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「あー、ロリ太郎ね」
「ロ……ッ!?」
「ゴスロリ着てる三川宗太郎だから、ゴス川ロリ太郎」
次の朝。
二階廊下の流し台でしゃかしゃか歯を磨いていた倉上さんに遭遇して、昨夜の話をしてみたときの反応がこれ。
「だいぶ失礼な響きのある略称ですね……」
「いや、本人も使ってるし」
「自称してるんですか」
「元は友だちに付けられたあだ名で、サークルのペンネームとかに使ってるって言ってた気がする」
「……どんなサークルなんですか」
「オカルト研究会」
僕のなかでだいぶ三川さんがよくわからない人になった。
倉上さんは、コップの水を口に含んで、んべ、と吐き出して、
「よし。じゃあきょうもカラオケ行こっか」
「行きませんよ」
「なんで」
「この声聞いてわかりませんか? つぶれてるんですよ。盛大に」
「ハスキーでセクシーじゃん」
韻踏んでる場合か。
さすがに付き合っていられない。このままだと日常生活に支障が出てしまう。ていうかきょう、平日だから大学だってあるし。本音を言えば心配だけど、倉上さんが命の危機に陥るタイミングに一年近い幅がある以上、無理しすぎても長持ちしない。
僕が断固として拒否すると、ちぇー、と倉上さんは唇を尖らせて、歯ブラシとコップを持って202号室に戻っていこうとする。
「あ、ちょっとだけいいですか」
それを引き留めて。
「なに? やっぱ行く?」
「行きません。でも、大事な話をします。いいですか、僕が言うことをちゃんと聞いてくださいね」
ただでさえしゃがれている声をさらに低くして重々しく言ってやると、さすがに倉上さんもごくり、と息を呑んで、真剣に聞く体勢に入った。
「危ないところに行っちゃだめですよ。外に出かけるときは車に気をつけて。もし夜遅くにひとりになっちゃいそうだったら、僕を呼んでください。電話、出られるようにしておきますから。とにかく、危ないことのないよう、きょうも気をつけて一日を過ごしてくださいね」
僕の言葉を聞き終えた倉上さんは、じっと僕の顔を見て。
めちゃくちゃ笑った。
「あはははっは! お、お母さんか、きみ!」
もう知らん。
*
夕方、講義を受けてから帰ってくると、結び荘の敷地の中、桜の木の下に、和服を着た小柄な女の子が立っていた。
じっと、桜を見つめている。華奢な輪郭は、中学生か、高校生くらいに見えた。
そこだけ平安時代みたいな雅さで、なんだかとても絵になるけれど、誰なんだこの子は。
結び荘は全員ひとり暮らしで、家族連れなんかはいないと思ってたんだけど。
そんな風に疑問に思ってじろじろと無遠慮に見ていたら、むこうがこっちに気付いて、深々とお辞儀をしてくれた。
「こんばんは」
「こ、こんばんは」
慌てて僕も頭を下げる。向こうの態度は随分落ち着いていて、なんだかこっちの方が年下みたいだった。情けない。
「もしかして、新しく越してこられた方ですか?」
「あ、そうです。香住森一。あの、あなたは……」
「こちらの102号室に住んでおります、竹緒都と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「いえ、こちらこそ……」
改めて、ふかぶか~、とお互いに頭を下げる。
なんだこれ。
「って、102号室に住んでる?」
「はい、そうです」
「ひとりで?」
「はい、ひとりで」
ええっ?と僕は思わず声を上げそうになってしまう。
だって、見た感じ高校生、下手したら中学生なのだ。時崎さんだって若く見えたけど、もう若いとかそういう次元の話じゃない。幼く見える。そういう次元の話だ。
それがひとり暮らし。
僕がこの竹緒さんくらいの年齢くらいのころは、米の炊き方だって怪しかったっていうのに。
もしかして、見た目と実際の年齢がそぐわない、そういう感じの人なんだろうか。
訊いてみようか。おいくつですか、って。いや女の人に年齢を訊くのは失礼か。でもいまはジェンダーレスの時代って言うしな。三川さんだって当然のようにスカートを穿いてたし……。
美魔女、という言葉を頭に思い浮かべながら、僕が訊こうか訊くまいか迷っていると、竹緒さんはその空気を察してくれたのか、
「私、管理人の時崎の兄妹のようなものなのです。縁あって、助け合いながら暮らしております」
なるほど、と納得しようとして、ひっかかった。
ようなもの、ってなに。
名字ちがうし。
ものすごーくそのあたりが気になったけど、でも、結び荘の住人はみんな仲がいいみたいだし、三川さんだってきのう、竹緒さんのことを知ってる風に話してたし、たぶん大丈夫だろう。なにが大丈夫なのかって、ほら、色々。
うん、大丈夫。
触らぬ神に祟りなし。
「そうなんですね。じゃ、僕はこれで……」
「あ、ちょっと」
呼び止められてしまった。
さすがに年下の女の子から声をかけられて、そそくさと無視することはできない。
足を止めると、竹緒さんは小さな歩幅で、僕の近くまで寄ってきた。
「…………」
「な、なんですか?」
そして次に、竹緒さんは思わぬ行動を取った。
ぺたり、と僕の顔に、手のひらを押しつけてきたのだ。
「わっ!」
「あっ。……申し訳ありません。つい」
つい、ってなに?
倉上さんが相手だったら、すぐさまそう言い返してやっただろうけど、なまじ相手が年下の子で、腰低く話しかけてくるから、そんな風にもできない。
いきなりひんやりした手を押しつけられてびっくりした心臓を押さえながら、僕は大きな声を出してしまいそうになるのをこらえて、竹緒さんに訊いた。
「なんですか、一体?」
「すみません。なんだか、見覚えのある顔だと思って」
「見覚えのある顔だと思ったら、いきなり人の顔を触るんですか?」
「申し訳ありません。私、少々世間知らずなところがあって……」
「いや、世間知らずとかそういう問題じゃ……、あああああ、そんな、怒ってるわけじゃないですよ。顔を上げてくださいっ」
全国謝罪選手権三連覇、みたいな惚れ惚れする角度で竹緒さんが頭を下げてくるものだから、反射的に許してしまった。
竹緒さんが顔を上げる。
そして僕の顔をじっと見つめる。
じいいいいいいっ、と見つめる。
僕は目を逸らした。
「じゃ、そういうことで……」
「お待ちください」
逃げられなかった。
振り向くと、まだ竹緒さんは僕の顔を見つめている。
なんだかこのアパート、変な人が多すぎないか?
目の前の竹緒さんは明らかに変な人だし、三川さんはいい人そうだけどファッションとあだ名と所属サークルがよくわからないし、倉上さんはあんなんだし、時崎さんもまともに見えて三留してるらしいし、薬がどうとかわかりにくい冗談も言うし……。おまけに、残りのひとりは三川さんいわく、昼夜逆転してる占い師。
まともなのは僕だけなんじゃないか?
そう思ってから、僕自身も最近は日記絡みで変な人になりつつある、と客観的な判断がチラ見えしてしまった。
このままでいいのか?と自分で自分に問いかけている僕のことなんてお構いなく、竹緒さんは言う。
「困ったことがあったら言ってくださいね」
「え?」
「あまり頼りにならないかもしれませんが、話を聞くくらいのことはできますから」
なんだかずいぶんここ最近聞き覚えのあるフレーズだぞ。
困ったことがあるなら相談してね。この台詞、竹緒さん以外の人にも言われたぞ。
時崎さんに、三川さん。倉上さんからも、ちょくちょく言われている。
「……僕、そんなに頼りなく見えますか? 困ってそうに見える?」
「いえ」
ちょっと自信をなくしつつ訊いてみると、予想に反して竹緒さんは迷いなく、首を横に振った。
「ただ、知り合いの……、苦しいことやつらいことを、ひとりで抱え込む、そんな人に似ていたので」
なんとなく悲しそうに、竹緒さんは言った。
それでふと、日記のことが頭に思い浮かんだ。
「……ありがとう。もしなにか、相談したいことがあったら、聞いてもらいます」
さすがに、この場ですぐに言おうとは思わないけど。
なにせ、人の命にかかわる今回みたいな場合になるまで、だれにも打ち明けなかった秘密なのだ。
それもその理由が、話してもきっと、だれも信じてくれないって、そう思っていたからなのだ。
実際、倉上さんには勢いで打ち明けてしまったけれど、まるで信じてもらえなかった。あの人はこの話を笑い飛ばして、せいぜいが僕のことを遊びに連れ回す便利な口実くらいにしか思ってない。
でも、それも当然のことだと思う。
いきなり未来が見えるんです、それで悩んでるんです、なんて言われても。
僕だって、僕自身の話じゃなかったら、笑い飛ばしてしまうと思うから。
「いつでも、相談してくださいね」
こんなに色んな人からそう言われたら、心揺れることも事実だけど。




