22
「答え合わせをしてやろうと思ってさ」
ず、とお茶を一口飲んで、出されたお茶請けに早速手を伸ばしながら、三川さんは言った。
何百年ぶりに見るはずなのに、僕はその姿を見て、最初にこう思った。
ああ、いつもの三川さんだ。
「やっぱり、人間じゃなかったんですか」
「ちょっとおまえらとは、身体のつくりが違うかもな」
「時間停止の特異時間体質、というだけじゃなかったんですね」
「その特異時間体質って言い方、マジでかっこいいよな。俺それ、最初にお前が言い出したときちょっと感動したもん」
「……やっぱり、時崎さんは、僕なんですね」
あ、と三川さんは口を押さえた。しまった、と言うように。
余計なこと言ったな、と小さく呟いて、
「まあでも、そのくらいのことは気付いてただろ? さすがにさ」
「この顔ですからね。嫌でも気付きますよ」
「それじゃ、第一問だな。その顔になった理由は?」
「不死の薬を飲んだからでしょう。理想時間薬、って前の時崎は言ってましたけど」
「理想時間薬って言い方はマジでダサい。おまえ、それは改名した方がいいぞ」
「考えておきます。……たぶん、この状態が僕にとってベストの顔の配置だっていうことなんですね。いくらか長生きして、気付きました。人間の身体は、生きているうちに、使っているうちに、歪んでいく。必ずしも最適な状態に保たれているわけじゃない。肉はズレるし、骨は食い違う。そういうのがない状態の僕の顔というのが、これなんでしょう」
「当たり。結構、生活習慣っていうのもばかにならないもんだろ。最初に時崎を見たとき、おまえ、自分の顔だなんてまったく気付いてなかったもんな」
「ええ。……だれかに似ている気は、していましたけど」
でも、気付きようがなかったと思う。
気付けても、なにも変わらなかった、とも思う。
「じゃあ、第二問。どうしてお前が遠い過去に戻る前、おまえと時崎っていう、ふたりの同一人物が存在していたのか」
「このまま僕が生き続けた場合も同じことになる。そういうことでしょう」
「というと?」
「……二千年代のあのころを現代と呼ぶとして。現代で生まれて、そのまま十八年であの場面まで辿り着いただけの僕と、いまの僕のように、平安時代まで時間逆行して、そこから千二百年かけてあの場面まで辿り着く僕の、ふたりがいるっていうことです」
あたり、と三川さんは団子をほおばって、
「十八歳の香住少年と、千二百十八歳の時崎が、並列に存在してたってことだな。オーケー。いいとこまでわかってる」
「考える時間だけは、あり余るほどありましたから」
「いいことさ。考える余裕があるってのは。さあ、それじゃあ第三問だ。
どうして時崎は、香住少年を騙して、千二百年前までタイムスリップさせたんだ?」
ずっと。
それを、考えていた。
「……いまだに、仮説の域を出ないんですが」
「だから、その答え合わせに俺が来たんだろ」
「三川さんは、何者なんです?」
「頼りになるおにーさん」
に、と三川さんが笑うのに釣られて、僕も笑いが洩れた。
確かに、この人は最初からそういう人だったのかもしれない。
僕は息を吸う。
そしてこの数百年の、長い思考の結果を、三川さんに投げかけた。
「まず前提として、不死の薬を持って、僕が過去に戻る必要なんかなかったんです」
三川さんはうなずいた。
続けて、と言うように。
「僕が時崎なんだったら……、倉上さんを救う方法なんて、いくらでもあった。倉上さんが死ぬ前に不死の薬を飲ませればいい。たったそれだけのことですべての問題は解決したし、僕がこんなに長い帰路を辿る必要もなかったんです。
それをしなかったということは、理由がある。倉上さんを救えなかったんじゃなくて、救わなかった理由があるんです。……ふたつ、仮説を持っています」
「どっちからでもいいぜ」
わかっている、と言いたげな三川さんの表情。
僕はその余裕に甘えて、言う。
「ひとつめは、不死の薬を倉上さんに飲ませる覚悟ができなかったからではないか、というものです。老いもせず、死にもしないというのは、孤独ですから」
「そうか?」
「……僕はどうも、そう感じることが多いみたいです」
その場その場では、頼れる人も、心を開ける人もいる。
でもそれは、永遠に、という意味じゃなかった。
死に別れを待つまでもない。ただ、十年くらいもして、ひとつも顔が変わらなかったら、少しずつ怪しまれていく。ふつうの人間じゃないということに、気付かれるようになる。
そのたびに、僕は暮らす場所を変えた。
そして、その場所に自分を知っている人がいる可能性が残っているあいだは、もう戻るわけにはいかなかった。
「それに、孤独だけじゃありません。なにがあっても死なないというのは、恐ろしいですよ。国の終わりや、人類の終わりどころじゃない。星や、宇宙が終わった後もずっと続いてしまうとしたら……」
「まあ、そのへんが人間の弱いところだな。時間から自由になっても、無限の時間に耐えきれるようにできてない。倉上くらい使いこなせてりゃ、次のステージにだって行けるだろうに」
「ああ……。やっぱり、倉上さんの多時間観測は、負荷が高いんですね」
「そりゃそうだ。まだビッグバンからそこまで経ってるわけじゃないから世界個数は有限個で止まっちゃいるが、人間にとっちゃ無限と区別がつかないくらいだろうよ。それを自分の主観意識にとどまるとはいえ、あんだけ日常的に観測し続けられたんだから、人間としちゃだいぶタガが外れてる。伊名城は見てのとおりそういう耐性がかなり低いが、竹緒も似たようなもんだな。力に精神構造が追い付いてない。……香住は、もうちょい倉上寄りかと思ってたけど」
「そうですか?」
「七歳までに暴走を起こしてないからな。力の扱いが不安定なやつは、幼児期に特に事故を起こしやすい。それに、不死の薬を飲むときも大した思い切りだった」
「あれは……、ほかの選択肢を考える余裕がなかっただけです」
「そのまま死ぬって選択肢はあったさ。それに気付かないのも、心の強さのひとつだ。……っと」
話が逸れちまったな、と三川さんは言って、
「ひとつめの推理はわかった。答え、いまの時点で言うか?」
「……いえ」
僕は、その言葉に首を横に振る。。
「わかってるんです。それが、本当の理由じゃないって」
「どうして?」
「もう数百年経ったあとの僕だったら、迷わず倉上さんに不死の薬を飲ませますから」
ぴゅう、と三川さんは口笛を吹いた。
「言うねえ」
「嫌だって言っても飲ませると思いますよ。……風化しない感情は、ひたすら降り積もっていきますからね。ときどき、その気持ちに押し潰されて、自分の姿が見えなくなる」
感情の多くはいつかなくなるものだ、ということも、僕は学んでいた。
怒りも、喜びも、悲しみも、あまり長くは続かない。
それなのにいまでも僕が倉上さんを好きでいるのは、きっとただの純粋な気持ちからだけじゃないってことも、わかっている。
怖いんだと思う。その気持ちすらなくしたら、どこを歩いているのか、わからなくなってしまいそうで。
「いいね、いいね。そういう話が聞きたくて来たんだよ」
「な……、ちょっと」
さすがに、僕も呆れて、
「真剣な話をしてるところですよ。……全然変わっていませんね、三川さん」
「おまえが変わりすぎなんだよ。たった何百年ちょっとで、妙に落ち着いちゃって。むかしのお前だったらもっと面白いリアクションしてたぞ」
「はいはい」
でも少しだけ、うれしい気持ちもあった。
もう出会う人々のすべては僕よりずっと年若くて、こんな風に対等以上の立場で話せる人には、ずっと会っていなかったから。
僕は久しぶりに、心から微笑んで、
「もうひとつの仮説の前に……、ふたつ、確認をお願いしてもいいですか」
「俺がわかることならな」
「三川さんにわからないことなんて、なさそうですけどね。……僕がいまいる、世界のことです」
三川さんの口の端が、上がった。
正解してしまった、と。
それだけで、わかった。
「この世界は、僕が元いた世界じゃない。そうですね?」
「そのとおり。おまえの時間逆行は、単線式じゃない。複線式なんだよ」
言うと、当然のように三川さんは、懐からメモ帳を取り出した。数百年先の、雑貨屋で売っているようなものを。
二本の右向きの矢印を、上と下に、それぞれ引いた。
上の矢印の、右の方に三川さんはペン先を置いて、
「上が、おまえの元いた世界。このある一点から逆行を始めるとき……、動きは、こう」
下の矢印の、左の方の点まで、一直線に移動させた。
「まあ、実際のイメージはもうちょっと違うけどな。上りの電車に乗って、駅で降りて、下りの別の電車に乗るとか、そっちの方が近いかもしれない。が、まあどっちにせよ、重要なのはこっちだ」
ぐりぐりと、下の矢印を三川さんは何度もなぞって、
「おまえがいるのは、元いた世界じゃない。そのとおり。大正解だ。もうひとつは?」
「では。不死の薬は、死者にも効くのではないですか」
「もちろん。死なんていうのは、しょせんは存在に関する無数の状態のひとつに過ぎないのさ。そのくらいのことができなきゃ、理想時間薬なんて名前はつかない。ほかには?」
「……いえ。それだけで、十分です」
僕は、目をつむった。
やっぱり、という気持ちと。
そうでなければよかった、という気持ちと。
両方が、心の深いところに沈んでいく感覚。
さて、と三川さんが言う
「じゃあ、本題だ。仮説のふたつ目を聞かせてくれよ。どうして時崎は香住を騙して、タイムスリップさせる必要があったのか」
息を吸って、止めて。
それから、僕は言う。
「倉上さんと、結ばれたかったから。そのためには、同じ世界に存在している香住森一が邪魔だったから……。ちがいますか?」
問いかけると、三川さんは……、
「あたり。百点満点だ」
本当におもしろそうに、笑った。
「つまりは、こういうことです。
始まりの僕は、きっと、倉上さんを助けたい一心で、過去に渡った。このときに、逆行に伴う老化をどうしたのかはわかりませんが……、偶然不死の薬を手に入れたとか、いくらでも説明はつくでしょう。
なにせ、始まりはどこだっていいんですから。無限に近い並行世界の、たったひとりの香住森一が、それを成し遂げればいいだけです。
そして過去に戻った僕は、不死の薬を手に入れて、そのまま千二百年の時を経て、倉上さんと再会した。
けれど、そこで問題が生じました。
一度過去に渡った香住森一は、もうその世界における、香住森一ではなかったんです。
別の世界には、別の世界の香住森一と、倉上花音がいる。そしてそれぞれの世界で、それぞれのふたりが、結ばれていたんです。
長い長い時間の旅の果てに見たのは、自分以外の自分が、倉上さんと愛し合っている場面だった。
あまり、心は広くないつもりです。だから……、それを見たとき、ほかの時崎が何を考えたのか、わかります。
香住森一を、別の世界に追いやってしまえばいい」
僕は、懐から、ふたつの瓶を取り出した。
「不死の薬はどの世界でも、現代に至るまで、二本があるはずなんです。時崎が飲んだ分は別の世界で香住森一として飲んだものだから。逆行後の世界の分は、二本あって、減っていない。その世界では、だれも飲んでいないんです。
だから……、香住森一に飲ませても、一本が余る。
時崎は香住森一を騙して別の世界に追いやったあと、残ったもう一本の不死の薬でその世界の倉上さんを蘇らせて、結ばれるつもりだったんです。……永遠に」
ぱちぱちぱち、と三川さんは拍手をした。
「そんだけわかってたら、焦らすこともないだろ。あたりだよ。なにからなにまで、おまえの考えたとおりだ。おまえは、時崎の恋敵だった香住森一は、騙されて別世界に追いやられた。
そして当然、おまえの見込んでいるとおり、これは『このおまえ』だけの特殊なケースなんかじゃ、全然ない」
「やっぱり、連鎖してるんですね」
三川さんは、うなずいた。
「そのとおり。第一の時崎が、第二の香住森一を別の世界に追い出す。第二の時崎は、第三の香住を追い出す。そうして生まれた第三の時崎は、第四の香住を追い出す。……時崎が、常に同じ行動を繰り返す限り、永遠にそれが途切れることはないってわけだ」
そこまで言うと、三川さんは、一拍溜めてから。
大声で。
「いいね! 壮絶に、恋の泥沼って感じじゃん!」
僕は、あまりにうれしそうな三川さんの顔に、あっけに取られて。
「…………」
「どうした。すげえ顔してるぞ」
「しますよ、それは。三川さん、もう少し真面目に人に同情とかできないんですか?」
「できない」
「……そもそもこの話、すべてを知っている三川さんが現代でちょっと口を挟んでくれれば解決した問題なんじゃないですか。薄情な人だな……」
「おいおい、ちょっと待てって」
三川さんは、ゆったりお茶を飲みながら、
「もし別のことが原因でおまえが千年放り出されるようなら、さすがに止めたさ。でも、考えてもみろよ。これって結局、世界がちがうとはいえ、おまえの独り相撲なわけだろ? だったらどっちかに味方するわけにもいかないだろ。おまえだっていきなりこの場で、この世界の香住森一のために死ね、とか言われたって嫌だろうに」
僕は、言葉に詰まる。
そりゃあ、と思う一方で、それで終わるのならそれでもいい、という気持ちもあったから。
「自分の問題は自分で解決するしかないぜ。むしろこうして答え合わせに来てやった俺の親切に感謝してほしいね」
「それは、たしかにそのとおりですね」
素直に頭を下げると、今度は三川さんが意表を突かれたように、きまり悪げな顔になる。
「……そういうところ、やりにくいんだよな。おまえら人間は、ちょっとの時間で未熟さが抜ける。かわいくないところだ」
「すみません。成長する生き物で」
「俺だってするよ。ただ、おまえらよりスケールがでかいだけで。……マジな話をすると、本当は親切心だけじゃない。好奇心も混じってるよ」
「好奇心?」
「並行世界のすべてで同じ相手に恋するって、どのくらいありえないことだと思う?」
三川さんのストレートな問いに、僕はストレートな答えを持っていなかった。
倉上さんが、言っていたことだ。
あらゆる並行世界のすべてにおいて、僕は倉上さんに一目惚れして、恋人になるって。
「俺の知る限り、地球じゃ後にも先にも、おまえひとりだよ、香住少年。よっぽど極端な一目惚れだとか、倉上とよっぽど相性がいいだとか、色々考えて、色々観察してみたが……。俺のいまの結論は、これだ。
香住森一。
おまえはこの星でいちばん、恋の才能がある男なのさ。
ほとんど無限の可能性がある世界で、好きな相手を、なにがあってもひとりに決めちまうくらい。
脆弱な人間のくせに、千年もその恋を持ち続けられるくらい。
……俺はな、前にも言ったが、」
三川さんは、ふ、と笑って、
「恋バナが好きなんだ。……おまえの恋が、どの世でもいちばん美しい。だから、近くで見たくなった。それだけのことさ」
言葉を切って、三川さんはお茶を一気に飲み干した。
席を立って、
「さ、答え合わせはこれで終わりだ。次に会うのは……四百年後か? そのときにはまた、よろしくな」
「待ってください」
「なんだよ」
「いくつか、知りたいことがあるんです。どうしても自分では知れないことだから、三川さんに訊いておきたい」
「……三つの問題を解いたからな。三つまでなら、手短に」
「ありがとうございます」
ずっと、考えていたことがある。
百点満点をもらったこととは別に。もっと、その先のこと。
ひょっとすると、百二十点になるかもしれない、そんなこと。
「ひとつ目です。理想時間薬は、温めて飲むと、逆の薬効があるそうですね。もし、理想時間薬をこれまで服用したことのない特異時間体質者が、温めた状態のこれを飲んだ場合、どうなりますか?」
「体質が消える。俺は飲んでもさすがに効かないが、倉上レベルでも、人間なら消える。……おい、質問が決め打ちすぎないか? それ予測ついてただろ」
「ありがとうございます。……ふたつ目。三川さんが時崎にこうした形で接触したのは、これが初めてなんじゃないですか?」
「だからそれ、自分でもわかってんだろ」
「確かめたいんです」
「確かめるまでもないだろ……。合ってるよ」
やっぱり、そうだった。
前の時崎は、三川さんを指して『時間停止者』とだけ呼んでいた。
もしいまみたいな会話のやりとりがあったんだったら、そんな小さな言葉で表そうとしないだろう。
ということは今回が、今回だけが、例外だということだ。
「ほかにも色々、訊きたいことはあるんですけど……。三川さんは本当は何者なのかとか。たぶん、不死の薬の出どころは、三川さんのところですよね。三川さんが作ったのか、それとも三川さんのところの種族が作ったのか、とても気になるんですが……」
「訊くんならはっきり訊けよ」
「いえ。それはやっぱり、訊きません。最後のひとつは……、三川さん」
目を。
じっと、まっすぐ見つめた。
気持ちがまっすぐ、伝わるように。
「僕がこれからすることは……、あなたが僕だけに話しかけてくれたこと、その期待に報いるようなものになっていますか?」
三川さんも、じっと僕を見つめ返していた。
それから、はん、と笑って、背を向けて、
「人の顔色うかがって決めようとするなよ。……自分のことは、自分で決めな。なにもする気はねえが、最後まで見届けるくらいのことは、してやるからよ」
立ち去っていく。迷いない足取りで。
見送ろうとその背を追ったけれど、廊下の角を曲がった先で、もう三川さんの姿はなくなっていた。
ありがとう、と。
僕は小さく、呟いた。




