気づいたら転生していました
初めまして。
どうぞよろしくお願い致します。
「……んぅぅ……」
穏やかにたゆたう意識が、ゆっくりと浮上する。
瞼の裏に感じる柔らかな光は、多分朝なのだろう。
廊下を行き来する人々の衣擦れの音。窓の外を羽ばたく小鳥たちのさえずり。
そして、焼けるパンの匂い。
パン、誰が焼いてるんだろう――……?
……実家に帰ってきたんだっけか?
まだ寝気が覚めず、ころりと寝返りを打つ。
何だろう。シーツが、布団カバーが、家のと違う気がする。
スリスリと肌触りを確認しながら、ゆっくり目を開けると、見たことのない天蓋が目に入る。
――――天蓋?
「へっ!?」
焦って左右に首を回すと、白壁にチョコレート色の腰板。それに映えるような白い優美な猫脚の飾り棚が見える。
処々に金があしらわれたそれは、とても豪奢だ。
そして、天蓋から垂らされた落ち着いたアイボリーとペパーミントグリーンの涼しげな色の布のドレープ。
(ここ何処!?)
すわ誘拐か!? と思ったが、誰が齢三十三歳、三十路を越えたオバさんを誘拐すると言うのだろう。
しかし、万が一がある。
女性としては若くはないが、そう年寄りと言う程でもないのであるからして。
好みや性癖は人其々。女性は三十五歳から、なんて言う人も居るし……。
なんてアホな事を考えながら、手足は拘束されていないことを確認する――――手。
「ちっさい……」
女性にしては大きかったハズの手は、綺麗に爪を整えられた、ほっそりした指の白い小さな手だった。
(どういうこと……?)
パニックを起こしながらも状況を把握しようと、せわしなく頭を回転させる。
薄いレースのカーテンがひかれた部屋は、いつだったか映画で観た西洋の貴族の館か、ゴージャスなホテルの一室のようだ。
とても高い天井。
(リフォームしたなんて聞いてないし、間違ってもこんな豪邸、実家じゃないよ……)
ましてや独り暮らしをする、いつものワンルームマンションである筈もなく。
どうしようもなく途方に暮れる。
手以外にも自分の状況を確認するべくベッドから出れば、セールで買ったチェック柄のパジャマではなく、白い柔らかなネグリジェ。
そして、確実に記憶より小さくなってしまったように感じる身体。
意外にボリュームのあった胸もぺったんこだ。
そっと絨毯に足を下ろせば、それは恐ろしくふかふかで。
(身体は痛みとか、違和感はとりあえずは無い……乱暴をされて連れてこられたって訳じゃなさそうだ……)
そろりそろりと足を進める。
続き部屋らしいドアを開けると、先ほどと同じデザインの、猫脚の白いドレッサーが目に入った。
取り敢えず姿を確認するために近づいて……鏡を見て絶句する。
子供らしくふっくりした白く円い輪郭の中には、少し垂れ目がちの丸く甘い瞳。
小さめの形の良い鼻。紅を差さずとも綺麗に色づいた唇は、常に微笑むよう訓練されているのだろう。優美に弧を描いている――――小さい子供がいた。
なんだか、めっちゃ美少女(美幼女)だけども……。
髪も瞳も。
「どぴんくなんでしゅけど……?」
ストロベリーブロンドなんてものでなく、濁り無い綺麗なミルキーピンクで。瞳は朱鷺色。
(えええぇぇぇぇぇぇ~~~~~~!!!???)
「なにじん??」
つーか、この色味、地球人にありえなくね? コスプレ??
丸い瞳を縁取る長い睫毛をバサバサと動かしながら瞬き、ペチっと頬を叩く。
「いたい……」
夢? 現実??
何がどうしてこうなった???
「おちちゅけ、わたち」
…………。
心持ち回りにくくなったように感じる口調と高い声に眉を顰め、小さくため息をつく。
焦っている時程、気持ちを落ち着けろ。
深呼吸して、足りない酸素を頭に回せ。冷静さを取り戻せ。
ちらり、鏡へ瞳を向ける。
目の前には幼稚園児ぐらいの幼女が、しかめっ面をして腕を組んでいた。
カクカクと両手を交互に動かしたり、ジャンプしたり、小学生の時にしこたま練習したムーンウォークを往復してみたり、変顔をしたりしてみる。
……『私』で間違いなさそうだ。
動いている。こちらが動く度に。
人形や絵ではなく、生きた人間。
私は誰だ?
考えても考えても、三十三年馴親しんだ筈の名前は出てこない。
代わりに。
「まぐのりあ・ぎるもあ」
私は、マグノリア・ギルモア。
くり返し、自らに問う度に浮かぶ名前。
そして次々に浮かぶ、この世界の生活の沢山の断片。
小さなこの子の記憶。
頭でもぶつけて、夢でも見ているのだろうか?
――明晰夢ってやつ?
それとも、頭がおかしくなってしまった……とか。
ありえる。だって、通常の範囲じゃ考えられんし!
名前も顔も思い出せないが、日本の街並み、職場で忙しく行きかう人々、四季の風景、風を切る赤い自転車のハンドル。
休みに買い物をするスーパー。通勤する満員電車の日常。
たまに帰る実家の匂い。
近所の大きな犬。
断片的に頭の中にある、もう一人の自分の記憶。
お母さんが育ててる花壇の花。
住宅地の電信柱にとまる蝉の鳴き声。
小学校の時の、運動会の空に行きかう赤とんぼ。
たまに降る雪に足を取られ、都会の道で転ぶニュース。
多分五歳にもならないだろうこの子に、そんな妄想が出来るのだろうか?
動画で流れてた景色? テレビで観た風景?
「お嬢様?」
さらさらとした衣擦れの音と共に、五十代だろう、やや丸みを帯びた女性が、続き部屋の扉から顔を覗かせる。
大きく肩を跳ね上げて振り向くと、黒いお仕着せらしいワンピースドレスを纏った、優しそうな鳶色の瞳の女性が微笑んだ。
「目を覚まされたのですね。おはようございます、お嬢様」
誰、と言う前に、勝手に口が動く。小さな小さな、愛らしい声で。
「……おはよう、ロサ」
この人はロサ。ロサ・ラグレー。
マグノリアの側仕えで、ギルモア家の侍女。
まるで当たり前のように、そこにある記憶。
何故、日本の記憶が思い出し難く、なのに知らない子供の記憶が鮮明にある?
何故、黒髪のアラサー女性ではなく、ピンク髪の幼女?
何故、駅近の小さなワンルームじゃなく、豪華な白壁の部屋?
トラ転。
大人なのにラノベが好きな、アイツから借りた本の冒頭。
アイツ……中学からの友人の、アイツの名前はなんだった?
異世界転生。
移動? 召喚? 憑依? 転生? 成り代わり?
馬鹿馬鹿しい設定が、頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え。
サーーっと、背筋に冷たい何かが走る。
いや。トラックにぶつかってないし。
川にも落ちてないし。飛行機にも乗ってなかったから、墜落なんてしてない筈。
階段から転げ落ちた記憶もない。
酒に酔ってもいなければ、病気でも無かった(自覚のある範囲では)。
……普通に寝ただけだし。
色々読まされた設定のひとつ……ある日、病気なんかで発熱した後に目覚め、前世と『ある物語』を思い出すそれ。
だけどそれ、前世的なところで、病気で急死とか事故で急死or意識不明の重体とか、何かフラグ的なやつがあるのがセオリーじゃない!?
いきなり前触れもなく転生しちゃうの!?
悪役転生後、ゲーム知識で逆転無双?
神様に交渉して、チートでスローライフ?
勇者や獣人、大魔法使いと、てんやわんやの討伐旅行?
前世の仕事を転生先で、オーバーテクノロジーが世界を救う?
否定したいのに、じわじわと脳に迫り来る。
アラサー女子が部屋で寝ていたら、目覚めていきなり異世界に転生していた件。
「ははははは……」
小さい乾いた笑い声が漏れる。その声は少し、震えていたかもしれない。
「……お嬢様?」
ロサはゆっくり近づくと、不思議そうにマグノリアを見つめた。
楽しんで頂けましたら幸いです!