緊急事態発生中
うなじの後ろ側がチリチリと疼く。
これは裏の仕事をする人間特有の危機察知の感覚だろう。
ちらりと御者台で手綱を引きながら、後ろを確認する。
当家のお嬢と従僕兼護衛(?)、そして他家のお嬢様がひとり。
道を変えるべきかどうか迷う。
(ここがアゼンダ領ならこんな事にならないのに……)
ガイは思わず舌打ちをした。
周りに護衛騎士はいない。
王都には、タウンハウスを警備する為の騎士が交替も合わせて十名程いるのみだ。
彼等は基本的に屋敷の警備を行っているか休んでいるかだ。
有事でも無いのに王都に私兵を大量に囲っていては、謀反を疑われかねない。
元々タウンハウスに来るのはセルヴェスかクロードであり、大半の騎士より強い為に護衛は必要としないから、多くを必要としないというのもある。
少しずつ馬車の速度を落とし、様子を窺う。
遠くから小さな剣戟の音が微かに響き、耳を疑った。
(王都で真っ昼間から!? どこの阿呆だ!)
王都といえど、貴族街に近い林の中だ。
遊歩道の様に開けた場所もあるが、林の様に樹々に囲まれている場所もある。
放射状に引かれた大きな街道の横にある、比較的静かな道を選択した。
行きと帰りで違う景色が良いだろうというのと、腹ペコだろう子ども達を早くタウンハウスへ連れ帰る為だ。
まだ陽も落ち切らない時間からご苦労なこった。
余程腕に自信があるか、もしくはただの馬鹿か。それとも矜持と誇りをかけたとかいう、阿呆な貴族同士の決闘か何かか。
「お嬢……」
三人の中で一番耳が良いのはマグノリアだ。
ガイが声を落として呼びかけると、すぐ小さく返事があった。
「何かあったの?」
急に目に見えて馬車の速度を落とし始めた為、訝しんでいたらしい。
注意深く小声で返す。
「……まだ見えやせんが、近くで真剣で打ち合いしてるみたいっす。危ないんで街中へ戻りやす」
馬車の中に動揺が走る気配が感じられた。
「解った」
色々聞きたいであろう事を呑み込んで、短く了承の返事が返る。
急を要すると思ったのだろう。
(たった八歳だというのに、本当に賢いお嬢様だ)
屋敷と屋敷の間隔が大きく遮る壁や樹々が多い貴族街よりも、人通りがあり遮蔽物も少ない平民街の方が安全であろう。そう思い、今来た道を戻ろうと決めた。
他家のお嬢様も乗車されている為、急ぎつつもゆっくりと慎重に方向転換しているのが不味かった。
馬の嘶きと尋常じゃない車輪の回転音、そして鞭をふるう音が聞こえる。
*****
「解った」
そう言った硬い表情のマグノリアは少し考えると、ディーンに向き直る。
「……近くで剣戟の音がするらしい。巻き込まれない様に街に戻る。ヴァイオレット様に怪我をさせないよう、万一に備え間に挟むよ!」
剣戟。
マグノリアの言葉に、ディーンもヴァイオレットも大きく目を瞠って絶句する。
ちらりとマグノリアがヴァイオレットを見た――このようなイベントないし、出来事はあるのかと確認しているのだろう。
勿論ある訳ない。あったら外へ出ていないだろう。
流石に幾ら何でも命がけのイベントなんて御免被ると、ヴァイオレットは高速で首を横に振った。
その横でディーンは表情を固めたまま、思う。
……万一って。
幾ら訓練を受けているとはいえ、大人で剣を持っている人間に敵うとも思わなければ、ヴァイオレット様じゃなくてお前の従僕兼護衛なんだけど、と言いたいが……ぐっと呑み込んだ。
「……解った」
取り敢えず正面の席から移り、真ん中をヴァイオレットにして挟んで座る。
マグノリアが少し表情を緩めると、右手を斜め下に振り下ろした。
高い微かな金属の擦れる音と共に、伸縮する黒い棒が腕から伸びる。
マグノリアの暗器、ケー棒(警棒)だ。
本来握って使うものだが持ち運びやすく隠しておけるように作られており、腕の手甲に括りつけて装備されている。どんなに振り回しても魔法付与で抜ける事は無い。
突いたり殴ったりする鈍器のようなものだ。
刺すのも切るのも怖いという事で、殴る武器なのだが……あんな固い金属棒で殴られたら最後、もう切るも刺すも変わらないだろうとディーンは思っている。
「スケ〇ン刑事!?」
硬い表情だったヴァイオレットが暗器に喰いつく。
「……いや、それヨーヨーだから……」
初めて見るだろう暗器を、ヴァイオレットは知っている(?)らしかった。
すぐさまマグノリアに訂正されていたが。
(『よーよー』って何だろう? 『す〇ばんでか』は別の暗器なのかな??)
……女子の間では、変わった武器は良く知られているものなのだろうか。
そう頭の中をはてなで一杯にしながら、懐から出した護身用のナイフを構え、扉の方に身体を向ける。
いざとなったら、身体を使ってでもマグノリアも守る。
……自信は無いけど。
「ヴァイオレットはこれね」
マグノリアはお腰につけたライラ印の鎚鉾をヴァイオレットに渡す。
万一の隠し武器として、ファースト武器も健在である。
ちゃんとドレスの襞に隠れるようにとスカートを改造済みである。
ウエストのリボンを解いてヴァイオレットに渡すと、不安気な顔で見つめる茶色い瞳があった。
「ここで叩く。万一の時はここのボタン押して」
マグノリアに言われた通り、小さな突起を押すと。
……シャリン!
小さな澄んだ音と共に、小刀が飛び出した。
「…………。」
万一の時には、暴漢(?)を刺せと言う事か。そう思いながら、小刀とマグノリアを交互で見遣るヴァイオレットに、笑って言った。
「それ、ペルヴォンシュ女侯爵の騎士になる予定だった侍女から貰った武器」
「ペルヴォンシュ女侯爵……東狼侯?」
ヴァイオレットは『プレ恋』の男装の麗人騎士を思い起こす。
「そ」
そう言った所で、聞いた事も無いような轟音を轟かせながら、車輪が急回転する音があたりに響いた。
「お嬢、スミマセン! ちょっと遅かったみたいっす!」
怒鳴るようなガイの声が響く。
「戻ると時間が掛かるんで、突っきりやす!」
「了解!」
いうや否や、鞭を入れられた馬が嘶き、馬車が大きく動いて急発進する。
マグノリアもご令嬢とは思えないような口調で怒鳴り返すと、バン! と大きな音をたてて右足で扉を押さえた。
「どっかつかまって! 舌噛むよっ!!」
そしてぎゅわっと眉毛と瞳を吊り上げた、とてもご令嬢とは思えない顔で振り返るので、ディーンとヴァイオレットは無言で何度も頷いたのであった。




