疎まれる推測と理由
「わたちは、何故しょんなに疎まれているのでちょうか?」
澄んだ瞳で問われたが、目の前の侍女三人は固まったまま何も答えられなかった。
疎まれている。
三歳のご令嬢が、さらりと何でも無い様に、だけど確信を持って紡いだ言葉。
勿論、彼女がそう発言するのも致し方ない程の環境に置かれているのは明白な事実。
「疎まれているにゃら大人しく言うがままにちているべきなのでしょうが、わたちにも感情がありましゅので。……駄目なところを直して改善しゅるならそうしたいでしゅし、改善出来なくても理由位知りたいと言うのは、おかちい事でしゅか?」
現実には関係性を改善したいとは思っていないのだが。子供にそう言われれば、情報を引き出し易くなる一助位にはなるだろうか、と考えたり。
この状況が何故引き起こされているのか、確認をしない事には対策も不備が出る。
出来得る限りの情報を引き出したい。
「疎まれておられるなど……!」
ロサが慌てて言い募る。二人の侍女は気遣わしそうにロサとマグノリアを交互に見つめ、小さく首を振った。
「……。気のちぇいだと? では、ロサは私が家族に愛しゃれて、侯爵令嬢らしい状況で暮らちていると言うのでちゅね?何か月も家族と食事どころか、りょくに話しゅ事も会う事もしぇず。兄は絹の服を纏いにゃがら妹は木綿や麻の服を着りゅ。大きにゃ兄には子供用の家具が使われにゃがら、小ちゃな妹は上等なものとはいえ、身体に合わにゃい大人のお古の家具がちょのまま使われる。これが一般的な高位貴族の令嬢の暮らし方なのでしゅね?」
そんな訳ある筈が無い。
三人とも答える術が無く固まっているので、静かな口調のまま、仕方なく推測を述べていく。
「べちゅに、今の暮らし振りをどうこう批判ちようと怒っているのではありましぇん。侍女の皆しゃんが、両親の代わりに一生懸命お世話ちてくれているのは知ってましゅし、子の衣食住や生育方針を主人でありゅ侯爵夫妻の意向を是としゅるのは、侍女として当たり前の事でしゅもの。只、知りたいのでしゅ」
三歳児とは思えない落ち着きと会話の内容である筈が、見た目と舌ったらずな口調、圧迫面接のようなカオスな状況に、三人の侍女は疑問を持つ事もせずに、淡々と話すマグノリアの様子を息を詰めたままで見つめた。
「……幾つか理由を考えたのでしゅが。出産のときに大変過ぎてお母しゃまは死にそうににゃった?とか」
「いえ、とっても安産でございました……」
「私のしぇいで、他の兄弟などが亡くにゃっていゆとか」
「いえ、ご出産はお二方以外なされておりません」
ロサが立ち直り、静かに答えて行く。
まあそうだよね。多分そんな理由じゃないと思っている。
では。
「嫌いな誰かに似ていりゅか……そう、実は不義の子とか」
不義の子。それが一番しっくり来る。
間違いなく母が出産したなら、不貞の果てに身ごもった子供。
違うなら、何らかの理由で父の不倫相手か愛人の子供を引き取らされた。
……良くある事とはいえ、世間体が悪いから母が産んだ事にしているだけ。
それなら、父母どちらにとっても地雷だろう。
デイジーも口には出さないものの、家族の様子から同じように考えていたのか、ロサとリリーを静かに見つめたままだ。ロサは青ざめて首を横に振っている。
リリーはちらりとロサを見たが、話す様子が無い事を感じると。ぐっと眉間に力を込めると、大きく鼻から息を吐いた。
「違います。お嬢様は正真正銘、ご両親のお子様です!私はマグノリア様がお生まれになって一か月半ば程でこちらに参りましたが、奥様のお身体のご様子から見て、ご本人が出産されたのは間違い御座いません!」
出産は大変だ。産後の肥立ち……身体の戻り(体調も見た目も)とか、気持ちの浮き沈みとか。母乳が出るとか、大量の悪露があるとか。どうしたって隠しようのない色々がある。
……出産の経験は前世でないけども。齢三十三年、多少の知識はある。
侍女にお世話してもらう身としては、それらを隠し続けるのは至難の業と言うか、無理だろう。ましてや地球基準と比べれば医学も然程発達していないだろうと思うから、回復には時間が掛かるだろうから尚更だ。
それにあの性格だから、何か不都合があれば『あいつを産んだせいで』とか、文句の一つや二つ位言っていたに違いない。
「そして、マグノリア様のお色はギルモア家の御血筋で間違いありません。逆にアスカルド王国でそのお色は、ギルモア家のものでしかありえません!」
なんと。このピンクピンクしい原宿系っぽいような、乙女チックでミルキーな色合いはギルモア家の色なのか!?
剣と筋肉の家系に、何とも似合わない色味だ。
そこは恰好良く、銀髪とか黒髪とかじゃないんかーい!と突っ込みを入れたい。
次々に明かされる(?)事実に、疎まれる理由が分からないデイジーとマグノリアはふんふんと頭の中で纏めながら相槌を打つ。
「奥様は、マグノリア様がギルモア侯爵家のご令嬢で、とても見目麗しく、大変お可愛らしいから、お気に召さないのです!!」
リリーの短く文節を区切って念を押すような言葉と、叫ぶような最後の言葉に、デイジーとマグノリアの口がぱっかーーんした。
時が止まった。十秒位。
……ロサの視線が痛いので、むぐっと口を閉じる。
「…………。……ええっと? 要しゅるに、お母しゃまのご実家より爵位が上で、見た目がこんにゃ(?)だから気に入りゃないって事で良いのかちら?」
自分の娘の癖に、侯爵家(と言う名の公爵家)の令嬢で、そこそこ美幼女(多分ウィステリアさんより美人になる見込み? なのか??)だから気に入らないと?
なんだ、それ。
そんなアホな事あるんか?とロサを見ると、何とも言えない表情で視線を下げている。
……うわぁ。本当らしい。
ウィステリアさんはとんだ(くだらない)家庭内マウンティング女子だったのだ……!
何、その理由!!
あっほくさ~~~!!!
しかし。古今東西、女の嫉妬程怖いものも無いのだ。時に感情に任せて思ってもみない事が降りかかる……。
なまじっか権力があると質が悪い。数々の地球の歴史が証明している。注意注意。
*****
謝るデイジーとリリーを宥めてお礼を言うと、部屋の中はロサと二人、静かになった。
正直気まずい。
「……歴代のご当主様の肖像画をご覧になりますか?」
ロサは確認を取るまでも無くそうしようと思っていたのであろう。静かに樫扉を開くと、マグノリアに廊下へ出るよう促した。
長い長い廊下を歩き、階段を降り幾つかの角を曲がると、大きな回廊に出る。
美しい白壁に、ずらり、幾つもの肖像画が掛けられていた。歴代の当主やその家族たちだ。
日本人という感覚が勝る今のマグノリアには、こちらの世界の先祖と言う存在はいまいちピンと来ない。
遠い異国の誰かでしか無い彼らを見ても、しっくりと来ることも無いし胸にストンと落ちる事も無い。
美術館の絵画を鑑賞しているような感じ。
かつての地球で世界史の教科書に印刷された『歴史上の偉人たち』を見るような、そんな他人事な感じだ。
金色の豪華な額に収まったそれらを順番に見て行くと、大きな額縁の中に、4人の家族が収まったそれがあった。
赤毛の大柄な中年男性は、深い蒼色のジュストコールを粋に着こなし、落ち着いた風貌だ。
髪を綺麗に撫で付け、隣の女性の腰に手を添えて、守るように立っている。
色味は違うものの、意志の強そうな目元や引き締まった口元など、どことなくブライアンに似ている。
ただ、薄茶の瞳は兄の瑠璃色のそれよりも、優し気に細められていた。
そして守られるように立つ女性。マグノリアと同じ色をした小柄な美しい女性が描かれていた。
(確かに、ピンク色の髪に朱鷺色の瞳だ……)
儚げで、まるで周りの空気に溶けて消えてしまいそう。
やや垂れ気味の大きく丸い瞳。色づいた小さな唇。小振りな形良い鼻。
薄蒼色のドレスが良く似合う、まるで童話のお姫様を絵にしたような姿だった。
描かれた姿は絵を見つめるマグノリアの特徴とよく似ており、絵の中の女性と『マグノリア・ギルモア』には、確かに血縁関係がある事が見受けられた。
年齢不詳な見た目は、若い娘なのか大人なのかわからない。安心し切った様に細い華奢な身体を男性に寄せ、嬉しそうに微笑んでいる。
その右には同じく赤毛で、先出の男性を更に大きくした見目の。まるで少年漫画のキャラクターの様な、筋骨隆々な大男だ。
簡易鎧にマントをまとった若い大男が剣を片手に、にやりと笑って立っている。
若いと言っても三十歳前後ではあろう。
髪を無造作に揺らし、笑いつつも鋭い眼光は濃い茶色。威風堂々と言う言葉がぴったりするような見た目ながら、何処かいたずらっ子のようで。同時に自由闊達と言う言葉も似合いそうな印象を受ける。
男性同士、色味も顔も似ているので親子か兄弟かなのだろう。
そして中央の椅子に、若い女性が座っている。
柔らかな金色の髪に榛色の瞳。知性と品性を兼ね備えたような、理知的なキリリとした女性。こちらは落ち着いた風貌で、二十代後半といったところか。
(……この人。瞳が違うだけで、全体的に侯爵に似てるんだ……)
マグノリアの父であるジェラルドは、ピンク色の女性の柔らかい雰囲気と垂れ気味の瞳の形を、そしてそれ以外は中央に座る理知的な女性を混ぜたような風貌だ。瞳の色は、中年男性と同じ薄茶色。
(成程。他の絵と比べて比較的新しいみたいだから、近しい年代の筈。母親なのか姉なのか……親戚の家族構成が分からないけど、きっと親父さんの家族なんだ)
「先代と先々代……左のお二人がマグノリア様の曾祖父母様、右の男性と中央にお座りのご婦人が祖父母様です」
ロサがこれで安心しましたか?と言わんばかりにしっかりとした口調で説明する。
……安心?
父は彼の祖母と母親に、兄は曾祖父と祖父に。マグノリアは曾祖母に似ているらしかった。
確かに血の繋がりは感じられるのに、あるのは似ているという事実だけで。なんの感慨も湧いてこない。ただただ不思議な感覚だ。
曾祖父母……近いような遠いような存在に、もう一度肖像画の二人を見る。
……安心? 何を?
実際に両親と血の繋がりがあったから?
別に今更、実子だろうが養子だろうが知ったこっちゃないよ。
(それよりも、幼児虐げてるって事実の方が重要だってぇの!)
得も言われぬ、うねるような感情が湧き上がったが、ロサにぶつけたところで八つ当たりでしか無い。
瞳を伏せ、感情に蓋をするように、深呼吸をした。
「……。仲が良さしょうなご家族ね。
血のちゅながりが無くて疎まりぇるのも、本当の親子でありにゃがら疎まりぇるのも、どっちもどっちなのかちらね?」
ロサはひゅっと小さく息を飲んだ。思った言葉とは違う返答だったのだろう。
――本当だ、と笑顔で答えると思ったのか。
――良かった、と涙でも浮かべると思ったのか。
残念ながら、一般的な三歳児の正解が解らない。
更に残念な事に、可愛らしい回答が出来るほど素直でも無ければ、飲み込んで達観出来る程老成してもいなかった。
暫く無言のまま時が過ぎる。
誰も居ない回廊は、酷く静かだ。
「……お嬢様……」
小さくマグノリアに呼びかけると、胸元で握りしめた手に、ぎゅっと力を込める。
彼女が何かに耐える時や、何かを飲み込む時に良く行う癖だ。
マグノリアは静かに彼女を見上げる。
「最近のお嬢様は変わられました……。一体何があったのですか? 何を考えていらっしゃるのですか?」
決して引かないという意志が見て取れる。痛々しく傷ついた瞳と、引き結ばれた唇がマグノリアの答えを待っていた。
何故彼女が傷つくのか。
(この場合、傷つくのは当事者の私じゃないの?)
――ロサは何者?
管理者? 監視者?
誰の意向で、どんな指示の上、何が目的なのか。
排除か、駒か。家族のスケープゴートなのか。
身分差や立場的にも主人に逆らう事は出来ないだろう事は分かる。
親に、配偶者に、老いては息子に。上位者に、権力者に。ずっと従順であるべく育てられた人間なのだろう。
きっとこの世界の大半の人がそうなのだ。それも解る。
だから。
他人である彼女達に助けて貰う事を考えるのは、お門違いだ。
見誤るな、マグノリア! 冷静になれ。
何があったかなんて。『違う世界の人間の意識に変わりました、元は地球という星に住む日本人です』――そう伝えて理解されるのだろうか? 頭がおかしくなったと思われるだけじゃないのか?
取り敢えず、三歳の幼児に出来ることは限られている。
経済的にも物理的にも。
マグノリアはため息を飲み込み、静かに言った。
「……。人間は成長すりゅものでしゅよ」
ロサは疑わし気に、じっとマグノリアを見つめる。マグノリアもロサの瞳をじっと見つめた。
沢山の肖像画達が、乾いた瞳で二人を見ていた。




