自分の身を振り返る
※ギルモア本家の人間が中心となります。
お嫌いな方はご気分を害しますので、自衛され、読まずに回避をお願いいたします。
「……あなた、辺境伯家のご令嬢だったのね」
広間に戻ると、待ち受けていたかのように壁に凭れ掛かっていたモブーノ伯爵令嬢が、視線を合わせてそう言った。
いつもは取り巻きのご令嬢方の中心にいる彼女が一人でいるとは珍しい事だ。
周りも自身も賑やかな彼女が、今日は酷く大人しく、今初めて姿を確認したほどだった。
ユーゴとイーサンに目配せすると、頷いて下がっていった。
「……はい。事業の関連で平民に交じって行動しておりましたので……偽るつもりはございませんでしたが、誤解させてしまい申し訳ございませんでした」
「事業って……本当の事なのね……」
確かに、マグノリアは一度も自ら平民だとは言っていない。
……そう考えるようにミスリードはさせたもしれないが。
だが、辺境伯家の馬車を使い従者を連れるマグノリアを見れば、少し考えれば解る事でもある。
モブーノ伯爵令嬢はため息をついた。
「……今日はクロードお兄様とはお話しされないのですか?」
マグノリアが、何気なく聞くと、キュッと下唇を小さく嚙んだのが見えた。
「……お父様に言われたの。いい加減クロード様を追いかけるのを止めないと、修道院へ入れるって……お父様だって、辺境伯家とご縁を持ちたいから応援してくれていた筈なのに! ご友人達に言われたら急に私を責めるなんて……」
おおぅ……まあ、確かに。
……修道院に入れると言うのがこの世界では妥当なのか、地球ではどうなのか。現代社会の極東の国で平凡に暮らしていたマグノリアには全くもって解らない。
身分差のある世界ではあるので、もしかしたら国や時代によってはそこまでなのかと思うような怖い結果になるのかもしれない。
常識は、その場所での常識でしかない事がままある。
まあ、迷惑を顧みずやたらと追い掛け回したり、婚約が確定しているように言うのは見苦しく、この異世界の良識的には良くないであろう。一番には本人の外聞という奴も宜しくないであろうと思うのだ。
……お父上のご友人という事は、友人達も同じような年代で、同じくらいの子どもがいる事も考えられる。よって裏には違う意図の絡んだ、遠回しの牽制があったのかもしれないが。
厄介な世界に転生したもんだと思いつつ、うっすらと涙を浮かべるご令嬢に、どう慰めれば良いのかマグノリアは頭を悩ませた。
「まぁ、とにかく……お兄様はちょっと今女性に懲りてますからねぇ……追い掛け回すよりは、適切な距離感で接される方が、好感度は高くなると思いますよ?」
それは間違いない筈だ。
……ただ、下方向にカンストしてしまっている可能性もあるので、普通までの浮上がどの程度なのかは解らないけど。
(でもまあ、若いし周りが見えなくなっちゃう事もあるよねぇ……一生懸命過ぎてカラ回っちゃったんだろうし。迷惑と一途の狭間だねぇ……)
拗らしちゃう事は大人でもある事なので、上手く切り替えていければ良いのだけど……
「……取り敢えず、別室で少し休まれては?」
近くにいた給仕にお願いして侍女を呼んでもらい、控室に案内するように言づける。
「冷たい飲み物と濡れ手巾をお持ちして差し上げて?」
「……ありがとう」
促されて下がっていく際に、ご令嬢は囁くような声でそう言った。
素直である。余程しょげていると見える。
「おい!」
やれやれ……そう思った時に、今度は別の人物に背後から呼び止められる。
不躾に呼び止められ、マグノリアは胡乱な瞳で振り返った。
「……何か?」
ブラ兄こと、マグノリアの本当の兄であるブライアンであった。
拗れるのは何も恋愛感情だけではない。人間関係全般に言えるものであり、家族もまた然り。
会が始まってからずっと、ジェラルドが一緒に会場を回り、顔見知りの人物に紹介をしていてくれたのだが。退屈なため、手洗いに行くと言って抜け出してきたのであった。
尊大な所のあるブライアンを警戒してか、人を付けてもらおうと、ジェラルドが騎士に話をしていた所を、大丈夫だと押しやって出てきたのであった。
(人なんてつけられたら、目的を果たせないじゃないか!)
目的を果たすため、父にも祖父にも叔父にも見つからないように妹に接触する必要があった。
仲良く出来ないのだから、お祝いの席である今日は、もう話さないようにと注意された。
だがひと言、あの生意気な妹に謝罪させてやらなくては、腹の虫が治まらないのだ。
残念な事に軽食コーナーの端側で、だいぶ視界が遮られる。
更には周りで話し込んでいる大人達の陰にもなっており、まだ子供であるブライアンとマグノリアは、覆い隠されるかのように周りから見えなくなっていた。
更にふたりに気付いている大人達は、久々に会った兄妹が会話をするのだろうとおっとりまったり構えている者と、噂の異母兄妹?(同母だけど)が何を話すのかとか……何を始めるのかとそっと様子を窺っていたのである。
……庇うわけではないが、別段アゼンダの貴族の質が悪いわけではなく。多かれ少なかれどの国の貴族も同じようなものである。
「お前なんかに祝いを言わないぐらいで、なぜ僕が父上に叱られなくてはならない!」
(……はぁ?)
「……。今日はお披露目会ですけど。何のためにいらっしゃったのですか?」
近しい親戚で(兄妹だけど)、更に言えば後継ぎと認められているから連れてこられたんだろうに。
めでたくなくても、めでたいぐらい言えなくてこの先どうするのかと思う。
(うーむ、でも限りなく頭を下げられる側だろうからなぁ……案外言えなくても何とかなるのかもしれん?)
地球の偉いお坊ちゃんやおっさん達の、横柄で尊大な態度を思い出しては妙に納得する。
いっぱい居たな。案外何とかなってたな。
……とは言え、そうさせないように教育しようとはしているのだろう。
そこそこ厳しいダフニー夫人からマナーの手ほどきを受け、何でこんなになってしまうのか。
対応を見て叱ったという事は、親父さんも躾けるために注意をし、気を付けてはいるのだろう。
酷く不機嫌な少年と、呆れ顔の幼女。
王都には遠いアゼンダの貴族でも知っている。たとえ顔を知らなくても。
ブライアン・クリス・ギルモア。アゼンダ辺境伯の孫であり、ギルモア侯爵家の跡取り息子。王子……王太子殿下の側近入りが確実視されている少年。
王国屈指の騎士である祖父と、大変優秀な父と叔父を持つ。
天才は三代は続かないのか……と思いながら、小さな六歳の女の子に詰め寄る十二歳の少年を人々は見遣る。
「お前は生意気だ!」
瑠璃色の瞳を吊り上げ、顔を真っ赤に紅潮させて怒鳴っている。
ジェラルドやクロード程ではないが、兄もなかなか美形ではあるのだが……怒った美形の顔というのは、案外怖く見えるのだなぁと妙な感心をしていた。
まあ、確かになぁとマグノリアは思う。
可愛げは少ないだろう。見た目はともかく中身はなぁと自分でもそう思う。
だけど可愛げを振りまく程の対応も受けていないので、お互い様であろうなんて思うのだが。
「そうですか。それは申し訳ありませんでした(棒読み)」
「お爺様にも叱られた!」
(そんなん、知らんがな)
マグノリアはしょっぱい顔をし、心の中でため息をつく。
「……お父様よりお祝い頂きましたので、用事は済みました。ですので宜しければご退室を。このような騒ぎを起こしますと、ブライアン様にもご両親様にもよろしくないかと思いますよ?」
無視を決め込んでしまいたい所だが、相手をしないと付きまとってくるだろう。
(しかし、本当に爺様大好き人間だな……やっかんじゃってるんだろうけど、逆効果だろうに……)
モブーノ伯爵令嬢といいブラ兄といい、何故に変に拗らしてしまうのか。
やっと見つけた給仕に、ドレスの合間から視線を合わせ目配せする。
騎士を連れてきてもらい、穏便にブライアンを休憩室にでも連れ出してもらうのが良いだろう。
「うるさい! 黙れ!」
近くのテーブルに置いてあったグラスを引っ掴むと、身長差のある頭上から叩きつけようと振りかぶった。
「!!」
高みの見物をしていた周りの大人に動揺が走った。
マグノリアは六歳にしては小さめで、一メートルを少し過ぎたぐらいだろう。対してブライアンは既に百六十センチを超えている。軽いグラスとはいえ、叩かれたら酷く怪我をしてしまうだろう。
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(それにしても遅いな……)
嫌な予感がして、ジェラルドはヴィクターに断りを入れると、広間をぐるりと見渡した。
部屋の端の不自然な人の群れに目をやると、足早に近づいていく。
端から端と言っても良さそうな距離のため、酷く遠く感じる。どんどん早足になり、ついに駆け足になった。
人と人の切れ目から、ワイングラスを振りかぶっているブライアンが見える。
(……っ! あの馬鹿!!)
間に合わない、そう思うと同時に走りながら懐に手を入れると、ギラリと光る隠しナイフを取り出しグラスに向かって勢いよく投げつけた。
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少し離れた所で、やはり高みの見物をしていたコレットとアイリスが顔色を変えた。
「不味い! コレットッ!!」
アイリスが走りながらコレットに向き直り名を叫ぶ。
頷く友人を確認して再び前を向くと、鞘に収まったままの剣に手をかけて、金の髪を翻しながら猛然と床を蹴った。
(間に合え!)
コレットは愛用の扇……鉄扇を叩くように素早く畳むと、手慣れた様子でブライアンの振りかぶる手に向かって遠心力をかけて投げる。
重みのあるそれは、一瞬低い音をたて、空を切り裂く様に速度を増していき、走るアイリスを追い抜いた。
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(……なっ!?)
トレイに沢山のグラスを載せて運んでいたディーンは、目を疑った。
今日の主役であるマグノリアに、離れて暮らす彼女の兄が、グラスを掴むその手を振りかぶっていたのだ。
慌ててトレイを放り投げ、走って走って走る。
後ろからはガラスの砕ける音と、金属のトレイが床に落ちる音、それに驚いた貴婦人の悲鳴が聞こえたが、知ったこっちゃない。
「マグノリア!」
名を呼びながら小さな主を抱え込むと、来るべき衝撃に耐えるように小さく丸まった。
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手甲で顔を庇えば怪我はしない。
しかし、頭についている魔道具の髪飾り――其の実小型爆弾――は爆発しないモンだろうか?
(その程度の振動で爆発してたら、すぐにあの世行きか? つけてる本人には多少の振動では反応しないと言っていたが……多少ってどの程度なのか)
取り敢えず手甲で受けるより避ける方が良いか……そんな事を考えながら。
ブライアンの動きが、酷くゆっくりと見える。
咄嗟に取ってしまった行動に、自分でもとても驚いたように、ブライアンは瞳を見開いていた。
避けよう、と思ったら大きな声で名を呼ばれ、抱え込まれた。
(うわっ! ちょ、ディーン!?)
――うおぃっ! 肝心の頭がモロ見えなんだけど!!
怪我をしないように避けようとするものの、マグノリアより大きなディーンの身体ごとだと動けない。更に残念な事に、手甲で防ごうにも、腕ごと抱え込まれて引き出せない。
恐怖に固まっているのと、それでも守ろうとする気持ちとだろう、押さえ込む力が半端ないのだ。
いっそ多少の傷でも付いたら面倒事(婚約の打診とか)が減るかな、と思いつつも、後の諸々を考えると……特にセルヴェスとか……別の面倒事が降りかかる事が簡単に予想された。
そんなこんなで若干焦っていると、音も無く背の高い瘦身の黒い影が、ディーンとマグノリアを庇うように立ち塞がった。
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「しまった!」
プラムに野暮用を言いつけられたガイが用事をこなして広間に戻ると、お嬢様と本家の坊ちゃんが、非常に不味い状態になっていた。
(何でよりにもよって人がいない時に! つーか、ディーン、それじゃあお嬢を守れていないっすよ……!)
気概だけは認めるべきか……とにかく、帰ったら特訓をせねばならないなと思いながら、周りの状況を見る。
孔雀嫁を見ると、騒ぎに全く気がついていないようだ。
彼女だけではない。騒ぎとは離れており音楽と話し声でかき消され、遠くにいる人間は誰も見向きもしていない。
広間の端の方であり、周りの人々の陰になり解り難くなっているのだった。
気付いた人間数名が、最悪を回避しようと其々に動いている真っ最中だ。
(後れを取った!)
ガイは一旦、身体を床近くまで沈めると、勢いよく飛び上がって、消えた。
周りにいた人々が急に、突風のような音と共に消えた給仕を探して辺りを見回すが、何処にもいない。
「上……っ!!」
誰かが気付いてあげた声につられて見上げると、眩く光るシャンデリアの光と一緒に、空を舞うように飛び上がった男の影が浮かび上がり、目に飛び込んでくる。
黒い影は、懐から光る何かを素早く引き抜くと、目にもとまらぬ速さで振り投げた。
ジェラルドの投げた隠しナイフが、真っ直ぐにグラスのボウルを捉えて突き刺さり、反動で手を離れる。少し遅れてガイの投げたナイフも突き刺さり、二つのナイフに導かれるように、砕ける事もなく近くの壁に突き刺さった。
澄んだガラスの叩かれたような音色が微かに響く。
ほぼ同時にコレットの投げた鉄扇がブライアンの手を打ち付け、驚いた彼の後背部から伸びる細い剣の鞘と細身の身体で押さえつけられる。
サラリ、と金色の髪がブライアンの頬をかすめた。アイリスだ。
弾かれて宙を舞う扇を左手で掴むと、アイリスは勢いよくコレットへ向けて投げ返した。
コレットは歩きながら逆手で難なく受け取ると、再び扇を開いて周りを見渡す。
そして、自分の尊敬する叔父が、無表情でブライアンを見下ろしている事に気づいた。
マグノリアは、細く見えるが、実際は思うよりもずっと広いクロードの背中に庇われていた。
まじまじと黒い髪が流れる背中を見ていたが、我に返ってディーンの背中を数回叩き、耳元に大き目の声で言う。
「ディーン! もう大丈夫だよ。ありがとう、庇ってくれて」
でも頭丸出しなんだけど、と付け加えると、ガバリと顔を上げて周りを見渡した。
会場警備の騎士達が駆け寄ってくるのが見える。
「ギルモア家は王国の護り手の筈だが。いつからピカレスク・ロマンの主人公に宗旨替えしたんだい?」
女性にしては低い声が、緩めない拘束と共にブライアンの耳に届く。
マグノリアは父が何か言い出す前に口を開いた。
父に場の収拾をさせるよりも、主催者側が行うべきだ。
「謝罪は後程。ブライアンお兄様を控室へ! クロードお兄様!!」
クロードは小さく頷きながら、マグノリアの無事を目視で確認する。
そして、項垂れたブライアンの腕をとる。
……アイリスはようやく拘束を解いた。
ジェラルドはマグノリアと暫し見つめ合い、頷くと周りに静かに頭を下げ先を進んだ。
「皆様、大変お騒がせいたしました。どうぞパーティーの続きをお楽しみ下さいませ」
マグノリアは言葉と共にロサ仕込みの礼を執った。顔を上げて楽師に合図する。
周りの人々は、形式美とばかりに、様子が気になりつつも会話に戻る。
何事かと、やっと離れた場所の人も異変に気付き始めた頃、騒ぎは収拾をつけた。
ほっとしていると、後ろから声を掛けられて振り返る。
「初めまして。愛らしいギルモアの妖精姫。私はペルヴォンシュ女侯爵。是非ダンスのお相手を」
(……実写版オ〇カル様!!)
目の前には見事な金髪を後頭部で纏めた、某宮殿の薔薇のお方と見まごう男装の麗人が、にこやかに微笑んでいた。




