窓から頷く姿が見える。
高速で回転する車輪の音が聞こえているのだろう。
(……既に暗器を構えてんすね。ヤル気満々っすねぇ)
お嬢の気合の入った表情と、ディーンの今にも死にそうな表情を交互に見て、毒気が抜ける。
……リシュア子爵令嬢は、なぜかお嬢の鎚鉾を持って驚いたハムスターの様に固まっている。
「戻ると時間が掛かるんで、突っきりやす!」
「了解!」
短い返事の後、何やらお嬢の怒鳴り声が聞こえた。
同時に振動がひとつ。
……備え付けの鍵だけでなく、万一にも扉をこじ開けられない様に右足で押さえたらしい。
ガイは低く笑って鞭をふるった。
見えない木々の間をあっという間に囲まれたことを思うと、なかなか慣れた人間の仕業らしかった。
だからと言ってギルモアの紋章を掲げた馬車を襲うとは、命知らずも良い所だろう。
普段なら、だが。
……普段なら、乗っているのは悪魔将軍か黒獅子か。
(……まさか、お嬢を狙ってなんすか? それとも偶然?)
馬車は本家と同じデザインなので、孔雀嫁や暴君坊やを狙った可能性もあるが……それはひとまず置いておいて。
お嬢ことマグノリアが王都にいる事は、それなりの数の人間が知っているだろう。
マグノリアを狙っているなら、婚姻絡みの事か。
(――王太子妃にならないと言っているのに、何故?)
王妃が……王家が気に入っているからだが、実際に輿入れが実現するのはほぼ無いであろう。
ギルモア両家が望んでおらず、本人も望んでいない。
更には多くに知られた瑕疵があり、同じ年頃のご令嬢に頃合いの良い娘が数名いるのだ。
瑕疵とその理由(虚弱なんて全くの嘘だが)から、ゴリ押ししても周囲から反対の声が上がるであろう事が容易に判断がつく。
幾ら王家とは言え、余程こちらが望まない限りはどうにもならないだろう。弱まった今の王家の威光だけで押しつけられる相手じゃない。
そしてはね退けるだけの力がセルヴェスにはある。
だから、自らの娘を推すつもりであるならば、暫く放って置けば勝手に立ち消えてくれる筈なのに。
だから、幾ら有力株だとはいえ危険を冒してまで誘拐したり、傷をつける理由が解らない。
(誤解しているのか? お嬢の心変わりを恐れてる?)
「それとも、ただの物取りなのか……?」
答える声は無い。
物取りに誘拐……それも全く考えられない訳ではない。
今はもう昔になりつつある、ギルモア家のあれこれを知らない輩が貴族の馬車を狙っただけかもしれないし、破れかぶれに羽振りの良いギルモア家の誰かを狙ってかもしれない。
少しでも視界と道の開けた方へ、全力疾走で馬車を走らせる。
目撃者がいれば力技もし難くなるだろう
騒動を聞きつけ、詰所へ知らせてくれる人間もいるかもしれないから。
――普通ならそろそろ誰かいても良い筈だが、人っ子一人いない。
そして。
前方に、馬車から降り待ち伏せていたのは、黒ずくめの男たちが六人程。
瞳が真っ赤に変わり、瞳孔が開き……ヤバい事になっている奴等だった。
(魔法薬か……)
厄介だ。
まるで魔法にかかったように感じる薬で、実際に魔力がどうこうと言う訳ではない。
具体的には痛みを感じ無くさせたり、気分を高揚させたりする薬だ。
怪我や病気で痛みがひどい場合や手術が必要な時に使うものであるが。
なので、多くの国で医療用として流通している。
原料も大陸の至る所で採れる植物なので、ちょっとした知識があれば誰でも作る事が出来る。
一応その製造方法は隠匿されているが、戦時中に治療と苦痛を取り除くために大きく出回ったので、特に年配の人間は知る者も多いであろう。
物事には必ずメリットとデメリットが存在する。
ご多聞に漏れず、量と頻度を間違うと酷い中毒性がある。
……戦時中は一部の国で、兵士の恐怖心を無くすために使われたりもした。
更には精神にも作用する為、洗脳されやすく、自己暗示にもかかり易いからだ。
多量に摂取すれば、大怪我をしても痛みも感じない。非常に気持ちが高揚し、万能感も感じるだろう。死への恐怖も無い。
感覚がマヒする為色々とセーブする能力が失われ、一時的に身体能力が飛躍的に上がる事が実証されている。
最強の兵士の出来上がりだ。
――勿論、そんな使い方をしたら廃人まっしぐらだが。
目の前にいる奴らはまさにそんな状態だった。
(自ら使った? 誰かに投与された?)
ただの足止めでは止まらない相手に、ガイはそれ以上考えるのを止めて、苦しまずに最速で息の根を止める事に集中する。
尤も、そんな事を考えずとも既に苦しみなど感じないであろうが。
ガイなりの、せめてもの手向けだ。
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外から聞いた事も無いような声が聞こえる。
断末魔とはこういう事を言うのであろう。
ディーンはガタガタと震え、ヴァイオレットは耳を塞ぎ固く目をつむって固まっている。
流石にマグノリアも歯の根が合わない。
二度の人生どちらでも聞いたことが無いような、刀が何かを断ち切る音がする。
見なくても状況が想像できてしまう。
吐き気が込み上げて来るのを押える為、マグノリアは合わない歯を無理矢理噛み締めた。
(……ガイ!!)
小さなガラス窓から、応戦するガイの姿の一部が見える。
彼はまだ無事だ。
どうか怪我をしませんように。そう、ただただ祈る。
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鞭をふるう事もままならなくなった馬のわき腹を蹴り、暴走するままに馬車が走って行く。
両手で応戦する為だ。
止まったら最後、他の馬車に比べて丈夫に作られているとはいえ、扉など壊されてしまうだろう。
御者台の上で長さの違う両刀を使い、人では無くなってしまった何かであろう者達を切る。
やっと、聞こえていた剣のぶつかり合う音が大きくなり、ガイは屍になって尚襲い掛かって来る者を蹴り倒しながら前を見た。
「!!」
ガイの細い瞳には、同じ黒塗りの馬車の外、十人程の狂人に囲まれて剣を振るうジェラルドの姿が飛び込んで来た。




