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「よ」
「唐突ですね、いつも」
「もっとスローモーションで歩いてきた方がよかったか?」
「そういうことじゃありません」
「手紙とかまだるっこしいだろ。いい、いい。俺、友だちの家とかにもアポなしで行くタイプなんだ」
「それ、迷惑なので直した方がいいと思いますよ」
「そのうちな。千年後くらいに」
三川さんは、また唐突に現れた。
昼ごろ、僕がひとりで101号室にいると、突然ドアをノックして。
入ってください、と部屋に招き入れると、勝手知ったる様子で彼は冷蔵庫を開け、手に持っていたものを中に入れた。
「なにを入れたんですか、いま」
「肉。夜になったら食おうぜ。いいやつだぞ」
「それはどうも」
「てかおまえ、結構冷蔵庫潤ってんな。あとで買い出し行こうかと思ってたけど、これならふつうに鍋作れるじゃん」
「長いですからね。自炊も」
僕が椅子を勧めると、三川さんはどっこいせ、と座った。
「それ、スカートに皺がつきませんか」
「え? ああ、まあ、細かいことは気にするなよ。伊名城は寝てんの? 竹緒は散歩か?」
「伊名城さんは仕事で、都は学校です」
ふへっ、と三川さんが、妙な声を出した。
笑っているような、驚いているような、微妙な顔で僕を見つめ、
「おまえ……、やったなあ」
「ええ。やりました。できる限りのことは」
「生前整理ってわけだ」
「そんなところですね」
「いやだね、人間は。すぐにそうやってなんでもかんでも綺麗に片付けようとする。独り立ちさせて安心できるように……なんて無責任の美化だぜ。本当に愛してるなら、手元に置いて一生不安に付き添ってやるもんだ」
「人は置物じゃありませんよ」
「かわいくなくなったな、おまえ」
わざとらしい落胆を見せつけるように肩をすくめた三川さんは、そのすぐあとには席を立って、冷蔵庫を開けている。
「酒ないの、酒」
「ありません」
「んじゃ伊名城の部屋から取ってくるか。あとから補充しとけば気付かないだろ」
「いまは週に二、三本しか飲んでないみたいですから、さすがに取ったらバレますよ」
「……は?」
「代わりになにか淹れますよ。コーヒーと紅茶、どちらが好きですか?」
答えはなかった。
三川さんは椅子に座り直すと、ぼんやりと外の、夏の日差しに目をやった。
「あのさ、香住」
「はい」
「これで、よかったのか」
「はい」
「……たまには会いに行ってやるよ」
「助かります。正直に言うと、耐えられる気がしませんから」
僕は素直に頭を下げてから、別の話を切り出す。
「ところで三川さんが来たっていうことは、もうすぐなんですか?」
「ん?」
「倉上さんが来るのが」
ああ、と三川さんは、いま思い出した、というように、
「鋭いな。そうだよ。そろそろ始まるからな。そのときのおまえのリアクションを見てやろうと思って」
「つくづく悪趣味ですね」
「そう言うな」
「それにしても、知りませんでした。てっきりあの人は、春に来るものと思っていたので……」
ふしぎに思っていた。大学受験の時期が過ぎても、倉上さんがここに姿を現さないから。
前の世界の都がずっと特異時間体質だっただろうことを考えると、都が来た秋の次の春には、倉上さんはこの結び荘に来るはずだと思っていたから。
ひょっとするとこちらから迎えにいかないといけないだろうか、とも考えた。
けれど……すべての世界で、香住森一と倉上花音は結ばれるのだから。
結び荘に来ないなら、それはそれで進んでいくのだろうと思って、ただ僕は、101号室で季節を過ごし続けていた。
「いつ来るんです?」
「いまから」
ぴんぽん、とインターホンが鳴った。
驚いて音のした方に顔をむけて、戻すともう、三川さんの姿はない。
そうして僕は、夏に、彼女と出会った。
ひとつだけ季節がずれて、また、始まる。
そうして202号室と、203号室が埋まった。
*
ある朝起きてみると、すっかり春が来ていた。
カーテンを開けると、庭には花嵐。桜が、光のように舞っていた。
カレンダーには、赤い印がついている。
そうしてそのうち、こんな声が聞こえてくる。
『――いま、あなたに恋をしました』
「……やっぱり、うそつきだな。前の時崎は」
僕は、本棚に差し込んだ、十年前に買った鍵付きの日記帳の背を、指でなぞる。
時間逆行の力が日記帳に未来の言葉を浮かび上がらせるような形で溢れ出るなんて、そんなわけがなかった。
ただ前の時崎が僕にそう思わせるよう、ずっと細工を続けていたという、それだけの話。
僕の見ていないところでこっそりと、これからあるだろうことを日記に書きつけていただけ。
それだけのこと。
「でも……、託された」
だれかが、この連鎖を止めてくれるように。
前の時崎は期待して、なにかを変えようと、これまでの時崎がしてこなかった新しい一歩を、自分の足で踏みだして。
その願いが、僕の言葉を生み出した。
僕だけの、言葉を。
日記の鍵を開けて、中身を見る。
なにもない、真っ白なページ。
風が吹く。窓から、春の花びらが入り込んでくる。
約束のない恋が始まる。
僕の出番は、最後の最後。




